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また登場した「脱社会的存在」

   埼玉県三郷市で女子生徒が刃物で切りつけられた事件で、逮捕された通信高校2年の男子生徒(16)は、逮捕された際、別の女性を殺害しようと決意し、「確実に殺すために刃物を2本、用意した」と供述したとされている。
 早く気づき、犯人逮捕に動いたことが第3の被害者を出さないで済んでいる。
 この事件で、思い出すのは酒鬼薔薇聖斗事件である。
 1997年に起きた一連の事件は、世間を凍り付かせた。
 このときも、「さかきばらせいと」は猫の首に興味を持ち、それを収集していたと報じられていた。
 今回のこの高校生と類似している。

百科事典「ウィキペディア」酒鬼薔薇聖斗事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E9%80%A3%E7%B6%9A%E5%85%90%E7%AB%A5%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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 今回のこの事件をどのように考えるべきか。
 「さかきばらせいと」事件が起きたときに、社会学者宮台真司さんは、「脱社会的存在」という告知をした。
 このような存在が、人々の中に一部紛れ込んでいるということである。
 今回も、この存在がこのような事件を起こしていると、私は考えている。
 どういう存在か。
 宮台さんは、次のように言う。

 △ △ △ 引用開始
 我々は一般に、尊厳を「社会」に関係づけています。すなわち、社会の中に位置を占め、他人と関わることで、何かを実現しようという意欲を持つし、そうした実現によって尊厳を構築・維持します。ところが、「脱社会的」な人間は、そういう意欲を持ちません。コミュニケーションによって何かを達成できるとは信じていないし、コミュニケーションの中で尊厳を確保しようとも思っていない。その意味で、「脱社会的」な存在にとっては、人とモノの区別がつきません。
 △ △ △ 引用終わり   『脱社会化と少年犯罪』(創出版)

 ★
 マスコミは、動機探索や病名探索に躍起になるはずである。
 しかし、まったく意味がない。
 ふと思いだしのだが、酒鬼薔薇聖斗事件が起きたのは兵庫・淡路大震災(1995年)が起きた2年後の1997年、兵庫県須磨区で起きている事件である。
 今回は、東北大震災が起きてから9ヶ月後、埼玉県三郷市で起きている事件。
 大震災という巨大な事件が、彼等「脱社会的存在」を揺り動かし、混乱させたのかもしれないと想像してみた。
 まったくの当てずっぽうな推測。
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 さて、どうするかということ。
 宮台さんは、上記にあげた本で2つの提案をしている。
 1つ目は、こうした人格障害者すなわち「脱社会的存在」が生み出される原因を探り、そうした原因が分布しないような社会を実現するためのプログラムを考えるということ。
 2つ目は、すでにかなりの数の「脱社会的存在」が広く分布していることだから、そうした人が人を殺さないですませるプログラムを早急に作らなければいけない、という提案である。これについては、アメリカではすでに探求課題になっているらしいが、日本ではまだ問題意識さえもないということ。
 いやいや、とんでもない社会になっているということだ。

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コメント

 今回は、TOSS(末端教師)の考えというより、私個人の考えです。ご了承ください。
 脱社会的存在の言動になる前に、多くのケースで発達障害的な言動がみられるはずです。(ほとんどと書いたのは、私が数年前、そうでない経験をしたため)これは、学校の組織をフル活用し、場合によっては医療の力を借りる。
これで、適切に対処されれば、問題行動は軽減され、脱社会的存在にはならずにすむでしょう。親の抵抗が予想される場合もありますが、問題行動の質によっては、親に話すだけで(了承も得ずに)対処する。<これは、関係の法改正が必要でしょう>
 問題は、発達障害的な言動を経ずに(あるいは、あまりにも短時間だったため、対応しきれず)いきなり脱社会的存在の言動がみられるケース。これは、学校(・教育委員会)・福祉機関・警察の相互の連携をしないと解決できません。警察は有事があってからしか動かないそうですが、情報を定期的に入れておくこと。親の激しい抵抗(親が変わっているケースも多い)が当然予想されるが、福祉の法を活用して、親権停止なども視野に入れながら、子どものために治療に当たる。人を傷つけるようなことがあれば、警察に知らせ、介入する。(そのために、ちょくちょく情報をいれておくのです。)警察には、矯正プログラムがあるので、それにそって対処する。こんなところでしょうか。
 私が、数年前、小学校中学年で経験したときは、TOSSランドの主だった追試を数々やっても全然かわらず、(まだ福祉機関との連携という考えに至らず。かつ警察まで出てくるにはいくらなんでも大げさすぎる問題で)かつ親の無理解な言動に悩まされました。 学校としてもフォローしてもらえましたが、私の担任時代には解決できませんでした。しかし、数々の問題行動は、その後高学年、中学校にまで確実に引き継いでもらえたようです。(親の“問題言動”も)中学校では不登校になったとのことです。ふつうなら「気の毒に」と思うところですが、親の無理解ぶりを知っている私としては、「なるべくしてなった。あの親子では学校も(友も?)いやがるからな」と思いました。あとは社会に迷惑をかけないように祈るだけです。(私としては、今後もし事件を起こしたら、進んで証人になろうとすら思っています。今でもこうした子に対する対処はTOSSランドにはのっていませんし、きっと稀有なケースだったのでしょう)
 どちらにしても、今の法整備で大丈夫でしょうか?必要なら法整備&改正がいるかもしれませんね。

投稿: TOSS末端教師 | 2011年12月10日 (土) 09時45分

TOSSにがっかりです
マニュアル化しただけで大事な中身がなくなったのでは?

