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2013年5月

「学校教育の終わり」ということ(6)~今、学校に求められていること~

   「特設クラブ」での「自慢づくり」を書いた。
 これは、あくまでも特別な試みであり、このようなことがどこの学校でもできるわけでもない。
 

  ただ、主張したいのは「うちの学校は、こんないいところがあるよ」という「自慢」が必要なことである。
 

 それ以降進めた中休みの「30分休み」、代表委員会による「全校百人一首大会」、
算数や国語での「授業づくり」改革、「全員参加による卒業式」などの試みは、全職員が一丸となった取り組みとして進行していった。
 

 子供たちにとっても十分自分の学校を自慢できる試みであったはずである。
 ★
 ずっと荒れ続けていた学校が、落ち着いた学校へと変身していった。
 クラスごとには、さまざまな問題を抱えていたが、学校全体に安定した風土が根付いていった。

 私は、今「あの学校」での改革を振り返りながら、主要なキーワードを次のように考えている。

 ①チームとしての職員の試み
 ②学校の土台づくり(時、場所、礼)
 ③自慢づくり
 ④授業づくり(算数、国語)
 ⑤職場づくり

 それぞれについて詳述したいが長くなる。
 その中で、やはり①が大きい。
 

 職員会議でのさまざまな論議はあったが、決まったことに対する統一した先生たちの試みはみごとなものであったと、今でも思い出すことができる。
 

 それだけ学校自体が追いつめられていたことでもある。
 ★
 「学校教育の終わり」ということで、ここまで続けてきた。
 これから学校教育が抱え込んでいくことは、確かに厳しく、辛いことである。
 

 しかし、現場教師は、評論家ではない。
 目の前の現実を受け入れ、それを乗り越えていく「当事者」である。
 
 

 私が経験したO小学校の7年間は、まだまだ学校が取り組んでいく可能性が数多く残されていることを教えてくれた。
 

 ここでの経験は、私にとってとても貴重なことであった。
 

 ★
 この経験からはっきりしてきたことがある。
 

 

 第1に、これからの「学校」は、職員のチームとしての試みをどのように作っていくかである。
 学年としてのチームづくりをどうするか、学校としてのチームづくりをどうしていくかが大きな課題になる。
 

 

 これができない学校は、もちこたえられない。
 だから、主要な課題は、子供たちをどうしていくかではなく、職員のチームづくりなのである。
 

 

 そのために、職員同士が交流し合う「職場づくり」が必要になる。
 

 

 第2に、学校には、特別な「プロフェショナルの教師」は必要がないことである。
 だれも真似できない、唸るような学級経営と授業をするアスリートのプロ教師は、必要がない。
 

 

 そんな技術を披露してもらうよりは、学年をまとめ、学校をまとめていける力を発揮してもらうことが先決だ。
 

 

 もはや一人の特別な技能を伸ばし、自分のクラスを特別なクラスにしていく技能などは求められていない。
 

 

 周りで苦しんでいる若い先生たちや、バラバラになっている職員集団をいかにまとめていくかに力を尽くしていく先生が求められている。
 
  ★
 私が知っている学校は、学校全体の研究授業を止めにした。
 

 

 荒れまくっている学校の状態を見たとき、こんな研究授業をしていても意味がないと判断したのであろう。
 始めたのは、朝学校へ来てから帰るまでの間で学校全体で統一できることは全部統一しようという試みである。
 

 

 学校全体が一丸となって、子供たちに対していこうというのである。
 これを学校の重点研究にする。
 

 

 慧眼であると、私は考えた。
 その学校は、3年間その研究をした。着実に成果をあげたと聞いている。
 

 

 そして、「○○小学校スタンダード」という形でまとめている。
 このような提案が今求められている。
 
 
 

 

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「学校教育の終わり」ということ(5)~「自慢づくり」のこと~

   5年生には、他校との球技大会がある。
 ミニバス(女子)とサッカー(男子)である。
 

 隣の学校との親善試合になる。
 隣の学校は、1クラス。1試合ができる、やっとの人数。
 

 だから、ほとんど同じ子供たちが出てくる。
 こちらは、2クラス。圧倒的に有利である。
 

 ところが、ところが、女子も男子もほとんどが負けと引き分け。
 「えっ~~~~」と頭を抱える状態。
 

 これは、どうしたことだろうか?
 子供たちに聞いた。
 

 「おい、おい、どうしたことかね?」
 子供たちは答えた。
 

 「先生、どうせオレたち前から何やったってだめだよ。負け、ずっと負けてるよ!」
 という答え。
 

 全体的に子供たちに覇気がなく、だらだらしていて、意欲がないというのは、こんな考えにもあったのだとしみじみと思う。
 このような負け犬根性が、全体的に蔓延し、子供たちに染みついている。
 

 子供たちに、自分たちの学校を自慢できる気持ちがまったくないのである。
 そして、そのような「事実」も学校では作り出していなかった。
 ★
 子供たちが自分たちの学校を自慢できる「事実」を作り出さなくてはならない。
 「うちの学校にも、こんなすごい子供がいるんだ!」
 

