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2012年7月

業務連絡~文教大学での講座について~

   埼玉の文教大学が、学級づくりをテーマにした講座をこうして開く。
 大学がこうしたテーマについて講座を設けるだけでもたいしたものである。
 私は、何度も声を大にして推奨している。  
  私も、午後から3時間徹底して学級づくりについて話をする。
  今問題になっている「いじめ」問題についても言及したい。

 http://www.bunkyo.ac.jp/stf/shougai/2012gakkyudukuri.html

  ぜひおいで下さい。

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徒然なるままに

   明治図書メールマガジンの7月号に、私の相談コーナーが掲載された。

 http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/nonaka/?id=20120553 

 今回のつまづきシーン

 授業中、子どもがすぐ飽きてきていたずらをしたり、隣の子とおしゃべりをしたり
 することが多くなっています。どんな手立てがあるでしょうか?

 このような相談をすればきまって回答は、次のようになる。

 「子供たちにとって授業がおもしろくないからです。もっと授業を楽しく、おもし
  ろくしなくてはなりません。」

 説得力がある回答(笑)だが、この相談を受けて授業を楽しく、おもしろくしようとがんばってもなかなかうまくいかないのである。
 そんなにすぐに授業を切り替えることはできない。
「楽しく、おもしろい授業」などすぐに作り出せるようにはならない。
 とくに初任者にそれを期待することは酷なことなのだ。
 もちろんその方向を目指すことは大切なことだが、すぐにはできない。
 初任者は精一杯授業をする以外にないのである。
 そうではなく、この時期に、この状況が出てくることは、やはり学級づくりの失敗だと考える。
 そのもとで、回答を書いている。  
 ★
 NHKの番組でアフリカの東アフリカのランナーたちのことが放映されていた。

  ★ ★ ★
 陸上種目の中で最も過酷な競技といわれるマラソン。その世界記録は、100年の間に1時間近く短縮された。 今、その高速化を牽引しているのが東アフリカのランナーたちだ。男子マラソンの歴代記録は1位から10位までを 東アフリカ勢が独占している。人類初の2時間3分台を記録した“皇帝”ことハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)。去年、その記録を一気に21秒も短縮した現在の世界記録保持者パトリック・マカウ(ケニア)。
そして、マカウの記録に4秒差にせまるウィルソン・キプサング(ケニア)。現在、マラソンを2時間3分台で走りきった人間は、世界でこの3人しかいない。今回、彼らの驚くべき省エネ走行フォームの秘密を徹底分析。
さらに最新の医療機器も駆使して、驚異的な“心肺機能”の秘密に迫る。それらの分析結果からは、酸素を効率的に 利用できる能力の秘密が浮かび上がってきた。さらに、ロンドン五輪・マラソン男子の日本代表に決まった山本亮も 番組に参加。走行フォームなどの分析から、アフリカ勢との違いを突きとめ、日本のマラソンが再浮上する鍵を探る。 人類は果たして2時間の壁を破れるのか?
アフリカ最強軍団の秘密に迫る中で、人間の持久力が持つ可能性を見つめる。
 ★ ★ ★
 この番組の中で、ケニアの選手達の練習風景が映し出されていた。
 原野を走っている姿。
 彼等は、走るときの着地をつま先から行う。
 これはマラソンで今まで教えられてきたこととは全く違う。
 後ろのかかとから着地していくことが、今まで教えられたきたことであり、日本選手はみんなそうしているはずである。
 前足から着地したら疲れて42キロを走りきるなどできない。
 そのように教えられてきた。
 だが、彼等は違っている。
 小さい頃から裸足で学校へ走って通う。
 その着地がまさにつま先からなのだ。
 それがもう体に染みついている。
  マラソンで世界のトップにたち、賞金を稼ぎ、家族の生活を豊かにする。
 それが彼等の望み。
 ほとんど人生を賭けて、それに突っ込んでいる。
 マラソンを走ろうと練習しているのは5000人ほど。
 あまりにも日本人ランナーたちとの違いを見せつけられる。
 日本人ランナーたちは何かと言うと「楽しく走りたい!」と言うのである。
  もう最初から勝負は見えている。
  ロンドンオリンピックがもう少しで開幕する。
 
    

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大津いじめ自殺事件~その6 嘘をついて、どんな未来が少年達にあるのだろう~

   大津いじめ自殺事件は、訴訟問題になっていく。
 今、市の教育委員会と学校が世論から袋だたきにあっている。
 彼等は、最初の段階からいかに自分たちを守っていくかという論理で組み立てていっているために、あのような無様な有り様を全国にさらしていく。
 多分委員会が主導権をとって、学校はそれに全部したがっているという筋書きなのであろう。
 こうしておかなければ、訴訟を闘えないというわけであろう。
 だから、「いじめは認めたが、自殺との関連は認められない」というおかしな論理を振りかざしているわけである。
 市長はとっくに「いじめ」が自殺を引き起こしていることを認めている。
 どう考えたって、市長の方が筋が通っている。
 ★
 ここで加害者の3人の生徒達がこぞって「あれは遊びだった!」と口裏を合わせ始めているようである。
 訴訟を闘わなくてはならないために、親たちがこのように口裏を合わせ始めたと推測できる。
 ★
 ここに文芸評論家加藤典洋の「新庄市で起こったマットいじめ殺人事件」について書いた文章がある。(『この時代の生き方』講談社 <まだ残されているセリフの二、三>)
 山形新聞から依頼されて書いた記事だが、掲載を拒否されたものである。
 この事件については、教育関係者は記憶に残っているであろう。
 一人の中学生がマットに頭から突っ込まれ、窒息死しているのに、容疑をかけられた少年全員が、これを否認したことで私たちの記憶に残っている。
 それも、事件の直後にはだいぶこれを認めたのに、あとで、家に帰り、しばらくしたら、全員、前言を翻し、その否認に転じたことである。
 
 加藤は、書いている。
   ★ ★ ★
  一人の少年がこれらの少年のうち、何人かにより、殺されたのは事実である。
 取り調べを受け、当初容疑の事実を認めたこれらの少年のうち、全員、あるいは
 何人かが嘘をついていることは、はっきりしている。彼らがばらばらにではなく、
 一致して否認に転じたこと、そこにばらつきがないことは、口裏を合わせる話し
 合いのあったことを予想させる。それが彼らの警察での取り調べ後、帰宅の後に
 生じているのは、それが子どもの手に負えることでないこと、そこに彼らの家族
 の意志が関与していることを、当然のことに、示しているだろう。
  わたしは彼らの警察での取り調べを受けた後、帰宅した夜のその彼らの家での、
 家族での話合いというのを、想像してみる。  
    いったいどんな具合に、親たる人と子は、話したのか。
  劇でいえば、これはとても、とてもくらい場面である。
 ★ ★ ★
   加藤自身も子どもの頃、新庄市で実際にいじめを受けたことがあることを語っている。
 大切なことは次のようなことだ。

