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2012年9月

カオス化する教育の実態!

   また、東京の品川区でいじめ自殺が起こったようだ。
 大津でいじめ自殺が起こり、次々にいじめ自殺が続いている。
 以前の自殺事件も、いじめ自殺だということで改めて調査されている。
 ★
 先日あるY新聞社の記者からいじめ自殺について取材を受けた。
 報道されている記事を見せられ、
 「こんなことが実際に学校で行われていたのに、先生たちは発見できないのですか?」と問いかけられた。
 学校はなんと情けなく、無力な、おそろしいところだという問いかけである。
 多くの人たちが、結果として出てきたさまざまな暴力、たかりなどの犯罪を学校はむざむざと許している。
 あるいは見てみないふりをしているのではないかと思ったに違いない。
 多くの人たちが認識したのは、そのようなことである。
 ★
 私がそのときに答えたことは次のようなこと。
「学校は決していじめなどに見て見ぬふりをしているわけではないのです。
 これは知らされないのだが、多くのいじめ事件も学校の初期対応で大きくならないで解決していることなんかごまんとあるわけです。 
 大津の先生たちも、何もしなかったわけではないのです。対応しているわけです。  結果として、いじめではなくケンカだと収めてしまっている。
 仲良しグループの諍いはケンカではなく、いじめにつながるという認識は17年前の大河内君の事件から鉄則なのに、大津はこの鉄則を踏み外している。
 ここにはケンカとして収めてしまいたいという願いが込められていたのかもしれません。
 ここに何があるのかということが、なかなか多くの人たちには伝わらない。
 学校の先生たちにとって、いじめ対応は網の目にように張り巡らされている、諸々の仕事の中の一つにしか過ぎないという認識なんです。毎日のようにさまざまな仕事が降ってくる。いじめ対応もその一つ。もはやその重要度なんか考えられないほどに先生たちは疲弊していると思った方がいい。」
 ★
 今回のいじめ自殺事件で、多くの人たちに認識されたのは、学校の無力さであった。
 新聞報道で出てくるいじめ自殺事件のほとんどが、学校側が知らないで結果として調べて分かっていく経過である。
 いじめは巧妙である。
 周りの傍観者は、ほとんど教師には伝えないと思った方がいい。
 よほどの信頼性がないと、教師側に伝わらない。
 年に1回のいじめ調査などで報告されるいじめなどありえない。
 私はこのブログで何度も書いたが、学校に次のことがないと現在の学校状況の中でいじめを発見することは難しい。
 
 ①いじめを予防する学校システム
 ②いじめが出た場合の学校対応システム
 ③教室でのいじめ対応

 ほとんどの学校はこのようなシステムを持っていない。
 せいぜい「いじめアンケート調査」か子供からの報告、先生たち一人一人のチェックなどに任されている。 
  またシステムを持っていても、いじめは絶対許せないという先生たちの気概がないといつのまにか形骸化する。
 ★
 報道される一部の無力化する学校の実態。
 これは氷山の一角。
 この裾野に連なる学校がある。
 カオス化する教育の実態がこのような形で噴き出している。  

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徒然なるままに~外国人VS日本教師!教育論で大乱戦~

   TBSの「有田のマツコの男と女超禁断の本音世論調査」という番組を見る。
 実は、この番組への出演を依頼されていたからである。
 「テレビには基本的に出演しませんのでお断りします」と断った。
 今までも何度もこういう誘いはある。
 「外国人VS日本教師!教育論で大乱戦」というタイトル。
 ビデオに撮っていたので、そこだけ見る。
 先生方も数多く出演されている。
 すぐに野口芳宏先生が出演されているのが映る。びっくり。
 ところが一度も発言されなくて終わりになる。(発言されてもカットされたのかもしれない)
 くだらない、些末な話題に終始し、その場はよくしゃべる外国人にリードされる。
 最初から予想されたことであったが、要するにテレビでの教育問題はこんなものである。
 ★
 朝日新聞の論壇時評で、作家の高橋源一郎がさまざまな雑誌で書かれている記事を紹介しながら政治のことについて書いている。

