« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »

2012年3月

先生たちの心に届くこと

 29日(木)愛知の小牧市の初任者講座へ行く。
 私は、ここへ通って4年目になる。
 この講座には、初任者と学校の初任者担当や校長先生たちもお見えになる。
 素晴らしいフォローができている。
 学校での初任者のフォローも徹底している。
 だから、4年間一人として辞める初任者がいない。
 2時間30分びっしりと大切な観点の話をする。
 ★
 途中から玉置先生が見える。
 忙しいのに大丈夫なのかと思う。
 実は、毎年副島先生や玉置先生たちと、この日は終わってから飲み会なのだ。
 ところが今回は、私がこれから北九州へ行かねばならず打ち切り。
 とても残念であった。
 終わってから30分ばかり玉置先生たちと話し合う。
 玉置先生から、今大事なのは先生たちを元気にすること、先生たちの心に届くことをやらなければいけないというような話を聞く。
 私も大賛成である。
 先生たちは忙しさに忙殺されて、疲弊している。
 並大抵なことでは、この先生たちを元気にすることはできない。
 ★
 明日早く飛行機で北九州へ行く。
 天気が悪いのが気になる。
 北九州での初めての「明日の教室」。
 そこに呼んでもらったのである。光栄なことだ。
 実は、この時期に九州へ行けるというのは、わくわくすることである。
 春の九州はいい。
 春の匂いがする。
 いい機会をもらったので、ホームにいる母に会ってこようと佐賀まで足を伸ばす。
 佐賀大学の教育学部(もうそんな学部はないが)を卒業した。
 もうあれから41年の歳月が過ぎてしまったのである。   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

業務連絡です

 学事出版より改訂版の本が出た。

 古くなったところは、少し書き改めた。

 

 Photo

 こちらから購入してほしい。

 http://www.gakuji.co.jp/book/4-7619-1175-1.html

| | コメント (0) | トラックバック (0)

学級に新しく準備する小物

 前回のブログで紹介した三和先生が、新しく初任者になる先生に対して「指示棒」をプレゼントしたと書かれてあった。

Photo

これは最適なプレゼントだなと思った。
 私は初任者指導で、多くのクラスを見て回ったが、指示棒を備えているクラスはほとんどなかった。
 私が授業をしようとして、指示棒を探すとないのである。
 黒板に書いたことなどを指し示す指示棒がないというのは、私にとっては考えられないものである。
 これはどういうことだろうか。
 ★
 もう一つ気になるのは、黒板と子供たちの間にまだ教卓がどんと据えられてあることである。
 時には、この教卓に座って授業をしている教師もいた。
 (私は、こんなことを37年間一度もしたことがなかった。)
 黒板と子供の間に教卓があるということは、黒板に子供たちが自由に自分の意見を書いたり、そしてそれを説明したりするという事例がないということになる。
 要するに、黒板は教師の専用物なのだ。
 これでは指示棒は必要がない。
 ★
 黒板は、子供たちが授業で自由に使えるようにしよう。
 子供が自分の意見を黒板に書き、それをみんなに説明する。
 そんなものとして黒板を使おう。
 そのためには、黒板の前を広く空け、すぐに黒板へ行けるようにしておかなくてはならない。
 そうすると、授業も変わってくるはずである。
 ★
 新年度の準備を各先生方がしている。
 必要な小物がある。
 どんなものを準備されているのだろうか。
 ストップウオッチ。ピピタイマー。磁石付きクリップ。指示棒。収納のカゴ(百均で売っている)丸い磁石。
 こんなものは必需品だ。
 そして、磁石のネームカード。
 このネームカードは、まず2種類は作っておく。

Img_0168

もう少しで、新しい学級が始まる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本は、テーマに惹きつけられる!

   いつも副島孝先生(前小牧市教育長)のコラムは見る。
 教育長をやられている時から読書量はすごかった。
 今回も、このようなことを書かれている。
 「黙さず語らん」<またまたハプニング>

http://www2.schoolweb.ne.jp/swas/index.php?id=ai_school&frame=column18_48
  △ △ △
 シメタのもう一つの例としては、旅行中に読むつもりで買ってきた『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎、朝日出版社)が、暇を持て余さずに済んだどころではなく、『中国化する日本』(與那覇潤、文藝春秋)と並んで、今年私が読んだ本のベストスリーに入るものであることが分かったことです。この2冊の本については、機会があればまた紹介します(もうこれ以上は、ハプニングのない旅が続くことを願いながら)。
  △ △ △
 ★
 実は『暇と退屈の倫理学』は、私も読んでいた。
 まだ半分ぐらい。
 話題になった本なのだ。
 この哲学者は、こんなテーマでつっこんでいる。
 ★
 田中博司先生が『特別支援教育 どの子も「安心」できる学級づくり授業づくり』(学事出版)が出された。
 
