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2013年1月

「「新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月の成功シナリオ」が出版されました!

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  「新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月の成功シナリオ」(明治図書)が出版されました。

 

 4月から先生として出発する人にはぜひとも読んでほしいものです。

 

 1年目を終えた初任者の先生にも、1年間を振り返るためにもぜひとも読んでほしいものです。

 

 あるいは、クラスがうまくいかない先生たちにも、ぜひとも読んでほしいものです。きっとヒントが見つかると確信しています。

 

 このシリーズで4冊目の本です。

 

 この4冊を読めば、きっと初任者として過ごしていく1年目がイメージできると考えています。

 この4冊目を出して、ほとんど私の初任者指導にかけてきた役割を終えることができるのではないかとほっとしています。

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初任者の授業技量を上げていくこと(2)

   初任者が授業を技量を上げていくことについてである。
 これについて考えてみる。

 初任者が1時間の授業を成立させていくための必須の要素(手立てなど)は何か。
 このように問題を立ててみる。

 ★
 ほとんどの初任者は、毎日の授業をこなしていくために、教えるべき教材を確認し、すぐに指導書を読み、ノートなどに教えていく順序などを書き抜いていくのであろう。

 そこで実際に授業を展開していくときに、さしあたってどんな手立て(教育技術など)が必要になってくるのであろうか。

 ★
 三浦の昨日の講座で、集まっていた初任者と臨採の先生たちに、自分の授業の問題点を1つに絞って言ってもらった。

 何人もの先生が、「しゃべりすぎている」ことをあげられていた。
  私たちが問題視する「おしゃべり授業」である。

 初任者は、ほとんど全員と言っていいが「しゃべりすぎていく」。
 くどくどと、説明をしすぎる。

 私が何人も見てきた「おしゃべり授業」は、発問なのか、指示なのか、説明なのか不明確なままに一本調子に平板に進んでいく。

 
 でも、これを指摘して、明日から「しゃべりすぎ」を直していけるのかと言ったら、
ほとんどできないであろう。
 手立ても何もないからである。

 もともと一斉授業は、教師が授業の流れを作っていくので、教師の「しゃべり」が中心に展開されていく。これは仕方がない。

 だが、授業の90%も教師が話しているというのはやり過ぎである。
 
 これを90%→50%ぐらいに少なくしていかなくてはならない。

 どうするか?
 ★
 まず第一の手立ては、「指導言」の区別をつけて授業を展開できるようにすること。    
  指導言とは、発問、指示、説明である。

 自分は今発問をしているのだ。
 自分は今指示を出しているのだ。
 自分は今説明をしているのだ。

 このことを自覚して授業を展開していくことになる。

 そうすると、「しゃべりすぎ」がいくらか軽減されていく。

 主要な発問の時は、ノートに予想を書かせる。
 指示のあとは、机間巡視をする。
 説明は、分かりやすく簡略に済ませる。

 このようにそれぞれ「指導言」の違いによって、次からの「活動」が違ってくる。

 ★
 次にどんな手立てが必要になってくるのであろうか。

 説明の時の手立てで、「一時に一事の原則」が使えなくてはならない。
 これは向山洋一先生の「授業の腕を上げる法則」(明治新書)に載せてある法則の1つ。 
 三浦の中学校のI先生の「グループ活動2」のところは、この原則を使っていないために生徒たちにほとんど徹底していなかった。

 私なら、次のようにするだろう。

 1,グループ作りをしなさい。(すごい!○班ははやいですね)

 2,体を私の方へむけなさい。<小学生なら、「おへそをこちらへ向けなさい」>
  (AさんBさん、Cさんは、はやい!素晴らしい。Dさん、Dさん、こちらへ体
   を向けなさい)

 3、今からゲームをします。ルールを確認します。
   指を折って、一つ一つ確認していきます。
   1つ、……。
   2つ目、……。
   3つ目、……。
   もう一度、確認しますよ。(よく指を折っていますね。いいですよ。)
   質問はありませんか?

 4,それでは始めていきます。はじめ!