 「うちの学校は、他の学校ではやっていない、こんなことがあるんだ!」
 

 「うちの学校って、すごいよ!」
 

 私は「自慢づくり」と言う。
 自分の学校を自慢できることを作らなければいけないとしみじみと思う。
 

 さて、どうするか?
 ★
 2年目から「特設の陸上クラブ」を作った。
 手っ取り早く成果をあげる以外にない。
 

 5,6年の子供たちを対象に特別に陸上クラブを作り、朝練をやったり、夏休み練習をやったりして、子供たちを陸上の大会に出場させる。
 

 そして、良い成績を上げて、朝会で校長先生に表彰してもらうのである。
 私ができる方法では、これしかないと考えた。
 

 陸上でとりあえず目立つ成績を上げる。
 私には目算があった。
 

 私は、このために夏休みの全ての空き時間をこの練習につぎ込んだ。
 子供たちも大変であったが、私も大変であった。
 

 その甲斐あって、すぐれたランナーが出てきた。
 6年生女子で、100m神奈川県大会で2位になる。
 

 6年生女子が400mリレーで横浜全体の体育大会で3位に入るという快挙を出していく。
  次々に朝会で校長に表彰してもらい、選手達を讃えていくことを繰り返した。
 

 そのうちに、5年生男子が神奈川県大会で100m優勝したり、6年生女子が神奈川県代表として全国大会に出場したりするようになった。
 

 もうこの頃には、「どうせオレたち……」と考える子供たちはいなくなっていた。

 「陸上学校」の名前が高まっていく中で、その気になる子供たちが多くなっていった。
 

 区のクロスカントリー大会が11月の下旬に行われる。
 10月の最初から1ヶ月間運動場の周回コースを回る朝練を始める。
 

 1年生から6年生まで参加する。
 100名以上の参加。
 

 350名の学校だから30%ぐらいの子供たちがそのレースに参加する。 
  10名以上が3位以内に入り(20名以上が3位以内に入ったときもあった)メダルをもらってくる。
 

 全員が体育館の壇上に上がり、校長から表彰される。
 壮観である。
 

 「すごいよ!オレたちの学校はすごいぞ!」
 ★
 2年で普通の学校になった。
 もちろん、さまざまな火だねはあるが、クラスは落ち着いていった。
 

 子供たちの「自慢づくり」の必要を痛感した。
 そして、この頃、先生たちも一丸になり、さまざまな「学校改革」が実行されていく。
  

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「学校教育の終わり」ということ(4)~学校を変革する~

   「3年学校」と言われている学校へ赴任したのは、あと7年で退職するという年であった。
 53歳になっていた。
 

 私は担任をしながら、そのまま定年を迎えようと思っていた。
 もはや管理職への道はなかった。
 

 「3年学校」というのは、3年しかその教師がいない、3年しか教師がもたないと言う意味である。
 3年がその学校へいなければいけない期限になっていた。
 

 この学校は、創立時からずっと荒れた学校として名をはせていて、どの先生も「今度O小学校へ行きます」と言うと、「えっ、大変だねえ!」と声が返ってきた。
 ★
 赴任したその日、始業式で異動してきた先生たちは、ずらりと前列に並んでいた。
 今までの先生たちはほんの数人。
 

 あとは、ほとんどが赴任した教師たちによって占められていた。
 

 始業式での子供たちの態度。
 ほとんど校長の話を聞けないで騒然としていた。
 

 これはやはり大変な学校へきたものだと痛感する。
 ★
 この日から退職までの7年間の闘いの日々が始まったのである。
 350名程度の子供たち。
 

 100名以上が就学援助の子供たち。
 100名以上が父子家庭、母子家庭で占められていた。
 

 だから、事務職が2名。
 ★
 前年度までは、その学校では「子供の思いを大切にする」「子供の発想を生かした行事作り」など子供を主人公にした改革が進められていた。
 

 運動会は、ほとんど代表委員会の子供たちが中心に、子供たちが考えた行事作りが進められていた。
 

 中心で進めていくのが、特活部。(体育部ではない)
 特活部の主任が私に当てられていたので、(教師生活で初めて特活部に所属していた)私が運動会を進めていく代表であった。
 

 これがまた大変なことであった。
 

 研究でも、市の総合の研究協力校になっていた。
 

 それでも前年度は、数クラスが学級崩壊をしていたと聞いていた。
 

 「子供の思いを大切にする」という試みが、空回りをしている。
 しばらくしてその思いを強く持つようになる。
 ★
 荒れた学校を立て直していくのに、まず何をするのか。
 私達には、森信三先生の次の提言がある。
  ★ ★ ★
  時を守り
  場を清め
  礼を正す
  これ現実界における再建の三大原理にして、いかなる時・処にも
  当てはまるべし。    (「一語千鈞」 致知出版社)
  ★ ★ ★
 「荒れている学校(学級)」は、「時」がめちゃくちゃになっている。
 日課表の時間が守られていない。
 授業時間がクラスごとにまちまち。
 先生たちの会議の時間なども守られていない。