 ★ ★ ★
 いまの政治システムがおかしいことは、みんなわかっている。
 杉田敦は、いわゆる「決められない政治」が跋扈する理由は、「多数派」に負担を回すことができないので(そんなことをすると選挙で落ちるから)、政治家たちは、「後生」という「外部」へ、そのつけを回そうとするからだ、という。
 あるいは、大竹文雄は、「選挙は民意を正しく反映するか」という問いに、やはり多数派が、心地よい、「つい信じてしまいそうな主張」に動かされやすいことが、とりわけ「瀬戸際に立たされて政治家」に影響を与える、と指摘する。
 どちらの意見もその通りだと思う。では、何も変わらないのは、なぜなのか。
(政治家たちに)変える気がないからじゃないだろうか。選挙区の定数を一つ二つ削減することさえできない人たちに、それ以上の変化を求めるのは、そもそも無理なんだろうか。
 ★ ★ ★

 政治家にうんざりする理由は、まさにここに書かれている通りであろう。

 ★
 もう一つ注目する記事。
 大前研一のニュースの視点に次の内容が書かれている。
 引用する。

 ★ ★ ★
  2050年の日本は「暗たんたる状況」に陥っている
 -------------------------------------------------------------
 
 イギリスの経済誌『エコノミスト』編集部がまとめた『2050年の世界』が、
 発売1か月で4万部を超え、ベストセラーになっています。
 
 『エコノミスト』誌といえば、1962年に「驚くべき日本(Consider Japan)」
 という特集を組み、日本が世界第2位の経済大国に成長していくストーリーを的中させていますが、今回は日本が世界史上最も高齢化の進んだ社会になると予測。
 
 国家間の貧富の差が縮まっていく中、相対的に地位を下落させていく
 先進国の中でも、とりわけ日本は「暗たんたる状況」と分析しています。
 
 エコノミスト誌は日本について他にも様々な予測を発表しています。
 今回の件について私の率直な感想を言えば、「日本が繁栄する」理由は
 今のところ全くありませんから、当たり前だ、ということです。
 
 日本政府も2050年の人口動態を発表していますが、3人に1人が高齢化し、
 その高齢者を支える税金も労働力もないという状況です。
 
 エコノミスト誌の予測を聞くまでもなく、世界で最高に高齢化が進んだ社会で、
 「どうやって日本という国を運営していくのか?」というのは明白な
 大きな課題です。
 
 しかしながら今回の自民党の総裁選で、この問題に言及している人は
 いませんでした。これが日本の厳しい現状だと思います。
 
 新しい国家像を創り、そこに向けて進んでいかない限りは、エコノミスト誌が
 指摘するような「暗たんたる状況」になってしまうのは避けられないでしょう。
 
  ★ ★ ★
 あと38年先の日本になる。
 もちろん、私は生きていないが、このくらい先を見通した政治家がほとんどいないというのも困ったことである。
 二十代の若い世代は、真剣に考えていく課題になる。


 
     

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先生はいつからこういう仕事をしているの?~津久井小を訪れる~

   24日横須賀の津久井小へ行く。
 5時間目が私の授業。6時間目が担任の先生の授業。そのあと、私の講演になる。
 この学校へ来るのは2回目。
 4月19日に一度訪れている。
 その時には学級づくりの話。
 今回は「味噌汁・ご飯」授業の話。
 ★
 3年生の教室。
 授業するために、その教室の雰囲気をつかんでおきたいと思い、給食をお願いする。
 班の中で給食を食べていると、N君が、
 「先生はいつからこういう仕事をしているの?」
 と聞いてくる。
 「いや、これは仕事じゃないな!」
 「じゃあ、趣味なの?」
 「まあ、趣味に近いね」
という会話。
 突然現れて授業をするというおじさん。
 不思議に思ったのであろう。
 ★
 「このクラスで一番うるさい人は誰なの?」
 「それはN君、ほんとにうるさいんだよ」
 「あの子は何という子なの?」
 「S君だよ。あの子もうるさいよ」
 この調子でやんちゃな子たちをつかんでおく。
 この子たちを授業にどのように入れていくかがポイントになる。
 ★
 授業は道徳の授業。
 ある子は感想にこう書いた。
 「この授業をして、こういえばいいんだなあと思いました。やっぱりきつくいうの
  はダメなことをしりました。とってもたのしかったです」
 私はこの授業で「プラス思考」の大切さを訴えている。
 笑い、笑い。
 提出した状況は深刻なのに、こんなに笑っていいものでしょうかと一人の先生は言われていた。
 ほとんど全部の子供が「楽しかった」「おもしろかった」という感想。
 ★
 講演は「『味噌汁・ご飯』授業を考える」。
 「味噌汁・ご飯」授業には、5つの原則がある。
 1つは、教材研究、指導案の簡素化。
 2つは、多様な「活動」を組み立てる。
 3つは、良好なインプットとアウトプットの意識化。
 4つは、学力の基礎基本を保障する。
 5つは、全員参加の意識化。
 これらを私の授業を参考に話をする。
  ★
 若い先生たちが元気な学校である。
 1年生のI先生が校長室へきて、伝えてくれる。
 「4月に野中先生の話を聞いて実践したら、ほんとに良くなりました。ありがとうございました」
 スピード・テンポ・リズムをあげるということだった。
 