 △ △ △
 本書は、通常の学級担任が、通常の学級での特別支援教育を語っています。
 △ △ △
 このテーマは、多くの先生たちが待望するものでもある。
 クラスで、発達障害の子供たちが必ずいる。
 その子たちにどのような関わりをすればいいのか、悩んでいる先生たちは多い。
 田中先生なりに、その子供たちへの対応をこのような形で本にされた。
 これから、この領域は多くの本が出版されていかなくてはならない。
 その意味で、田中先生の本はもってこいの本なのである。
 ★
 橫藤雅人先生が『5つの学習習慣』(合同出版)を出された。
 保護者向けの本。
 読みながら、このテーマは今までいくらも言われてきたことであるが、このようにまとめて出されたのは初めてではないかと思った。
 東北や北陸が学力が高いというのは、すでに全国学力テストで周知のことになっている。
 どうしてか。
 1つの大きな理由は、家庭がしっかりしているということ。
 これに尽きるのである。
 子供たちの学習習慣の土台は、家庭が作る。
 その上に、学校はのっかるだけである。
 学校へ通うようになった子供を持つ親たちは、ぜひともこの本を読むべきである。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

業務連絡~北九州の明日の教室の開催場所の訂正~

  北九州の「明日の教室」が近づいてきた。

 主催者の方から連絡があり、以前私のブログでのお知らせで開催場所が

間違っていたらしい。

 正式には、八幡西生涯学習センターである。

    http://kokucheese.com/event/index/28757/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

野口塾100回記念会が終わった!

   野口塾100回記念会は、100名余の先生たちの結集で、ものすごい盛り上がりであった。
 会場はびっしり。
  先生方は、北は北海道から南は九州まで全国各地から結集されていた。
  昼食で野口先生夫妻と同席させてもらった。
 「100回の野口塾を開くためには,10年かかりました」
と野口先生は述懐されていた。
 100回を記念して、野口先生からプレゼントがあった。
 そこには、次のようなことが手書きで書かれてあった。

 △ △ △
 感謝あるのみ
 「授業道場野口塾」が、お蔭様で百回を数えました。唯々、皆様のお力添えの賜
 と心より感謝申し上げます。粗品三点は、いずれも私と深い繋がりのあるもので
 師であり、また分身でもあります。お役立て下されば、幸甚です。有難うございます。

 導かれ押され教わり登り来て今立つ嶺の風は涼しくも
                          野口芳宏
  各位                                          平成24年三月25日
 △ △ △
 ★
 今回の野口塾は、通過点。まだまだ野口先生は大丈夫。
 76歳になられているけれども、かくしゃくとして通過していかれるであろう。
  ★
 この100回記念に、私もまた一講座を担当した。
 光栄なことであった。
 といっても、「崩壊しない学級をどのように作るか」という暗いテーマである。  
  50分の持ち時間。
 とにかく訴える以外にない。
 ★
 先日、向山洋一先生が産経新聞に掲載された「全国に広がる新型学級崩壊」を話題にしながら、話を始めた。
 学級崩壊の状況は、広がっていることは間違いない。
 その事態は深刻である。
 向山先生は、評判の良かったベテラン教師の教師や学校の中心になってきた教務主任の教室で起きるようになったと指摘されている。
 しかし、その事態は今に始まったことではなく、10年前から起こっていた事態であった。
 今、もっと深刻なのは「学級崩壊予備軍」の方だ、と指摘する。
 崩壊にカウントされないけれども、2月、3月にクラスはよたよたする。
 4月の「群れ」の状態から何ら「集団」へと向上はしていない。
 10月や11月頃から、「前はクラスが回っていたのだが、最近はうまく回らなくなった!」と言って、「早くこのクラスは終わりにしたいなあ」と指折り数える状態。
 だから、終わりになるに従って、クラスは荒んでいく。
 この予備軍のクラスが、中堅やベテランの教師たちにどんどん広がっている。
 ★
 原因は何か。
 大きな原因は1つ。
 私が指摘したのは、「子供、親、家庭の変質」。
 37年間担任として、子供や親や家庭を見詰めてきたのだ。
 どこから、どのように変質していったのか、歴史の証言者みたいな立場にいるのである。
 大きく変わったのは、親たちの子育て。
 1970年代までは、多くの親たちがまだまだ「子育ては全部親の責任」という意識を持っていた。
 先生への対処の仕方、あいさつ、礼儀、言葉づかいなどがきちんと家庭で指導されていた。
 ところが、この時代から親たちは、自分のやりたいことのために、「めんどくさい子育て」を他でやってくれることを願い、学習塾、おけいこごと、学校などでの代弁を頼むようになっていったのである。
 ここから大きく歯車は違ってくる。
 学校へは、「生徒」しない一群の子供たちがやってくる。
 この子供たちは、自分の不快なことを教師が強制しようものなら大きく反発し、クラスを壊しにかかるという事態が起こり、学級崩壊へと進んでいく。
 ★
 しかし、「子供が悪い、親が悪い、家庭が悪い」と指摘しつづけても、それは何の問題改善にならない。
 そんな外的要因に引き回されることなく、その事態に合わせて私たちも変わらなくてはならないはずである。
 私たち教師の側の問題点を4つ指摘した。
 
  1つは、厳しくしすぎ。縦糸の張りすぎ。
 2つ目は、心の通い合いがない。横糸を張れない。
 3つ目は、スピード・テンポ・リズムがない。
 4つ目は、おしゃべり授業。
 