  ★
 次に何が必要だろうか。

 生徒たちの「活動」がきちんとなされているのかを「机間巡視」しなくてはならない。
 できていない班は、できるように指導をしなくてはならない。

  ★
 「フォローの技術」も必要である。

 これは山口の中村健一先生が「学級担任に絶対必要なフォローの技術」(黎明書房)で紹介された技術でもある。

 とても重要な技術だと考えている。

 上の「一時に一事の原則」のところで、(    )の中はフォローを書いている。
 何か活動をさせていく場合。何か指導していく場合。
 このフォローをセットで考えていく必要がある。

 フリ…教師の指導
 オチ…子供たちの活動
 フォロー…子供の活動で、がんばっている子供たちを褒めたり、認めたりの評価。

 この「フォローの技術」が今時の子供たちを動かしていく技術であると中村先生は主張されている。

 私もそう思う。

  ★
 「指導言」の区別、一時に一事の原則、机間巡視、フォローの技術。
 
 まず、このような手立てから初任者は、自分の授業を組み立てていく方法を身につけていくといいのだと、私は考えてみた。

 講座では、「全員参加」への手立てをどう取るかを強調したのだが、これは授業を成立させていく大きな目標になる。

 

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初任者が授業の技量を上げていくには?

   神奈川県の三浦三崎口まで行った。
 ここでの初任者研修会と臨採職員の研修会。
 

  初任研の最終で、初任者の授業研も組まれていた。
 H中学校で、I先生の英語の授業。
 

  その後、90分の私の講座。
 テーマは、「今、授業づくりをどうすべきなのか」。
 

  8月にここの初任者に「学級づくり」の講座をしている。
 だから、今回は、「授業づくり」の講座である。
 ★
 インフルエンザが流行っていて、先生たちにも蔓延し、5人の初任者の方が研修会へこられない。    
  指導主事の先生から授業参観の前にマスクを配付されて、それをつけていく。
 

  I先生の英語の授業。
 初任者としてはとてもりっぱな授業であった。
 このくらいのレベルで初任者が授業ができることはたいしたものである。
 ★
 玄関で、上越教育大学のM先生に会う。
 前に一度東京で授業づくりネットワークの大会でお会いしている。
 

  「こんなところで、何ですか?」
 「私のゼミ生のI先生が英語の授業の研究授業をするということで見に来たのです」
と言われる。
 

  いやいや、驚く。
 I先生は、M先生に大学で鍛えられたのである。
 

  それにしても、M先生は、上越から新潟まで出て、新幹線で東京まで、そして東京から2時間かけて三浦三崎口まで来られてのである。
 それも1人のゼミ生のために。
 

  私は頭が下がる思いでいっぱいであった。
 M先生は、研修会でみなさんに挨拶をされて、そこそこに帰られていった。
  すごい先生もいるものである。
 

  話の中で、新潟のO先生もゼミ生の一人だと聞く。
 O先生は、私たちの「味噌汁・ご飯」授業研究会の一員である。
 M先生のゼミは、すごい人材を育てておられるのである。
 ★
 研修会でのI先生への授業批評では、厳しく問題点をついた。
 「良い点は3つ、問題点は4つ」
 

  良い点の1つ目は、I先生の「明るさ」。
 授業が始まる前からにこにこしながら、生徒たちと会話をしている。
 

 この「明るさ」は、何よりも良い。最も大切な条件をクリアしている。
 

 2つ目は、学習課題をきちんと明確にしていること。(しかし、最後にまとめが時間がなくて曖昧になったのは残念)
 

 3つ目は、授業の組み立てがいい。とくに、活動1、活動2を設定しているところがいい。
 

 問題点の1つ目は、ノートに書かせる時間が遅い。学習課題を書かせるだけで7分もかかっている。
 小学校の高学年なら3分以内に済ませなければいけないことを多大な時間がかかっている。全てに書く時間が遅い。その結果、大切な活動1,2の時間が満足にとれなくなっている。
 

 2つ目は、活動2のグループ活動がまずい。
 1班だけが、先生が要求する課題をこなしているだけで、あとの班はしていない。
 先生のルール説明を生徒たちがよく聞いていないことなどから考えると、説明の仕方が悪い。グループの人数が多い。
 

 3つ目は、机間巡視が良くない。これは後で講座で扱いたい。
 

 4つ目は、生徒たちへのフォローがなされていない。これも後で講座で扱いたい。
 ★
 こんな具合である。
 だけど、このような問題点が出てくることは当たり前である。
 