 私が授業をした3年生のクラス。
 話を聞く姿勢がすばらしく、申し分がない。
 よくぞこのようなクラスを育てたものだと思う。
 2年目の先生だ。

 そして廊下を歩いていて目を見張ったのは、靴箱の様子。
 ほとんどのクラスがぴたっと揃えられている。
  
 その学校が良い学校であるかどうかの1つの判断指標は、若い先生が元気であるかどうかを見ればよい。

 まさに津久井小は、若い先生たちが育っているのである。
 
    

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大腸カメラ体験記

   前日に飲んだ2つの下剤の効果(?)で、一晩中トイレへ行く。
 完全に睡眠不足。
 そして、また午前中にムーベンという下剤2リットルを2時間かけて飲む。
 何度もトイレへ行く。
 もはや腸の中はすっからかんの状態。
 体がふわふわする感じになる。
 ★
 午後1時30分から血圧を測り、点滴を開始する。
 1時間ぐらい待たされて、いよいよ大腸カメラ。
 肛門から器具を挿入して、腸の中をすべて検査するのである。
 鎮痛剤を投入して開始される。
 同時に空気を挿入されるので、お腹が膨らみ、それで少し痛みが出る。
 画像が出る。
 きれいな感じ。
 事前にポリープがあったら取ることを告げられている。
 2日ぐらいの入院になる。
 でも見当たらない。
 15分ぐらいだろうか。終わる。
 思ったよりもさっさと進む。
 器具を挿入されているという感覚はない。
 ★
 「炎症を探しましたがほとんど分からない程度です。大丈夫です。」
 と告げられる。
 でも、しばらくは休むようにと。
 正式な診断名は後日内科医から伝えられる。
 入院を覚悟していたので、ほっとする。
 病名は、虚血性腸炎。腹痛、下血という症状であった。
 結構多いらしいのだが、初めて聞いた病名。
 私の場合は、一過性のものだったらしい。
 ★
 終わってすぐにM市のS指導主事に電話をする。
 10月1日にM市に行って、授業、講演の約束をしている。
 入院となると、厳しくなる。
「大丈夫でした。行けます」と連絡。
 ★
 帰ってから、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第21番ハ長調」を聴く。
 無人島に一曲持っていくとするという問いかけには、絶対私ならこれを持っていくという一曲。
 これは再び始まりの曲なのだ。
 
     

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高校の初任の先生たちに話をする!

   静岡の高校の教育委員会から呼ばれて、初任者140名の講座に行った。
 高校の初任者の先生たちである。
 小学校の教師だったものが高校の先生たちに何が話せるのか。
 ましてやテーマが「学級経営における保護者対応」である。
 お断りしようと思ったが、「いやいや、小学校の先生の学級経営を話していただければ高校の教師たちにも十分通じます」と言われて受けたわけである。
 体調も万全ではない。
 初めて腰痛にも悩まされている。
 それでも掛川まで新幹線で向かう。
 ★
 静岡の教育センターで初任者は宿泊研修だということ。
 この教育センターのすごいこと。
 初めてこのようなでかい教育センターを見る。
 13:00から90分間、講演。
 手応え十分。
 笑うところでも十分笑ってもらえる。
 ありがたいことである。
 この初任の高校の先生たちの柔らかさ、真面目さに感服する。
 違う分野の話にもこうして真摯に耳を傾けてくれる。
 いい教師に育っていってくれるであろう。
 
 
    

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日常の授業を研究授業の対象にすることはできないでしょうか?

 いつもブログにコメントを寄せていただく「TOSS末端教師」さんからコメントをもらっている。
 
 ★ ★ ★
 日常の授業を研究授業の対象にすることはできないでしょうか?
 ★ ★ ★

 私はもちろんあると答える。
 実際に私が全クラスの授業を見せてもらった札幌山の手南小学校は、重点研究のテーマが「確かな学力を育成する日常授業の改善」になっていた。
 そのテーマに迫るために、「ICTの効果的活用でわかる授業をつくる」というサブテーマを設定されていた。
 ICTの活用は、玉川大学の堀田龍也准教授の指導にある。
 私は堀田先生とメールで交わし合ったとき、「日常授業」を何とかしないと何事も始まりませんねということになった。
 きわめて当たり前のことである。
 研究授業での「ごちそう」授業づくりも、ほんとうは「日常授業」へ連結するための1つの大きな方法であったはずだし、今もあるはずである。
 ところが、その精神をほとんどの教師たちは忘れてしまっている。
 研究授業のための研究授業をしてしまっている。
 だから、私は直に「日常授業」を研究授業の対象にする取り組みを各学校が始めていくべきだと思っている。
 山の手南小学校は、その研究紀要に次のように書いている。

