「日常授業の改革」ということ(3)~「一人研究授業」の提案~
ブログに、新潟十日町の庭野三省先生から次のようなコメントがついている。
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「日常授業の改革」,大賛成です。私自身,かつて拙著(処女作)で,次のように書いたことがあります。
「指導案検討をして,研究授業をすることだけが,もう,教師の指導力をつけることにはならないのではないか。研究授業と日々の授業の間にあまりにも乖離があり過ぎるからである。ふだんの教室での授業が研修・研究になるような教師の意欲が必要な時代である。研修・研究のシステムを変えなければならない。」(『新しい低学年の国語教室』日本書籍 1991年)
先生の「日常の授業」と私の「日常の授業」は,同じ意味で使われています。私は,この本を書いてから後に校長になり,校内研修の改革に着手しました。先生と同じ問題意識を持っていたことが嬉しくなりました。
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1991年の時に、このような問題意識をもたれていたということに驚く。
法則化運動全盛の時代であっただろうか。
いわゆる「研究授業」が全盛の時代でもあった。
この時代は、「日常授業」などまったく問題意識さえなかったはずである。
「研修・研究のシステムを変えなければならない」という重要な指摘がなされている。
この言葉は重い。
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この時代に向山洋一先生が、教師の授業技量を黒帯級に上げるためには研究授業100回をこなさなければいけないと主張されていたことを思い出す。
また、ネットで調べていたら、岡山の大前暁政先生が「21世紀の教育記録『教師修業』の記録」の中に次のことを書いてあった。
★ ★ ★
◇今から50年も前の斎藤喜博の著書より。
研究授業を100回することが大切だ。とあります。
斎藤喜博は,授業の腕を上げるには,研究授業を100回せよ と言っています。
しかも,今から50年も前にです。
いろいろと条件があることも言っています。
まず,指導案を書くこと。
そして,授業後に,検討会をして,自己反省すること,です。
★ ★ ★
同じように100回である。
途方もない数字である。
毎年研究授業を1回やっていたら100年かかる。2回で50年。4回で25年。
普通の教師では、とてもできない数字になる。
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とにかく数多く研究授業をすることが授業の腕をあげることにつながると今まで当然のこととして考えられてきた。
確かに多くの研究授業をこなしている教師(例えば附属小の教師など)は、授業がうまい。
それは、今までも分かっていた。
今まで中学の教師たちは小学校の教師たちに比べたら、授業が下手だと言われていた。
研究授業をこなしている数の差だと考えられていた。
私は、あまり中学の先生たちの授業を見たことがない。
1回だけある中学校の先生の授業(5時間目、6時間目)を見て回ったことがある。
ひどかった。
一人の国語の先生だけは普通の授業だったが、あとは授業になっていなかった。
一人の先生の授業は紙飛行機が飛んでいた。
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問題は、なぜ「研究授業」をすることが授業の腕をあげるのか。
このことについては、あまり触れられてこなかったように思う。
なぜか?
①研究授業のために、一生懸命に教材研究をし、授業づくりをするため。
②人に見てもらうために、それだけ緊張して取り組む。
③授業後に、さまざまな意見を言ってもらい、自分が気づかなかったことを
指摘してもらう。
………………
①②もその通り。
でも、③に注目する。
自分の「研究授業」を対象化し、さまざまな角度から検討する。
自分の「研究授業」を客観視できる。
この積み重ねは確かに大きいはずだ。
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もう一度、庭野先生の指摘に立ち戻ってみる。
「指導案検討をして,研究授業をすることだけが,もう,教師の指導力をつけることにはならないのではないか。研究授業と日々の授業の間にあまりにも乖離があり過ぎるからである。ふだんの教室での授業が研修・研究になるような教師の意欲が必要な時代である。研修・研究のシステムを変えなければならない。」
・ふだんの教室での授業が研修・研究になるような教師の意欲が必要な時代。
ここである。
「日常授業の改革」には、この課題の克服が必要になる。
★
2つの提案がある。
1つは、ふだんの教室での授業(日常授業)を学校全体の「研究授業」の対象にすること。
2つ目は、「一人研究授業」をすること。
★
1つ目は、実際に始めている学校がある。
新しい提案は、2つ目。
「一人研究授業」というのは、私がつけたネーミング。
次のような手順で行う。
①日頃の日常授業(自分で試みている授業ならなおいい)をテープに吹き込
む。
②それを我慢して聞く。
※我慢して聞かなくてはならない。45分間や50分間聞くだけでも
大変であろう。でも、子供はそれを受けているのである。
③聞いて自己反省をする。きちんとメモをしていく。
試みていることが通じているか。直したい口癖、
無駄な言葉などないかなど。
④月1回行う。
これだけ。
でも、ここには自分の「日常授業」を対象化する作業がある。自分の授業を客観視している。
確かに、他の人に見てもらえる「研究授業」よりも弱いが、対象化するという作業はある。
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