 1,2は、学級づくりでの「関係づくり」の問題。
 3は、学級づくりや授業づくりの方法の問題。
 4は、日常授業で、しゃべりまくって授業をしている教師の問題になる。
 ★
 終わった後の懇親会で、「先生が指摘された問題点そのままに学級を壊しているベテランの先生がいます」という話を何人もから聞いた。
 やはり、そうなんだと…。
  ★
 懇親会は、中華街「重慶飯店別館」で行われた。
 100回記念にふさわしい豪華な懇親会になった。
 多くの先生たちと出会い、しゃべりまくり、今朝になってもその余韻が残っている。
 野口先生が登っておられる嶺はどんな高さだろうか、どんな風が吹いているのだろうか、などとふと想像を巡らせている。
 ★
 次の講座は、29日の愛知県小牧市の初任者講座になる。
 そして、31日の北九州の「明日の教室」講座になる。
  まだまだ続いていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

石川晋さん、育児休暇で離任の挨拶

   育児休暇に入る石川晋さんの離任(?)のあいさつが最高である。
 すばらしい。

 △ △ △
 十勝管内では男性教員の育児休暇は、特に中学校ではまだ片手に足りるくらいと訊いています。
 珍しいのでよく、石川先生、来年から産休に入るんですねと言われます。

 産めません。

 そういう珍しい状況なので、先生方も多少混乱します。花束を用意した方がいいのかとか、あいさつはどうするのかとか、離任者と同じでいいのかとか・・。

 ぼくの他の方は、道教委から、次の学校にいくようにと公に命じられている人たちです。一方ぼくは、ぼくの都合で家族のために休むわけで、こういう公の席で一緒に並んで話をするのはなじまない気がします。

 男の人と比べて女の人は出産育児休暇でこれまで圧倒的に社会人としては不利でした。でも時代が変わってきて、男性も積極的に取って行くことが大切。そうしていくことで、男の人が育児休暇を取ることが普通になっていくといいなあと思っています。「あ、育児休暇なのね、じゃあ、また休職明けに頑張って下さい」とさらっと言われて終わるような世の中が理想です。今回いろんな小さな事があって、これまで産休や育休で女性がどれだけ面倒な経験をしているか少しだけわかりました。

 とは言え、2年生とはお別れになります。
 何ごともなければ1年後に帰ってきます。
 では、1年生のみなさん、またお会いしましょう。
 2年生のみなさん、さようなら。
 
 △ △ △
 ★
 私もまた男の人が育児休暇を平気でとるような時代がくることを願っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

人が静かに人生を思う余裕

   北海道の三和史朗先生からいつも「草の根教師道場メールマガジン」を送ってもらう。
 今回は,100回記念だということで次のようなマガジンが送られてきた。

  △ △ △

もし,工学が人生を忙しいものにするのなら,何の意味も無い。
学問によって,数日かかるところを数時間にして,
一日の仕事を一時間にとどめ,
人が静かに人生を思う余裕を与えるもので無ければならない。

  (中略)

冒頭の言葉は,小樽の北防波堤を築いた工学博士,廣井勇(ひろいいさみ)の言葉です。
私の座右の銘でもあります。

 

使いこなすということは,何のためか。
便利な道具を使う目的は?
と問われたら,こう答えたい。
つまり,人生に余裕をもつためである,と。

 

従来の道具では数時間かかっていた仕事を,便利な道具を使いこなすことで,数分で終え,
できた時間を自分の余裕にあてる。

 

往々にして,便利な道具を使えば使うほど仕事が増えて,逆に忙殺されてしまうということがあります。
また,仕事ができる人に仕事が行く,という法則めいたものもあります。
仕事に追われる人と,仕事を追いかける人。

 

こうしたことは,道具を使いこなすことと,道具に使われていることの図式に似ていると考えます。

 

何のために道具を使うのか。
どうして使いこなせるようになりたいのか。
くりかえし強調しますが,
それは自分の人生を思う余裕をもつという「豊かさ」のためなのです。

 

しかし,言葉では分かっていても,頭では理解したつもりでいても,
実際にそのように行動できないから困っているのです。
目的も本質も分かっているのに,そのようにできない。

 

そうです。そのようにできない原因を探ることが必要です。
自分を見つめ直してみましょう。
自分がどうして,道具に使われてしまっているのか。次から次へとやってくる仕事に追われているのか。

 

次に,子どもの姿にあてはめてみましょう。
子どもがどうして,受け身的な学習態度なのか。
与えられないとやらないのか。与えられたものすらやってこられないのか。

 

見つめ直す余裕すらなくなってやしないか…。

 

年度末年度初めの激務時期に入ります。ちょっと頭の片隅に置いておいてみませんか。

 

 △ △ △
 ★
 読ませてもらい、感慨深いものがあった。
 工学博士の廣井先生の言葉は、とても感銘を受ける。
 こうなのだ。
 教師の仕事も、まったく同じものだと思った。
 もう一度繰り返したい。

 

「 学問によって,数日かかるところを数時間にして,
  一日の仕事を一時間にとどめ,
  人が静かに人生を思う余裕を与えるもので無ければならない。」

 