 ★ ★ ★
  親が、子どもに、最低、まともな人間になってもらいたい、というのは人情だ
 ろう。しかし、そのための最低要件は、親が、子どもから見て最低、尊重に値す
 る人間として現れることである。
  経済学者の都留重人氏のお父さんは、氏が旧制高校で学生運動のため、つかま
 ったとき、自分で責任をとるべきこととしてなんら行動を起こさなかった。当時
 の旧制高校には無断欠席が何日か以上になると、退学の規定があり、その結果、
 つまり父親が学校に息子が逮捕されていることを通知すらしなかったため、都留
 氏は放免後、高校を退学になり、当時、ということは昭和10年前後、日本での
 上級校への進学の途を絶たれた。
  都留氏の父は、子に数百ドルを与え、アメリカへ行くことを許し、そして、そ
 の結果、わたし達はいま都留重人というスケールの大きな日本を代表する経済学
 者をもっている。
  というようなことを考えるにつれ、新庄でのできごとは、わたしをとても暗い
 気持ちにする。
  リンチ殺人が起こってしまったことはしかたがない。
  しかし、ここで嘘をついて、いったい、どんな未来が少年たちにあるだろう。
  一人の少年が殺され、未来をなくし、数人の少年が殺し、しかしまだありうる
 未来を、家族ぐるみの嘘で、なくしつつある。……
 ★ ★ ★

 加藤は厳しい指摘で、真実を語っている。 
  さすがに山形新聞は掲載できなかったであろう。
 おそらく、今回の事件も構図は同じだ。
 このような、暗い、暗い惨劇が起こっているのであろうか。

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業務連絡~8/4(土)岡山の浅口市での講座連絡~

   8月4日(土)に岡山の浅口市で講座がある。
 私も参加する。
 前の日に、東京での講座を終えて、次の日朝早く岡山へ行く。
 午後から2つの講座を持つ。
 講師陣は、土作彰先生、中村健一先生、松森靖行先生である。
 中村先生とは広島で一度一緒に講座を設けたことがあるので、今度で二度目。
 楽しみである。
 この日はさまざまなところで講座がぶつかっているらしい。
  ぜひこの講座に足を運んでほしい。
 
 http://kokucheese.com/s/event/index/42641/

 1学期の成長を生かし、2学期から子どももクラスも教師も大きく飛躍するための講座です。
2学期の最初、クラス再開き、学級経営 授業経営 イベント 保護者対応
全てを網羅した講座です。
講師陣も必見です!!
講師
野中信行氏(3・7・30の法則)
土作彰氏(独自の哲学による授業実践)
中村健一氏(どの子も安心するフォローの技術)
松森靖行氏(楽しみながら鍛える 教育の変人)

子どもたちも参加しての模擬授業も企画しています。
このメンバーが集うことはもうありません!!ぜひ!! 

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石川晋さんの単著2冊を読む!

 最近教育書を読むのが億劫になっている。
 現場から離れて5年目。
 そういうことだと自分なりに納得する。
 それでも自分では教育書を書いているのだから、何とも矛盾している。
 ★
 石川晋先生の「国語授業 言語活動のアイデア42」(明治図書)と「学級通信を出し続けるための10のコツと50のネタ」(学事出版)をやっと読み終える。
 晋さんと私は呼んでいる。
 9年前になるだろうか、帯広の授業づくりネットワーク大会に初めてメイン講師として私を呼んでもらってからの付き合いになる。
 これが初めて出す単著2冊ということだから、驚くことである。
 ★
 国語授業の本。
 ここには<新しさ>があるなと思った。
 「対話」という視点から追求される活動である。
 今この閉塞した教育現場を少しでも克服していくためには、こういう<新しさ>がさまざまに生み出されてこなければいけない。
 今までの教育論や授業研究では、この閉塞感はとても克服できない。
 そのように強く思っている。
 私の地点とは大きく違っている。
 でも、そんな違いなど何ほどでもない。
 学級通信の本。
 私も晋さんから製本した学校通信をもらったことがある。
 ほぼ毎日発信する学級通信だった。それだけでもすごいものだった。
 こんな学級通信をもらったのは、長瀬拓也さんと晋さんだけだ。
 なぜこんなに続けられるのか。
 その秘密がここに明らかにされている。
 私も学級通信は発行していた。きまぐれに出すものだった。
 それでも学級に置いている自前の製本機で必ず製本して子供に渡したものだ。
 この学級通信は、保護者との連携には大きな力を与えてくれることは間違いない。  

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業務連絡~資料が届いていない場合があります~

   「いじめ対応学校システム」と「いじめ対応の授業」について多くの先生方から資料の要請がありました。ありがとうございます。
 すぐに送っていますので、もし届いていない場合は面倒ですがもう一度連絡をお願いします。
 リターンメールとして返ってきたり、届いていない場合がありました。
 PDFとして2つの資料を送っているので容量が大きくなっている場合が考えられます。  

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大津いじめ自殺事件~その5 いじめが発覚して、それを克服する力が学校にあるのか?~

   私が教務主任の時に提起した「いじめ対応」への学校システムと、「いじめ対応」の道徳の授業を資料として添付で配布している。
 この学校システムは、ブログに書いたとおり17年前の資料である。
 すでに古くさいと言われる代物。
 だが、あえてそれを持ち出したのは、現場の教師は、具体的に語る必要があるためである。
 「こうあるべきである」というのはいくらでも語れる。
 現場の人間は、「こうしているからこうなっている」「こうしていないからこういう結果を生み出している」などと具体的に語る必要がある。
 現場では、いじめ対応への学校システムをどのようにしているのか。
 小学校はほとんどないであろう。
 いじめが発覚してから取り組むということ。
 私が回ってきた初任者指導の学校はなかった。
 そんなことを持ち出すよりも何よりも問題が山積していたり、行うべき行事が多すぎる。
 先生たちは行事に埋もれて授業をしている。
 その忙しさの間に、大切な何かがこぼれ落ちる。
 ★
 今回の大津のいじめ自殺事件が問いかけることを今の段階でまとめるとすると、次のような大きな問題が浮かび上がってくる。

 ◎「いじめ」が発覚して、それを克服する力が「学校」にあるのか?

