「味噌汁・ご飯」授業ということ
第5回「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会(非公開)を開いた。
今回は3人の模擬授業とその検討、詩の基本型への提案。
実に学ぶことがあって、収穫があった。
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私の知り合いの合田先生がブログに次のような内容のブログを出されていたことがあった。
紹介する。
△ △ △ 引用始め
わが研究サークルの同志、長崎のY先生のブログを紹介します。
至極同感です。
引用開始++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
本日,研究主任研修会に参加しました。うちの研究主任が不在のため代わりに参加しました。最初に,素晴らしい研究と実践をされているO小学校の発表がありました。この発表を聞きながら,野中信行先生が提唱されている「味噌汁ご飯」授業のことを考えていました。今回のO小学校の発表はまさに三つ星レストランの料理でした。普通の学校では,このような料理は出せません。もちろん私の学校もです。高いレベルの研究も必要ですが,それに費やす時間と労力はどれぐらのものでしょうか。高い研究をしているからといって,すべての教師の授業力が高まるとは思えません。むしろやらされているという意識をもつ教師が出てくる可能性もあります。また,研究のために教師の多忙感も増えることにもなります。今,現場に必要なのは,高級レストランの料理ではなく,普通の「味噌汁ご飯」の授業をすることなのです。1時間1時間の授業をしっかりとやる,当たり前のことをやれる教師が一番必要なのだと思います。
引用終了++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
本当にその通りなのだけれど、重要なのは普通の「味噌汁ご飯の授業」の質を高める研究発表って見たことがないこと。
そろそろ気がつかないと、大変なことになるぞ。
若い先生にどうやって普通の授業を教えるのでしょうか?
△ △ △
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「味噌汁・ご飯」授業のことを話題に出されていたので、ここに転載させてもらった。
ここで書かれていること、実にまともだと思えないだろうか。
私は、このように考える先生たちが、こうして増えていることをうれしく思う。
合田先生は、「そろそろ気がつかないと、大変なことになるぞ」と書かれている。
ちょっとドキッとする言葉だ。
でも、ここで合田先生がこのように警告されている意味が分かる気がする。
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研究授業だけは1年に一度だけのイベント。
これだけを何とか切り抜ければ全てが終わるという心境。
研究テーマを決め、研究仮説を設ける。最後は、研究紀要を作って終わる。
無意味なことだと、私は考えている。
もうこんなことはやめていくべきこと。
現場教師が研究などを進められるはずはない。1度や2度の研究授業で仮説を検証しようということはどだい無理。
もし研究授業をするならば、日常授業を豊かにするにどうしたらいいかというテーマを設けて互いに研修をしていくことである。
日常授業を高めていくための研修を設けていくこと。
普通の先生たちはどんな日常授業をしているか。
①3,4人のよくしゃべる子供の挙手で授業を進行している。
②傍観者の子供たちが多くいて、つまらなく座っている。
③ずっと先生がしゃべっている。
④発問なのか、指示なのか、説明なのか不透明。
⑤本時目標があいまいで、何を教えているのか不透明。
ざっとあげただけでもこんな授業。
こんな授業を克服していくことである。
私たちはこんな現実的な課題をまず克服したいと願っている。
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