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2013年3月

「味噌汁・ご飯」授業の提唱~都政新報に掲載

   東京の行政職の方を中心に発行されている新聞(都政新報)に「味噌汁・ご飯」授業について掲載された。
 新聞記事を載せられないので、記事の全文について紹介しておこう。
  私の寄稿という形で掲載してもらった。
 ★ ★ ★
「味噌汁・ご飯」授業の提唱
教育現場を立て直す手立てに
 野中 信行
 
 今、小学校を中心に深刻化している「学級崩壊」の事態は、様々なところで大きな波紋を起こしている。「学級崩壊」は依然として増えている。それも深刻化している。
 「学級崩壊」を起こしているのは、初任の先生のクラスだけではなく、中堅やベテランの先生のクラスも多い。それらのクラスに共通する原因の一つに、「授業」の問題がある。
 小中学校の場合は、主に重点研究として「授業研究」を行っている。自分たちの授業の力量を上げたり、子供たちの学力を向上させたりするために「研究授業」をする。他の先生たちに参観してもらい、放課後、研究会を開いて様々な検討をする。教師は、年に1、2回の研究授業のために、多くの時間をかける。十分に教材の研究をし、アイデアを出し、様々な準備をして授業を公開する。学校によっては、毎年定例的にその研究を発表している学校もあり、市内や全国からの参加者に公開されている。
 ところが、今、問題点を指摘したいのは、その1、2時間の「研究授業」には多くの時間を使って準備していくのだが、残りの日頃の授業(「日常授業」)はいい加減に済まされてしまっていることである。「研究授業」と「日常授業」がかけ離れてしまっている。
 元々の「研究授業」は、「日常授業」を豊かに充実するために行っていたはずである。ところが、いつのまにかショー化してしまっていて、「研究授業」のための練習授業のように「日常授業」が使われていったりする場合がある。また、「研究授業」と「日常授業」とは全く別物として扱われていく状況になっている。
 別物としての「日常授業」は、どのように行われているのか。多くの教室で、「おしゃべり授業」と「写経式授業」が繰り返されている。「おしゃべり授業」とは、先生の説明だけで終始していく授業。ほとんどの子供たちがただ聞くだけ。傍観者だらけの授業になる。「写経式授業」とは反対に、プリントなどにひたすら書かせるだけで終始していく授業。
 小学校の場合、「日常授業」は年間1千時間以上。「研究授業」は年間1、2時間。これだけ考えても、「研究授業」だけに多くの精力を費やしていくことがどれだけ異常なことかが分かるはずである。どちらに力を尽くしていかなければならないかは誰でも分かる。
 そのために、私は「味噌汁・ご飯」授業を提唱している。
 「味噌汁・ご飯」とは、普通の家庭で日常的に食べている食事をイメージしている。
 そのネーミングで、教師が日頃行っている授業(日常授業)を改革する授業としてイメージしたものである。この言葉には、私の思いがこもっている。毎日毎日、「ごちそう」を作れるはずがない。そんな「ごちそう」授業を目指していくよりも、地味だが、きちんと栄養を考えた「味噌汁・ご飯」を保障する。「日常」に耐えられなければ、どんなに素晴らしい授業論でも意味がない。
 「味噌汁・ご飯」授業のキーワードは、三つ。
 ①日常的
 ②全員参加
 ③基礎的な学力保障
 「①日常的」というのは、多くの時間を要したり、特別な準備などをしなくても進めていける授業をイメージしている。
 教師は今、分刻みの生活をしている。授業のための教材研究の時間は一日に1時間。それだけでも取れればありがたいものである。それだけの時間で、どのように準備できるか、それが勝負になる。
 「②全員参加」は、傍観者を作らない授業にすること。常に全員が授業に参加している授業を構成する。ここも大きなポイントになる。
 「③基礎的な学力保障」は、どうしても身に着けなければいけない必須の事項(たとえば、基礎的な計算、かけ算九九、漢字、音読など)の保障のことである。これを宿題にしないで、きちんと授業で教えていくこと。当たり前のことであるが、それができていない現実がある。
 特別な授業をすることではない。70点の授業でいい。ただ、キーワードの3点はきちんと押さえておかなくてはならない。これが「日常授業」の改革である。
 教師たちは、今まで「研究授業」に振り向けていたベクトルを「日常授業」の方に向け直さなくてはならない。この「日常授業」を豊かに充実させていくこと。
 このことは、疲弊している教育現場をもう一度立て直していく手立てになるのだと、私は確信している。
(元横浜市立小学校教諭・初任者指導アドバイザー)
 ★ ★ ★