 初任者の授業は、このようなところまでいかないで、その手前で沈没してしまうことがよくあるからである。
 

 この授業を見ながら、初任者が授業の技量を上げていくとき、まずどんな手立て(技術)を身につけなくてはいけないのかというテーマが浮かんできた。
  
 

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3/20の講座申し込みについて

   2/2の東京明日の教室が満席になった。

 

 主催者の方で、これ以上増やされることはないと思われる。

 同じ内容で、3/20(水)春分の日に同人社の場所で、講座を設けたい。

 申し込みは、つぎのところでお願いします。

 http://kokucheese.com/event/index/71165/

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駆け込み退職というニュースに接して

   埼玉県の教員が、「退職金減額前に駆け込み退職100人超」というニュースが飛び交った。
 徳島や佐賀もあるというニュースも続いて出ている。

 昨年11月に官民格差を是正して退職手当を引き上げる国家公務員退職手当法の改正に合わせて、各県も関連条例を改正し、今年2月1日から施行を予定。
 退職手当を14年8月までに段階的に引き下げ、平均約400万円減額される。

 今年度の定年退職者は3月末までに勤める場合、月給40万円とすれば退職金が約150万円の減額となる。
 1月末で退職すれば、2~3月分の月給約80万円を除いて約70万円多くもらえる。

 ★

 このようなことで、クラスを持っている教員も退職しているという。
 徳島では、教頭もやめているとニュースは報じている。    

  教頭にとっては、これから卒業式などが控えていて一番忙しいときであろう。
 学校は混乱する。

 問題は、クラスを持っている教員が辞めていくことになる。
 保護者などはとんでもないことだと批判が集中していくと思われる。

 最大の問題は、このような形で制度改革をしている方にある。
 2月1日ではなく、あと2ヶ月延ばして4月1日ではだめだったのかということである。
 しかし、現実にはもうこのような形で施行している。

  ★

 あと2ヶ月を残して退職していく。
 
 このニュースに接したとき、担任は、子供たちにどのような言葉を残して去っていくのだろうかと思った。

  教師として培ってきた「志」「プライド」をどのように折りたたむのかという問題である。
 そんなものはもともとなかった。クラスもうまくいっていない。もはや思い残すことはないということであろうか。

 ★

 教師は、「世間」知らずとずっと言われ続けてきた。
 子供たちとの付き合いだけで、世間の厳しい荒波を知らずに過ごすからだと考えられてきた。

 だから、教員研修の一環としてデパート研修をしたりなどの研修が義務づけられてきた。

 私はずっとそんな考えに違和感を覚えてきた。
 
 デパート研修などするよりも、もっと民間の研究会などへ参加する方がどれだけ有意義かと思ってきた。
 デパートなどに1,2週間いてもほんとうの大変さなどつかめるものではない。
 それよりももっと教師の仕事を深めていく方が先なのだ。
 


 どのような職業も楽なものはないし、大変なものなのである。
 もし反対に、デパート勤務している人が荒れているクラスに一日ずっといればきっとと音を上げるに違いない。もはや二日ともてまいと、私は思う。

  教師は、「世間」知らずではなくて、教師の「世間」は「子供たち」なのである。

 子供たちである「世間」に暮らし、そこから多くのものを学び、得てくることが教師の仕事である。

  ★

 しかし、あと2ヶ月を残しクラスを辞めていく教師たち。

 その「世間」にどのような折りたたみ方をするのか、それが問われる。

  教師は、その「世間」に後ろ指をさされるのは一番まずい生き方ではないか。
 

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「新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月の成功シナリオ」の著者インタビューの掲載

   2月上旬に出版する「新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月の成功シナリオ」(明治図書)の著者インタビューが掲載された。

 http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20130049


 

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「日常授業」の改革ということ(4)~「一人研究授業」はおもしろいかもしれない~

   「一人研究授業」を提案した。
 これはやろうと思えば今日からでもできるものである。
 
 

 いつでもできる。
 でも、いつでもできるものは、なかなかできない。
 ★
 北海道の大曲小の橫藤雅人校長から2枚のプリントをもらった。
 初任者の研究授業のテープ起こしをされたもの。
 