 「荒れている学校(学級)」は、「場」が汚く、乱雑になっている。
 
 「荒れている学校(学級)」は、挨拶、礼儀、返事、言葉づかいが乱れている。

 ただ、この学校は、技術員さんの努力によって、学校の中がきれいに整えられていた。 草花も、きれいに咲き乱れていた。   

  まず、学校(学級)を立て直すためには、この「時」「場所」「礼儀、言葉づかい」を正していくことが必要である。
 

 私は「学校の土台づくり」と言っている。

   ★
 一介の平教師である私に何ができるのか。
 ただ、私が管理職を除けば一番の年配教師であるということだけであった。
 

 もう一つ、学校を立て直す手立ては、「高学年を落ち着かせる」という課題である。
 

 高学年なのである。
 低学年や中学年ではない。
 下学年は上の学年のマネをする。
 だから、高学年を落ち着かせることは鉄則である。

 私はとにかく5年生の学年に集中した。
 同学年の隣の先生は、初任の男性の先生。
 これは大変危険な賭である。
 

 4年生の時には、1クラスが学級崩壊になっていたのである。
 大変な子供たちである。
 

 だが、特別に優秀な初任者であった。
 ほとんど特別な手助けなくして、1年間を処していったわけである。
  ★
 この5年生を受け持ちながら、森信三先生の3つの課題の他に学校では、もう一つの課題が必要になるのだと痛感するできごとに出会う。(つづく)  
 

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北海道教育委員会からの報告書を読んで

   北海道教育委員会から報告書が送られてきた。

 教員の資質能力向上に係る調査検討事業「教職大学院の教育課程と融合した初任者研修及び現職教員研修の自校実施プログラム開発」というものである。

 私も一応監修者に名を連ねている。
 
 

 最近は、この報告書や研究紀要の類いはめったに目を通すことがない。
 意味がないからである。時間の無駄である。
 

 報告のための報告をしている。
 まとめのためのまとめをしているからである。

 しかし、今回のこの報告書はすごい。

 さまざまな挑戦がここではなされている。

 ★
 道教委の学校力向上のアドバイザーを勤めて2年目になっている。

 この学校力向上の試みは、昨年は7校、今年は6校が希望をし、13校の学校がさまざまな取り組みを始めている。
 
 

 方々から批判を受けている。
 

 新しい挑戦にはいつもこのような批判はつきものである。
 
 この試みは、もちろん学力向上だけではないが、やはり中心には低学力の向上があることは明確である。
 北海道は、全国の学力調査で沖縄と共に最下位の方を占めている。
 

 

 
 これもさまざまな意見があるが、実際にひどい低学力にあえいでいる実態があるのである。
 

 

 これは「学校の責任である」であると、私は強く主張している。
 

 

 
 高学年にもなって、繰り上がり、繰り下がりの計算、かけ算九九、本のすらすら読みなどができない子供を放置していることは、まさに学校の責任以外のなにものでもない。
 
 子供は毎日学校へ来ているのである。

 この事実に挑戦して、克服していこうという試みが始まっているのである。

 ★
 今回のこの報告書は、教職大学院との連携をどう図るか、初任者研修の自校実施などの新しい試みに果敢に挑戦したものである。

 特に、初任者研修の取り組みは目を見張るものがある。
 
 私の見聞した範囲で言えば、教育委員会段階の初任者研修はほとんど成果を上げていない。
 

 それは、第1に、初任者にクラスを離して研修させることが多いという壁である。
 ただでさえクラス経営がうまくできない初任者をクラスから離すことがしばしばという研修が、かえってクラスを荒らしていく要因だということに早く気づかなければいけない。(これは文科省のもともとのカリキュラムが問題である)
 
 

 第2に、研修内容が初任者の求めている実態に合っていない。(私が担当した初任者の話から推測すればの話であるが…)

 これらの実態を踏まえて果敢に挑戦したのが今回の報告書である。
 
 

 1つ目には、ゼロ年次研修を設けていること。
 児童に会う前に準備しておくことをきちんと設定していること。
 
 

 2つ目には、指導計画が初任者の実態に合わせて組み立てられていること。
 初任者の教室の事実を変えていく指導が実際に行われている。
 
 

 3つ目には、研修の自校実施という試みを踏まえて、近隣校と合同で初任者研修に当たっていること。
 
 

 この報告書を読みながら、初任者指導の新しい一歩が提起されていると強く思ったものである。

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「学校教育の終わり」ということ(3)

    前回次のように書いた。
 
   ★ ★ ★
 現場教師は、どんなに現場が大変になろうが、どんなに学級が荒れていこうがとにかく何とかしなくてはならない。
 目の前のことに全力を尽くしていかなくてはならない。
   ★ ★ ★

 このことを「当事者性」と名付けておきたい。
 現場は、どのような状況下におかれても、この「当事者性」で対応しなければいけない。
 

「もうなるようにしかならないから、いい加減に対応しておけばいいよ」
とはならない。

 もちろん、できることしかできない。
 「できること」に全力を尽くす以外にないのである。
 ★
 今現場が最も必要にしているのは、教員の加配とクラス人数の減員である。
 これで解決するというわけではないが、問題を凌いでいけることは確実だ。

 クラスでの問題の9割方は、クラスの授業を乱していく発達障害の子供たちの対応と「生徒しない」(学びの姿勢をとれない)子供たちの対応である。

 この子供たちにクラス担任がしょっちゅう対応せざるをえなくて、他の「8割の子供たち」の対応がおろそかになり、クラスが荒れていくという状況になっている。
 この子供たちを加配の教員が対応してくれればどれほど助かるか分からない。

 アメリカは、30人以内のクラス人数で、ベテラン教師と若い教師のペアでクラスを担当していると聞いた。
 ここは「ゼロ・トレランス」という法律で、授業を妨害する子供は、他の施設で教育されることになっている。

