「明日の教室」東京分校への登壇
「明日の教室」東京分校の初任者講座に登壇した。
教育同人社での開催に、初めて行く。
たどり着くのに苦労する。横浜に住んでいるのに、池袋へ行くのは初めてなのだ。
東京分校で、今回は14回目。
そのうち私は4回も登壇している。
京都の明日の教室でも、私は一番多く登壇しているので、ずいぶんお世話になっていることになる。
同人社の会議室はびっしり。後ろは机なしの椅子だけ。
前の席は、学生、今年度初任者、昨年度初任者。30名ほど。
★
12の課題について語る。質問を含めて3時間30分。
1 初任者として最初に気をつけることは何だろうか?
2 初任者のクラスは、7,8割は荒れる。それはなぜだろうか?
3 学期の最初、子供たちはどう動くか?
4 落ち着いた学級を作り上げるための手立てとは何か?
5 安心・安全な学級づくりをするための手立てとは何か?
6 フォローをどうしていくか?
7 学級が荒れない「学級づくり」「学級づくりの仕方」とは?
8 クラスの中で、クラスの雰囲気を乱していく子供が2,3人いる。最初は、ど
んな対応をすればいいか?
9 1ヶ月をどう乗り切るか?
10 なぜ学級を「群れ」から「集団」へ変えなければいけないか?
11 授業をする時に最初に気をつけていくことって何だろうか?
12 うまく「授業」を進めるために必要なことって何だろうか?
★
やんちゃな子供対応で、学習障害児Aくんのことを話す。
Aくんは、4年生の時学級崩壊の中心人物。
そのAくんを5年生で受け持った。
最初席に着いてはいたが、私の発言に一々チャリを入れてかき乱そうとする。
ほとんどかまわず進めていく。
学習が始まる。
ふとAくんのノートを見ると、4年生からのノート。
どの教科も全部4年生の時のノート。新しくした形跡がない。
そのノートを見ると、全部落書きだらけ。ひどいノートである。
だらしない。「なんてノートだ!」と叱りつけそうになるものであろう。
私は違う見方をした。
「ああっ、勉強したかったのに分からなくて、こんな落書きになったんだ!」
学習障害がいくらか響いたのかもしれない。
私の方針決定。
ほとんどの指示などについて、Aくんのところへ行き、やり方を丁寧に教える。
続けるとAくんは、ちゃんと席について勉強を始めた。
やっぱりそうだ。
そのうちに、五色百人一首を始める。
Aくんは、これをえらく気に入り、どんどん百人一首を覚え始めた。
100首覚えたのだと思う。
源平でやっていたので、いつもトップグループにいるのである。
他の子供たちから「Aはすごい!」という声が出てくる。
本人も満足して、「百人一首やろう、やろう」と毎日催促に来た。
もうしめたものである。
あれほど落ち着きがない子供がすっかりクラスの中に溶け込み、一緒に活動するようになったのである。
かけ算九九がほとんどできなかった。
「かけ算九九覚えようか。私が手伝ってあげるからどうだ?」
「うん、やります。覚えます」
ということで、給食の配膳中10分間を使って、英語単語帳に書き込んだ九九(言えない九九を全部書き込んだ)を何度も何度も繰り返して覚え込んだ。
2ヶ月ぐらいで全て覚えてしまった。
★
数年前そのAくんと相模鉄道の車内で会った。もう高校3年生になっていた。
「これからどうするんだ?」
「大学行きます」
という会話だった。
うれしかった。高校3年まで「学び」を続けたのである。
そして、大学へ行こうという。
あの5年生の時、「勉強したがっているのだ!」と見抜いたこと、そしてその後の対応がAくんの「学び」を継続させたのである。
★
教師の仕事はいま苦境を伴っている。苦虫をつぶしたような表情を浮かべた教師たちの顔が浮かぶ。
だが、ほんとうは教師の仕事ぐらいおもしろいものはないのである。
目の前で変わっていく子供たち。
私は何人も、そういう子供たちを見てきた。
教師冥利に尽きる時間を子供たちとともに過ごしていくことができるのだ。
その場所へもう一度立ち返っていく、そんなことを考えてみた。
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