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日常授業の改革ということ (1)

   呼ばれて行っている講座で、最近私は「日常授業の改革」を強く提唱している。
 皆さん、その通りだと頷いてもらえる。

 皆さんは、いつも日頃行っている授業なのである。
 この日常を変えなくては何事も始まらない。
 そのように確かに頷いてもらえる。

 だが、それで改革がなされていくのかと考えることはできない。
 そんな簡単な課題ではない。
 
 ★

 毎日歯を磨くように、教師は日常的に授業をしている。
 あまりにも身近である。

 普通誰も見ているわけではない。
 どのように流しても自由である。
 特別に誰かに文句を言われることもない。

 ほとんどの教師は、「日常授業」という形で意識していない。
 日常がいつのまにか流れていくように、「流れていくもの」としてある。

 だから、「日常授業の改革」などよほど変えようと意識しなくてはできることではない。
 
 ★

 私はいつも「風景」の発見を思い出す。

 私たちは、自然の風景や田舎の風景、沖縄の風景などに憧れる。
 風景画や風景の写真も、数多く出されている。

 しかし、その「風景」は実は明治二十年代に発見されたものであるということを知っておられただろうか。

 「私の考えでは、『風景』が日本で見出されたのは明治二十年代である。むろん
  見出されるまでもなく、風景はあったというべきかもしれない。しかし、風
  景としての風景はそれ以前には存在しなかったのであり、そう考えるときに
  のみ、『風景の発見』がいかに重層的な意味をはらむかをみることができるの
  である」 (「日本近代文学の起源」原本 柄谷行人著 講談社文芸文庫)

 

 もちろん、風景はあったのである。でも、それを「風景」として見出したのは明治二十年代だったのである。

 それまでは、風景はそこにただあるものだったのである。

 

 この風景と同じように、日常授業もただそこで行っているもの。

 この「風景の発見」と同じように、「日常授業」の意識化は「発見」と同じように考えるべきだと考えてきた。    

   ★

 40年間現場にいて気づくことは、この「日常授業」はほとんど変わることがなかったという事実である。
 私が初任の頃と、ほとんど同じ授業を多くの先生たちはしている。
 これは驚くべき事実になる。

 「研究授業」はころころと変わっていったが、「日常授業」はほとんど変わり得なかった。

 一番「研究授業」が変わったのは、「新しい学力観」が導入された時。
 80年代の半ばごろ。

 「支援、支援」と叫ばれた。
 教師が前面に出ないで、子供たちを前面に出させて活躍させるのだと叫ばれた。
 「指導すること」が否定された。

 生活科や総合の授業を中心にして追求された。

 多くの先生たちは、「研究授業」では要求されている授業をして、日頃はいつもの「日常授業」をしていた。
 私は、「二枚舌の授業だ!」と考えていた。

 否定的に言っているつもりはない。
 多くの先生たちは、処世術としてそのようにしていただけである。

 ずっと変わりえなかったものは、「日常授業」だったのである。

 
 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 「日常授業の改革」,大賛成です。私自身,かつて拙著(処女作)で,次のように書いたことがあります。
「指導案検討をして,研究授業をすることだけが,もう,教師の指導力をつけることにはならないのではないか。研究授業と日々の授業の間にあまりにも乖離があり過ぎるからである。ふだんの教室での授業が研修・研究になるような教師の意欲が必要な時代である。研修・研究のシステムを変えなければならない。」(『新しい低学年の国語教室』日本書籍 1991年)
 先生の「日常の授業」と私の「日常の授業」は,同じ意味で使われています。私は,この本を書いてから後に校長になり,校内研修の改革に着手しました。 先生と同じ問題意識を持っていたことが嬉しくなりました。
 なお「新しい学力観」については,少し補足があります。誰が犯人か分かりませんが,「新しい学力観」の考え方を歪めて,「指導から支援・援助」とした流れを作った人がいるのです。私見によれば,「新しい学力観」は,学習者の意欲を重視する考え方でした。それを指導から支援・援助すれば,学習意欲が高まるなどと,宣伝してしまったのです。学習意欲は,優れた指導から生れるのです。さらに言うなら,日常の授業の学習意欲をテーマにすれば,もっと現場は変わっていたはずです。
 指導をマイナスとみなした考え方が,一番,悪かったのです。
 私も無事,北海道から戻ってきました。先生の研修会,会場を見つけます。こちらは雪が断続的に降り続き,除雪作業に追われています。
 

投稿: 庭野三省 | 2013年1月18日 (金) 21時02分

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