 

 冬休みに、初任者にテープ起こしをしたものだという。
 「ここから気づくことを初任者に考えさせている」
という話であった。
 
 

 この時、ふと私はテープ起こしまでは大変だけど、テープを聴くということはできるなと思ったものだ。
 
 

 ここから「一人研究授業」を発想した。
 ★
 かつてこのような試みをした先生は数多くいるであろう。
 しかし、このことを自分の研究として(ましてや学校の授業研究として)位置づけていった先生は稀であろう。
 
 

 私も1,2度やったことがある。
 でも、45分間継続して聞くことができなかった。
 
 

 ひどい授業。話していることが支離滅裂。
 よくぞ子供たちは我慢して聞いているものだと、…。
 
 

 その記憶だけある。
 ★
 この「一人研究授業」は、初任者指導に使えるかもしれない。
 その日の授業を吹き込んで、放課後初任者指導担当の教師と初任者で聞く。
 
 

 いやいやビデオに撮るということも可能かもしれない。
 ★     
  「おしゃべり授業」と私たちが言っている授業がある。
 ほとんどの先生が、授業の大半をしゃべっている。
 90%ぐらい。
 
 

 ほとんどの先生が無意識だ。
 自分がそんなにしゃべっているとは思っていない。
 
 

 授業での教師の指導言は、発問、指示、説明である。
 だから、この説明にほとんどを費やしていると言っていい。

 一斉授業の習性と言えるのであろうか。
 一斉授業は、やはり教師がしゃべることがどうしても多くなる。
 

 ずっと教師が授業の流れをリードしているから当然である。

 しかし、この「おしゃべり」を90%から50%ぐらいに減らしていかなくては授業は変わらない。

 そこに気づいていく。
 自分がどれだけしゃべっているかということに気づいていく。
 
 

 口癖。無駄な余計な言葉。意味不明な言葉……。

 そこから自分の授業を対象化して、客観視していく作業が始まる。

 「一人研究授業」はおもしろいかもしれない。 

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「日常授業の改革」ということ(3)~「一人研究授業」の提案~

   ブログに、新潟十日町の庭野三省先生から次のようなコメントがついている。

  ★ ★ ★
「日常授業の改革」,大賛成です。私自身,かつて拙著(処女作)で,次のように書いたことがあります。
「指導案検討をして,研究授業をすることだけが,もう,教師の指導力をつけることにはならないのではないか。研究授業と日々の授業の間にあまりにも乖離があり過ぎるからである。ふだんの教室での授業が研修・研究になるような教師の意欲が必要な時代である。研修・研究のシステムを変えなければならない。」(『新しい低学年の国語教室』日本書籍 1991年)
 先生の「日常の授業」と私の「日常の授業」は,同じ意味で使われています。私は,この本を書いてから後に校長になり,校内研修の改革に着手しました。先生と同じ問題意識を持っていたことが嬉しくなりました。
 ★ ★ ★

 1991年の時に、このような問題意識をもたれていたということに驚く。
 法則化運動全盛の時代であっただろうか。
 
 

 いわゆる「研究授業」が全盛の時代でもあった。
 この時代は、「日常授業」などまったく問題意識さえなかったはずである。
 

「研修・研究のシステムを変えなければならない」という重要な指摘がなされている。
 この言葉は重い。
 
 ★
 この時代に向山洋一先生が、教師の授業技量を黒帯級に上げるためには研究授業100回をこなさなければいけないと主張されていたことを思い出す。

 また、ネットで調べていたら、岡山の大前暁政先生が「21世紀の教育記録『教師修業』の記録」の中に次のことを書いてあった。

 ★ ★ ★  
  ◇今から50年も前の斎藤喜博の著書より。
 研究授業を100回することが大切だ。とあります。
 斎藤喜博は,授業の腕を上げるには,研究授業を100回せよ と言っています。
 しかも,今から50年も前にです。
 いろいろと条件があることも言っています。
 まず,指導案を書くこと。
 そして,授業後に,検討会をして,自己反省すること,です。
  ★ ★ ★

  同じように100回である。
 途方もない数字である。
 
 