  ★
 
 私が教師になった頃(1971年の頃)、全員の先生たちはガリ版で文書を作っていた。
 もう教師の誰も、この経験がないはずだ。
 ろう原紙にがりがりと鉄筆で書き込み、文書を作っていた。
 だから、無駄な文書が出ないし、出せない。必要な文書だけが出されていた。
 しかし、どの先生も学期の最後には、子供たち全員の作文を文集にして作文集を出して締めにされていた。
 一人ずつの作文をがりがりと鉄筆で書くという作業を想像できるだろうか。
 この他にも、通知表を書き、指導要録を書くという作業をしていたのである。
 それでも、今に比べたら余裕があった。
 
 ★
 この頃と比べたら、便利なパソコンができ、便利な印刷機ができ、文書作りはとても簡単にできるようになった。
 それなのに、学期の最後に子供たち全員の作文集を出している先生が一体どのくらいいるのだろうか。
 そんなものに時間を使えないで、通知表や指導要録を書くだけで青息吐息になっている。
  これが現実である。
 この30年の間に、何が変わり、何が加わったのか。
 便利な道具が、さらに教師の仕事を忙しくさせ、さらに余計な仕事を倍加させていったのか。
 教師の子供たちと過ごす時間や、余裕をもって子供たちを見つめていく時間を奪っていったのは何か。
 ★
 今まで何回も繰り返された、この問いかけを改めて考えた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いよいよ秦先生の本が発売された!

  秦安彦先生の本がいよいよ発売された。

 Photo

 

 今年度、教師になる人にはぜひとも読んでほしい本である。

 私が編集をしている。

  ここから入手できる。http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-028028-5

 また、秦先生は、初任者向けにブログを開設されている。

 http://k-start.jp/2wwotou/menu.html

 

 多くの先生の参考になるはずである。

 

 


| | コメント (0) | トラックバック (0)

なつかしくて、なつかしくて。

   ふいとブログでコメント欄を見ると、コメントが来ていた。(ブログにはあげていない)
 Jさん。
 私はすぐに分かった。32年前に1年1組で受け持ったJさんである。
 あの頃の顔が浮かんだ。名前も思い出した。
 同じクラスのSさん(今はアメリカ在住)から連絡を受けたという。
 このSさんの顔もふいと浮かんだ。
 なつかしくて、なつかしくて、…。
 私は、かつてこのクラスが開いてくれた同窓会に参加したことがあった。
 あれは何年前になるのであろうか。
 ★
 この1年1組。
 やんちゃ坊主が3人ほどいて、それはそれは大変なつわものであった。
 でも、この3人をうまく(?)クラスに受け入れて、最高におもしろいクラスになっていたはずである。
 それにしても32年前の記憶である。あてにならない。
 ★
 Jさん。メールで連絡をください。
 Sさんにも、メールをしてくれるようにお願いします。

 kazenifukarete●hkg.odn.ne.jp  (●のところに@を入れてください)

 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

25日(日)は野口塾である~キャンセル待ち、懇親会会場が変更~

   17日(土)は、東京「明日の教室」初任者の追加講座であった。
 何人も前回参加の方がいて、「同じ話ですよ。冗談も同じですよ」と申し訳ない気持ちで3時間30分びっしりと話をした。
 読売新聞の方も参加されていて、初任者の実態に驚かれていた。
 また、福岡からかけつけてこられた先生もあり、しかも私が初任者指導を担当したT先生の後輩だということも分かった。
 遠くからかけつけてこられた収穫はあったのだろうか。心配である。
 ★
 さて、次は25日(日)の横浜野口塾になる。
 100回という記念すべき会に、私も登壇させてもらう。
 光栄なことである。
 ところが、参加人数がすごいことになっており、90名を越え、多くの方がキャンセル待ちの状態になっている。
 事務局から次のことをぜひともブログで知らせてほしいと連絡を受けた。

1 野口塾100回記念講座はすでにキャンセル待ち状態であること
2 懇親会の会場がライシャンソンから重慶飯店別館に変更になったこと

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

吉本隆明さんが亡くなった!

   吉本隆明さんが亡くなった。
 16日 午前2時13分。肺炎のため死去。87歳であった。
 大きな巨象が去った。そんな思いになっている。
 私にとってはかけがえのない存在であった。
 学生時代に失意のなかで、吉本さんの本を読んだ。
 ものすごく励まされた。
 あのときがなかったら、どうなっていたのだろう。
 そのように今でも考える。
 ★
 私が吉本さんの本の中で、一番衝撃を受けた言葉はつぎのようなことであった。

 △ △ △
 結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、老いてくたばって死ぬ、
 そういう生活者の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ。
  △ △ △
  ★
 最もふつうの人生を最もふつうに生きることができるなら、それが最も価値ある人生だ。
 そのように吉本さんは言い切っている。
 世界の大思想家も、大作家も、こんなことを言ったことはない。
 吉本隆明だけが言えたのである。
 この言葉は吉本さんの思想の核心にあったものだったと、私は信じている。
 そして、また違う場所でも次のように言っている。

