「学校教育の終わり」ということ(6)~今、学校に求められていること~
「特設クラブ」での「自慢づくり」を書いた。
これは、あくまでも特別な試みであり、このようなことがどこの学校でもできるわけでもない。
ただ、主張したいのは「うちの学校は、こんないいところがあるよ」という「自慢」が必要なことである。
それ以降進めた中休みの「30分休み」、代表委員会による「全校百人一首大会」、
算数や国語での「授業づくり」改革、「全員参加による卒業式」などの試みは、全職員が一丸となった取り組みとして進行していった。
子供たちにとっても十分自分の学校を自慢できる試みであったはずである。
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ずっと荒れ続けていた学校が、落ち着いた学校へと変身していった。
クラスごとには、さまざまな問題を抱えていたが、学校全体に安定した風土が根付いていった。
私は、今「あの学校」での改革を振り返りながら、主要なキーワードを次のように考えている。
①チームとしての職員の試み
②学校の土台づくり(時、場所、礼)
③自慢づくり
④授業づくり(算数、国語)
⑤職場づくり
それぞれについて詳述したいが長くなる。
その中で、やはり①が大きい。
職員会議でのさまざまな論議はあったが、決まったことに対する統一した先生たちの試みはみごとなものであったと、今でも思い出すことができる。
それだけ学校自体が追いつめられていたことでもある。
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「学校教育の終わり」ということで、ここまで続けてきた。
これから学校教育が抱え込んでいくことは、確かに厳しく、辛いことである。
しかし、現場教師は、評論家ではない。
目の前の現実を受け入れ、それを乗り越えていく「当事者」である。
私が経験したO小学校の7年間は、まだまだ学校が取り組んでいく可能性が数多く残されていることを教えてくれた。
ここでの経験は、私にとってとても貴重なことであった。
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この経験からはっきりしてきたことがある。
第1に、これからの「学校」は、職員のチームとしての試みをどのように作っていくかである。
学年としてのチームづくりをどうするか、学校としてのチームづくりをどうしていくかが大きな課題になる。
これができない学校は、もちこたえられない。
だから、主要な課題は、子供たちをどうしていくかではなく、職員のチームづくりなのである。
そのために、職員同士が交流し合う「職場づくり」が必要になる。
第2に、学校には、特別な「プロフェショナルの教師」は必要がないことである。
だれも真似できない、唸るような学級経営と授業をするアスリートのプロ教師は、必要がない。
そんな技術を披露してもらうよりは、学年をまとめ、学校をまとめていける力を発揮してもらうことが先決だ。
もはや一人の特別な技能を伸ばし、自分のクラスを特別なクラスにしていく技能などは求められていない。
周りで苦しんでいる若い先生たちや、バラバラになっている職員集団をいかにまとめていくかに力を尽くしていく先生が求められている。
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私が知っている学校は、学校全体の研究授業を止めにした。
荒れまくっている学校の状態を見たとき、こんな研究授業をしていても意味がないと判断したのであろう。
始めたのは、朝学校へ来てから帰るまでの間で学校全体で統一できることは全部統一しようという試みである。
学校全体が一丸となって、子供たちに対していこうというのである。
これを学校の重点研究にする。
慧眼であると、私は考えた。
その学校は、3年間その研究をした。着実に成果をあげたと聞いている。
そして、「○○小学校スタンダード」という形でまとめている。
このような提案が今求められている。
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