 今回のいじめは、多くの生徒が気づいている。
 先生たちもうすうすいじめだと気づいている。
 しかし、それをどうこうしようと動いていない。
 これは何だろうか?
 生徒達は、へたに動くと自分にいじめが降りかかってくるという恐れがある。
 だが、先生たちへ知らせるであろう。
 親に知らせて、親から先生へ通報があるだろう。
 私たちの普通の感覚では、そうなると思っている。
 そこで「学校」は動き出す。とにかく動き出すはずである。
 しかし、今回の場合そんなことがまったく伝わってこない。
 これは何だろうか?
 
 内田樹さんはブログでは次のように書いている。

 ★ ★ ★
 今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。

 それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。
 ★ ★ ★

 何のために学校教育があるのか。
 生徒達をどのように育てようとしているのか。
 このような初歩的な問いかけを教育委員会も学校も教師達も、みんな忘れていると、内田さんは問いかけている。
 
 ★
 いじめが発覚して、それを克服する力が学校にあるのか?
 
 「ない」とするなら、学校システムなんか意味がないことである。
 おそらく、この問いかけがまず現場の教師達に突きつけられたことは間違いないと思われる。  

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大津いじめ自殺事件~その4 いじめに対する授業づくり~

   大津のいじめ自殺事件について大きな転換があった。
 警察の捜査が学校や教育委員会に入ったのである。
 どうして今頃なのか。
 自殺があってもう9ヶ月も経っているのである。
 今まで父親は3度も被害届を警察に出しているが受理されていない。
 おかしなことである。
 おかしなことが他にもある。
 アンケートの結果からすれば多くの生徒達が今回のいじめに気づいている。
 また、教師たちも気づいている節がある。
 それなのにきちんと拘わろうとしていない。
 普通では考えられない事態である。
 千葉大学の藤川大祐先生もブログの中で次のように書かれている。

 ★ ★ ★
 1)被害者が亡くなる以前に、いじめについて多くの生徒が知っていた上に担任も知っていたという状況があり、しかも被害者が担任に相談していたという報道もある。このような中で担任が問題解決のためにほとんど動いていないように見えるが、そうだとしたら異常に思われる。学校あるいは地域において、被害生徒に対する差別的な感情が広がっていて、多くの関係者が「あの生徒はいじめられてよい」と考えていたとしか思えない。何らかの要因があってそもそもひどい差別がなされていたのではないか。

2)被害者が亡くなる前にも亡くなった後も、被害者や親族から警察に相談があったにもかかわらず、警察は被害届を受理せず捜査をしていないと報じられている。これが事実だとすると、警察の対応に強い違和感を覚える。明らかに犯罪と言えることが多く報じられており、警察が刑事事件として動いて当然の事案であろう。実際に本日になって市教委や学校を捜索しているとのことだが、これほど騒がれないと動かない背景には、何か事情があるのではないか。
 ★ ★ ★

 ★
 ここに何があるのか。今までは明らかにされていない。
 それでもこれで問題は大きく進んでいくと思われる。
 多くの人が今回のことで憂慮しているのは、加害者の生徒達3人の行為がうやむやにされていく事態に対してである。
 今までもうやむやにされてきて、同じことの繰り返しをしてきているのだ。
 いじめは犯罪であり、その犯罪を犯した者はきちんと刑事事件として捜査され、逮捕される事態をきちんと生徒達に明らかにしなければいけない。
 いじめは確信犯的になされるので、今回の事態をうやむやにしないで、はっきり明示することは絶対に必要なことである。
 そうすることで、今なされている「いじめ」が半減していく。(期待を込めて)
 ★
 前回のブログで、いじめ対策として学校システムの必要性を書いた。
 学級担任として私は「いじめ」にどう対処していたのか。
 これも明らかにしておきたい。
 ★
 クラス担任をしてすぐに私は子供たちに対して、いつも「教師が大切にすること3つ」を話していた。
 次のようにである。

 ★ ★ ★
 これから1年間みんなと一緒に生活していきます。そこで、私がとても大切にしていることをお話しします。
 3つあるのです。
 まず、第1に大切にすることは、いじめを許さないことです。これをする人には、野中先生は最も怖い先生になります。野中先生は気づかないだろうからとこそこそといじめをする人がいます。でも、私は必ず探し出します。絶対にいじめを許さないのです。 

★ ★ ★

 こういうことから学級を始めていった。
 更に、次のような道徳の授業をした。
 絵本「わたしのいもうと」(松谷みよ子・文 味戸ケイコ・絵 偕成社)を使っての授業である。
 この絵本は、知人から届いた一通の手紙をもとに書かれた創作である。実話をもとにした創作になる。何度読んでも、「いじめ」の悲惨さ、卑劣さが強く読み手に伝わってくる。
 この道徳の授業は、法則化運動時代の石黒修先生が提起されてあったのを追試したものである。(元になるものが消失しているので記憶ではそうだったと思っている)
 

 ★ ★ ★
 私は次のように授業をした。

 1,プリントを配布。すぐ名前を書きなさい。
 2,前の方に集まりなさい。
  3,これは松谷みよ子さんが書いた絵本です。ほんとうにあった話を絵本にしました。
 4,読んでみます。
 5,途中までにします。席に戻りなさい。
 6,今読んだものをプリントにしました。配ります。
 7,ここで考えます。
  「今読んであげたところで、思ったことや考えたことをプリントの1番に書きます。
   ずばり簡単に書きなさい。」(3分)
 8,止めなさい。発表します。どうぞ。(列指名)
 9,それでは、問題の2番に書きます。
  「この妹は、このあとどうなるでしょうか?」
   ずばり簡単に書きなさい。(2分)
 10、やめなさい。発表します。どうぞ。(列指名)
 11、「では、いいですか。いじめた人たちはこのあとどうなるでしょうか?
    プリントの3番に書きます。」
 12、それでは、後半の部分を読みます。
   前に集まります。
 13、席に戻ります。
 14、プリントを配ります。
 15、妹はどうなりましたか。
 16、いじめた人たちはどうなりましたか。
 17、妹はひっそりと死にました。いじめた人たちは、高校生になってまどのそと

   を通っています。わらいながらおしゃべりしながら……。
 18、こんな結果になってしまいました。みなさんはこの結果をどのように考えま 

   すか。プリントの4番に書きます。
 19、やめなさい。発表します。どうぞ。(列指名)
 20、ここに「いじめ」がどのようになるのか、新聞記事を持ってきました。
   簡単に説明します。
 21、どうしてこんな大変なことになるいじめが続くのでしょうか。
   これについてはこれからも勉強していきたいですね。
   でも、1つだけこんな悲惨ないじめをやめられる方法があるのです。
   このクラスには、運動ができる人、できない人がいます。背が高い人、低い

