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「学級づくり」と「授業づくり」ということ

   池田修先生が、フェイスブックで次のように書かれている。

  ★ ★ ★
 新卒は、学級経営が大変。だから、学級づくりから頑張れとエールを送っている。しかし、学級が安定したら授業が上手く行くかと言えば、それは別。

学級が安定しないから学級を安定させるであって、安定した所で授業がちゃんと出来ると言うことではない。ここを間違えてはならない。
 ★ ★ ★

 ちょっとだけ異論があるが、この通りだと思う。
 
 私が3年間初任者指導をしてきたが、その経験から言うと、学級づくりが安定してきたら、授業も安定してくる。

 学級が安定してきたら、授業がとてもやりやすくなる。
 子供たちがよく動いてくれるようになるという意味である。
 
 私が担当した初任の先生のクラスは、学級づくりを目標達成法を中心に成立させていったのだが、実にみごとなクラスになっていた。

 そうしたら、授業もとてもスムーズにいくようになった。

 授業づくりが格段にうまくなったわけではない。
 それは初任者の授業でしかなかったが、授業も安定してきたのである。

 ★
 だが、学級が安定してきたら、それで満足しているようでは困るという意味で池田先生に賛成である。本来はそれを池田先生は言いたいのであろう。

 学級づくり(学級経営)と授業づくりは、本来それぞれの役割を持っていると考えてきた。
 もちろん、それぞれが相互に影響を与えることは当然である。

 だけど、授業づくりと学級づくりが一体であるということはない。
     
  それが一体とするならば、中学校や高校ではどうなるのであろうか。

 授業は教科によって、やり方はそれぞれの先生で違う。

 一体になりようがないではないか。

 やはり、それは担任である先生が、きちんと学級経営をしていくことなのである。
 ★
 私は、「学級づくり」と「授業づくり」はそれぞれに中心的な役割があると主張してきた。

 学級づくり(学級経営)は、学級を安定させ、落ち着かせる役割が主である。
 授業づくりは、学力形成が主の役割がある。

  学級は、最初の1ヶ月は主として学級づくりに主眼をおいて(もちろん授業づくりも同時進行ではあるが)土台づくりとして取り組み、その土台の上に授業づくりを追求していくという構図で主張してきた。

 学級が安定してきたら、それで終わりではない。

 授業づくりがあるのである。

 その授業づくりの追求で、さらに学級が盛り上がっていくという機能はもちろんある。

 3年間の初任者指導の結果は、はっきりそれで確かめている。

  ★
 反対に、最初から「授業づくり」を最優先させてきた初任者指導の先生たちは、私が聞く限りにおいてほとんど失敗している。

 始業式の次の日から指導案を書かせて、授業に全力で取り組ませてきたクラスは、ことごとくクラスが荒れていた。

「学級づくり」をいい加減にしているのである。

ただでさえ忙しい毎日に、指導案をいくつも書かせていくということは初任者を混乱させる。

 担任として学級づくりに全力を尽くさなくてはならない日々なのである。

 ★
 私が主張している「学級づくり」は、1ヶ月で30の指導項目がある。

 ほとんど1回の指導でいい項目が9個、最低3回の指導が必要なものが12個、常時指導が必要なものが9個になる。

 たとえば、常時指導には、掃除指導、当番指導、日直指導、給食指導などが入る。

 これは繰り返し繰り返し徹底的に指導していくものである。

 徹底的に指導するというのは、子供たちが自分たちでできるようにするためである。

 指導のポイントがある。

 これらを1ヶ月できちんと指導して、安定した学級を作り上げていくのである。

 こんなことを初任者は誰からも、どこからも教えてもらえていない。

 だから、7,8割の学級が不安定になるのである。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

池田修先生、そして野中先生がおっしゃられていることは、まさにその通りだと痛感しています。
私自身、「学級経営が安定すればそれでよい」、「学級が安定していれば、自然に授業はうまくなる」と思いかけていました。いや、実際にそう思っていたのです。
今回の野中先生の記事と、札幌の堀裕嗣の新著『一斉授業 10の原理・100の原則』に触れて、その事を頭をガツンと殴られるように実感しました。
子どもが変化し、学級経営の重要性が高まった今の時代、授業の重要性は相対的に下がった訳ではない!むしろ学級経営と平行して日々高めて行かなければならない!
そんな当たり前のことを、自分に言い聞かせています。

投稿: 佐藤玄輝 | 2012年10月29日 (月) 15時27分

>>だが、学級が安定してきたら、それで満足しているようでは困るという意味で池田先生に賛成である。本来はそれを池田先生は言いたいのであろう。

池田です。
はい、そういうことです。

特に小学校の場合、学級担任が授業をするので、学級づくりは授業づくりに直結している部分があると思います。しかし、学級が上手く行けばそれでオッケーということではないということです。

嘗て学生達と話していて
「これからの教師は人物重視なので、そこに力を入れています」
なんて話しているのがいて、驚いたことがありました。学力がなくても性格が良ければ自分は合格すると考えいるのです。

そもそもあなたはなんで自分が性格が良いと言えるのか?
性格が悪くて学力を付けてくれる先生と、性格が良くて学力を付けられない先生とどちらに習いたいのか?
そもそも性格が良いってなんだ?

