日常授業を改革するということ(2)~『一斉授業10の原理100の原則』
「日常授業」に目が向けられている。
それは、「味噌汁・ご飯」授業などと私たちが訴えている成果が現れているということではない。
多くの現場で、「日常授業」が揺り動かされているからである。
子供たちが「日常授業」を拒否始めている。
今までは付き合っていたのだが、昂然と拒否始めている。
★
学級崩壊という事態にいかないまでも、クラスがうまく回らなくなっている現象が浮き出ている。
そういうクラスに必ずあるのは、「日常授業」の弱さである。
いい加減で、ただただ流しているだけの授業。
この事態は深刻である。
多くの先生が、その「日常授業」を変えていくすべをもっていないから。
研究授業だけは一生懸命取り組むのだ。
だが、日常授業がひどすぎる。
★
このまま行けばいずれ「学校の終わり」がやってくると書いた。
多くの方から顰蹙をかった。
「学校がなくなるようなことがあるわけないじゃないか!」という反論である。
私は、「学校の終わり」と言ったのであり、「学校がなくなる」とは言ってはいない。
公教育という「はこもの」は残っていく。
しかし、その中で行われていくのは、「騒然とした教育」である。
もはや、その中で子供たちを育てていくということはできなくなる。
基本的な知識技能さえも身につかないという事態が起こってくる。
★
昨年の暮れにZ会から呼ばれて三島へ行った。
ここに本部がある。
Z会は、エリート層の通信教育を担っている。
進研ゼミが、多くの一般の子供たちへの通信教育。
Z会の教材作りをしている人たちに対しての講演であった。
その時、その人達に対して、「いずれ学校の終わりという事態が想定される。その時に基礎教育からの教材を作ろうという想定ができていますか?」と問いかけた。
親たちは、路頭に迷い、Z会や進研ゼミなどに助けを求めるはずである。
そのときの準備ができていますかという問いかけである。
途方もないことを言うやつだと思われたかもしれない。
★
昨年、北海道の堀裕嗣さんが『一斉授業 10の原理100の原則』(学事出版)を出した。
9年前に初めて会ったときから教育界を変えていく一人になると、私は確信していた。 最近の一連の書物のレベルの高さは、多くの先生たちが認めるところであろう。
全ての本が、堀さんでなくては書けないものである。
法則化運動でブレイクした向山洋一先生以来の逸材である。
ここで堀さんがやろうとしていることは、今までの教育界の総決算である。
もちろん、新しい提案(『教室ファシリテーション10のアイテム100のステップ』<学事出版>)もあるが、それは総決算と関わりがある。
この総決算が、これからの現場教師たちへの提言としてどれほどの射程があるのかどうか、ここに私の興味はあった。
「一斉授業」の本のまえがきに、次のような事が書いてある。
もう一つ、私が危惧を抱いていることがあります。それは授業づくりの中心
があたかも<協同学習>や<ファシリテーション>であるかのような風潮が一部に見られることです。
このように書いて、次のように指摘する。
そもそも、実は<一斉授業>をできない教師に、<協同学習>や<ファシリテーション>は成立させられないのです。子供たちの「活動したい」「交流した
い」という意欲を喚起するのは、課題の質であり、確かなフレームワークです。
流行に流されるなという警告である。
日本全国多くの現場教師たちは、<一斉授業>をしている。
それを中心に「日常授業」をしている。
それを揺り動かす提案が必要である。
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