 だから、落ち着いたクラス運営ができる。

 日本も早くこのような対応が望まれるが、実現はしない。

 ある区のPTAの集まりで400人いる保護者に、このようにアメリカみたいな法律が日本でできるだろうかと質問したら、誰1人手があがらなかった。
 教員の加配さえも実現はむずかしいのである。

 多分、再生会議の委員たちも、財務省の官僚たちも、この現実を知らないのだろうと思う。

 国の教育の根幹である学習指導要領を実施していく当の教員たちが潰れようとしている事態に、道徳の教科化、小学校英語の教科化(私は特に反対しているわけではないが)でもないであろう。

 まさに亡国の道を突っ走っている。
 ★
 それでも私は、先生たちのがんばりに一縷の望みを託している。
 私は、子供をどうしようとかは二の次と考えている。

 そんなことよりも、まず先生たちをどのように元気にしていくかが緊急なことになる。
 これを第一の課題とすべきである。

 今も全国から呼ばれて出掛けていって、訴えている。
 何を語っているのか。

 「当事者性」での闘い(そう、これはもう闘いなのである)を訴えるためである。
 
 

 まず「授業づくり」より「学級づくり」を優先すべきである。

 クラスの「8割の子供たち」を大切にしていく。

 「学級づくり」は3原則を基本にすればいい。

 子供たちとの「関係づくり」には、縦糸・横糸張りが鉄則。

 「授業づくり」は、日常に耐えられる授業づくりでなくてはならない。
 

 ほとんどこういうことに尽きている。
 

  先生たちに訴えることは、シンプルな原理・原則になる。
 先生たちの日常に耐えられなければ、どのような高邁な理論も砂上の楼閣である。
 ★
 退職前に7年間いたO小学校での「学校改革」は、「先生たちの元気さ」が第一の課題であることをしたたかに気づかされた。
 

  私の「学級づくり」「授業づくり」の方法論はほとんど、この学校改革から生み出されてきたものである。
 

次回はそのことについて書きたい。 

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つれづれなるままに

   村上春樹の「色彩を持たない田崎つくると、彼の巡礼の年」(文藝春秋)を読み終える。 

 この本は、北海道の中標津の小さな書店で購入した。
 「あっ、ここにはあるのだ!」と思って買ってしまった。
 

 横浜では、まだ売り切れていたときである。
 

 1週間で100万部というから想定もできないほどの部数。
 

 おもしろかった。
 つくるとエリのフィンランドでの交流(こう言っていいか分からないが)は心揺さぶられる思いだった。
 

 「ノルウェーの森」を思い出した。
 

 阪神大震災が起こったあとに出した本が「神の子どもたちはみな踊る」だった。
 
今回は、東北大震災のあとの本である。
 さて、さて、…。
 

 それにしても、この本の装丁はいい。
 白をこのようにうまく使っている装丁はなかなかないのではないか。
 
そう思いながら読んだ。
 ★
 テレビで福山雅治の「ガリレオ」を見ているので、東野圭吾の「真夏の方程式」という本を読んだ。
 

 村上の本を読んだ後だったので、ちょっとついていけない。
 テレビの方が断然おもしろい。
 福山のはまり役である。
 ★
 第9回の「味噌汁・ご飯」授業研究会(非公開)を行う。
 

 第7回まで「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会としていたのだが、学級づくりを引っ込めてしまった。
 

 この研究会の解散まで今年含めてあと3年。
 とても「学級づくり」までやりきれる時間がない。
 

 そこで「味噌汁・ご飯」授業に残った時間を使うことになった。
 来年の3月には、「味噌汁・ご飯」授業としての本も発刊予定である。
 

 さてさてどうなることやら。
 

 第2回の「味噌汁・ご飯」授業公開授業研究会は、予定通り6月29日に行う。
 
 http://kokucheese.com/event/index/91891/

 「日常授業」にどのように切り込んでいくのか、その提案である。 

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ちひろ先生からの報告

   さまざまな場所で、「ちひろ先生」のことについて話題になった。
 
 「私の初任者のときは、あんなものではなかった!めちゃくちゃであった!」
 「初任者はみんなあのように苦労しているのだね!」
  …………
 ちひろ先生からまたコメントがついた。
 あれからの経過報告である。

  ★ ★ ★
こんにちは、以前書き込みをさせていただいたちひろです。
現在の私の学級の状況をご報告させてください。

GW明けの1週目は、クラスの状況は相変わらずでした。係の当番表や、日直の当番表を作り、子供たちに提案した結果、かなり食い付きがよく、学級内の仕事が回り始めました。しかし、授業中のおしゃべりや立ち歩きは止まらず、S君を中心としたトラブルは止まりませんでした。

2週目の月曜日は、学級の状態がよりひどくなりました。トラブルが止まらず、何人かの児童にかき回され続け、授業がほとんど進められませんでした。
4時間目にあまりにも友達に暴力をふるうS君をどうしようもできずに校長室に引っ張って行った帰りに、涙があふれて止まらず、給食と掃除の時間は教室に戻れなくなってしまいました。専科の先生や講師の先生にフォローしていただき、なんとか5時間目まで授業をし、子供たちを帰しました。
火曜日の放課後に、ある児童の保護者から電話がきました。その児童はストレスによって頭痛や嘔吐をしてしまう病気を持っている児童で、2年生になってから学級が騒がしくなったせいで病気の症状が悪化しているため、どうにか手を打って欲しいとの内容でした。子供たちに負担をかけるような学級を作ってしまったことに、とてもショックでした。
これを受け、校長の決定の下、私の学級は水曜日から二人担任制となりました。(もう一人は私の後補充で入ってくださっていた、ベテランの講師の先生です。)
このような状況になったことはとても悔しい反面、正直ほっとした部分もあります。