   人がいます。いろいろ違いますね。一人一人みんな違います。みんな違う

   のですから、みんなで助け合えばいいのです。 
      むかし、詩人がそのことを詩にしました。
 22、はりだす。
 23、3年生の時、勉強しましたね。
   いっしょに読んでみましょう。
 24、この中で「みんなちがってみんないい」という考えがクラスのいやこの社会

   の考えになったとき、こんな悲惨ないじめはなくなりますよ。「みんなちがっ

   てみんないい」という、そんな社会を作りたいですね。頑張りましょう。終わり

   ます。
  
 

 ★ ★ ★
 1997年(平成9年)にこの授業を初めて行って、ずっと続けてきた授業になる。 この絵本を読むたびに、私は何度も涙ぐんでしまう。
 実話にもとづくのでなおさら大変である。
 なお、いじめ対策の学校システムとこの授業についてのくわしい資料がほしいという方は、私のメールまで連絡をしてください。
 PDF資料を送付します。

 kazenifukarete●hkg.odn.ne.jp (●のところへ@を入れて下さい)

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大津いじめ自殺事件~その3 学校システムとしていじめ対策をする~

   今日(11日)の朝日(天声人語)には、大津のいじめ事件を取り上げていた。
  次のような書き出しだ。

  以前、いじめ問題で取材した小学校の先生は、担任するクラスを「海」に
 たとえた。教壇から毎日見ていると何でも分かったような気になってしまう。
 でも、見えているのは何十分の一にすぎない。子どもの世界という広くて深
 い海の中で、何か起きているのか。把握するのは本当に難しい、と。

 

 この通り。教師は子供たちのいじめについてなかなか把握できないと思っていた方がいい。
 ★
 今まで多くの「いじめ自殺事件」が起こった。
 それに対して二度とこういう事件を起こさないという決意のもとに、一体学校や教師たちは何をやってきたのであろうか。
 ほとんど何もやってこなかったのではないだろうか。
 もちろん、いじめが良いとは思っていない。なくさなくてはならないとも思っている。
でも、やることがあまりにも多くて、いつのまにかそのままになっていく。
 こういうことを繰り返している。
  ★
 こう問いかけると、当然「オマエは何をやってきたのか?」という問いかけが返ってくる。
 私は学級経営の大きな根幹の1つに「いじめ対策」をおいてきた。
 教務主任をしているときは、学校に「いじめ対策」のシステムを作ろうとしてきた。たとえば、ある小学校で次のような提案をしている。
 1995年(平成7年)のこと。今から17年前になる。
 これは次年度から学校のシステムとして取り上げられ、実施されていった。
  提案の全文をあげる。(長々と申し訳ない)

 

 ★ ★ ★
                                           
 「いじめ」対策について    
                                                  教務・人権教育
1,目的
 (1)「いじめ」を許さない、起こさないという強い認識をもって、「いじめ」を
    防止する体制を学校の中に確立する。
 (2)子供たち一人一人が、集団の中で存在感、成就感、満足感等を味わい、 

    充実した生活を送り、共に生き、共に育っていくことの大切さの自覚が持 

    てるような体制を学校の中に確立する。

 

2,「目的」を支えていく私たちの立場
 (1)「いじめ」はどのクラスでも起こるという認識に立って(いじめは子ども社会   

   の構造から生まれてくるもの)、学校経営計画の中に「いじめ」を防止してい

   くシステムを確立していく。
  (2)「いじめ」があるのではないかという問題意識をもって、子供たちの実態を

   調査し、ただちに適切な対応がとれる大切を確立する。
  (3)「いじめ」に対応していくとき、次の対応を私たちは自覚していく。
   ①「いじめ」をいち早く発見し、「いじめ」をなくすのは、教師の大切な役割で

     ある。(「いじめ」の解決は、教師だけができるという自覚にもとづいて   

     対応していく。)
      ②いじめられる子どもに対して、「あの子にも問題がある。」(確かに問題は

    あると思われる。)という言葉で「いじめ」を温存していくことがよくある。私

    たちはこういう立場を拒否していく。私たちは、常に弱者の立場で「いじめ」

    を考えていく。
      ③「いじめ」はそれを発見してから先が、たいへんであることを自覚する。
    お説教の1回や2回では決してなくならないし、下手なお説教をすると、い

    じめはよけいにひどくなるという自覚をもつ。

 

3、「いじめ」に対処していく方法
(1)「いじめられている子ども」発見のポイントを把握しておく。
 「いじめ」は、子どもたちの中で巧妙に行われることがあり、たいへん分かりにくいものである。
 そこで、次のようなポイントをもって日頃から「いじめ」を発見する目を持っておく。
 
 ①理由のはっきりしない遅刻、早退や欠席が多くなった。
 ②うつむいていることが多く、発言が減った。
 ③発表すると笑われたり、正しいことを言っても支持されない。
 ④発表中に突然大きな声を出したり、奇抜なことを言う。
 ⑤机、いす、ノートなどに落書きがされている。
 ⑥けがや病気でもないのに、保健室によく行くようになった。
 ⑦休み時間などに職員室の近くをうろうろしている。
 ⑧休み時間などに、一人ぼっちになっている。
  ⑨班編制などの際に、なかなか所属が決まらない。
 ⑩いたずらをされたり、プロレスごっこの相手をさせられる。
 ⑪洋服や持ち物が汚されたり、靴の跡がついていたりする。
 ⑫いやなあだななどで呼ばれたり、からかわれたりする。
 ⑬人目につかない所に連れていかれる。
 ⑭トイレや階段の上がり口などに立っている。
 ⑮先生の働きかけなどに対して「先生には関係ない」などと言う。
   (「川崎市教委による、いじめられている子ども発見ポイント事例」参照)

 

 私たちは、ともするとうっかりするポイントであるが、特に⑧休み時間などに一人ぼっちになっている。⑨班編制などの際に、なかなか所属が決まらない。などのポイントは、確実にチェックする自覚を持っておくべきである。

 

(2)「いじめ」防止のシステムを学校の中に確立していく。
 (A)一人ぼっちの子ども調査
   ア、趣旨
    一人ぼっちの子ども調査をし、その子供たち達に適切な対応をしていく。
   イ、担当
    人権教育(常設)が中心になって行う。
   ウ、内容
    次の2つを全クラスで行う。

 

