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大津いじめ自殺事件~その5 いじめが発覚して、それを克服する力が学校にあるのか?~

   私が教務主任の時に提起した「いじめ対応」への学校システムと、「いじめ対応」の道徳の授業を資料として添付で配布している。
 この学校システムは、ブログに書いたとおり17年前の資料である。
 すでに古くさいと言われる代物。
 だが、あえてそれを持ち出したのは、現場の教師は、具体的に語る必要があるためである。
 「こうあるべきである」というのはいくらでも語れる。
 現場の人間は、「こうしているからこうなっている」「こうしていないからこういう結果を生み出している」などと具体的に語る必要がある。
 現場では、いじめ対応への学校システムをどのようにしているのか。
 小学校はほとんどないであろう。
 いじめが発覚してから取り組むということ。
 私が回ってきた初任者指導の学校はなかった。
 そんなことを持ち出すよりも何よりも問題が山積していたり、行うべき行事が多すぎる。
 先生たちは行事に埋もれて授業をしている。
 その忙しさの間に、大切な何かがこぼれ落ちる。
 ★
 今回の大津のいじめ自殺事件が問いかけることを今の段階でまとめるとすると、次のような大きな問題が浮かび上がってくる。

 ◎「いじめ」が発覚して、それを克服する力が「学校」にあるのか?

 今回のいじめは、多くの生徒が気づいている。
 先生たちもうすうすいじめだと気づいている。
 しかし、それをどうこうしようと動いていない。
 これは何だろうか?
 生徒達は、へたに動くと自分にいじめが降りかかってくるという恐れがある。
 だが、先生たちへ知らせるであろう。
 親に知らせて、親から先生へ通報があるだろう。
 私たちの普通の感覚では、そうなると思っている。
 そこで「学校」は動き出す。とにかく動き出すはずである。
 しかし、今回の場合そんなことがまったく伝わってこない。
 これは何だろうか?
 
 内田樹さんはブログでは次のように書いている。

 ★ ★ ★
 今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。

 それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。
 ★ ★ ★

 何のために学校教育があるのか。
 生徒達をどのように育てようとしているのか。
 このような初歩的な問いかけを教育委員会も学校も教師達も、みんな忘れていると、内田さんは問いかけている。
 
 ★
 いじめが発覚して、それを克服する力が学校にあるのか?
 
 「ない」とするなら、学校システムなんか意味がないことである。
 おそらく、この問いかけがまず現場の教師達に突きつけられたことは間違いないと思われる。  

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