マニュアルに当てはめて、当てはまらないものは切り捨てて、問題解決にならなくても(場合によっては問題が大きくなっても)しょうがない…というのがTOSSの理論なのですか

向山先生はそんなことを言ってたんじゃないと思ってました。ま、本を読んだだけですけど


どんなときでも、目の前にいる子供を見て、教育活動できる教師になりたい。カリキュラムありき、方法論ありきじゃないはず

投稿: ゆい | 2011年12月12日 (月) 00時43分

 後半の文言に問題ありということでしょうか?(再三言いますが、これはTOSSとしての見解でなく、あくまで私個人の考えです)
 マニュアルにあてはめて、あてはまらいものを切り捨て、問題解決にならなくてもしかたない、なんてつもりは全くありません。目の前にいる子供を見て、教育活動する。カリキュラムありき、方法論ありきじゃない。そんなのは当然です。ただ、教育機関だけでは解決できない問題はあるのです。おそらくその子は中学校でも不適応を起こしたから不登校になったのでしょう。ちなみに女子です。
 
 ここで私が遭遇した詳細を書くわけにはいきません。とても文面で表わすわけにはいきません。(もし、文章化すれば私が言いたかったことは伝わると思いますが・・・)
 福祉機関との連携を図れば解決できたかもしれません。しかし、それを行おうとすると、ものすごいエネルギーが必要です。
 特別支援学級(学校)なら、相当細かく見ることは可能でしょう。しかし、一般学級なら配慮するにも限度があります。
 
 仮に何か将来あったとして、私が指摘するとすれば、人格障害の疑いについてです。さすがに人格障害のようなタイプの指導法はTOSSランドには載っていませんでした。(切り捨てるという意味でなく、そういう子に対する指導法は極めて稀なのだと思っています)ほかのサイトでも探しましたが・・・さすがになかったです。

投稿: TOSS末端教師 | 2011年12月12日 (月) 21時41分

私は、TOSS末端教師さんの最初の書き込みの後にコメントを書きましたが、迷った挙句、野中先生に未公開にしていただきました。野中先生、今回は吟味してから送信しますので公開にして下さい。

子どもの問題をこういう場で書く時、オープンできない個人情報があるため、難しいですよね。伝えたくても伝えられないもどかしさがあり、結果文字になった時に読み手のいろいろな「解釈」や「判断」が生まれる…私が数日前に書いたコメントも、そういった「解釈」や「判断」が生まれかねないと思ったので、未公開にしていただいたのです。

私は、子どもの問題の中には学校と家庭の連携だけでは解決できないケースがあり、福祉や医療と学校がつながる必要性を感じている1人です。その見極めは、TOSS末端教師さんがおっしゃるように、子どもの発達障害的な言動がキーワードになるとも思っています。

発達障害的な言動の見られる子の中には、本当に発達障害の場合もありますが、養育環境による(虐待を含む)行為障害の場合もあります。行為障害の場合は特に早く手を打っていかないと思春期以降何らかの反社会的行動を起こしたり、精神疾患(TOSS末端教師さんのおっしゃるような人格障害も含む)に移行していく事も多いそうです。

今まで関わった子どもの中に何度か医療や福祉とつながったケースがありました。外部機関につなぐまでも「校内組織をまとめる」「書類を作る」ことに時間を取られ「関係者を集め情報共有し方針を立てる」に至るまで、かなりの労力がいりました。ほんとうに「やっと」の思いで医療や福祉とつながっても、そこから先、子どもの状態の改善に向けての連携がなかなか進まなったこともありました。担任としての学習指導や学級経営、校務分掌以外の部分でやることで、時間と労力をかけたわりに実が少なく徒労感しか残らなかったこともあります。だけど、子どもの健全な成長の為になるなら可能性を少しでも探っていきたいと私は思います。

ゆいさんがおっしゃるように、目の前の子どもを見て教育活動(主に授業や学級経営)するのはもちろん基本だと思います。それをきちんと主張できるゆいさんは素晴らしいと思います。ただ、学校の教育活動以外の機関(専門機関)にゆだねなければいけない問題が出てきているのも今の教育現場の実情のように思います。

投稿: kiki | 2011年12月15日 (木) 00時38分

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