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「挙手指名発言」はアウトプットの1つにしか過ぎない

   合田先生のブログには、Y先生のブログからの引用がある。 

 △ △ △    引用始め
 本日,市教育センター主催の社会科の授業改善研修に参加しました。1年生の授業を参観した後,約15名で授業研究を行いました。ここで私が次のような指摘をしました。挙手指名システムをとっているために,分かる生徒ばかりが指名されています。ということは,分からない生徒は置き去りになってしまっているのです。

その後,意見交換がありましたが,私の意見に触れるものはありませんでした。むしろ,挙手指名システムの方が,テンポがあっていいという意見も出ました。

しかし,どうして挙手指名システムにこだわるのでしょうか。野口先生も言われていましたが,手を挙げさえしなければ,1時間の授業中に指名されることはなく,安心して参加できるのです。しかし,これでは,個々の生徒の学力は伸びるでしょうか。分からない生徒は授業に参加して楽しいでしょうか。

授業改善研修ではなく,授業システム改善研修というのを開催してほしいと思いました。
△ △ △    引用終わり

「授業改善研修」で、いまだに「挙手指名システム」がこのように問題にされ、それに対して深めた討論がなされないというのはどういうことであろうか。
 このように指摘したいところである。
 ただ確認しておきたいのは、多くの先生たちの授業の中心は、いまだに「挙手指名発言」であるということである。
 これだけでほとんどの授業が進められている。
 私が言う「日常授業」の実態はこれである。

 特徴的なことは、次のことになる。

 ①3,4人のよく発表する子供たちの発言をもとに授業は進行する。
 ②クラスの多くの子供たちが受け身的な傍観者になっている。

 教育界はずっとこれで過ごしてきたことになる。
 ★
 どうしてこれほどまでに「挙手指名発言」にこだわってきたのであろうか。
 もちろん、手軽さがあることは言うまでもない。
 だが、それ以上のものがあると考えてきた。
 それは、多くの教師たちが憧れてきた「授業」がこの方式に基盤をおいてきたからだと、私は考えている。
 どういうことか。
  私たちが目指し、憧れてきた授業は次のようなものだった。

 A、クラスの多くの子供たち(できれば全部の子供たち)が発言する授業
 B、クラスの多くの子供たちが討論する授業
 C、教師がほとんどそばにいて、子供たちがどんどん発言し、討論する授業

 このようなクラスになることを目ざし、子供たちを鍛えてきたのだと思う。
 「指名なし発言」などというのは、この最たるものになる。
 ★
 ところが、このようなクラス作りを目指しても、なかなかこのようなクラスは作れない。
 討論をしようとしても、10名以上の子供ががんがん発言できなければむずかしい。
 それでももしそのようなクラスが実現できたとしても、やはり何人もの子供たちが傍観者になっているのである。
 ★
 「挙手指名発言」というのは、どうしても限界がある。
 1時間の中で、「挙手指名発言」を全員にさせようとすると、簡単で、誰でも発言できそうな発問を繰り返す以外にない。
 つまらない授業になる。
 やはり、「考え方」を変えなければならない。
 どう考えるのか。
 「アウトプット」として考えていけばいいと思う。
 どういうことか。
 ★
 子供たちが授業で行う言語活動は、主に<聞く><読む><話す><書く>になる。
 「アウトプット」とは、この中で<話す><書く>ということになる。
 かつて野口芳宏先生が、発言は「ノート発言」だってあるのだと言われたのは、この「アウトプット」だったのである。
 そう考えれば、「挙手指名発言」というのは、「アウトプット」の単なる1つにしか過ぎないもの。
 いつまでもこれだけにこだわっているというのは、おかしなことである。
 さまざまな<活動>を授業に取り入れながら、<全員参加>の授業を目指していくというのが日常授業として考えられる最上のものになる。
 

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