 

 


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今年度の初任者講座終わる~愛知県小牧市の初任者講座~

   27日は、愛知県小牧市の初任者講座。
 何度来ても、名古屋の電車はむずかしい。
 乗り換え乗り換えで小牧へ行く。
 

  桜はまだ満開ではなく、七分咲きといったところ。
 

  指導主事のN先生に迎えに来てもらう。
 

  参加者の半分が初任者で、半分が現役の方たち。
 校長先生たち、初任者指導の先生たちなど、数多く。
 

 1:30~4:00まで(10分超過)2時間30分びっしり。
 もう6回目の講座。
 

 最近は、辞令前に初任者講座を開いていく教育委員会が多くなっていると聞いている。
 この小牧は、その先駆けである。
 

 私の話を聞いた初任者が、あと10日ばかりの準備する時間がある。
 これは初任者にとっては貴重な時間であろう。
 ★
 講座が終わって、控え室で玉置先生の学校の先生たち(小牧中)と1時間ばかり授業についての談義。
 

 小牧は、ずっと以前より<学び合う学び>という取り組みを全体で行っていて、かなりの成果をあげている。
 

 ただ、マンネリに陥っている部分も出てきていて、そのことでしばし話し合う。
<学び合う学び>という取り組みは、授業の中にグループでの話し合いを取り入れていく試みである。
 

 私たちが提唱している「味噌汁・ご飯」授業にも取り入れていきたい課題である。
 ★
 夜は、親しい豪華なメンバーの方々と一緒に飲み会。
 今回指導主事から現場へ帰られる先生たち2人も参加される。
 

 賑やかに3時間びっしりと語り合う。
 いくつか手帳にメモするほどのことが語られる。 
 

 たとえば、研究授業。
 あれは教師力をあげたりする機能はなくて、授業をする先生たち一人一人の授業力の評価をしているにすぎない。
 要するに、授業がうまいか下手かをチェックしている機能しかない。
 

 S先生は「うまく機能していたなら、先生たちはもっと授業はうまくなっているはず」と。
 

 だから、先生たち一人一人はこの研究授業だけは必死に取り組むのである。
  ★
 終わって名古屋まで帰る。
 またこちょこちょと乗り換えて帰る。
 

 名古屋駅へ着いても、目的の新幹線側東横インにたどり着けない。
 しばしウロウロ歩き回ってやっと到着。
 名古屋駅は迷路みたいなところである。
 

 これで今年度の初任者講座を終わる。
 やれやれ。
 

 この次は30日の横浜野口塾になる。
          


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鳥取に行ってきました!

   24日(日)鳥取空港を出ると、Nさんが待っていてくれた。
 鳥取には、親しい友人が2人いる。
 NさんとHさん。
 

 今回は、Nさんとの縁でH小学校に呼ばれて、学級づくりについて講演することになっていた。25日である。
 

 その日Nさんに連れられて、鳥取砂丘へ行く。
 初めての訪れ。
 その雄大さに驚く。
 

 テレビでは何度もこの光景は見ていたはずだが、実際に目にしてそのスケールの大きさにびっくり。
 「これが鳥取砂丘なんだ!冥土へのいいみやげができたよ」(笑)
 