 ★ ★ ★
 本校ではこれまでも、問題解決学習を授業の中核に据え、実践を積んできた。その際、私たちの意識は、「多様な思考」「より多くの発表」に向きがちだったと考える。結果的に、知識・技能の確実な習得の場面や習得した知識・技能を活用していく意識が十分ではなかったと反省しているのである。
 子どもたちの思考を活性化しようと、研究授業では、新しい教材を取り上げたり、対立場面を想定して授業を構成したりすることも多かった。このような授業は重要で価値がある。しかし、こうした授業を続けることは難しい。地味であっても、教科書を元にして、知識・技能の確実な習得を促したり、その活用を促進する授業がもっと見直されたりしてもよいのではないだろうか。
 そうした地道な、確かな日常授業の土台の上にこそ、児童が多様に考え、活発に意見を交える授業が成立するのではないだろうか。
 ★ ★ ★
 私はまさしくその通りだと納得する。
 どうしてこういう発想が今までの教育界に出てこなかったのか、不思議なことである。 ★
 しかし、日常授業を研究対象にしようとすることはそんなに簡単なことだとは思わない。
 多分、多くの先生方に反対にあう恐れがある。
 今までの研究授業体制が先生たちには染みついているのだ。
 今までは1時間の研究授業を何とかすればよかった。
 大変だが、とにかく1時間を何とかすればよかったのである。
 ところが、日常授業を対象にしようとするとき、毎日の授業をふるいにかけなければならない。
 ただでさえ忙しいのにそんな大変なことをやってられない、という反発である。
 ここをどのように改革していくのか。無理をしないことである。
 ★
 ただ、はっきりしているのは、「日常授業」を改革の対象にしない限り、子供たちの学力向上はありえないのだという事実である。
      

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授業のスタイルを変える!

 8月初旬に出した「必ずクラスを立て直す教師の回復術」(学陽書房)に、「授業のスタイルを変えよう」として授業について書いている。
 堀裕嗣先生からは次のようにコメントがついているところである。
 
 ★ ★ ★
 野中さんがいよいよ授業について本格的に語り始めていること。見開き完結というレイアウトであり、しかも本書自体の主眼ではないこともあり、まだ簡潔に、悪く言えば荒く書かれている段階ではあるけれど、数年来の「味噌汁・ご飯授業」のエッセンスは充分に詰まっている。次著はおそらく本格的に「味噌汁・ご飯授業」に真正面から取り組んだ著作になるのではないか。そんな期待感を抱かせる。
  ★ ★ ★
  この内容の要点を第4章の扉にこのように簡単に書いた。

 ★ ★ ★
 今まで多くの学校で進められてきた「授業研究」は、「ごちそう」授業の研究であった。1時間の研究授業のために躍起になってきた。
 私たちがここで提起する「味噌汁・ご飯」授業は、ともすれば軽く流されてきた1000時間以上の「日常授業」に注目したものだ。「ごちそう」授業とは、まったく最初からベクトルが違う、教材研究の仕方も違う。学習指導案も違う。授業の展開も違う。授業の中身は70点で十分。しかし、子供たちへの学力保障はきちんとしようというものである。
 ★ ★ ★
  ★
 このブログで何度も書いてきたことであるが、今までの「授業研究」の歴史は「ごちそう」授業の研究であった、と私は思っている。
 その「ごちそう」授業とはどのように定義しているのだと問われるところである。
 今のところ次のように考える。

 ①多くの教材研究の時間が必要
 ②膨大な指導案を作成
 ③1時間の授業のために何ヶ月も費やす

 この条件に1つでも当てはまれば「ごちそう」授業だと思ってきた。
 しかし、否定的に言っているわけではない。
 むしろ、1年間の何度かこれに挑戦していくことは大切なことであると思っている。
 ただし、条件が必要だ。
 その条件を京都の糸井登先生が的確にブログに書かれている。
 引用しよう。