    ①一人ぼっちの子どもをつかむ。
     ある1週間、中休み後に毎日「誰」と「どこで」何をしていたかを調べる。
    ②その子の事情を理解し、その子どもに対して手をさしのべる具体策を決

      める。     

     ・1週間のうち、6日、5日、4日、3日、一人でいた子どもをつかむ。
      (この子ども達は一人ぼっちかそれに近い子どもである)
     ・人権教育部会がその子ども達をまとめ、職員会議に報告する。
     ・「なぜそうなのか」「どうしていくのか」についても合わせて報告する。
      エ、調査する期間
     ・6月と11月の2回、ある1週間を指定して行う。
     ・6月は、主に「一人ぼっちの子ども」のチェックと対応にあて、11月は、      

      主に6月の時のその子どもの経過とチェックと新たに「一人ぼっちの子

      ども」をチェックしていく。

     
  (B)生活目標で対処していく。
   月目標を「一人ぼっち調査」と対応させて、変えていく。
   <6月の生活目標>
    [現在]             
        遊び方を工夫しよう→  [平成7年度]例 友達と仲良く遊ぼう
                <具体目標の例>
                 ・1日1回グループで遊ぼう
                 ・なかまはずれをなくそう
                 ・できるだけ下校時刻まで遊ぼう
                 ・外で元気に遊ぼう
   
   <11月の生活目標> 
        [現在]
        落ち着いて学習しよう→[平成7年度]6月と同じ目標で行う。

 

 ★ ★ ★
 今から考えればたいした提案とはいえないが、でも学校全体の問題にしていく気運はある。
  大切なのは、「学校システム」として「いじめ問題」を提起できたところである。
 いま、学校でこのようにシステム化されて「いじめ」に対処されているところがどのくらいあるのであろうか。

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大津いじめ自殺事件 ~その2~

   文科省が、このいじめ事件について必要ならば調査をすると大臣が答えていた。
 この事件についての報道の広がりに文科省も黙っておられなくなったのであろう。
 ★
この事件は2011年10月に自宅マンションから飛び降り自殺した生徒が同級生からいじめをうけていたことが発覚した。教育委員会は全校生徒にアンケートを実施すると、回答した約320人のうち16人が「何回も自殺の練習をさせられていた」などと書いているのが分かっている。

   市の教育委員会は、いじめが自殺の原因になったかどうかは不明であり、「自殺の練習」が行われた事実はつかんでいない、と説明している。

   「自殺の練習」が行われたかどうかについて、12年7月6日付けの読売新聞は、教育委員会のコメントを掲載している。なぜ、いじめ行為をした生徒に「自殺の練習」をしたのかを確認しなかったのかとの質問に、

「いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要と考えた。『自殺の練習』を問いただせば、当事者の生徒や保護者に『いじめを疑っているのか』と不信感を抱かれるかもしれない、との判断もあった」

と答えている。
 この脳天気な返答にはあきれる。
 いじめが原因で生徒が自殺しているのは、状況的にはほぼまちがいない。
 だから、さまざまに自殺した生徒とかかわった生徒たちに話を聞くのは、委員会として当たり前ではないか。
 「いじめた側にも人権があり、教育的配慮が必要」とはよく言ったものである。
 それならば、自殺した生徒の人権・命はどのように考えられるのだろうか。
 話を聞くことがどうして人権に問題が出てくるのか。
 
 ★
 こういうところに私が拘るのは、今まで同じような「いじめ自殺事件」は何回も続いてきたのである。
 そのたびに問題はうやむやにされ、そしてほとぼりが醒めた時にこうしてまた同じ事件が起きる。
 これを繰り返しているのである。
 これでは自殺した生徒は浮かばれない。
 学校も、教育委員会も、ほとんど何も学んでいない。
 同じ問題を繰り返すだけだ。
 ほんとにあきれかえることである。

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大津いじめ自殺事件 ~その1~

   大津・中2いじめ自殺事件についてマスコミは大騒ぎをしている。
 マスコミが俄然大騒ぎしだしたのは、「自殺の練習」をさせていたというアンケートの結果を伏せていたという事実が出てからである。
 そして、爆破予告である。学校を休校にして対応するという。
 ★
  今回の経過は、このように報道されている。

 ★ ★ ★
 <大津・中2自殺>市教委 調査を3週間で打ち切る
毎日新聞7月8日(日)1時25分
 
男子生徒が飛び降りたマンション=大津市で2011年10月11日午後0時24分ごろ、加藤明子撮影

 大津市で昨年10月、市立中学2年の男子生徒(当時13歳)が自殺した問題で、複数の在校生がいじめと自殺との関連性を指摘しながら、市教委が調査を約3週間で打ち切っていた。在校生の情報からは、生徒の自殺前に学校側がいじめに気づく“シグナル”を見逃していた可能性も判明。真相究明や公表を巡る市教委の消極的対応が厳しい批判を浴びており、いじめ情報に慎重に向き合う姿勢が改めて問われている。【千葉紀和、加藤明子、村山豪】

 いじめは一見「仲良しグループ」とみられる中で起きた。自殺した生徒と加害者とされる同級生らが、互いの家に泊まるなど急速に関係を深めたのは昨年7月ごろ。2学期が始まった9月以降、周囲は彼らの「変化」に気づいた。トイレでの暴行が目撃され、自殺した生徒は買ったばかりの眼鏡を「なくした」り、腹痛を訴えて学校を休んだりするようになった。

 昨秋の体育祭では鉢巻きで手足を縛られ、蜂を食べさせられそうになる姿が多くの生徒や教諭に確認されている。見ていた生徒は「可哀そう」と漏らし、「そんなことして楽しいんかよ。人の気持ちを知れ」と注意もしたという。約2週間後、男子生徒は自殺した。

 在校生アンケートには、自殺した生徒らが担任などに問題を訴えながら、教諭が「見て見ぬふりをしていた」とする複数の指摘がある。また学校側は昨年9月、自殺した生徒の家族から「息子の金遣いが荒い」と相談を2度受けていた。生徒は昨夏ごろ、口座から預金を数万円単位で引き出し始め、9月末までに12万円以上を下ろしていたという。

 アンケートでは、全体の6割弱にあたる無記名回答を学校側が追跡調査で活用しなかったことも発覚。特に「自殺の練習をさせられていた」「『もう死ぬ』とメールして(加害者が)『死ねばいいや』と送り返していた」など、いじめと自殺の関連を示唆する回答も、伝聞を理由に加害者とされる同級生らに確認せず、昨年11月には調査を打ち切っていた。