 △ △ △
 そういう生き方をもっとも価値ある生き方とすれば、
 大なり小なりそれからの逸脱でしか人間は生きられない。
 △ △ △
  ★
 吉本さんこそ大きく逸脱をした。
 多くの本を書き、多くの講演をし、多くの発言を繰り返してきた。
 逸脱だらけだったはずだ。
 しかし、それは「逸脱だ!そんなことに価値なんかない!」と思っていたはずである。
 
 最近の娘ばななとの対談で次のように言っていたことはとても印象に残った。
  △ △ △
 ……俺のうちは一番いいんだよ、自慢はしないけど自慢しろって言えばいつでもできるんだよ、って言えるような家庭を持っていたら、それはもう天下一品なんですよ。「うちは夫も子供も申し分なく、並びなきいい家庭をつくりました。近くにお越しの際は、いつでも立ち寄ってくださいよ」と言えるような人生にできたら、もう他に何も要らないというくらい、立派なことなんです。
   「書くことと生きることは同じじゃないか」(新潮2010年10月号)
 △ △ △ 
 ★
 私も小さく逸脱している。
 数冊の本を書き、年に数十回の講演をこなしている。
 しかし、そんなことに価値があるとは、とうてい思わない。
 私も確実に吉本隆明から学んでいる。
 私がそのことに意味を見いだしているとしたならば、普通の教師人生を、普通に生きている先生たちに、その人生をもう少し充実させる方法がありますよと伝えるためである。
 だからこそ、「普通の教師の日常性を繰り込まない学級経営論や授業論なんか、どんなにまとまっていてもそんなものに意味はない!」と言い切っている。
 ★
 「追悼私記」(ちくま文庫)で村上一郎に対しての追悼文がある。
 
 「村上一郎さん。こう呼びかけても、貴方は呼びかけること自体を信じていないだろう。死ねば死にきりである」という言葉で始まっている。
 そして、最後に次のように書く。
 「いま、また、たくさんの悔恨をわたしの心に落として貴方は去ったのである。これらのことをよく噛みしめながら、なお、行けるところまで歩むことを赦して欲しいとおもう。ご機嫌よう」
 死者への追悼で、「ご機嫌よう」と語れるのである。

 

 
 私もまた「ありがとうございます。ご機嫌よう」と。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

徒然なるままに

 気仙沼の親しい知り合いの先生からメールがある。
 東北沖での地震で津波注意報があり、テレビはその情報でにぎわった。
 昨日の夜、千葉沖でも地震があり、横浜でも震度3の揺れ。
 一瞬、身構える。だが、このくらいの揺れにはもう慣れっこになっている。
 その先生のメールは、昨年の3月9日(水)にも津波注意報が出て、そして3月11日(金)を迎えたことを伝えてくれた。
 昨日も、水曜日で津波注意報が出ている。そうすると、明日は金曜日。
 何か偶然にも似通っている。
 ちょっと不安になる。
  ★
 また、佐伯泰英の「仇討」~吉原裏同心~を買う。
 横浜有隣堂の文庫本コーナーでは、佐伯泰英コーナーがあり、そこにこの本がどんと積んである。ものすごい売れ行きなのであろう。
 ひと月に一冊が発売される。連載本だ。
 私も何冊かの本を書いているので分かるのだが、1冊の本を書き上げることの大変さは並大抵ではない。
 これをずっと何十年もやっている。
  想像もできない世界である。
 ★
 一雨ごとに春が近づく。
 いま、梅が花盛り。今年はずいぶんと遅い春の旅立ちだ。
 梅が咲き出すと、一気に春が動き出す。
 また、別れと出会いの季節になる。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

夫婦は本音で語り合ってはいけない!

   新潟の講座のQ&Aで、またまた「夫婦が長続きする方法」について話した。
 まったく教育とは関係ない話である。(笑)
 主催している大島先生は、あの話が一番印象に残ったということ。
 しかし、誤解があるのでもう少しくわしく書いておかなければいけない。(笑)
 ★
 夫婦が長続きする方法とは3つ。
 1つは、夫婦は本音で話さないこと。
 2つは、少々違うことでも「そうだね」と同意してあげること。
 3つは、儀礼的言葉を大切にすること。
 ★
 1つ目が、なかなか理解されない。(笑)
 夫婦は、愛し合って(?)一緒になった仲だから常に本音で語り合うのがほんとうではないか。それを本音で話し合うなというのはとんでもないことだ。まあ、このように皆さん思っている。
 しかし、実際にこのようにやってみればいいが、長続きしない。
 むしろ「今日一晩徹夜で徹底的に本音で語り合いましょう!」とやると、だいたいこの夫婦は末期症状で、離婚に近い。
 日本では結婚の3件に1件は、こうして離婚している。
 ★
 私たち一人一人は、自分のことについて自分が一番よく知っていると思っている。
 もちろんそういうこともあるが、自分で自分のことを気づかない部分があること(しかも大切な自分のことなのだが)を分かっていない。
 しかし、隣にいる人は1ヶ月も付き合えば簡単にその人の大切な部分に気づく。
 その人にはなかなかそれは言えない。
 それは夫婦同士だけではなく、学校の同僚でも同じである。
 このことは誰でもがあることで、ここに傲慢になってはならない。
 ★
 夫婦が本音で話し合いましょうとなったら、互いに相手の気づかないことも含めてばしばし突きつけ合う。
 その結果、互いに傷つく。
 本音を語り合うということは、相手を傷つけることなのだ。
 そんなに傷つけ合って長続きするはずはない。
 夫婦は、相手への本音の部分は伝え合うものではなく飲み込んであげるものなのだ。
 ★
 それじゃあ、夫婦は何を語り合えばいいのかということになる。
 これについては毎度言っている。
 「とりとめもないことをとりとめもなく語り合うこと」なのである。(笑)
 互いに語り合っているということが大切。
 語り合っていれば夫婦は大丈夫なものである。
 夫婦が互いに黙り合ったりしたら、それも末期症状。

