「帰路」を選ぶ人がいる!
6月30日(土)には、どうしても行きたい講座があった。
京都明日の教室での玉置崇先生の講座である。
もちろん、「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会講座があったために行けなかったのでとても残念であった
玉置先生は、私のとても親しい知り合いの一人であるのだが、まだ一度も講座に参加したことがないのである。
玉置先生は、今年校長として現場へ戻られた。
小牧市の小牧中学校である。
海部教育事務所の所長からの転進であるので、他の道もあったのかもしれない。
私が今もっとも注目する一人である。
★ ★ ★
明日の教室の様子を橘大学の池田修先生が次のように書いておられる。
玉置先生は、大人の後半を生きていらっしゃった
(雨上がりの琵琶湖 by GR4)
昨日は「夏越しの祓(なごしのはらい)」である。茅の輪をくぐりながら、一年間の前半の穢れを落とす式が関西では行われる。関東にいた時はこれを意識したことは無かったが、関西、特に京滋では結構気にしている。
そんな昨日、私たちは明日の教室で玉置崇先生をお迎えした。
◆
子どもの頃、大人になったら何でも出来ると思っていた。
自分が困ったことを解決できないのは、子どもだからだと思っていた。
子どもが大人になれば、いろんなこと、またはありとあらゆることが解決できると思っていた。
解決できない人は大人ではないと思っていた。
◆
そして、私も大人になるわけである。
そして、笑ってしまうのである。
(問題だらけだ。解決なんて出来るわけがない)
と思ったのだ。
(俺の人生の時間で、この解決は無理だ)
と思ったのだ。これが大人の前半
◆
その後、もう少し大人になり、
(俺の人生の時間で解決できなくても、これ以上悪くしないこと、または、やや少し次世代が解決できる道筋を残すことができればなあ)
と思うのようになったのが、大人の中半。
◆
そんな定義が正しいとすれば、今日お越しいただいた玉置先生は、大人の後半を生きていらっしゃった。
激務の教頭職をしながら、また、校長職、教育委員会職をして、さらにそのことで得た体験からの知見を現在の校長職に注ぎ込みながら、問題を課題に変えて
(うんにゃろおおおおおおおおおおおお!)
という思いを胸に持ちながら、冷静に解決されていた。
◆
凄いなあと思うのは、大きく三つある。
1)玉置先生がやられる政策は誰もやっていないこと。だから、どうなるかは分からない。その上で、このプランを採った場合、どうなるかということを綿密にシミュレーションした上で、それへの対応を予め考えていること。勿論、全てとは言えないが、どういうクレームが来るかを予め想定した上で、手を打っていること。
2)子どもを伸ばそう、職員を大事にしようという理念を具体化できるということ。具体的にはICTを活用してあれこれされるのであるが、それが、私利ではなく、公利に則ったやり方であって、それが凄い。
3)落語
例外を排除した上で、場合分けをしつつ考える数学を専門とされているにも関わらず、例外だらけ、寧ろ例外の中で生きている人を描く落語を趣味とされている先生のありかた。今日の講座でも、高座ではないかと思うような模擬授業。レベルを下げるのではなく、低いレベルでのネタフリから始まって、最後は学習者が考えざるを得ない学習環境条件への導き方などを具体的に教えて頂いた。
で、そのときのキーワードが、落語であった。
これは説明できない。玉置先生の講座か、DVDで実感して頂けるのがいいかなと。
★ ★ ★
池田先生はおもしろい表現をしたものである。
「大人の後半を生きていらっしゃった」
私が玉置先生に注目しているのは、まさにここである。
★
私ならどのように表現するのであろうか。
「教師としての『帰路』をどのように全うしようとされているのか」
こんな表現になる。
現場教師としての「往路」と「帰路」がある。
こんな言葉を使って教師生活を表現している。
「往路」とは、教師としての精一杯の力量をつけること。
20代、30代はこの時代である。
テーマを持って、自分の実践を貯め込むことが中心の課題になる。
「帰路」とは、その力量をもって周りの「現実」を変えていくこと。
周りの現実は、その人にとってさまざまである。
自分の身の回りかもしれない。
学年段階かもしれない。
学校段階かもしれない。
あるいはもっと広く市の教育全体になるかもしれない。
……
★
「帰路」を考えない先生もいる。
そんな先生たちもいる。
自分の出世だけを駆け上る人もいる。
「往路」だけを突き進む人もいる。
あるいは、自分の現実だけで精一杯という先生も多い。
普通の先生はそれでいいのである。
★
「帰路」を選ぶ人たちがいる。
「志」を持った人たちになる。
「往路」で志を抱いて、「現実」を変えるために「現実」に戻ってくる人である。
私が知り合った人たちの中で、玉置先生はその一人であった。
玉置先生が、周りの現実をどのような手続きで変えようと身構え、実際に変えていかれるのか、そこにおおいに注目したい。
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