 毎年研究授業を1回やっていたら100年かかる。2回で50年。4回で25年。
 普通の教師では、とてもできない数字になる。

  ★
 とにかく数多く研究授業をすることが授業の腕をあげることにつながると今まで当然のこととして考えられてきた。

 確かに多くの研究授業をこなしている教師(例えば附属小の教師など)は、授業がうまい。
 それは、今までも分かっていた。

 今まで中学の教師たちは小学校の教師たちに比べたら、授業が下手だと言われていた。
 研究授業をこなしている数の差だと考えられていた。

 私は、あまり中学の先生たちの授業を見たことがない。
 1回だけある中学校の先生の授業(5時間目、6時間目)を見て回ったことがある。
 
 

 ひどかった。
 一人の国語の先生だけは普通の授業だったが、あとは授業になっていなかった。
 一人の先生の授業は紙飛行機が飛んでいた。
 ★
 
 問題は、なぜ「研究授業」をすることが授業の腕をあげるのか。
  このことについては、あまり触れられてこなかったように思う。

 なぜか?

 ①研究授業のために、一生懸命に教材研究をし、授業づくりをするため。
 

 ②人に見てもらうために、それだけ緊張して取り組む。
 

 ③授業後に、さまざまな意見を言ってもらい、自分が気づかなかったことを
  指摘してもらう。
 ………………

  ①②もその通り。
 でも、③に注目する。
 
 

 自分の「研究授業」を対象化し、さまざまな角度から検討する。
 自分の「研究授業」を客観視できる。
 

 この積み重ねは確かに大きいはずだ。
 


 もう一度、庭野先生の指摘に立ち戻ってみる。
 

  「指導案検討をして,研究授業をすることだけが,もう,教師の指導力をつけることにはならないのではないか。研究授業と日々の授業の間にあまりにも乖離があり過ぎるからである。ふだんの教室での授業が研修・研究になるような教師の意欲が必要な時代である。研修・研究のシステムを変えなければならない。」

  ・ふだんの教室での授業が研修・研究になるような教師の意欲が必要な時代。

  ここである。

 「日常授業の改革」には、この課題の克服が必要になる。

  ★
 2つの提案がある。

 1つは、ふだんの教室での授業(日常授業)を学校全体の「研究授業」の対象にすること。

 2つ目は、「一人研究授業」をすること。

 ★
 1つ目は、実際に始めている学校がある。

  新しい提案は、2つ目。
  「一人研究授業」というのは、私がつけたネーミング。

 次のような手順で行う。

 ①日頃の日常授業(自分で試みている授業ならなおいい)をテープに吹き込

  む。

 ②それを我慢して聞く。
  ※我慢して聞かなくてはならない。45分間や50分間聞くだけでも
   大変であろう。でも、子供はそれを受けているのである。
 
 

 ③聞いて自己反省をする。きちんとメモをしていく。
  試みていることが通じているか。直したい口癖、
  無駄な言葉などないかなど。
 
 

 ④月1回行う。
 
   これだけ。
 

  でも、ここには自分の「日常授業」を対象化する作業がある。自分の授業を客観視している。
 確かに、他の人に見てもらえる「研究授業」よりも弱いが、対象化するという作業はある。

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2/2 東京明日の教室の連絡です

   2月2日(土)東京「明日の教室」の申し込みが50名を越えている。
 60名の定員になる。
 
 

  会場の同人社はそれ以上の人数は厳しい。
 
 

  同じ内容の講座を同じ会場で3月20日に行う予定である。
 日にちの都合がつかない方は、そちらへ回ってほしい。

 当日のテーマは「1年間をがんばりぬく学級づくり・授業づくり」。
 つぎの12の項目について話をしていきたい。

 1 「教師になる」ということはどういうことだろうか?

 2 初任者がうまくいかなくなる2つの壁がある。それは何だろうか?

 3 子供たちとの「関係づくり」をどうしたらいいか?
    
 

  4 学期の最初、子供たちはどう動くか?
 

  5 学級で子供たちとどのような接し方をすればいいだろうか?

 6 安心・安全な学級づくりをするための手立てとは何か?

 7 教室の「仕組みづくり」をどうしたらいいか?

 8 なぜ、学級を「群れ」から「集団」へ変えなければいけないか?

 9 クラスの中でクラスの雰囲気を乱していく子供たちがいる。最初どんな
   対応をすればいいか?