 さらに驚くことに、この鳥取砂丘はH小学校の学区になるという。
 おいおい、それはすごいことではないか。
 ★
 その夜、NさんとHさんと3人で、しばししばし語り合う。
 さまざまな話をする。
 

 ここではとても書けないことばかり。
 

 今回鳥取に来た、もう一つのわけはHさんとぜひとも「味噌汁・ご飯」授業の根幹的なことについて詰めたいという思いであった。    
  Hさんはかつての法則化運動を担ってきた一人。TOSSになるときに出られている。 

 私はHさんに聞く。
「法則化運動では、大切な必修の授業技術が提起され、それを勉強してきた先生たちにとっては常識として受け取られていたはずなのに、その技術がまったく現場の先生たちに伝わらなかった(現在の30代、40代の先生方にも伝わっていない)。それはなぜですか?」

「一斉授業が否定され、個性化・個別化の教育が推進された結果だと思われます」
 答えは明快だった。
 

 なるほど、なるほど。
 ★
 これには説明が必要。
 

 1980年代の中頃であろうか、文科省は「新しい学力観」という新しい学力観を提起して授業の有り様を大きく変えようとした時があった。
 いわゆる「ゆとり教育」の始まりである。
 

 総合が始まり、それと共に授業を変えようとした。
 今までの一斉授業による教え込み,詰め込み教育を否定して、子供主体の個性化、個別教育を推進しようとしたのである。
 

 ただ、正確に言うと、個性化、個別教育を推進したのは「研究授業」中心であり、普通の日常授業はお粗末な「おしゃべり授業」。
 いわゆる「二枚舌の授業」の授業だったわけである。
 

 現在、その試みは完全に失敗した。
 その結果、ほとんどの教師は「一斉授業」に戻っていったのである。
 

 ところが、個性化、個別化教育を推進してきた30代、40代の教師たちにとって、一斉授業における授業技術をほとんど身につけないままにきているために初任者同様の授業をするということになる。
 

 その教師たちの学級が荒れていったり、崩壊の憂き目にあっていたりするのが現状である。
 

 授業の指導言(この言葉さえ知らないであろう)が、発問なのか、指示なのか、説明なのか曖昧なままにのっぺらぼうにお粗末な「おしゃべり授業」をしている。
 

 そんな授業に子供たちが付き合うはずはないのである。
 どんどん荒れていっている。
 ★
 だから、私は「味噌汁・ご飯」授業を提起している。
 そんな「日常授業」を改革しなければ、これからとても持ちこたえることはできない。
 

 Hさんと詰める中で、今必修の授業技術とは何か。

 ①指導言(発問、指示、説明)の区別を授業の中で明確にする。
  Hさんは、初任者には実際に授業でやってみせなければ分からないのではな 
いかということであった。
 

 ②「活動」を入れる。
  Hさんは、教科書活用とノート指導を強調されている。
  私は、アウトプットの「活動」(書く、話す、話し合うなど)を入れることを強調し  たい。
 

 ③フォローを多用する。
  Hさんは、「個別評定を入れる」と言われた。(これは向山洋一さんの「授業の腕をあげる法則」の10ヶ条のうちの1つ。フォローの技術とほとんど重なってくる。)
 
 

 この3つが大きな根幹。
 

 それにもうひとつ付け加えるならば、④が加わる。

 ④指示と確認の原則
  「一時に一事の原則」をぜひとも使えなければいけない。
  そして、指示をしたあとにそれが子供たちの中できちんとなされているか「確認」する手立てが必要。
 
 

 この4つのことが変わるだけで「日常授業」は変わってくる。
 
  ★
 「味噌汁・ご飯」授業のキーワードは、「日常的」「全員参加」「基礎的な学力保障」の3つ。
 

 今までの授業とがらりと変わってくるところがある。
 

 でも、授業自体は今までの「日常授業」の核的な部分をちょっと変えていく試みになる。
 今まで「習慣的に続けてきた試み」をちょっとずつ変えていく試みだ。
  挑戦してみよう。

 

 6/29(土)に横浜で公開の研究会を開催する(横浜野口塾3/30の開催場所と同じ)。そこで模擬授業とともに提案していきたいと考えている。

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「新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月の成功シナリオ」(明治図書)が3版になった!