 さまざまな形で出ていたとみられるSOSのサイン。だが市教委も学校も「いじめは認識できていなかった」と繰り返し、自殺前にいじめ情報が生かされることはなかった。

 ◇「犯罪認定困難」警察の対応も壁

 いじめ行為に対する警察の対応も問われた。自殺した生徒の父親は昨年10〜12月、滋賀県警大津署に被害届の提出を計3回試み、いずれも受理されなかった。福永正行副署長は取材で「遺書もなく、犯罪事実の認定に困難な部分があった」と理由を説明。伝聞を含むアンケート回答だけでは暴行などを立証するには証拠不十分と判断したとみられる。

 一方、損害賠償請求訴訟の遺族側代理人は「被害届は厳密に書かないといけないものではない。不明な点を捜査してほしいから被害届を出そうとしたのに、今回の件は『立件できる見込みがないから捜査できない』というようなもので本末転倒」と疑問視している。
 ★ ★ ★ 

 これが私たちがマスコミ報道から知らされたおおまかな経過になる。
 なかなか鵜呑みにできない。
 マスコミが教育関係で大騒ぎをするのは、きまって教師や学校のだらしなさが表面化することに対してである。
 1980年代の10年間ばかり、マスコミは、学校叩き、教師叩きをした。
 学校の管理体制や教師のだらしなさを徹底的に叩いた。
 中学校での校内暴力が日本全国で吹き荒れたときである。
 子供たちがこんなに荒れるのは、そのことに問題があると決めつけていたからである。
  そのことで世間や親たちを学校不信や教師不信へと追いやっていった。
 その後遺症は今も続いている。
 その追及がどれほどそれからの教育を歪めていったのか、マスコミはまったく反省をしていない。
 今でもマスコミは、学校や教師の問題には元気になる。
  彼等は、まったく反省をしない。

 ★
 さて、今回の問題だ。
 報道から正確に判断できることは次のようなことだ。

 ①中2の生徒が飛び降り自殺をした。
 ②それはいじめが原因である。
 ③いじめられていて、周りの生徒たちも、あるいは教師たちも知っていた。
  後のアンケートはそれを告げている。
 ④しかし、生徒が自殺するという行為を止めることはできなかった。
 ⑤大津市教育委員会は、いじめの調査を3週間で終えていた。加害生徒の調査は
  ほとんどなされていない。
 ⑥警察は、保護者の被害届を3回提出。いずれも受理しなかった。
  (保護者はまた再提出を試みると言う)
 

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山形米沢のT小学校を訪れる

   山形米沢のT校長先生から呼ばれて、T小学校を訪れた。
 米沢は、上杉鷹山公である。
 童門冬二さんの「上杉鷹山の経営学」(PHP研究所)を新幹線で再読しながら米沢へ向かった。
 一度米沢へ行きたいと願っていたので、こんな機会を作っていただいたT校長先生に感謝。
 東京から米沢まで2時間。
 校長先生直々に米沢駅まで迎えに来てもらった。
 5時間目の授業を全クラス見せていただくことになっている。
 ★
 落ち着いた学校である。
 学校が全部きれいに整えられていて、さわやか。
 教室を回りながら、ベテランの先生たちのクラスの習字が見事なのがすぐ目に付く。
 子供たちの習字の作品を見れば、そのクラスの様子はすぐに分かる。
 担任は、どうしても習字には手を抜いてしまうからである。
 だから、子供たちは思い思いに勝手に字を書いてしまう。
 また、ほとんどのクラスで時間割を前面に掲げてあって、それにきちんと時間が記されてある。
 当たり前じゃないかと思われるだろうが、最近はほとんどのクラスがそうなっていない。
 教室に流れている「時間」を統率するためには、まずこのことは絶対に必要である。
 子供たちに1日のそれぞれの時間を明示し、記憶させなくてはならない。
 ★
 横浜でも1970年代には、このような子供たちがいて、落ち着いた教室で勉強をしていたものである。
 あれから40年の歳月が経つ。
 でも、このT小学校の子供たちは、そんな子供たちであった。
 先生たちも実に落ち着いて授業をされていた。
 うれしくなる光景だ。
 ベテランと若い先生のバランスがとれていて、特に目立つのがベテランの先生たちの元気さ。
 「ああっ、ベテランの先生ってこんなに元気なのだ!」
と改めて感じる。
 私が目にしてきたベテランの先生たちの多くは、疲れ切って、疲弊した姿。
 すっかり自信を失っている姿であった。
 私が初任の頃は、確かにベテランの先生たちはこのように元気だったのである。
 ★
 日本の中で、東北と北陸がこうして落ち着いた教育を行っている。
 こうした教育が行えるのは、地域や家庭が安定し、保護者からの学校支援が行き届いているからである。
 その土壌の上で、教師たちががんばればいい。
 だから、学力も上がる。
 考えてみれば当たり前のこと。
 ★
 私の講演には、T小学校の先生たちと近隣の先生たちを含めて61名。
 集会室はぎっしり。
 真剣に聞いていただく。
 ありがたいことだ。
 東北や北陸なども、4,5年後ベテランの先生たちが大量に退職されていく時期を迎える。
 そこが勝負になる。
 その世代交代がうまくいくかどうかなのだ。
 ★
 終わった後の懇親会で、さまざまな話を聞く。楽しかった。
 校長先生や教頭先生や教務主任の先生たちが初任の先生や若い先生たちに投げかけられる言葉の端々に「優しさ」が感じられた。
 育てようとされているのである。
 ★
 上杉鷹山公が藩主になった頃、日本は経済の高度成長期の頂点にあったが、やがて失速し、こんどは今までと全く対照的に低成長期に陥る。
 日本もそのころは、もうかなり貨幣経済の社会になっていたのにも拘らず、土地から生まれる農作物だけを財源とする幕府や藩は、こういう経済状況に対応できず、極度の財政難に陥った。その幕府も藩もそろって、「財政再建のための行政(経営)改革」に狂奔した。
 しかし、どこも、必ずしも成功しなかった。
 米沢藩も財政が逼迫し、「大名家を幕府に返上しよう」というところまで追い詰められていた。
 そこへ17歳の鷹山公の登場だった。
 この若さでみごとに藩財政を立ち直らせてしまった。
 鷹山は、
 「経営改革の目的は、領民を富ませるためである」と明言し、その方法展開は「愛と信頼」でおこなおうとした。
 江戸幕府や各藩の改革をみていて、それが必ずしも成功しないのは、この2つがかけているからだ、と鷹山は思っていた。
 このように童門は書いている。
 ★
 T小学校のどの教室にも、鷹山公の肖像画が掲げられていた。
 そして、その肖像画には、次の言葉が書かれていた。

  なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり

 この言葉は、鷹山公が、実子の養育を担当する藩士に贈ったものである。
 教育上の細かい注意事項を並べた上で、最後に付記されていたのがこの言葉になる。
 「成らぬは人のなさぬなりけり」は厳しい言葉だ。
 鷹山公は「必ず成し遂げてほしい」という思いから、あえて厳しくこのように願ったのであろう。
 それほど教育は、厳しく大切なものであるという願いがこの言葉に込められている。


 
  

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この本を読め!