 10  1ヶ月をどう乗り切るか?

 11 授業をする時に最初に気をつけていくことって何だろうか?

 12 うまく「授業」を進めるために必要なことって何だろうか? 

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日常授業を改革するということ(2)~『一斉授業10の原理100の原則』

   「日常授業」に目が向けられている。
 それは、「味噌汁・ご飯」授業などと私たちが訴えている成果が現れているということではない。
 

 多くの現場で、「日常授業」が揺り動かされているからである。
 子供たちが「日常授業」を拒否始めている。
 今までは付き合っていたのだが、昂然と拒否始めている。
 ★
 学級崩壊という事態にいかないまでも、クラスがうまく回らなくなっている現象が浮き出ている。
 

 そういうクラスに必ずあるのは、「日常授業」の弱さである。
 いい加減で、ただただ流しているだけの授業。
 

 この事態は深刻である。
 多くの先生が、その「日常授業」を変えていくすべをもっていないから。
 

 研究授業だけは一生懸命取り組むのだ。
 だが、日常授業がひどすぎる。
 ★
 このまま行けばいずれ「学校の終わり」がやってくると書いた。
 多くの方から顰蹙をかった。
 

 「学校がなくなるようなことがあるわけないじゃないか!」という反論である。
 私は、「学校の終わり」と言ったのであり、「学校がなくなる」とは言ってはいない。
 

 公教育という「はこもの」は残っていく。
 しかし、その中で行われていくのは、「騒然とした教育」である。
 

 もはや、その中で子供たちを育てていくということはできなくなる。
 基本的な知識技能さえも身につかないという事態が起こってくる。
 ★
 昨年の暮れにZ会から呼ばれて三島へ行った。
 ここに本部がある。
 

 Z会は、エリート層の通信教育を担っている。
 進研ゼミが、多くの一般の子供たちへの通信教育。
 

 Z会の教材作りをしている人たちに対しての講演であった。
 その時、その人達に対して、「いずれ学校の終わりという事態が想定される。その時に基礎教育からの教材を作ろうという想定ができていますか?」と問いかけた。
 

 親たちは、路頭に迷い、Z会や進研ゼミなどに助けを求めるはずである。
 そのときの準備ができていますかという問いかけである。
 

 途方もないことを言うやつだと思われたかもしれない。
 ★
 昨年、北海道の堀裕嗣さんが『一斉授業 10の原理100の原則』(学事出版)を出した。
 

 9年前に初めて会ったときから教育界を変えていく一人になると、私は確信していた。 最近の一連の書物のレベルの高さは、多くの先生たちが認めるところであろう。
 

 全ての本が、堀さんでなくては書けないものである。
 法則化運動でブレイクした向山洋一先生以来の逸材である。
 

 ここで堀さんがやろうとしていることは、今までの教育界の総決算である。
 もちろん、新しい提案(『教室ファシリテーション10のアイテム100のステップ』<学事出版>)もあるが、それは総決算と関わりがある。
 

 この総決算が、これからの現場教師たちへの提言としてどれほどの射程があるのかどうか、ここに私の興味はあった。     

  「一斉授業」の本のまえがきに、次のような事が書いてある。
 

  もう一つ、私が危惧を抱いていることがあります。それは授業づくりの中心
 があたかも<協同学習>や<ファシリテーション>であるかのような風潮が一部に見られることです

 このように書いて、次のように指摘する。

  そもそも、実は<一斉授業>をできない教師に、<協同学習>や<ファシリテーション>は成立させられないのです。子供たちの「活動したい」「交流した
 い」という意欲を喚起するのは、課題の質であり、確かなフレームワークです。

 流行に流されるなという警告である。
 日本全国多くの現場教師たちは、<一斉授業>をしている。
 

 

 それを中心に「日常授業」をしている。
 それを揺り動かす提案が必要である。  

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「新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月の成功シナリオ」(明治図書)近刊予定