今週の後半は、ほとんどその先生に授業をしていただきました。
その先生が授業をすることで、だんだんと子供たちが授業を聞けるようになってきました。しかし、自分が前に立って話し始めると、子供たちはさわがしくなってしまいます。それでも子供たちは困ったときや休み時間には私のところに来てくれます。
「好かれているのに話を聞いてもらえない」ということはとても矛盾していますが、そこに自分のやり方に対する子供たちの想いが表れているのだと感じました。

今、授業をせずに子供たちを後ろから見ていると、自分がいかに子供たちをまとめる手段を持っていなかったのかが本当によくわかります。
自分一人で学級を立て直すことができず、悔しい気持ちはあります。しかしこのような措置をとっていただき、自分を見つめなおす時間をいただいたことは、本当にありがたいと思っています。
その先生のお力を借りている間に、たくさん学んで自分一人で学級をまとめられるように成長したいと思います。
野中先生の本も、新しく2冊購入しましたので読みたいと思います。不安や苦しい思いの絶えない1年になると思いますが、私は負けません。頑張っていきたいと思います。

野中先生に、いつかぜひお会いしたいです。関東近郊で講演会などがあるときに、お知らせいただければと思います。
よろしくお願いいたします。

 ★ ★ ★
 まっとうな学校で勤められていること。
 まっとうな校長先生や周りの先生方のもとで勤められていること。
 ちひろ先生、感謝してほしい。
 
 ちひろ先生が「私は負けません。頑張っていきたいと思います」と言ってくれることに、私のブログを読んでいる方々がどれだけ勇気づけられているか、ちひろ先生にぜひともお伝えしておきたい。

 私はかつて書きました。

 一年目だからしょうがないのだ。自分が無能だと思うことはない。
 誰もが通る道である。人生の試練にあっていると思ってほしい。

 この言葉を、ちひろ先生にも送りたい。

 ちひろ先生、時々 このブログに経過報告をお願いします。
 みなさんが、注目しています。

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第2回「味噌汁・ご飯」授業公開研究会へのお誘い

 「味噌汁・ご飯」授業公開研究会のお誘いである。
 第1回の公開研究会よりもさらにバージョンアップして提案できることを楽しみにしている。
  http://kokucheese.com/event/index/91891/

 ★
 今、「日常授業」へ向ける眼差しは大変強くなっている。
 

 先日も、私が最も注目し、最も尊敬する教師の一人である福山憲市先生がフェイスブックに次のように書かれていた。

  ★ ★ ★
 今年度は、初任研指導教員プラス研修主任も任せられました。53才になる年の人間がやるよりも若手に・・・・とお願いしたのですが、次世代に道を・・・・と言われ引き受けました。研修テーマを変えました。「日常授業の改善」。ハレの授業ではなく、ケの授業を徹底的に見直す。日々研鑽。日々改善。これを若手にもベテランにも浸透させたいと思っています。          
  ★ ★ ★

 このような流れが大きくなっていることは明確である。
 

 今回の研究会で、グループごとに皆さんで「味噌汁・ご飯」授業を実際に作ってみたいと思っているし、その教材での授業をどのように展開するかも私達のメンバーが模擬授業をしたいと思っている。
 

 私も、「味噌汁・ご飯」授業で模擬授業をしたい。
 

 皆さんが目を見張るような「ごちそう授業」を展開するのではない。
 確実に「日常授業」をどのように変えたらいいのかというテーマで提案をしていきたいと願っている。
 

 興味がある方はどうぞ参加していただきたい。
 皆さんと共に「日常授業」を変える研究に邁進したいものである。

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「学校教育の終わり」ということ(2)

   「学校教育の終わり」という内田さんの論は、今まで曖昧であった原因をきちんと言葉化されている。
 

 その点で、私は今まで自分の中ではっきりしていなかったことが一気にまとめられたことになる。 
 

 これをどう受け止めるか。
  それは立場や考え方によって大きく異なって来るであろう。
 ★
 内田さんは「教育の受益者が『共同体』から『個人』に移ったのである」と書いた。
 

 この変化は、考えてみれば大変な転回である。
 

 「共同体」の存続で作られてきた「学校」のすべてが、「個人の尊重」「個性化、個別化」で作り替えなければならなかったということになる。
 

 学校はほとんどそれができなくて、これほどの変調をきたしていることは今更ながら分かってくることである。
 

 内田さんは次のように書いている。

 ★ ★ ★
 学校を全部変えるということは「無学校状態」に子供たちを放置するリスクを負うことにであり、私たちはそんなソリューションを採択することができない。
 つまり、学校教育システムを全部変えなければいけないのだが、部品は今あるものをそのまま「使い回し」てゆかなければいけない。
 いわば、自動車を走らせながら修理するようなことを私たちは求められているのである。これが学校教育についての私の基本的な立場である。「走りながら修理する」ために、何をすればいいのか?何ができるのか?
  ★ ★ ★