 8月10日頃に出版する本の書名が決まった。
「必ずクラスを立て直す教師の回復術!」(学陽書房)
 荒れていくクラスを立て直していくステップを書いたものである。

 第1章 クラス回復術 その1 子供との関係を作り直す
 第2章 クラス回復術 その2 活動のスピードを変える
 第3章 クラス回復術 その3 仕事のスタイルを変える
 第4章 クラス回復術 その4 「授業」のスタイルを変える
 第5章 Q&A 「うまくいかない…」のために!

 第4章では、初めて「味噌汁・ご飯」授業についての骨子を書いている。
 
 ★ 
  先日の第1回「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会で、さまざまな質問をその場で答えていく時間をとった。

  教師として「この本を読め!」というものを3冊教えてください。

 このような質問があった。
 販売している私の本を持っていって宣伝をした。
 あとで、事務局の先生から「あれはやり過ぎです!」と顰蹙をかった。
 実は書名を覚えるのが苦手で、なかなか覚えられない。自分の本の名前でも覚えていないものがある始末。
 そこで、この場で答えておきたい。

  1,「授業の腕をあげる法則」(向山洋一著 明治図書新書)
    この本と「学級を組織する法則」(上と同じ)は必読文献。
       
    2,「生徒指導10の原理・100の原則」(堀裕嗣著 学事出版)
    学事出版よりこのシリーズが出ているが、どの本もレベルが高い。
    
   

    3,「街場の教育論」(内田樹著 ミシマ社)
    内田先生の教育論である。
    この内田本ぐらいは読んでおいた方がいい。

 教師は、教育書以外でもきちんと読んでいかなくてはならない。
 夏休みにでも読んでおきたい本である。

  1,アランの「幸福論」(アラン著 ディスカヴァー)
    先日もブログで紹介したが、実にいい。
  

    2,天地明察(冲 方丁著 角川書店)
    揺さぶられる。映画化も決まった。文庫本も出ている。

  3,「逝きし世の面影」(渡辺京二著 平凡社ライブラリー)
    江戸から明治にかけて、日本人はどのように生きていたのか。
    目が開かれる思いで読んだ。  

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「帰路」を選ぶ人がいる!

   6月30日(土)には、どうしても行きたい講座があった。
 京都明日の教室での玉置崇先生の講座である。
 もちろん、「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会講座があったために行けなかったのでとても残念であった
 玉置先生は、私のとても親しい知り合いの一人であるのだが、まだ一度も講座に参加したことがないのである。
 玉置先生は、今年校長として現場へ戻られた。
 小牧市の小牧中学校である。
  海部教育事務所の所長からの転進であるので、他の道もあったのかもしれない。
 私が今もっとも注目する一人である。
 

 ★  ★ ★
 明日の教室の様子を橘大学の池田修先生が次のように書いておられる。

 玉置先生は、大人の後半を生きていらっしゃった

 

(雨上がりの琵琶湖 by GR4)

 

昨日は「夏越しの祓(なごしのはらい)」である。茅の輪をくぐりながら、一年間の前半の穢れを落とす式が関西では行われる。関東にいた時はこれを意識したことは無かったが、関西、特に京滋では結構気にしている。

 

そんな昨日、私たちは明日の教室で玉置崇先生をお迎えした。

 

 

子どもの頃、大人になったら何でも出来ると思っていた。
自分が困ったことを解決できないのは、子どもだからだと思っていた。
子どもが大人になれば、いろんなこと、またはありとあらゆることが解決できると思っていた。

 

解決できない人は大人ではないと思っていた。

 

 

そして、私も大人になるわけである。
そして、笑ってしまうのである。
(問題だらけだ。解決なんて出来るわけがない)
と思ったのだ。
(俺の人生の時間で、この解決は無理だ)
と思ったのだ。これが大人の前半

 

 

その後、もう少し大人になり、
(俺の人生の時間で解決できなくても、これ以上悪くしないこと、または、やや少し次世代が解決できる道筋を残すことができればなあ)
と思うのようになったのが、大人の中半。

 

 

そんな定義が正しいとすれば、今日お越しいただいた玉置先生は、大人の後半を生きていらっしゃった。
激務の教頭職をしながら、また、校長職、教育委員会職をして、さらにそのことで得た体験からの知見を現在の校長職に注ぎ込みながら、問題を課題に変えて
(うんにゃろおおおおおおおおおおおお!)
という思いを胸に持ちながら、冷静に解決されていた。

 

 

凄いなあと思うのは、大きく三つある。

 

1)玉置先生がやられる政策は誰もやっていないこと。だから、どうなるかは分からない。その上で、このプランを採った場合、どうなるかということを綿密にシミュレーションした上で、それへの対応を予め考えていること。勿論、全てとは言えないが、どういうクレームが来るかを予め想定した上で、手を打っていること。

 

2)子どもを伸ばそう、職員を大事にしようという理念を具体化できるということ。具体的にはICTを活用してあれこれされるのであるが、それが、私利ではなく、公利に則ったやり方であって、それが凄い。

 

3)落語

 

例外を排除した上で、場合分けをしつつ考える数学を専門とされているにも関わらず、例外だらけ、寧ろ例外の中で生きている人を描く落語を趣味とされている先生のありかた。今日の講座でも、高座ではないかと思うような模擬授業。レベルを下げるのではなく、低いレベルでのネタフリから始まって、最後は学習者が考えざるを得ない学習環境条件への導き方などを具体的に教えて頂いた。

 

で、そのときのキーワードが、落語であった。
これは説明できない。玉置先生の講座か、DVDで実感して頂けるのがいいかなと。   

 

  ★ ★ ★

 

 池田先生はおもしろい表現をしたものである。
 「大人の後半を生きていらっしゃった」
 私が玉置先生に注目しているのは、まさにここである。
 
 ★
 私ならどのように表現するのであろうか。
 
 

「教師としての『帰路』をどのように全うしようとされているのか」
 

 こんな表現になる。
 現場教師としての「往路」と「帰路」がある。
 こんな言葉を使って教師生活を表現している。

 