   「新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月の成功シナリオ」(明治図書)が
 3版になった。
 注文が相次いでいると編集から連絡があった。
 発売1ヶ月目での快挙。(?)
 うれしいことである。

 この本を何としても日本全国の4月からの初任者に届けたいと、願っている。
 この本で、4月からの教師生活が変わってくれるのだと信じている。     
 ぜひとも周りの初任者に推薦してほしい。

Cover


 

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東京で最後の初任研講座が終わる!

   初任者講座が終わった。
 20日東京教育同人社での講座。
 70名ぐらいの参加者。
 
 

 同人社へ行くと、千葉の知り合いのS先生が「これから仕事で講座に参加できないのですが、最後だと聞いてぜひとも会っておきたいと思って…」と私の本を何冊も持ってこられていた。

 全部に私のサインをする。ありがたいものだ。
 ★
 しばらくして見ると、横浜で20年来の親しい知り合いのTさんがいる。びっくり。
「えっ~~~~、どうしたの○○さん(名前で呼ぶ)」

「いやいや、最後だと聞いて最後にどうしても講座を聞いておかなくては思って…」
と。
 
 横浜教職員走友会での最初からの知り合いである。

 彼もまた校長を退職した後に初任者指導の仕事をしている。

 共にマラソンを走ってきた。
 私は40代の10年間ですっぱりと止めてしまったが、…。

 今までの彼の最高の記録は、2時間45分。並のランナーではない。(ちなみに私の最高記録は、47才に時に出した3時間17分)    
  ★
 講座は、1時30分から5時までびっしりと3時間30分。
 これで全ての終わり。

 最後に、同人社の余川さんから粋な計らいがあって、皆さんの前で焼酎をいただく。
 その名前が「風に吹かれて」。

 「えっ~~~、こんな名前の焼酎があったんだ!」と驚く。
 最高のプレゼント。

  鹿児島の甑島にある塩田酒造会社で作られている物。
 ここは「六代目百合」で有名。
  ★
  今日のフェイスブックに、大阪の鍋田先生が次のような感想を書かれている。

 ★ ★ ★
東京に行ってきました‼
今日は横浜の野中信行先生に学んできたわけですが、今回を最後に初任者向けのセミナーを最後にされるということで、私にとっても印象深い1日となりました。
野中先生との出会いは、京都橘大学での『明日の教室』でした。
初任者としての、そして教師としての在り方や心構え。子どもたちとの関係づくりや様々な学級システムを丁寧に教えて頂きました。
そうして意気揚々と初めて教育現場に入ると、良い意味でも悪い意味でも、大きなギャップがあり、戸惑いや苦労もたくさんありました。なかなか人に聞くこともできないし‥
そんな私がこうして今もやっていけているのも、野中先生の支えや教えがあったからだと思っています。
セミナーの最後には、教育同人社の余川さんの粋な計らいもあり、サプライズで感謝の気持ちと幻のお酒『風にふかれて』を届けることができました。
このような貴重な場に居られる、私は本当に幸せだと感じています(*^^*)
野中先生はもちろん、こうして出会わさせて頂いた全ての方、支え励まして下さる全ての方に感謝をし、これからも“日々成長”しながらがんばっていきたい‼そう心に誓いました。
  ★ ★ ★
 ★
 うれしい、うれしい感想。鍋田先生、ありがとう。
  ★
 懇親会を終わって、湘南新宿ラインでTさんとの会話。  
 彼はまだまだ現役のマラソンランナー。私は、こうして講演で走り回る旅芸人。

 「まだまだお互いに走り続けているんだね」
と……。
 もうとっくに「往路」を走り、折り返し地点を過ぎて「帰路」になっているのだが、果たしてどこを走っているのやら。

 24日に鳥取のH小学校。27日に愛知県小牧の初任研講座。30日に横浜野口塾講座。1日にA小学校,2日にK小学校,3日にI小学校、それぞれに横浜の小学校で新年度講座。そして、5日には兵庫県三木市での新年度講座。
 まだまだ走り続ける。
 

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明治図書メールマガジンの最終回です!