   「新卒教師時代を生き抜く初任者1ヶ月のシナリオ」が明治図書から近刊予定が出た。 いよいよ発売される。
     
 http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-058811-4

 この本には、「初任者講座の紙上ライブ」「初任者・1ヶ月のシナリオ」「初任者がどうしても知りたいQ&A」が収められている。

 これから始まる初任者講座(2月、3月で6回になる)には例年だと「初任者・1ヶ月のシナリオ」を携えて行っていたのだが、今回は書物化したのでできない。

 2/2(土)の東京明日の教室から発売する予定である。
 この日までには何とか間に合わせるということ。

 4月から初任者になるという方。
 クラスがうまくいかないという先生方。
 ぜひとも買って頂きたい。

 勝負は、最初の1か月で決まる。

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日常授業の改革ということ (1)

   呼ばれて行っている講座で、最近私は「日常授業の改革」を強く提唱している。
 皆さん、その通りだと頷いてもらえる。

 皆さんは、いつも日頃行っている授業なのである。
 この日常を変えなくては何事も始まらない。
 そのように確かに頷いてもらえる。

 だが、それで改革がなされていくのかと考えることはできない。
 そんな簡単な課題ではない。
 
 ★

 毎日歯を磨くように、教師は日常的に授業をしている。
 あまりにも身近である。

 普通誰も見ているわけではない。
 どのように流しても自由である。
 特別に誰かに文句を言われることもない。

 ほとんどの教師は、「日常授業」という形で意識していない。
 日常がいつのまにか流れていくように、「流れていくもの」としてある。

 だから、「日常授業の改革」などよほど変えようと意識しなくてはできることではない。
 
 ★

 私はいつも「風景」の発見を思い出す。

 私たちは、自然の風景や田舎の風景、沖縄の風景などに憧れる。
 風景画や風景の写真も、数多く出されている。

 しかし、その「風景」は実は明治二十年代に発見されたものであるということを知っておられただろうか。

 「私の考えでは、『風景』が日本で見出されたのは明治二十年代である。むろん
  見出されるまでもなく、風景はあったというべきかもしれない。しかし、風
  景としての風景はそれ以前には存在しなかったのであり、そう考えるときに
  のみ、『風景の発見』がいかに重層的な意味をはらむかをみることができるの
  である」 (「日本近代文学の起源」原本 柄谷行人著 講談社文芸文庫)

 

 もちろん、風景はあったのである。でも、それを「風景」として見出したのは明治二十年代だったのである。

 それまでは、風景はそこにただあるものだったのである。

 

 この風景と同じように、日常授業もただそこで行っているもの。

 この「風景の発見」と同じように、「日常授業」の意識化は「発見」と同じように考えるべきだと考えてきた。    

   ★

 40年間現場にいて気づくことは、この「日常授業」はほとんど変わることがなかったという事実である。
 私が初任の頃と、ほとんど同じ授業を多くの先生たちはしている。
 これは驚くべき事実になる。

 「研究授業」はころころと変わっていったが、「日常授業」はほとんど変わり得なかった。

 一番「研究授業」が変わったのは、「新しい学力観」が導入された時。
 80年代の半ばごろ。

 「支援、支援」と叫ばれた。
 教師が前面に出ないで、子供たちを前面に出させて活躍させるのだと叫ばれた。
 「指導すること」が否定された。

 生活科や総合の授業を中心にして追求された。

 多くの先生たちは、「研究授業」では要求されている授業をして、日頃はいつもの「日常授業」をしていた。
 私は、「二枚舌の授業だ!」と考えていた。

 否定的に言っているつもりはない。
 多くの先生たちは、処世術としてそのようにしていただけである。

 ずっと変わりえなかったものは、「日常授業」だったのである。

 
 

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石狩の花川小を訪問しました!

   1月10日から北海道へ向かった。
 行くときには、横浜は8℃。到着した札幌はマイナス8℃。
 
 この温度差はすごい。
 震え上がった。
  ★
 11日に、石狩市の花川小学校を訪問した。
 花川小は、学校力向上に関する総合実践事業の実践指定校7校のうちの1校。

 午前中に、学校の取り組みについて教頭先生からパワーポイントで説明を受ける。
  1年目での取り組みである。
 正直なところ、まだまだだと思っていた。

 ところが、ところがである。
 すばらしい実践が積み上げられていた。
  今年1年の実践ではない、今までの実践が重ねられていたのである。
 ★
 感心したのは、教育課程の中核に「できない」「分からない」子供たちへの手立てをどうするかが幾重にも込められていたことである。
 
