現場は、「サッカー」から「野球」に変わっている!
京都「明日の教室」で、瀧本先生は初任者が現場へ入っていく状況を次のようなたとえを使って表現された。
「サッカーの仕方を習ってきたのに、実際の現場に行ったら野球をやっていた」と。
私は見事なたとえだと思ってしまった。
ある初任者研修会へ行って、130名の初任者に「初任のクラスは7,8割が荒れると言われているが知っていましたか?」と聞いて挙手させたことがあった。
知っていたと挙手した初任者は3,4人。
あとは知らなかったと挙手した。
私は驚いてしまった。
これだけの情報がある中で、ほとんどの初任者が知らないのである。
現場は、すでに「野球」をやっているのに、まだ「サッカーの仕方」しか習得していない。
この状況そのものが7,8割の荒れを生み出していく。
★
以前のブログで私はこのように書いた。
△ △ △ 引用
ある大学の「小学校教諭免許取得課程」を手に入れた。
何の授業を受けているかがはっきりする。
32課程で修得単位は75。
この中で教科に関することが21課程。
これだけでも「教科」(授業)にものすごく力を入れていることが分かる。
それで「学級経営、学級づくり」という課程はないのかと探すが、ない。
他に名前を変えているのか。
「教育方法学」というのがあるが、どうも違うような気がする。
とすると、何にもない。
これは、大学でいろいろ工夫していいのか、文科省で決められてあるものかどうか、 それは確かではない。
この免許取得課程で分かることは、免許が教科いわゆる授業を教えていくことを前 提に作られていることである。
学級経営、学級づくりなどまったく問題にしていない。
そういうことになる。
△ △ △ 引用
今の大学の現状は、このようなものだ。
大学は、「教科」(授業)にものすごく力を入れている。
「サッカーの仕方」を教えている。
もちろん、力を入れるのはいい。しかし、その一方で実際の現場は「野球」をやっているという現状と「野球の仕方」も教えなくてはならないのである。
こんな当たり前のことをやっていない。
やっているのは、一部の大学だけである。
★
新人教師が辞める原因のほとんどが「精神疾患」であるという文科省調査を京都橘大学の池田修先生が紹介されている。
http://ikedaosamu.cocolog-nifty.com/kokugogakkyuu/2011/12/post-f8cf.html
私たち団塊の世代がどっと現場に入ってきた70年代の初頭(今よりも何倍も多い人数が教師になった)、初任者が学校に5,6人いるというところもざらにあったのである。
だが、少なくとも私の周りでは学級崩壊や教師を辞めていく事例は1つも聞いたことがなかった。
団塊の世代は多くの人数の中でもまれてきたのだという指摘はある。今の若い世代はヤワになっていると。
しかし、はっきりしているのは、子供たちの変貌と親たちの変貌、そして社会そのものの変貌が現場を変えているのである。
その証拠に、学級崩壊は50代の教師たちのクラスに数多く出てきているのである。
今までの方法論では通用しなくなっている。
現場は「サッカー」から「野球」に変わったのである。
「野球」に合わせた指導を大学も、教育委員会も、現場も、やらなければいけないことは「当たり前」ではないか。
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