  もし本音を相手に伝えたいときには、とりとめもない話に本音を含み込んで伝えることになる。
  ★
 2つ目は、同意をするということ。
 NHKの連ドラ「ゲゲゲの女房」の女房の口癖は、「そげですね」であった。
 水木しげるに「そうですね、そうですね」と同意してあげたのである。
 これだけの言葉で、相手はどれだけ救われるか。
 よく分かると思う。
 私の子供たちへの包み込み法は、この言葉を中心とする。
 ★
 3つ目の儀礼的言葉は、多くの家庭から今失われようとしている言葉である。
 「おはよう」「おやすみなさい」「いってきます」「ただいま」「ありがとう」
 昔の人は「親しきものにも礼儀あり」と言った。
 とりとめもない、言わなくても何のこともない、この言葉の威力は大きいのである。
 亡くなった歌人河野裕子さんの短歌に次のようなものがある。

 朝に見て昼には呼びて夜は触れ確かめをらねば子は消ゆるもの

 2人の子供への深い愛情を河野さんは、このような短歌にしている。
 私は、同じように互いの儀礼的言葉がこの関係をつないでいくのだと思っている。
 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新潟講座終わる!

   新潟に行った。
 「学級づくりを学び合う会」主催の「学級づくりパワーアップ講座」である。
 10時から16:30までの一日びっしり講座。
 目玉は、演習があること。
 演習1では、「学級づくりでの具体的課題を考えよう」ということで、朝の会、帰りの会、給食指導、掃除指導について具体的に考える。
 そして、演習2で、野中学級を体験しようということになる。
 給食の器財や掃除道具を運び込んでの実習である。
 私は、このような演習は初めて。
 とにかく冷や冷やの講座であった。
 協力してもらった参加者に感謝。
 今回も、2時間ほどの時間をかけて自動車でかけつけてくれた中学校の先生たちとの出会いがあった。
 学んでいこうという意欲がある先生たち。こういう先生たちによって日本の学校は成り立っているのである。うれしい出会い。
 ★
 新潟は、ずっと雨交じりの天気で、これが普通の天候らしい。
 それでも春の匂いがするということ。
 私にとっては、横浜よりも寒いだけなのだが…。(笑)
 3月11日、朝から雪が交じり始め、昼頃からは本格的な雪になると天気予報は告げている。
 8時前には、ホテルを出て、新幹線に向かう。
 何としても2時46分には自宅へ到着しておきたいという思い。
 1年前のこの日。自宅で震度5強の揺れに襲われた。
 あわてて食卓の下にもぐりこむ。
「これ以上強く揺れると大変な被害が出る。おさまれ、おさまれ」とひたすら祈る。
 もうあれから1年が経ってしまったのである。
 テレビの時報にあわせて1分間の黙祷をする。
 ★
 閖上に近いマンションで津波に遭遇した歌人斉藤 梢さんは、歌う。

  青になにが足されてあの日のあの色か未だにわれに付き纏ふ黒

  いちにちも欠かすことなく夜は来て昨日と同じカーテン閉ぢる
 
 

 容易く「希望」という言葉は口にできない。
 それでも「明日」は来る。
 ★
 新潟の講座が終わる。
 次は、17日(土)の東京明日の教室の追加講座だ。
 

  http://kokucheese.com/event/index/29184/

 「いま、ここに」ある自分に関して、できるだけの責任を果たしていく生き方。
 そういう場所にそれぞれの人たちが投げ返されて、そして生きていくのである

| | コメント (0) | トラックバック (0)

うれしいこと、いくつか。

   明治図書から出ている「新卒教師時代を生き抜く心得術60」(ブルーの本)が14版、「新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則」(ピンクの本)が5版になった。
 うれしいことである。読んで頂いている方に感謝。
 ★
 今回明治図書から発売になる 野中信行編集 秦安彦著 「新卒教師時代を生き抜く2W仕事術」が近日刊行予定の宣伝が出る。

 http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-028028-5

 この本でさらに初任者の手助けが増えたのだと確信を持ってお知らせすることができる。
   

    Photo_2



  △ △ △
 ドナルド・キーン氏、日本国籍取得
J-CASTニュース3月8日(木)18時41分
   法務省は、海外における日本文学研究の第一人者で、米コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーン氏(89)の日本国籍取得を認め、2012年3月8日付けの官報で告示した。キーン氏は、東日本大震災をきっかけに日本に永住することを決意し、日本国籍を取得する準備を進めてきた。現在は都内に住んでいる。
  △ △ △
 日本に住んでいる外国人がどんどん自国へ帰っていく中で、キーンさんの日本永住は、すばらしいニュースである。
 89歳で、このようなことができるなんて……。
 私たち日本人に、キーンさんは格別なプレゼントをされたのだと思わなければいけない。
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「教室ファシリテーション10のアイテム100のステップ」を読む