 「学年別最低保障学力」が音読・漢字・計算に重点化して設定されている。
 いわゆる各学年ごとにどのくらいを目標に到達させるかを明確化してあることである。

 これだけでも設定している学校は珍しいことだが、これは建前ではない。
 そのための手立てがきちんと準備されている。

 学校では、「給食前補充指導」「放課後補充指導」「長期休業中補充指導」が行われる。
 
 また、学校ボランティアとして地域から学力向上を中心とした支援が行われている。
 地域の支援員の方が、学校へ来て、子供たちに「漢字検定」「音読検定」「かけ算九九」「家庭科裁縫」「リコーダー検定」などを行うのである。

 これにはびっくりした。
 この支援員さんたちは、子供たちの実情を把握し、学校の応援団になっていかれるはずである。
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 学校全体での「学習規律」が確立されていて、学びの基本がはっきりされている。
 「話し方・聞き方」「ノートの書き方」「家庭学習のススメ」など。
 
 私も、講演の中で、この「学習規律」の必要を強調した。
 今までは、思い思いに学級でなされていたものである。
 
 あるクラスでは、中学年でシャーペンを使わせたりしていた。
 ところが、高学年になってシャーペンを禁止したら、子供たちにとって大きな不満になり、そのことでクラスがおかしくなるということを聞いたことがある。
 
 これは、学校全体での「学習規律」の問題になる。
 学校全体で決められることはきちんと決めていけば、このような問題は起こらない。

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 2人の初任の先生からも話を聞いた。
 「クラスが楽しくて、楽しくて……」と話されていた。
 初任からこのような感想を聞けることは、なかなかない。
 1年目は、見通しがなく、霧の中を進むような思いになるはずである。
 それでも、このような感想を持てることは、支援されていた初任者指導の先生のおかげである。
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 全ての経営の課題は、畢竟するところ、働く一人一人が仕事に打ち込める環境を作ることであり、それは仕事をする人たちが、その仕事は自分を求めていると感じられる状態を作り得るかどうかにかかっている。 
  
 

 学校経営は、一人一人の先生たちが子供たちの教育に打ち込める環境を作ること。
 このことである。
 
 

 先生たちが、子供たちがいる教室へ機嫌良くでかけていく状態を作り上げるかどうかにかかっている。
     
 
このシンプルな課題を学校経営の中核にいつも据えていくことである。

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 釧路の遠矢小、北広島の大曲小、そして今回の石狩の花川小を回った。
 どこも先生たちが元気で、素晴らしい子供たちが育っていた。

 学校力向上の事業を通して、このように学校が伸びていく様子を見つめられることはとてもうれしいことである。

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東京明日の教室の初任者講座 2/2(土)

   東京明日の教室の申し込みが始まった。
 2/2(土)の私の初任者講座になる。
 東京で行うのは、4年目であろうか。
 

 関東地区の初任者講座は東京で、開催地区の初任者講座は、京都の橘大学で行ってきた。
 両方とも、今回でファイナルとしたい。
 
 

 

 http://kokucheese.com/event/index/68976/

 東京の明日の教室2/2(土)に参加できない方は、同じ同人社で3/20(水)の春分の日にも同じテーマで開催する。
 
 

 京都橘大学の初任者講座は、3/9(土)になる。

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あけましておめでとうございます

 もう新年元旦から6日目。
 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
 
 寒い正月。
 日本海側と北海道は大変な雪になっている。
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 その北海道へ10日から出かける。
 実際には11日の開催だが、この雪の影響で一日早くでかける。
 
 道教委の学校力向上に関する総合実践事業の一環としての講演会である。
 170名の申し込みがあると連絡がある。
 
 H小学校とその近隣校主催で、石狩市花川北コミュニティーセンターでの講演。
 これで今年度は4回目の北海道入りになる。
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 正月にポプラ社から出ている「シルバー川柳」を目にする。
 家族で大笑いをする。

 三時間 待って病名 「加齢です」

 女子会と 言って出掛ける デイケアー

 起きたけど 寝るまでとくに 用もなし

 延命は 不要と書いて 医者通い

 ガガよりも ハデだぞウチの レディーババ

 
     

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