      
 明治図書メールマガジンで連載してきた「野中流!新卒教師時代を生き抜く学級経営&授業術」が最終回になった。

 merumaga@meijitosho.co.jp

 今回のテーマは、次の通り。

「子供たちの言葉づかいが悪く、それが原因でケンカもよく起こる」

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コメントに答える~授業技術の階段について~

   私のブログには、さまざまなコメントが付く。
 まことにありがたく読ませてもらっている。
 だが、私の方が無精をして返信をつけていない場合がある。
 ある場合は、返信を返しにくい場合もある。
 また、へたに返さないがいい場合もある。
 許していただきたい。
 だが、どうしても返信を返さなくてはならない場合もある。
 次のようなコメントがつけられている。(一部のコメントを引用している)

 ★ ★ ★
 ぜひ、1~3段階を明示していただけるとうれしいです。
 自分自身の中で、技術の程度の難易度が分からなくなっています。経験を積んでいることが邪魔していると思えます。(技術を整理する余裕があればいいのですが)
 若い人に教える時も、難易度を分かっていて教えるのとそうでないのとでは、言い方のニュアンスが変わってくると思うからです。
  ★ ★ ★
 私が「授業技術の階段」として授業技術を基礎、1階、2階、3階と分けて明示したことから、このように言われている。
 実は、私の方でもきちんと整理できていない。
 これから「味噌汁・ご飯」授業研究会できちんとしていきたい。

Photo_4

ただ、左のような図示をしている。

基礎部分は、学習規律が入る。
1階の「必須の基本的授業技術」は、
今のところ私の場合は4つほど設定し
ている。
①指導言の区別
(発問、指示、助言の区別をする)
②指示ー確認の徹底
③多様な「活動」の組み入れ
④フォローの技術
                                              
 
初任の先生たちには、ぜひとも①②を最初にきちんと身につけさせてい                   くことから入らなければいけない。
                                                       
これができていない30代、40代の先生た

ちは数多くいる。
授業技術の基本を身につけないままに授業をしているわけであるから、「日常授業」が荒れている。
 当たり前である。
 

 なぜ身につけないままに10年以上も授業ができているのか。
 今まで教えてくれる先輩もいなかったし、学ぼうという気持ちもなかったのかもしれない。
 

 今までは子供が耐えてくれていて、何とか凌いでいたのだが、もうダメである。
 耐えない子供たちが教室の中で一つの層として登場して、もはや制御できない状況を作っている。
 

 今、中堅やベテランのクラスの学級崩壊の原因の1つは、こうした「日常授業」にある。
 相変わらず、べらべらと1時間中「おしゃべり授業」を続けている。
 

 ここを変えない限り、この先生たちの「未来」はない。
 ★
 もう一つ気になるのは、3階の「高段の授業技術」についてである。
 今流行の1つになっている「話し合いづくり」ブーム。
 

 重点研究のテーマとして取り組んでいる学校が数多くある。
 クラスの子供たちに話し合いをさせたり、討論をさせたりしたいということ。
 

 とてもいいテーマであると私も思っている。
 話し合い作りをしていくことは、「味噌汁・ご飯」授業研究会でも大きなテーマになっている。
 

 しかし、クラス全体を巻き込んでの討論となると、これは大変である。
 ★
 私も現役の頃、ずいぶん取り組んだ経験がある。
 研究授業で、10人前後の子供たちが互いに討論できている授業は迫力があり、「すごい!」ということになる。
 