と話しました。
『あのね、人物重視ってのはね、同じ学力だったら、ま、こっちの方が人が良さそうだから採用するかな? ってことなのだよ。学力を問わないってことではないぞ』

話がズレました。
学級がうまくいけばそれでおしまいということではないということです。この場合のうまくいくは、マイナスの状態からゼロの状態になっただけなのに。言葉足らずでした。

投稿: 池田修 | 2012年10月30日 (火) 06時51分

 初めてコメントを書きます。

 学級づくりと授業づくりは,いわば学校教育の両輪です。少なくとも私は,言葉としては新採用の頃から聞いていました。ところが私の若い頃は,一学期は子供たちを理解しよう、その上で2学期から授業研究をしよう,というのが主流だったと記憶しています。その証拠に4月に授業研究をする学校は少ないはずです。
 しかし子供たちの姿が変容した今,このような考え方は時代にそぐいません。なぜなら子供たちは教師が子供理解する前に,彼らが教師の値踏みをします。だからこそ,かつての教育技術の法則化運動が提起した「黄金の三日間」という考え方が大切になるのです。
 教職38年の晩年になってから,私は内田樹の「機嫌良く」というキーワードに出会いました。「黄金の三日間」は,まさに教師はどんなに忙しくても「機嫌良く」振る舞う必要があります。なぜなら子供たちが担任が機嫌いい姿から,前向きになるからです。こうやって学級のムードを高めることが大切です。
 この上で,授業づくりをしなければなりません。実はこれは簡単です。一学期の始業式の日から,その担任が得意な教科の授業をして,機嫌いい姿を見せればいいのです。
 もちろん教師も人間ですので,毎時間,機嫌いい姿を見せることができないでしょう。一日に1時間でもあればいいのです。
 どんなに好きな教科でも,それを教えている教師の姿が神経質であれば,教育効果は大してないでしょう。まず子供たちを受け入れるのです。受けいれられた子供たちは,安心して授業に参加します。学級づくりで大切なことは,どの子にもこの安心感を保障することです。
 退職してから気づきました。学級づくりと授業づくりは,両輪ではなく,交錯して相乗効果を生むのではないか,と。授業がやや苦手だったら,学級づくりを最初は丁寧にやればいいと思います。反対に授業に自信があれば,どんどん授業を研究的にやればいいのです。
 いずれにしろ学級づくりも授業づくりも,土台は教師の「機嫌良く」です。この状況を作り,子供たちをどんどん,私の師匠である野口芳宏先生のように鍛えていけばいいのです。機嫌いい先生の姿から学べば,子供たちは必ず成長するはずです。
 追伸
 野中先生,11月25日(日),十日町市でお待ちしております。

投稿: 庭野三省 | 2012年10月30日 (火) 20時01分

野中先生 ご無沙汰しております。
十日町市立 東小学校の山田直美です。

表題とずれるかもしれませんが、感じたことああったので投稿します。

今、勤務校では不思議な現象(そんなおおげさなことではないか)がおこっています。
あるクラスの争奪戦です。

<その1>
この秋、養護教諭をめざす方が教育実習に来られます。
クラスで授業をしなければなりません。うちの養護の先生は、まよわず
「4年〇組がいいかなあ」と言っていました。

<その2>
勤務校もやはり、「ごちそう」とまではいかなくても授業研究を行います。
学級担任はもちろんのこと、いわゆる級外の教員も行うことになっています。
ある先生が、「4年〇組で授業しようかな・・・。△時間ぐらいちょうだい」と
言っていました。
その先生は、「4年〇組」のクラスに出ているわけではないのですが・・・・

<その3>
かくいう私も11月の末に理科で授業研究を行います。
私も末席とはいえ、級外です。4クラスの理科に出ているのですが、どの
クラスで授業をするかから、考えなければなりません。(お話になりませんな・・)
どのクラスでもいいといえば、よいのです。
しかし、内なる自分が「やるなら4年〇組がいいなあ・・・」とささやいています。


わずか、3つの事例ではありますが、これだけ授業研究をするにあたって
オファー(争奪戦は、言葉が悪いので)が舞い込む「4年〇組」の魅力って何な
のでしょうか?

当の「4年〇組」の担任の先生のコメントに答があるような気がします。
その先生は、オファーをもらったことに対して次のように言いました。

「子どもたちに言わなくっちゃ。いろんな先生が、『君たちのクラスで授業をしたい』
って。これって、君たちががんばっているからだよね~って、君たちはすごいね~
って、ほめてあげます。」

冒頭にも書きましたが、表題とずれるかもしれませんが、感じたことがあったので
書きました。

別件ですが、庭野三省先生もお書きになっていましたが、11月25日楽しみにして
おります。

投稿: 山田 直美 | 2012年11月 2日 (金) 05時13分

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