  ★ ★ ★
 …………
 今までバラバラで保存してきた知識が一気に結びついていくのです。

で、どうするのかと言うと、ここからは足で稼ぐのです。
実際に見る、体験するといったことを行います。

いつもそこまでするのかと言われれば、いつもはやりません。
もう、ヒントから授業をつくります。
それが日常です。

でも研究授業では、更に手を加えます。
それは、何も御馳走授業をつくろうとしているのではありません。

自分の授業の精度を上げたいのです。
定期的にそういう授業をつくることが日々の授業のレベルアップにも繋がると信じているのです。
 ★ ★ ★
 途中からの引用で分かりにくいので申し訳ないが、糸井先生は研究授業を練っていくということは、日常授業のレベルアップに繋がると言われている。
 ここがとても重要なところだ。
 今までの多くの研究授業すなわち「ごちそう」授業づくりは、その1時間のために躍起になってきた。
 だが、その研究がいかに「日常授業」に連結していたのかと問われると、そこがほとんどなかったと言っていい。
 もう少し言うと、「ごちそう」授業の研究が「日常授業」へ連結する方法論をほとんど生み出すことにはならなかったと言っていい。
「日常授業」へ連結しようなどという発想もなかったと言っていい。
 今現場では、年中行事として研究授業が行われている。
 1時間の授業が終われば、全てが終わったような感じになる。
 そして、明日からまたまったく研究授業とは関係ない「日常授業」が続くという構図になっている。
 年中行事になっている。そこからはほとんど何も生み出さない。
 ★
 私たちの「味噌汁・ご飯」授業は、直に1000時間以上の「日常授業」を相手にしている。
 日頃多くの先生たちが行っている「おしゃべり」授業などを克服していく対象として考えている。
 やはり最終的にまとめていくのは、「日常授業」の方法論になる。
 私たちは高度なむずかしい研究をしようとしているわけではない。
 また、そんなこともできない。
 私たちは、学校現場の日常の中に、毎日毎日行っていく授業という「現実」を取り戻していきたいという願いがある。
 

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徒然なるままに~時代はこのように変わっている~

   最近、新聞社やテレビからの取材が立て続けにきた。
 いじめ関係の取材である。
 N社からは電話取材1時間ぐらいになる。
 Y新聞からは会っての取材。
 Tテレビからは、深夜のバラエティ番組への出演の依頼。
 もちろん、Tテレビはお断りをする。    
  いじめの取材での問いかけは、大変な問いかけである。
 なぜいじめが起きてしまうのか?
 背景に何があるのか?
 子どもの中で何か変化が起きているのか?
 このような問いかけがなされる。
 すぐに簡単に答えられるものではない。
 ★
 いつまでも残暑が厳しい。
 どうしたことか。
 近くの家では井戸が涸れてしまったと聞いた。
 それほどに地面は乾いてしまっている。
 それでも朝晩は秋の風が吹く。
 早く秋が来てほしいと、願っている。
 ★
 「日本のリアル」(養老孟司 PHP新書)を読む。
 養老さんが4人の人と対談している本。
 最初に登場してくる岩村暢子さんの「変わる家族 変わる食卓」(中公文庫)「現代家族の誕生」(勁草書房)などは、私たちに衝撃を与えた本。
 家族の食卓を通して、どのように家族が変わっていこうとしているのかを明らかにしたものである。
 岩村さんは言っている。

 ★ ★ ★
  十数年調査してきて、やはり家族それぞれがますます「自分」を大切にし、個を優先するようになっていると感じています。食卓にもそれははっきり表れていて、家族が家にいても同時に食卓に着かず、たとえ一緒に食卓を囲んでも違う物を食べる「バラバラ食」、さらには一日三食も崩れて、みんな自分のペースで好きな時間に勝手に食べる「勝手食い」も増えています。「バラバラ食」や「勝手食い」の家では、親は子どもが何を食べたのかも知らなかったり、無関心になっている。
  同じ家を10年くらい後に追跡調査すると、子どもはもっと自分ペースになっ
 ているし、お母さんも「自由」を謳歌している。そして、お父さんは、「メタボ」
 「生活習慣病」を指摘される年齢になっていますが、「食事の健康管理は自分でして」と言われている。医師が妻を呼んで夫の食事指導をするなんて、もう時代遅れのことになっていると最近感じます。
  ★ ★ ★
 時代はこのように変わっている。

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目指すべき1本の道が見つかったのだ!