 かつて法則化運動が全盛の頃は、この討論の授業に挑戦する先生たちが数多くいた。
 あこがれの授業として若手の先生たちは、このような授業を目指した。
 

 ただし、全員を巻き込んでの討論ができるクラスにするというのは、これは高度の3階の授業技術になる。
 

 今、日本の中でこれができる教師は指折り数えるくらいではないだろうか。
 10人前後の子供たちを討論させていくことは努力すればできる。
 

 それでもきちんとした技量が必要だ。
 ただ、あとの20人ぐらいは傍観者になる恐れがある。
 

 見た目の良さ、活発な雰囲気に引きづられて続けていると、うっかり傍観者の子供たちを忘れてしまうことがある。
 私が気になるのは、1階の必須の授業技術さえおぼつかないままに3階の段階に挑戦していこうとすることである。
 

 傍観者が多くなり、クラスはぐちゃぐちゃになる恐れがある。
 もちろんうまくいくはずがない。
 そんな先生の授業に憧れるのはいい。
 

 いつかそんなクラスを作りたいという憧れである。
 すぐにできることではない。
 それが分かっていない。
 ★
 かつて「総合の授業」が華やかな時代があった。
 多くの先生がそれに取り組んだ。
 

 研究授業も、数多くなされた。
 子供たちが授業の中で活躍し、授業の主体者として活動する授業。
 

 教師たちは挑戦した。
 しかし、ほとんどがうまくいかなかった。
 

 「研究授業」では、何とかそれらしい授業を作ろうとする。
 でも、「日常授業」は相変わらず「おしゃべり授業」で指導言の区別さえもままならない授業をするという教師たちはごまんといた。
 

 その時の教師たちが今30代、40代になっているのである。
 私は、二枚舌の授業と表現していた。
 

 嫌な言い方だが、多くの教師たちはそうする以外に方法がなかったのである。
 何がダメだったのか。
 3階で要求されるような高段の授業を、1階の授業技量さえもままならないままに突っ込んでいったからである。
 ★
 また、次のような質問がなされている。  
 ★ ★ ★
 ところで、学級づくり研究会は断念されたと読み取れるのですが、これは先生の明治図書4部作(赤青緑朱の本。勝手に命名してすみません・・・)の実践を重ねればクリアと考えればいいのでしょうか?
 私に時間(余裕)があれば、それに沿って著名な実践をまとめてみようかなと思いますが、きっと無理だと思うので、お答えいただければ幸いです
 ★ ★ ★
 ★
 「味噌汁・ご飯」授業研究会では、確かに「学級づくり」を研究することを断念した。 解散を明示して会を結成したので、あと3年しかない。
 もはや、「味噌汁・ご飯」授業と「学級づくり」の2つはできない。
 

 「味噌汁・ご飯」授業だけに絞ることにした。
 「学級づくり」の課題がなくなったわけではない。
 というより課題は多い。
 

 私が提起した「学級づくり3原則」だけに絞ってみても、まだまだ追求すべきことはかなり多い。
 

 明治図書4部作は、ほとんど何も学んでいない初任者の先生たちへ向けて現場での具体的課題について明らかにしたものである。
 来年の2月には、もう一冊上にあげた「授業づくり」の課題を付け加える予定である。
 ★
 京都の明日の教室で、瀧本哲史先生がうまいたとえを使われた。
 大学は、「野球の仕方を教えている」が「現場ではサッカーをやっている」と。
 まさにこの通り。
 

 大学で教えられたことが「現場」ではほとんど通じない。
 この喩え通りなのだ。
 もちろん、すぐに通じるような実学だけを考えているわけではないが、「野球の仕方」を相変わらず教えているのである。
 ★
 これに挑戦した明治図書シリーズだった。
 あと「授業づくり」を残してほとんど私が訴えたいことは書いてきたと思っている。
 

 これを読んでもらえれば、1年目にどんなことをやっていけばいいのかが分かる。
 私ができる仕事は、ここらで十分ではないだろうか。
    

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明日の教室「初任者講座」が終わる!