 「走りながら修理する」
 

 そんなことが可能であるのか。
 作り替えられるものなのか。
 

 また、作り替える必要があるのかどうかも大きな論議を呼ぶであろう。
 

 しかし、教師たちは、まだそういうことがまったく分かっていない現状である。
 

 ましてや保護者や、マスコミなどは皆目分かっていない。
  
 ★
 昨年から私は北海道へ行くことが多い。
 道教委の学校力向上事業のアドバイザーとしての仕事である。
 

 北海道の各地で、実際に授業をしながら子供たちの様子を見ていくのである。
 子供たちはまったく違う。
 

 私が出会ってきた北海道の子供たちは、素直で、授業に真正面から向かい合ってきた。
 

 横浜の子供たちの状況とは違う。
 こんなに違うものかと思うほどであった。
 

 横浜でも40年前は確かにこんな子供たちはいたのである。
 

 だから、地域によって大きな違いが出ている。
 

 おそらく、日本の中で東北、北陸(全部とは言えない)などは最も安定した地域として内田さんの論は、ピンとこないのではないかと思われる。
 

 しかし、関東から西は深刻だ。
 特に、主要都市圏の深刻さは、行くところまでいっている。
 

 私は、驚くべき事実をさまざまに知っている。
 

 小学校でさえも、制服警官の常駐がいますぐ必要であるところはいくらもあるのである。
 ★
 私は、現場教師の立場で常に考えてきた。
 退職した今も、この立場で考えているし、行動もしてきた。
 

 だから、内田さんとは立場が違う。
 

 現場教師は、どんなに現場が大変になろうが、どんなに学級が荒れていこうがとにかく何とかしなくてはならない。
 

 目の前のことに全力を尽くしていかなくてはならない。
 ここが決定的に違う。
 

 確かにこれから学校は、学級崩壊だけでなく、「学校崩壊現象」を抱え込むことになる。
 あちこちに突然この現象が起こってくることを覚悟しなければいけない。
 

 現場は、「無援の前線」を進むことになる。
 ★
 次回は、私が今まで取ってきた立場からこれからのことを語りたい。  
 

 
  
 
  
  
   

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「学校教育の終わり」ということ~内田樹ブログに関して~

   内田樹さんがブログで「学校教育の終わり」を書かれた。
 
 http://blog.tatsuru.com/

  このブログが出たのが4月7日。
 

 新学期始まったばかりである。
 先生たちが新しい気持ちで、新しいクラスに突っ込んでいかれている。
 

 その気持ちを私は必死で応援したい。
 

 だから、このブログへのコメントを当分は控えたい。
 そう思って、この日までに延ばした。
 
 ★
 このブログが出たときに、フェイスブックで次のような会話が交わされている。
 以前、私も「学校の終わり」をブログに書いていたのである。
 

 私の友人でZ会の寺西さんは、そのことを次のようにコメントされている。
 また、それについて前北海道教育大学学長の村山先生も、コメントされている。
 ★ ★ ★
 寺西隆行さん
 事だけは似たような事を野中信行さんも書かれているんですよ。
 http://nonobu.way-nifty.com/blog/2012/12/post-b11c.html

 弊社にいらっしゃってほんとに語っていました。
 でも彼は、当事者であり、現場の味方、だからこそ説得力があります。

 内田さんの最近の言には、支援していこう、って感が見えないんですよね。。。

 村山 紀昭先生
野中さんの文章は読んでいます。まあ彼は応援者ですから。でも、学校批判って難しいですね。僕も、学校教育に関して理論的・実際的にずいぶん疑問があるんですが、小中高で教えたことがないので、外野的な批判は心して慎んでいます。自ら研究し考えるべき「理論的課題」として、先生方に何とか受け止めて貰えるような問題提起をしたいと思っていますが、なかなか難しいです。

 ★ ★ ★         
 
 確かに、私は「学校の終わり」というブログを書いている。
 このままではとても教師たちはやっていけないなという実感から書いたことである。
 

 本気でそう思ってきた。
 私が初任者であった45年前は、横浜には何千人と初任者が入った。

 「学級崩壊」という言葉はもちろんなかった。
 周りでそうなっていると聞いたこともなかった。
 

 また、教師を辞めたということも聞いたこともなかった。
 そういうことは想定することもできないことであった。
 

 私は、初任者として5年を受け持ち、隣の先生も熊本から来た初任の女性の先生だった。
 

 初任者で、5,6年と持ち上がって、卒業させていったのである。
 クラスが荒れるということは考えることさえなかった。
 

 そういう時代があったのである。
 あれから45年の歳月が過ぎたが、この歳月の中で「学校教育」に何が起こったのであろうか。
 

 この状況を止めるものはなく、ますます進んでいくとするなら、いずれ「学校の終わり」がやってくることははっきりしているではないかと実感的に考えたわけである。
 ★
  内田さんは、学校の社会的責務を次のように書いている。

 ★ ★ ★
 「国家須要の人材を育成すること」、「国民国家を担うことのできる成熟した市民を作り出すこと」ことに存したのである。
  ★ ★ ★

 内田さんは、この合意が崩れたのは1970年代以降のことであるとする。
 
 ★ ★ ★
 このとき、学校教育の目的は、「国家須要の人材を育成すること」から、「自分の付加価値を高め、労働市場で高値で売り込み、権力・財貨・文化資本の有利な分配に与ること」に切り替えられた。
 教育の受益者が「共同体」から「個人」に移ったのである。
 ★ ★ ★