   「初任者の明日がかかっている」というブログを書いた。
 それに対して京都橘大学の池田修先生と山形の佐藤先生よりコメントがついた。
 とてもうれしいコメント。
 大切な内容が込められている。
 改めてここに紹介したい。
 ★    
  池田先生は、大学で「学級担任論」を講座として設けられている。
 知り得る範囲で言えば、全国の大学の中でこうした講座を設けている大学教授は池田先生だけである。
 なぜそうなのか。
 いくつもの壁があるからである。
 まず、教師になるための単位にこれがない壁である。だから、池田先生の講座は必修ではなく選択になる。
 文科省のカリキュラムの中に「学級経営」や「学級づくり」がない。
 ほとんど2/3は教科になる。教科偏重である。
 そのカリキュラムは、「教師は授業をちゃんとやればそれでいい」というスタンスから構成されている。
  2つ目の壁は、この「学級担任論」の講座を設けるためには現場経験がなければとても無理であることである。それも単なる現場経験ではなく、きちんと現場のことをまとめておかなくてはならない。それがむずかしい。
 大学には付属の教師がいる。
 その先生に協力を仰いでできないのかと私は考えるがそれはなかなか実現できない。
 3つ目の壁は大学にまだまだ戦前の師範学校アレルギーが残っていることである。
 技術的なこと、実践的なことに対しては、「そんなハウツーは大学では必要がない」という反発が強いとよく聞く。
 これらの壁に対して池田先生は次のようにコメントされている。
 ★ ★ ★
 理念や理想だけではなく、現実に対応できる力を育てたいと改めて思います。一年目を駆け抜けられるあれこれを、本当に教師を目指したいと考えている学生たちに伝えたいと思います。
  ★ ★ ★
 まことにその通り。
「現実に対応できる力を育てたい」ということ。
 この力がないために、クラスが荒れていく、崩壊になっていく、そして辞めていく初任者が後を絶たないのである。
 このことにどう対応するのか、大学人から聞いた試しがない。
 池田先生や私の知り合いの大学の先生たちの少数派が、この問題に正対されている。 池田先生は「一年目を駆け抜けられるあれこれ」と言っておられる。 
  山形の佐藤先生のコメントは、これに応えておられる。
 今でこそ中堅の実力を身につけた佐藤先生も1年目は大変だったのである。
  それもここに紹介しておこう。
 
  ★ ★ ★
私も「初任者は2年目よりも100倍大変だ」と言われて初任の1年を過ごしてきました。仕事の見通しがうまく持てない、何もかも初めての仕事内容、子どもへの対応がうまくできない…初任者の直面する困難は挙げればキリがありません。
しかし、周りの先生方の支えがあるからこそ「1年目を乗り切れば何とかなる」と思い、やってこれました。
きっと、百合子先生は周りの支えが得られず、苦悩の中で命を絶たれたのでしょう。希望に溢れて教員になり、すぐに直面した困難。しかし、誰も助けてくれない。百合子先生の苦悩は、想像を絶するものがあります。
野中先生が発信されていることは、全国の初任者にとって、若手教員にとって、明日への希望になっています。
★ ★ ★

「初任者は2年目よりも100倍大変だ」ということは、その通り。
 1年目の見通しもなく、ただ突っ込んでいくだけのものがどれだけ危ういものか、多くの先生たちが経験済みのことであろう。
 しかも周りは「とにかく授業をしっかりやれ!」と発破をかける。
 指導者は指導案を何時間も書かせる。(あの指導案は研究授業の指導案なのである)
 初任者は、担任を持っているのである。
 この指導者たちは、「1ヶ月の学級づくりが1年間の学級づくりの8割を占める」ことを学んできていない。
 この1ヶ月の学級づくりは、初任者もベテランと同じように進めなくてはならないことが分かっていない。
 時代がそのように進んでいることを分かっていない。
 自分の経験からしか指導できない。
 だから、校長上がりの初任者指導が担当する初任者4人中3人の初任者のクラスを崩壊させていくことが起こってくるのである。
 授業の指導も確かにしなければいけない。
 だが、授業は指摘してすぐにうまくできるものではない。
 とにかく精一杯授業をしていく以外にない。
 ところが、学級づくりだけは手を抜けないのである。 
 ★
 ある初任者の先生。
 学級が崩壊していく。
 意欲も、熱意もある。
 ただ、どうしても学級の発達障害の子供に対応できない。
 周りの先生たちにもなかなか支援してもらえない。
 百合子先生そっくりではないか。
 そして、ある日管理職が呟く。
「先生は、ほんとうに子供が好きではないのではないか?」
  子供への愛情のかけ方の不足が、学級を崩壊させていく原因だと管理職は見ているのである。
 初任者が混乱の渦中にいるとき、こんなことを指摘する「ばか管理職」がいるのである。
 この指摘がどれほど初任者の意欲をつぶし、ますます混乱させていくか、簡単に想像できることである。
  ★
  自殺した百合子先生は、教師としての意欲も熱意もあった。
 大学時代から東南アジアのストリートチルドレンに関わり、満を持しての教師だったのである。
 ただ、自分の理想や理念を現実化していく方法論がなかった。
 それは初任者には無理である。
 周りが手助けして、とにかく1年目を乗り切らせていく以外になかった。
 もし百合子先生が私の「学級づくりの方法論」を身につけていたら、……と想像するがもはや意味がない。
 ★
 今年の夏、あるM市の教育委員会の初任者講座に行った。
 30人ほどの初任者の講座。
 2時間びっしりと学級づくりの方法と2学期からの手立てを語った。
 その中に次のような初任者がいた。指導主事の先生の言葉である。
  ★ ★ ★
 K先生。
 1学期の後半はクラスが荒れ、毎時間管理職、補助教員、空き時間の先生の計3人が教室に入り、K先生のクラスをサポートしていたようです。
 K先生には、管理職や先輩教員が
 いろいろとアドバイスしていたそうです。
 「それでもなかなかストンと話が落ちない。本人には消化できない」
 と校長は言っておりました。
 そして、9月の第1週、
 私が「指導主事訪問」としてK先生の教室に入ることになったのです。