   京都明日の教室を終えた。
 何か気が抜けたような感じになっている。
 

 この明日の教室に何回登場したのであろうか。
 ちょっと数えられない。
 

 今回もぜひともDVDにしたいということで、平井さんに撮ってもらった。
 ちょうど30枚目になるとのこと。
 

 私の講座でも4枚目。
 ありがたいことである。
 ★
 この明日の教室がなければ、明治図書で「新卒教師時代を生き抜く」シリーズ本を書くことはなかったであろう。
 

 糸井先生、池田先生、東京明日の教室の佐瀬さん、カヤ企画の平井さんに、ただただ感謝するだけである。
 

 なぜ初任者講座を止めるのかと糸井さんに問われたのだが、ここらが潮時である。
 

 始めがあれば終わりがある。
 これは世の必然。
 

 始めは勢いで始められるが、終わりはなかなかむずかしい。
 もはや私一人でできる初任者への仕事は十分に果たせたと判断したのである。
 

 終わりということで、ちょうど講座に長瀬先生が見えていた。
 名古屋の明日の教室の主催者でもある。
 横浜で5年間教師を勤めて、実家のある岐阜へ転勤していった先生。
 私が最も期待する若手の一人でもある。
 彼に、「これから学級づくりを学問的、科学的にきちんと作り上げてほしい」と声をかけた。
 ★
 しばらくは教育界から抜け出ることはむずかしいが、少しずつ折りたたんでいくことであろう。
 

 明日の教室には、80名ほどの先生たち。
 その中には、今年の4月から採用されて正式に教師として出発だという先生たちが何人もおられた。
 

 うれしいことである。
 この1年目に全力を尽くしてほしいと願うばかりだ。

 さて、あとは東京での初任者講座1つになった。

 

http://kokucheese.com/event/index/71165/

 

 

 

 

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そのあとがある

   朝日新聞の夕刊に2008年4月から5年間「今月の詩」として、谷川俊太郎さんがずっと書いている。
 今回で終了。    
 
   ★ ★ ★

    そのあと
  
  そのあとがある
  大切なひとを失ったあと
  もうあとがないと思ったあと
  すべて終わったと知ったあとにも
  終わらないそのあとがある

  そのあとは一筋に
  霧の中へ消えている
  そのあとは限りなく
  青くひろがっている

  そのあとがある
  世界に そして
  ひとりひとりの心に

     ★ ★ ★
    ★
 「そのあとがある」
 画家のモネは、奥さんが亡くなったその朝に奥さんの顔をスケッチした。
(このネタは、連ドラの「純と愛」のパクリ)
 

 モネは、大切な人を亡くしたあとも画家として生きようと構えたのであろう。
    ★
 勢古浩爾が、ALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかった患者の家族のドキュメンタリー番組を紹介している。(『いつか見たしあわせ』勢古浩爾著 草思社)
 
 

 患者は長崎県平戸に住む人で、中高生から社会人までの四男二女の母。
 49歳で発病。50歳の誕生日にALSと告知される。医者から「3年で動けなくなります」といわれたとたんに、失神する。
  ★ ★ ★
 ベットに寝たまま、もう顔の筋肉ひとつ動かせない。
 目は見えている。
 
口にくわえたチューブを噛んで、長い時間をかけてパソコン上に文字を書きメールを打つ。その文章で子供一人ひとりを激励する。
 それだけでも驚きなのに、それ以上に、これはとてもかなわないなと思ったことがある。文章の最後に「明るい母より」と書くのだ。長男が婚約相手を家に連れてくる。お母さんはそのときの気持ちを書いたあと、このようにしめくくったのである。
「私は幸せだ、こんな体でもこんなに応援してくれる。まだ生きれるぞ!55才、輝きの幕開けだ!!」
  ★ ★ ★
 ★
 世の中にはすごい人がいる。
 ごく普通の主婦であり母親である。
 