 45年間の歳月に、何が起こったか。
 不登校の増加、ひきこもりの増加、いじめの増加、学級崩壊の増加、発達障害の増加、モンスターペアレンツの増加、シングルマザー率の増加、乳児期の子育ての崩壊、社会的公理の欠如、基本的生活習慣の崩壊、……頭に浮かんでくるだけでもこうなってしまう。
 

 私は37年間の担任生活の中で、この事態を生々しく体験してきたのである。

 この底辺に、「教育の受益者が『共同体』から『個人』に移ったのである」という事態があった。
 

 ここに大きな原因があったのである。
 親でもなく、教師や学校でもなく、ここに原因があったのである。
 

 内田さんは、そのように言い切っている。
 

 とするならば、文科省が主張してきた「個性尊重」「個的重視」…などは火に油を注ぐ方針だったことになる。
 まったくトンチンカンな逆の反動的な方針を取ったことになる。
 ★
 さて、どうしていくのか。
 それへの準備を私は一人で進めていたことになる。(続く)
 
 

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石川野口塾へのお誘い

    石川野口塾に参加することになった。
  1講座だけ私も持たせてもらうことになった。
 

  6月22日(土)になる。
 

  野口節を聞くことができます。
  ぜひ参加をオススメします。
  
  
  

  http://www.geocities.jp/mymmtuba/nogutizyukuisikawa25.html

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別海町立別海中央小学校を訪問しました!

   7日根室中標津空港へ降りたって、バス乗り場へ行くと、寒い、寒い。
 あわてて準備してきたコートを出す。
 

 おそらく3,4℃の気温ではないだろうか。
  20℃ぐらいの羽田から飛んできたので、この気温差に驚く。
 

 夜、別海中央小の校長先生と教頭先生と出会い、特別のそば屋さんでそばをいただく。
 とにかくうまい。
 

 私達のために特別に店を開いてもらったということ。
 ありがたい。
 ★
 8日朝7:40に別海中央小の教頭先生にホテルまで迎えに来てもらう。
 寒さに震える。
 

 ほんとうなら9日に訪れるところだが、午前中が空きの時間なので、特別に先生たちの授業や1年生を迎える会などの行事を見せてもらう。
 子供たちの様子をつかんでおきたいという思い。
 

 先生たちに朝挨拶をする。
 「アドバイザーという仕事は、先生たちを元気にする仕事です。」と伝える。
 

 1年生の迎える会での2年生以上の子供たちの様子に驚く。
 ふざける子供たちがいない。
 

 これはすごい子供たちなのだと、びっくりする。
 特に、合唱のうまさは格別である。
 ★
 午後、指導主事の先生に迎えに来てもらって、根室管内の初任者研修会に行く。
 

 私の2時間の講座になる。
 テーマは、「学級を軌道に乗せる『学級づくり』『授業づくり』」。
 

 「授業づくり」の最後には、模擬授業をやろうという気でいたが、時間がなく、残念。
 

 その夜、指導主事の先生たちと懇親会。
 連れて行ってもらった店での魚介類のうまさは、格別。
 思わず「こんなおいしいものを毎日食べているのですか?」と問う。
 

 時不知(ときしらず)という鮭のうまさ。
 地元の人でもなかなか食べられない一品を味わう。
 ★
 9日朝7:30に別海中央小の教頭先生に迎えにきてもらう。
 私が2,3時間目授業をする。
 

 4時間目、5時間目は中央小の先生たちの公開授業。
 そして、最後に私の「日常授業の改善を考える」という講座。
 

 ハードな一日である。
 

 2時間目の授業。5年2組での国語の詩の授業。
 4月の1ヶ月で、このようなクラスを作り上げている先生にも感嘆したが、子供たちの素直さ、学びの素晴らしさに驚く。
 この手応えは、何だろうか。
 

 3時間目の授業。6年2組での道徳の授業。
 笑い、笑い、笑い。
 こんなクラスで教師ができるならば、もう1年担任をやってみたいという思いが自然に湧きあがる。
 

 なんという子供たちであろう。
 ★
 その夜、宿泊する別海町の温泉宿に先生たちに集まって懇親会が開かれる。
 私も温泉に入って、丹前を着て懇親会に出る。
 

 実に楽しい懇親会。
 先生たちの元気さが伝わってくる。
 

 これから別海中央小がどのように変身していくのか、楽しみになった。
  ★
 10日、1ヶ月ぶりの見事な晴れ。
 遠く雪をかぶった雄阿寒岳、雌阿寒岳が見える。
 

 うっとりとなる光景。
 

 この日、「別海北方展望塔おだいとう」や野付半島を訪れる。
 ここから16キロで国後島。
 もうすぐそこなのだ。
 

 初めて北方領土を見る。
 国後島の羅臼山、爺爺岳がくっきりと見える。
 

 この光景、私の記憶にずっと残り続けるだろう。
 

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ちひろ先生、がんばっています!