 ところが、です。

 校長先生から、「Kは変わりました!」と。

 「Kが、俄然やる気になりまして。
  あれこれ、やっています。
  子どもたちも、落ち着いてきました。
  何よりもKに笑顔がある。
  夏休み、いったい何があったんでしょうか?」

 私は、野中先生の初任研のお話を、校長にしました。

 K先生のクラス。
 時間を守り、ルールを徹底しているようでした。
 まだまだ荒々しさは残っていますが、
 今後 確実に良くなっていくと思います。

 野中先生、本当にありがとうございました。
 ★ ★ ★
  なんともうれしいことではないか。
 私の講座が、K先生を甦らせている。
  これからもK先生はそんなに簡単なことではない。
 しかし、K先生には目指すべき1本の道が見つかったのだ、私にはそう思える。

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アクセスが100万を超える!

   ココロブのアクセス解析では、今日(9/10)100万のアクセス数を越えだした。
 丸5年。
 みなさんにアクセスいただいて、この数になった。
 ありがとうございます。
 気ままに、思いつきで、ほとんど読み返しもしないで書きなぐったものであったが、
この日に至った。
 風にふかれて ふらふらと まだまだ歩き続けます。
 これからもよろしくお願いします。
     

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「高倉健」という生き方。

 NHKのプロフェッショナル「高倉健という生き方」を見る。
 「健さん」。
 私たちの世代(団塊の世代)はずっとそのように呼んできた。
 「あこがれの人」というのではない。
 そのように考えるにはずっと遠い人だ。
 「気になる人」。
 ずっと「気になる人」だったことは確かなことである。
 ★
 大学時代、健さんの任侠映画を何度か見た。
 オールナイトの映画館。
 なけなしの金をはたいて居酒屋で騒いだあと、みんなで駆けつける。
 一番前の席に座わる。
 健さんが何か言うたびに「意義な~~~~し」と声をかける。
 場内から失笑。
 健さんが刀を振りかざしながら悪いやつを追いかけてくる。
 悪いやつは右に行く。
 健さんは追いかけながらどちらへ行けばいいかきょろきょろする。
 私たちは「右、右、右」と声かける。

 健さんは右に行く。
 場内からどっと笑い声が響く。
 こんな時代があったのである。
 ★
 高倉健。81歳。映画俳優。56年の俳優人生を生きる。
 酒は飲まない。タバコも30年前に止める。
 ただひたすら歩いている。
 ★
 番組では、「あなたへ」の映画収録の場面を映し出していた。
 NGもなく、一度きりの場面を次々に撮っていく。
 座らない。
 ずっと立ちながら健さんは待っている。
 高倉は、「生き方が芝居に出る」と言う。
 それは作られた演技というより、次のようにぼそりと呟く。

  ふだんの生き方じゃないですかね。

 ★
 私たちが目にしている、あるいはイメージする81歳とはまったく違う。
 このような81歳を生きられたら、どんなにすごいことだろう。
 はじめて私は健さんにあこがれを感じてしまう。 
     

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初任者の明日がかかっている!