  「往路」とは、教師としての精一杯の力量をつけること。
 20代、30代はこの時代である。
 テーマを持って、自分の実践を貯め込むことが中心の課題になる。
 「帰路」とは、その力量をもって周りの「現実」を変えていくこと。
 周りの現実は、その人にとってさまざまである。
 自分の身の回りかもしれない。
 学年段階かもしれない。
 学校段階かもしれない。
 あるいはもっと広く市の教育全体になるかもしれない。
 …… 
  ★
 「帰路」を考えない先生もいる。
 そんな先生たちもいる。
 自分の出世だけを駆け上る人もいる。

 

 「往路」だけを突き進む人もいる。
 あるいは、自分の現実だけで精一杯という先生も多い。
 普通の先生はそれでいいのである。
 ★
 「帰路」を選ぶ人たちがいる。

 

 
 「志」を持った人たちになる。

 

 「往路」で志を抱いて、「現実」を変えるために「現実」に戻ってくる人である。
 私が知り合った人たちの中で、玉置先生はその一人であった。
 玉置先生が、周りの現実をどのような手続きで変えようと身構え、実際に変えていかれるのか、そこにおおいに注目したい。  

 

 

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第1回「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会講座が終わった!

   第1回の「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会を開催した。
 50名ばかりの先生たちに参加していただいた。
 福島、大阪、長野などからも駆けつけていただき、ほんとに感謝するばかり。
 やはり、「日常授業」をどうしていくかというのは参加された先生方の真剣な問いだと改めて考える。
 ★
 しかし、多くの先生がこの「日常授業」に問題意識を持っているかというと、私はそう考えていない。
 研究授業などの「ごちそう授業」に意識のほとんどを振り向けている先生もいる。
 そんな先生は、普段の日常授業は研究授業へ向けての練習授業かあるいは単に「流していく」授業である。
 多くの先生は、「日常授業」にほとんど意識を持っていない。
 そういう場合が多いのである。
 「日常授業」はやっているが、意識してやっているわけではないのである。
 ★
 かつてある小学校へ「味噌汁・ご飯」授業について話をしていったことがある。
 だが、ほとんど空振り状態。
 先生方は、ほとんどピンとこない状態であった。
 もちろん、私の話し方の問題でもあったであろう。
 ところが、よくよく考えてみると、日頃やっている「日常授業」はあまりにも日常すぎるために「大切にしましょう」「充実させましょう」と言っても、「そうですね」と頷くだけでそれ以上はないということが分かってきた。
 研究授業には、多大な時間を使って教材研究をして臨むのに、いざ「日常授業」を充実しましょうという話になってくるとピンとこない。
 これはどうなっているのか。
 ★
 このことについてかなり考えたことがある。
 たとえば、「風景」ということがある。
 私たちには「美しい風景だね」「あの風景を絵にしよう」という発想がある。
 でも、このように考える「風景」を「風景」としてとらえられるようになったのは明治20年代のことである。
 それ以前も風景という景色はあったが、それを「風景」としてとらえることはなかったのである。言文一致が行われて、こういう「風景」の発見がなされたということらしい。(「日本近代文学の起源」柄谷行人著 講談社文芸文庫)
 これには驚いたが、ここにはかなりのヒントがある。
 「日常授業」も、先生方にとってやはり明治20年代前の「風景」のようなものではないか。事実としてやっているのに、まったく意識されていない。そんなものではないか、と思ったものである。
 ★  
 理屈っぽくなってしまった。
 だが、「日常授業」に意識の多くを振り向けていくことは大切なことである。
 子供たちの学力向上のためにも必要なことであるし、何よりも子供たちが生き生きとし、そしてそれを見る教師たちも生き生きとなる。
 どんなに忙しくても、教師は「学級づくり」や「授業づくり」が充実していればがんばっていけるものである。
 むしろ、この「教師の原点」に帰っていくことを訴えたい。
 当たり前だと言わないでほしい。
 多くの教師たちは「学級づくり」や「授業づくり」はつけたし的にしか力を注いでいない。
 そんなことより、押し寄せてくる行事や学校の仕事に忙殺されているのである。
 ここでのベクトルを変える必要がある。
 ★
 アンケートで各先生たちに書いてもらったことはとてもありがたかった。
 次回の講座への要望は次のようなものであった。

 ①国語だけでなく、算数、社会、理科でも同じ講座をぜひ開いていただきたい。
 ②学級経営の基礎基本
 ③野中先生の模擬授業
 ④授業のいろいろなパターンの資料がもっとほしい。
 ⑤もっと活動例を紹介してほしい。
 ⑥「味噌汁・ご飯」授業でよく使う「キーワード集」。
 ⑦1日の教科(5教科)の板書方法
 ⑧さまざまな教科に活用できる発問。
 ⑨「味噌汁・ご飯」授業の続編~単元計画の作り方(実際に少し作ってみたい)
 ⑩実際に「味噌汁・ご飯」授業を作ってみたい。数人のグループで。
 ⑪ノート指導など
 
 ★
 うなずくものばかりである。
 私たちは国語から「味噌汁・ご飯」授業を始めている。
 それはすべての教科のもとであるし、小学校はこの国語に多くの時間数が使われているという理由である。
 多くの先生たちが悩んでいるのも、この国語の授業である。
 だが、「味噌汁・ご飯」授業はもちろん国語ばかりではない。
 算数にも、社会にも、理科にも、体育にも、……すべてで展開されていかなくてはならない。
 私たちの研究会はそれに挑戦していきたい。
 ★
 野中の模擬授業を見たいという要望が何人もあった。(笑)
 授業下手であるので、そんなに見せられるものではない。
 ところが、最近は「『味噌汁・ご飯』授業です」と言って授業することが多い。
 70点でいいので気軽である。
 9月は横須賀の小学校で、10月は横浜の小学校で「味噌汁・ご飯」授業をすることになっている。
 10月26日は横浜の東小学校で、知り合いのS先生(30日にも参加されていて、私との授業対決だと懇親会で叫んでおられた)が4時間目、そして私が5時間目に授業をすることになっている。終わったあとに私の講座がある。
 くわしくはこのブログで後々紹介したいが、時間が許せば、ぜひ近くの先生は参観してほしい。(参観は自由と校長先生が言われている)  
  ★
 第2回目の研究会は、もう少し具体化したものになるはずである。
 具体的にどのように教材研究して、どのような授業を作り上げたのか、実際に参加されている先生方が教材研究をして授業を作り上げるなどの講座が考えられる。
 また、参加いただければありがたい。


 

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