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吉本隆明さんが亡くなった!

   吉本隆明さんが亡くなった。
 16日 午前2時13分。肺炎のため死去。87歳であった。
 大きな巨象が去った。そんな思いになっている。
 私にとってはかけがえのない存在であった。
 学生時代に失意のなかで、吉本さんの本を読んだ。
 ものすごく励まされた。
 あのときがなかったら、どうなっていたのだろう。
 そのように今でも考える。
 ★
 私が吉本さんの本の中で、一番衝撃を受けた言葉はつぎのようなことであった。

 △ △ △
 結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、
 そういう生活者の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ。
  △ △ △
  ★
 最もふつうの人生を最もふつうに生きることができるなら、それが最も価値ある人生だ。
 そのように吉本さんは言い切っている。
 世界の大思想家も、大作家も、こんなことを言ったことはない。
 吉本隆明だけが言えたのである。
 この言葉は吉本さんの思想の核心にあったものだったと、私は信じている。
 そして、また違う場所でも次のように言っている。

 △ △ △
 そういう生き方をもっとも価値ある生き方とすれば、
 大なり小なりそれからの逸脱でしか人間は生きられない。
 △ △ △
  ★
 吉本さんこそ大きく逸脱をした。
 多くの本を書き、多くの講演をし、多くの発言を繰り返してきた。
 逸脱だらけだったはずだ。
 しかし、それは「逸脱だ!そんなことに価値なんかない!」と思っていたはずである。
 
 最近の娘ばななとの対談で次のように言っていたことはとても印象に残った。
  △ △ △
 ……俺のうちは一番いいんだよ、自慢はしないけど自慢しろって言えばいつでもできるんだよ、って言えるような家庭を持っていたら、それはもう天下一品なんですよ。「うちは夫も子供も申し分なく、並びなきいい家庭をつくりました。近くにお越しの際は、いつでも立ち寄ってくださいよ」と言えるような人生にできたら、もう他に何も要らないというくらい、立派なことなんです。
   「書くことと生きることは同じじゃないか」(新潮2010年10月号)
 △ △ △ 
 ★
 私も小さく逸脱している。
 数冊の本を書き、年に数十回の講演をこなしている。
 しかし、そんなことに価値があるとは、とうてい思わない。
 私も確実に吉本隆明から学んでいる。
 私がそのことに意味を見いだしているとしたならば、普通の教師人生を、普通に生きている先生たちに、その人生をもう少し充実させる方法がありますよと伝えるためである。
 だからこそ、「普通の教師の日常性を繰り込まない学級経営論や授業論なんか、どんなにまとまっていてもそんなものに意味はない!」と言い切っている。
 ★
 「追悼私記」(ちくま文庫)で村上一郎に対しての追悼文がある。
 
 「村上一郎さん。こう呼びかけても、貴方は呼びかけること自体を信じていないだろう。死ねば死にきりである」という言葉で始まっている。
 そして、最後に次のように書く。
 「いま、また、たくさんの悔恨をわたしの心に落として貴方は去ったのである。これらのことをよく噛みしめながら、なお、行けるところまで歩むことを赦して欲しいとおもう。ご機嫌よう」
 死者への追悼で、「ご機嫌よう」と語れるのである。

 

 
 私もまた「ありがとうございます。ご機嫌よう」と。
 
 

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