    京都へ行く新幹線の中で、堀裕嗣先生の最新書「教室ファシリテーション10のアイテム100のステップ」(学事出版)を読んだ。
 最近画期的な提案を連発している堀先生だが、今回の提案もとても画期的なものだと感心した。
 なぜこの本を出版したのかという趣旨は「まえがき」にはっきり表明されている。
 
 △ △ △
 これまで当然と思われていた学校教育システム、授業システムが<制度疲労>を起こしているのです。もちろん、授業から座学をすべて排除するなどということはできません。授業の中心は知識の伝達であり技術の継承ですから、それは不可能なことです。しかし、「座学だけでできている多くの授業」を「座学中心だけど交流場面も必ずある授業」に転換できないでしょうか。この明らかに<制度疲労>を起こしているシステムを少しだけ、現代的な子どもたちの実態にあわせてシフトしてみてはいかがでしょうか。
 △ △ △
 
 この提案には、私も大賛成だ。
 実際に今年度、学級への飛び込み授業で交流場面を設ける授業を何回も提案してきた。
 もちろん、子供たちには初めての試みであるので抵抗があったが、やろうとすればできていくのである。続けていけば、きっと子供たちもうまくこなしていけるようになるはずである。
 これがとても現実的な提案であると私は思っている。
 堀先生は、フェイスブックで次のようにも提言されていた。 

 △ △ △
 一斉授業がちゃんとできる人じゃないと、協同学習とかファシリテ​ーションも機能させられない。そういう認識をぼくはもっている。一斉授業をただ否定して協同をやっている人に、一斉授業を勉強しようとしている人以上の自己満足とか逃避とか、要するに傲慢さを感じることがある。この認識がとても大切。
△ △ △

80年代から90年代にかけて、技術の法則化運動が現場に大きな問題提起をした。
何よりも大きく変わったのは、提案している先生たちの授業だった。
向山洋一先生や大森修先生などの授業を私は見たのだが、それは目を開かれるものだった。
「指名なし討論」で子供たち同士が討論していくのである。
「すごい!」という場面。
当時、この授業に憧れて、自分のクラスでも指名なし討論をしてみたいと思った先生もいっぱいいたと思う。
 だが、やってみればいいと思うがこのような授業は、よほどの技量がなければできないのである。
 クラスの半数ぐらいが討論に加われなければ無理である。そして、子供たちには自分の思いを言葉にしていく語彙力が必要になる。
 それでもクラスのあと半分は傍観者になる。
 クラスで5人から10人ぐらいが討論できれば、それは見ている人たちに衝撃を与える。
 研究授業になれば、それは注目を集める。
 ただそれだけである。
 担任は満足して、それでいいのだと思ってしまう。
 大半は傍観者になってしまっている事実には目がいかない。自己満足にしか過ぎないのである。
 ★
 もはやこんな「研究授業的な授業」からは離れていかなくてはならないと思っている。  その意味で、堀先生の今回の提案は、実に現実的で、普通の教師たちが取り組んでいくための多くの示唆を与えているものだ。
 そのように読み進んだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

徒然なるままに

 3日(土)は、京都の「明日の教室」で初任者講座を設けた。
 100名ぐらいの参加。
 どこの講座でもすごい人数になる。
 今何が現場で問題になっているかが明確である。
 平井さん、俵原先生、藤本先生、旧知の先生たちもかけつけてこられて、懇親会は同窓会のような雰囲気。
 ありがたいことである。
 ★
 学事出版から発売になった「スクールプランニングノート」(手帳)が講座で飛ぶように売れた。20冊が10分ほどで完売になる。
 私が講座で「手帳術」の必要を説いたことも影響しているかもしれないが、それにしてもすごい売れ方である。
 いろいろと話を聞いていると、私が本で提起している自作の手帳を自分で作って使っている先生たちが結構いるということに気づいた。
 今回の学事の手帳も、それを参考にされているところがある。
 ★
 京都も春が近いなあと思わせる気候であった。
 ところが横浜へ帰ると一転冬に逆戻りで、5日は震えるぐらいの寒さになる。
 さて、今週は新潟へ行く。
 寒さはどうであろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

今度は新潟の一日講座である。

   3月10日というと、現場の先生たちには厳しい時間帯である。
 まさに通知表と指導要録を書き上げなければならないことになる。
 そんな中で、新潟へ一日講座として呼ばれた。
 今日の赤坂真二先生のブログには、私の講座のコクチーズが載っていたので転載する。
どうぞ都合をつけておいでください。

  △ △ △
 新年度まで1ヶ月を切った3月10日。パワーアップ講座4では新年度準備にピッタリの講師をお招きいたします。「学級経営の縦糸横糸論」「3・7・30の法則」の野中信行先生です。

