徒然なるままに~郡山、文教大学へ行く~
20日は昼から福島の郡山へ出かけた。
一泊して21日の午前中の講座に間に合わせるためである。
郡山は、日が落ちると昼間の熱気がストンと落ちて涼しくなる。
朝は、22℃まで下がる。
さすがに東北である。
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21日の講座は70名ほどの参加者。
先生たちが元気になっておられるのか、それが心配であった。
3時間弱の講座。
2学期にがんばってほしいとエールを送る。
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22日は、午前中から埼玉の北越谷に向かう。
文教大学の会沢先生に呼ばれての学級づくりセミナーである。
初めて文教大学へ行く。
静かな場所に大学はあった。
50名弱の参加者。
午後3時間びっしりと学級づくりについて話をする。
夕方から残られた方との懇親会。楽しかった。
さまざまな話を聞く。
25時間の船旅で小笠原から来られた先生もいて、島での様子もたっぷりと聞く。
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2つの講座とも、最後に「いじめにどう対処するか」という話。
大津の今回のいじめ自殺事件。現在でのわたしなりのまとめをする。
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今回の事件でしみじみと印象づけられたことは、「学校の無力さ」というものであった。 こんなにも、学校がいじめに対処できないものかと歯ぎしりするほどであったと思う。 先生たちは決して何もやらなかったわけではない。
二度生徒の「いじめじゃないですか?」という訴えに対して、自殺した生徒や加害者達を呼んで話を聞いている。
そして、「ケンカだ」と結論づけている。
浅はかな結論だった。
鉄則を踏み外している。
仲良しグループの諍いは、特にマークしなくてはならない。
それは17年前の大河内清輝君のいじめ自殺事件で学校現場の人間にとって当然の鉄則であったはずである。
しかし、その鉄則を今回踏み外している。
ところが、学校はうすうすいじめではないかと感じていた節はあるのである。
アンケートにあれほどの生徒がきちんといじめだと答えているのである。
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大河内君のいじめ自殺事件と、今回の大津の事件は、仲良しグループの中の諍いとしてはほとんど同じである。事件の内容もほとんど同じである。
この事件も、日本中を揺り動かしていく事件であった。
連鎖反応として、この後自殺が引き続いた。
学校は対策を迫られたのである。
あれから17年。
学校は何も変わっていないことが分かったのである。
大河内君のお父さんは、今回の大津の事件を踏まえて語っている。
「大津の事件を見て、学校現場がずっと変わっていないことが分かりました。アンケートでいじめの有無が分かると本当に思っている。言えない子がいるということ、死ぬほど思い詰めている子がいるということを、なぜまだ分からないのか。」
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早稲田大学教授の原田泰氏は「イジメではない、犯罪である」ということで、「教育にはできないことがある」と認めるべきだと問題提起している。(朝日新聞、WEBRONZAから)
原田氏は、学校側が今回のいじめを犯罪として認められないのは、「犯罪として処理することが嫌だった」のではないかと指摘している。
その背景には、「責任逃れ」のほか、「教育とは人間を陶冶し正しい人間をつくるものであり」、それができないのは教育、教師の敗北だという思想があるからだという。
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生徒を犯罪者として警察へ売り渡していくことは、教育の敗北であるという思想は、やはり学校や教師達の思想としてまだ生きながらえている、と私も思う。
それはすべて否定することではない。
だが、問題はその思想がきちんと行動として具体化されているのかというと、そうではない。
空回りしている。
実態がほとんどない。
ただ、握りしめているだけである。
だから、こうした犯罪が大手を振って学校で生きながらえているのである。
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新しい動きが出ている。
イジメ被害を警察に訴える動き。すでに12件のいじめが警察に訴えられ、警察も積極的に受け入れている。
大津の時は、お父さんの3回の被害届が受け入れられなかったときと様変わりしている。
警察の方の方針転換であろう。
私はこの動きは評価したい。
もちろん、マイナスに出てくる場合もあるが、いじめは犯罪であり、きちんと犯罪として処理していくことは当たり前である。
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23日は、1日ぐたぐたしながら過ごす。
24日は、朝早くから三浦へ出かける。三浦の2年目の先生たちの研修会である。
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