 全身はまったく動かない。
 視線だけがかすかに動くように見えるが、まぶたを自分で閉じることすらできない。
 

 しかし、耳は聞こえ、目は見える。
 考えることもできるし、心は動く。
 

 その全身で「私は幸せだ」といい「明るい母より」と言う。
 

 「そのあとがある」
 ALSという最悪の病気に襲われても、この母親は、「そのあと」を考えている。
 

 献身的な夫と6人の子供へ向けて、「あなたたち、私は大丈夫だよ」と投げかけている。 

 人間はこんなところまで行くことができる。
  ★
 私たち一人ひとりも、「そのあとがある」。
 「そのあと」のために、また動き出すのである。

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第8回の「味噌汁・ご飯」授業研究会を行った!

   3月2日(土)「味噌汁・ご飯」授業研究会(非公開)を開く。
 4月からの「授業研究」の方向を確認する。
 

 模擬授業は私が行う。
 詩の授業。
 

 今、谷川俊太郎さんの詩(言葉遊び)をどのように授業化していくのかに取り組んでいる。
 今日は、「おならうた」。絵本館から飯野和好さん絵の本が出ている。
 それを使って行う。
 

 模擬授業を受けた先生方にも、まずまずの評判。
 ★
 6月29日(土)に横浜で第2回目の「味噌汁・ご飯」授業公開研究会を行う。
 (後日、案内を行います)
 その場で、私も模擬授業も行いたい。    
 

 この「おならうた」でいこうかと考える。
 ★
 「授業研究」の方向では、「必須の授業技術」とは何だろうかを全体で考える。
 授業技術にも1階、2階、3階の段階があると提案する。
 
 

 1階は、「必須の授業技術」。
 初任者がまず身につけなくてはならない技術。
 

 2階は、「余裕の授業技術」。
 1階部分を身につけたら、2階に上がってこの技術の習得に努める。
 

 2階の習得ができたら、3階の「高段の技術」になる。

 話し合いでは、1階の下に「基礎」部分があるのではないかと提案される。
 いわゆる「学習規律」などがこれにあたるであろう。
 なるほど、なるほど。  

  授業技術には、こうした段階があるのではないか。
 今までそういうことは示されてこなかったのではないかと、私は提案した。
 ★
 だから、30代、40代の中堅、ベテランの教師たちでも、指導言(発問、指示、説明)の区別さえもしないで授業をしている。

  1階部分の必須の授業技術を身につけないままにここまできてしまったのである。
 

 いわゆる「おしゃべり授業」をしているのである。

 また、1階部分の必須の授業技術を身につけないままに、いきなり3階の「高段の技術」を身につけようという「授業研究」をしている場合もある。
 当然うまくいかない。

 このような「授業研究」をしているところは、「研究授業」ではそれなりの授業の形を示すが、「日常授業」はまったくの「おしゃべり授業」をするという二枚舌の研究になる。

 総合の授業に、そのような授業が多かった。
  だから、その研究が終わったら、何にも残らない。
 無惨な研究に終わる。
 ★
 私たちの研究会は、かつて「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会として出発した。 ところが、これから3年間でとても授業づくりも学級づくりの2つはできないという理由で「味噌汁・ご飯」授業だけに絞ることにした。
 

 あと3年間で研究会は解散である。
 出発のところから解散を決めて出発した。

 私たちは、今の「授業研究」の焦点は「日常授業」をどれだけ豊かに充実できるかにかかっていると主張している。

 ここが教師たちを元気にさせていく1つの根幹だと考えているのである。

 

 

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京都明日の教室の定員増席になりました!

   京都「明日の教室」の初任者講座(3/9)が50名の定員満席で、20名の増席になった。

 http://kokucheese.com/event/index/76291/

 どうぞおいで下さい。     

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