野中先生は全国から講師として呼ばれる人気講師。この春、各地の講座が満員〆切になっています。

 この講座は、学級経営の基礎基本、日常授業の基礎基本を内容としています。野中先生の経験に裏打ちされた理論と方法は、聞くと聞かないとでは大違いです。

 v更にこの講座では、具体的な指導場面における対応を考える演習、野中学級を体感できる演習を行います。この演習体験が講義の内容をより深いものにすることでしょう。

学生・若手は勿論のこと、今年度の実践を振り返り、来年度のレベルアップを目指す先生、すでに学級経営に自信のある先生など、全ての先生にとって価値ある講座となると確信しています。

10:00 挨拶、連絡

10:10 学級づくり講義

    講義①学級づくりの基礎基本

    講義②これからの学級づくりを考える

12:00 休憩

13:00 演習①

  ~学級づくりでの具体的課題を考えよう~

A 朝の会、帰りの会

B 給食指導、清掃指導

14:00 演習② 野中先生の具体的な実践

15:00 講義③これからの授業のあり方を考える

      ~「味噌汁・ご飯」授業の現在~

16:00 鼎談(質疑を含む)野中信行・赤坂真二・大島崇行

16:25 挨拶、連絡

日時:3月10日(土)

時間:10:00~4:30(受付9:40~)

場所:新潟県生涯学習推進センター 研修室(詳しくは、http://www.lalanet.gr.jp/top.aspx )

  新潟市中央区女池南3-1-2  tel:025-284-6110

参加費:一般 3000円  学生2000円(現職派遣大学院生は除く)

※研修会後、懇親会を行います。場所は新潟駅周辺、4000円位です。

申し込み

主催:学級づくりを学び合う会

参加をご希望の方は・・・

①所属 ②連絡先 ③懇親会の出欠

を明記の上、下記メールアドレスまでお願いします。

連絡先:powerful_cheerful☆yahoo.co.jp (堀田雄大まで)

      ※☆を@に変えてください。
※定員50名。定員に達した場合は締め切らせていただきます。お急ぎください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新しく先生になるあなたへ

   雪が降った。
 関東地方の南部に雪が降るというのは珍しいことで、久しぶりの「積もる雪」になった。5㎝ぐらい積もっただろうか。
 お茶をずるずると啜りながら、学校で子供たちは喜んでいるだろうなあと想像する。
 雪がやんだ夕方には、方々から子供のはしゃいだ声が響いて、聞いていてもわくわくする気持ちになる。
  ★
 3月1日、一転朝から晴れわたる。
 3月になったのだ。
 もう少しで3月11日がやってくる。
 あれからもう1年も経ってしまったのである。
 この1年何をしたのだろうか、と振り返る。
 春の日差しが膨らんだ桜の芽に照りつけ、枝が風に揺れている。
 季節がめぐってくるたびに何十年も見慣れた光景だが
 その光景が私にもたらす感情はいつも新鮮だ。
 ★
 黎明書房のホームページに「初任の先生、若い先生への応援メッセージ」が載る。
  http://www.reimei-shobo.com/

私も書いている。

 △ △ △
 
初任の先生・若い先生への応援メッセージ

新しく先生になるあなたへ
                                                 野中信行
              (『野中信行が答える若手教師のよくある悩み24』他)

 私は、37年間担任をして教師生活を過ごすことができた。

 一度として教師を辞めたいと思ったことがなかった。幸運なことである。もちろん、苦労をしたクラスも二度三度あったが、それも今では思い出になっている。

 どうしてこんなに元気に37年間を過ごすことができたのか。

 思い起こしてみると、一つの秘訣があることに気づく。

 新しく先生になるあなたへ伝えておこう。

 それは、上機嫌で子供たちに接したこと。

 自分が元気がないときも、クラスへ行き、授業をしているといつのまにか元気を取り戻している自分がいることに気づいた。<森林浴>ではなく<子供浴>だと思ったものだ。

子供と付き合うことはほんとにおもしろかった。「怖い話」をして子供たちを震わせ、「汚い話」をして顔をしかめさせ、「おもしろい話」をして爆笑の渦にまきこむ。一人一人の子供が大好きであった。

 子供たちも、私が元気で、上機嫌でいることが大好きだったのである。

 たった一つの、大切な秘訣は、「いつも上機嫌でいること」。

 このことに勝る秘訣はありえないと、今では思う。

「それは野中先生だからできたこと。こんなに大変で、忙しい状況でそんなに上機嫌でいられるはずはない!」と思われる事態が起こるかもしれない。

 問題はここからになる。ここの事態をどのように乗り切って、それでも上機嫌でいられるのか。それが試される。

 私は、確かに上機嫌でいるためにさまざまな工夫をしたのである。

 それは子供たちとの「関係づくり」(縦糸・横糸張り)、学級の「仕組みづくり」(3・7・30の法則)、「集団づくり」(「群れ」を「集団」へ)などとして結実している。ピンチはいつもチャンスだったのである。

 △ △ △  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年2月 | トップページ | 2012年4月 »