 朝日新聞に次のような記事が出る。
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 静岡県磐田市の小学校に採用された半年後、自ら命を絶った木村百合子さん(当時24)。この自殺について東京高裁は、一審・静岡地裁に続いて公務災害だと認定した。
 校務外の要因でうつ病を発症、自殺したと主張していた地方公務員災害補償基金(本部・東京)は上告を断念、8月3日に判決が確定した。(記者有論 静岡総局小林太一)
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 この木村百合子さんの自殺については、さまざまなところでの報道で知っておられる方が多いであろう。
 百合子さんが残した研修記録には、赴任初日の4月1日に「分からないことは周りの先生方に聞いて学びたい。これから始まる1年間がとても楽しみでわくわくしている」と書かれてある。
 しかし、担任をした4年生の学級で、発達障害が疑われる児童の対応に悩む。
 5月には、鬱病を発症。
 その頃は「抜け落ちたように気力がなくなった」と書かれていた。
 上司の前で床に突っ伏して泣き、学級運営に悩んでいると伝え、「授業中の教室に来て自分を見ていてほしい」と懇願。そして2004年9月末、命を絶った。
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  このような記事が書かれている。
 何とも残念である。公務災害が確定しても百合子さんは戻らない。
 「学び合い」の西川純先生は、新聞記事で「今の初任者は丁半のばくちにさらされている」というようなことを書かれていたことがある。
 初任者を育てようと思っている学校へ赴任するか、そんな思いがなく自分だけで精一杯の学校へ赴任するかで、初任者は大きな岐路に分かれるという内容である。
 百合子先生は後者の学校へ赴任したのである。
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 初任者は発達障害の子供にはなかなか対応できない。
 べったりの対応になってしまい、8割の子供たちはおいておかれる。
 学級づくり、学級経営については大学ではほとんど学んでいない。
 周りの職員もいろいろ教えないとするなら、もはや絶望的な状況になる。
 どんなやる気がある初任者でも潰れてしまう。
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 私は百合子先生の自殺を契機に、明治図書からの「新卒教師時代を生き抜く」シリーズの刊行を始めている。
 そして、来年の3月には、「初任者・1月のシナリオ」「初任者研修の紙上ライブ」などをまとめた本を出版する。
 このシリーズの一連の本を読み進めば、少なくともクラスを何とかすることができるはずだという願いを込めている。
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 なぜ一介の教師だったものがこんなことに必死にならなければいけないのか。
 なぜ文科省や大学は、もっと必死にならないのか。
 ぜひともこの疑問に正対してもらいたい。
 初任者の明日がかかっているのである。

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体調ももとに戻っている!

  再検査を受けた。
 血液検査。
 何も異常はなかった。
 体調ももとに戻っている。
 だが、下血の原因が分からない。
 そこで医者は、大腸内視鏡検査を受けるように薦めた。
 受ける以外にない。
 講演が2つ入っているので、2週間後に受けることにする。
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 さまざまに心配のメールやコメントをいただいた。
 ありがとうございました。
 もう普通の生活をしている。
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 55歳のときに、1冊目の本「困難な現場を生き抜く教師の仕事術」(学事出版)を書いてから10年間ずっと走り続けてきたように思う。
 1年に1冊の割で本を書いて、多くの講演に呼ばれてきた。
 こういう仕事の仕方を考え直せということであろう。
 さて、さて、どうしたものか。
 
     

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これはまずい!

   北海道から帰ってから、急に腹痛に襲われた。
 トイレへ駆け込むと、びっくり。下血である。
 これはまずい。
 すぐに近くの大きい総合病院へ行く。
 耳鼻科や歯科などへは最近も行くが、内科の病院に行くのは久しぶり。
 帯状疱疹になったとき以来である。
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 さんざん待たされて、診察。
 最初は食中毒を疑われる。
 CTスキャンを撮ると、原因が分かる。
 腸に何かの原因で傷ができ、そこからの出血。
 入院をして経過を見たいということであったが、元気で大丈夫なので外来にしてほしいと頼む。
 31日に、W小学校で学級経営の講演を頼まれていて、変更しての日程なのでどうしても行かなければいけないのであった。
 点滴を打って帰宅。
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 熱もなく、腹痛も治まり、元気である。
 経過観察で、安静にしておかねばならない。
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 8月26日に,65歳の誕生日を迎えた。
 今回のことは、もう無理をするなという警告であろうか。
 フェイスブックでは、多くの方から誕生祝いのメッセージをもらった。
 個々の方には返信をしなかったのであるが、こんなそんなでごめんなさい。
 
     

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