   ちひろ先生からブログにコメントがついていた。
 九州へ行っていて、そのままになっていた。
 

 このちひろ先生のクラスの現状は、多くの先生方にかなりの反響を与えている。
 

 日本全国の初任者の多くのクラスが、きっとちひろ先生のクラスのようになっているであろう。
 

 ぜひともちひろ先生とともに、がんばってほしいと願っている。
 ★
 ちひろ先生は書かれている。

 ★ ★ ★
 自分のクラスの状況については、学年主任も校長先生もご存知で、気にかけてくださっています。たまに教室までいらっしゃって指導をしてくれます。S君に対しては、校長室で指導をしていただいたり、学年主任からご家庭にも今の状況を伝えていただきました。

一つ救われたことは、S君に校長先生が、ちひろ先生のことが嫌いなの?と聞いたら、すぐに好きだと答えてくれたことです。
  ★ ★ ★
 ★
 もっともっと周りにアピールしていくべきである。
 私の親しい知り合いのiwai さんからもコメントがついている。
 

 iwai さんも1年目はほんとうに大変だった。
 周りに助けられてがんばっているのだ。
 

 この助言をちひろ先生も忘れないようにしてほしい。
 
 

 自分の「やり方」の何が問題なのかを冷静に反芻してほしい。
 そして、その問題の「やり方」を変えていくことである。
 

 すぐにはできない。
 できるところからでいい。
 
 

 でも、S君が決してちひろ先生を嫌いではないということ。甘えていること。(こういう甘え方しか今のところできないのである)
受け止めてほしいところである。

 ★ ★ ★ 
しかし、このままの状況にしておく訳にはいけません。

野中先生がブログでご指摘してくださったことは、ほとんどが今の状況にあてはまっていました。驚きました。
昨日、野中先生の本を三冊購入しました。その本を読んで、GW明けからの自分のやり方を考え、できるところから実践してみようと思います。本当にありがとうございました。
 ★ ★ ★

 ちひろ先生のこのコメントを読んで、ほんとに、ほんとにうれしくなりました。
 
 もう動いていこうと身構えているところ。
 
 

 決してへこんでいるだけではないこと。

 これだ!

 試練はいつもこのようにして乗り越えていくのだから。

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つれづれなるままに

   ●4月29日(月)は横浜駅伝。
  

   私も横浜教職員走友会のメンバーなのである。
   

   この日は毎年駅伝を走り、走友会の総会になる。
  

   私はこの1回に参加し、かろうじてメンバーとしての命綱をつないでいる。
  

   10時頃に到着すると、
  
「野中先生、急きょ5区から2区へ変更です」と連絡される。
  

   もう1区(10km)は、走り始めているのだ。
  「えっ~~~~、あと30分しかない!」
 と思って急いでゼッケンをつけ、ジョギング。
  

   2区は、3kmを走ればいい。
  

   901チームの参加というからマラソンブームですごいことになっている。
  

   ところが、ところが、1区が34分で来る。
  

   20位ぐらい。
   

   とんでもない速さ。
   びっくりして走り出す。
  

   後ろからばんばん抜かれる。周りが速すぎる。
  

   女性のランナーにも何人も抜かれる。
   女性のランナーたちが驚くほど速くなっている。
  

   
  

   私でもそこそこには走っているのである。
   ………
   

   というわけで、1年に1回の駅伝が終わる。
  

   まだまだ走れることは走れるのである。
  ★
 ●30日、5月1日、2日は、7日からの北海道訪問の準備。
  

  8日の午前中は、別海町B小学校の先生たちの授業を見せてもらう。
  

  午後は根室管内の初任者研修。
  

  9日は、午前中に5年生の国語授業、6年生の道徳授業。
  

  どんな子供たちだろうとワクワクする。
  

  久しぶりの授業。
  「味噌汁・ご飯」授業を展開することになる。
 ★
 ●3日から九州佐賀へ帰る。
  

  姪の結婚式に呼ばれているためである。
  

  5月に佐賀へ帰るのは40年ぶりのことになる。
  

  この時期、九州は新緑が映えて一番美しい季節になる。
  

  私が育ったところは、県庁がある市街地なのだが、ここは自慢できる美しい街

 並みである。
  

 

  私は多くのところへ旅しているのだが、この佐賀の市街地の美しさは何本指  

 かに入るほどの景観であろう。
   

  県庁、博物館、佐賀城の周囲、お堀端の景色など散歩すればもってこいの場

 所。
  

  4日姪の結婚式に参加する。
  

  2人の職場の人たちも多くかけつけて、とても温かみのある結婚式になる。
  

  私は最後の万歳三唱の係。
  

  九州の結婚式には、このようなものがある。
  

  私は、一度も結婚式で万歳三唱を見たこともない。
  

  そこで行事指導の初歩的方法で行く。

  「今日は一世一代の万歳三唱にしてくれという命を受けておりますので、最初    

   に練習を1回だけ行います。         
     
私が万歳と言いますので、一拍おいて万歳と叫んでください。
   行きますよ。練習ですよ。
   二人の門出を祝い、『万歳!~~~~~』…『万歳~~~~~』。
  ………
   ちょっとずれた人が3人。さぼっている人が10人います。
   78点。
   お願いしますよ。80点以上の万歳三唱ですよ。
   じゃあ、本番です。
   行きますよ。…………」
   

   こんな感じで万歳三唱をした。
  

   ものすごく揃った、一世一代の万歳三唱であった。
  

   「良かった!」と握手を求めてきたおじさんもいた。
  ★ 
 

  ●5日に羽田へ帰ってくる。
  

   福岡空港では、新婚旅行で沖縄石垣島へ行くという新郎新婦にばったり会

  い、しばし歓談。
  

   しあわせそうで、…こちらまでうれしくなる。
 

  ●7日から北海道。
  

   今度は寒い。雪も降っているという予報。
  

   根室は初めてである。 
  
  
   

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