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私たちはここから再出発する必要がある~「生徒指導10の原理・100の原則」を読み終えて~

   堀裕嗣先生が「生徒指導10の原理・100の原則」(学事出版)を出した。
 「学級経営10の原理・100の原則」(学事出版)に引き続いての出版である。
 画期的な提案がなされている。
 1980年代の初めに出てきた向山洋一先生の「法則化運動」が終わって以来、教育界は停滞の時期を過ごしてきている。
 だが、堀先生の一連の提案は、時代の停滞を切り開いていくものとして大きく評価したい。(これからも重要な著作が提案されていく)
 ★
 「生徒指導10の原理・100の原則」だ。
 この本は、まず10の原理をあげている。
 そして、具体的に個々の原則を100挙げている。
 この本はどこが画期的な提案か?
 それは10の原理のなかの7「マクドナルド化の原理」にある。
 「マクドナルド化とは」、次のような説明になる。
 
 △ △ △ 引用
 このように、顧客に嫌な思いや疑問を抱かせることなく、本来サービスを提供する側がすべき労働を顧客の側に分担させたり、対立や障壁を避けながら目的を達成したり、徹底した効率化によって全国どこでも均一化したサービスを提供したりする社会を、ジョージ・リッツァは<マクドナルド化>と呼びました。(『マクドナルド化する社会』早稲田大学出版部、2008年)
 実はこうした<マクドナルド化>の原理は、昨今、学校教育にも意識的・無意識的に導入されています。
 △ △ △  引用終わり
 
 そして、次のように展開する。

 △ △ △  引用

 私は1966年生まれですが、私の中学生時代は校内暴力の真っ只中で、廊下には竹刀をもった生徒指導の先生がいたものでした。何か悪いことをしたときにも、自分の話などはほとんど聞いてもらえず、とにかく怒鳴られる……そういう指導を受けてきたものです。別に当時の先生方に恨みはないですし、それが良かったとは思っていますけれども……。(笑)
 実はこのことは、私の受けてきた教育からいま私たちが行っているような教育へと、時代がシフトしてきたことを示しています。つまり、「中学生らしい生活態度」や「あるべき学生の姿」のような理念を前面に押し出し、「こうあるべきである!」といった指導から、生徒たちに嫌な思いや疑問を抱かせることなく、周りに迷惑をかけたり周りから非難されるような生活態度を改めさせていく指導へ、というシフトです。
 教師の指導姿勢として考えれば、要するに「これが正しい」というメッセージをひたすら投げかける指導姿勢から、<マクドナルド>のようにそうとは気づかせないままに目的を達成する指導姿勢へと変化してきているわけです。東浩紀は前者を「規律訓練型権力」、後者を「環境管理型権力」と呼びました(『自由を考える』東浩紀・大澤真幸、NHKブックス、2003年)。そして私も、こうした教師の指導姿勢のシフトについて、方向性としては間違っていない、と感じています。ただし、私は「管理」という言葉が教育に導入するときにはちょっときつい言い方だと感じていますので、同様のことを「規律訓練型権力から環境調整型権力へ」という言い方をしています。
  
 △ △ △  引用終わり

 子供たちへの教師の指導姿勢がこのように変化していることは誰でもが認めるところであろう。
 その流れをはっきりとこのように言葉化している。
 今でもこの「規律訓練型権力」を使って指導している教師たちは多い。
 私もまた半分以上はこの権力を使い、指導してきた。
 教師である以上、この規律訓練を捨てることはできない。
 学校という制度そのものがこの規律訓練で成り立っているからである。
 だが、この権力で成功している実践は、ほんの一部のスーパー教師だけのものにしか過ぎない。
 この権力を使っているベテラン教師たちの学級崩壊が、大きな現象として現れていることからしてももはや成り立たなくなっていることも事実なのだ。
 私は、「個別対応の時代」へのシフトとして「包み込み法」などの提起をしてきている。
 もはや今までの方法では通じなくなっているのである。
  それはなぜか?
 子供たち(生徒たち)が大きく変貌しているからである。
 堀先生は、その子供たちを次のように紹介している。

 △ △ △  引用
 清掃時間に箒をもって、教室入り口で廊下にいる友達とおしゃべりに花を咲かせている。「ちゃんと掃きなさい」と注意すると、「あっ、いけない」という表情をして床を掃き始める。でも、数分後、またその子を見てみると、今度は窓際で掃除当番の子とおしゃべりしている。「おいっ、さっき注意したばかりじゃないか」と注意すると、「すいませ~ん」と言って掃除を始める。今度は目を光らせているのでなんとか最後まで掃除をやりとげる。掃除の反省会でも、「今度からおしゃべりをしないで掃除に集中したいと思います」などと平然と言う。なのに次の日の清掃の時間には、また廊下の友達とおしゃべりをする。担任が橫に行って顔をのぞき込むと、一瞬ポカンとした表情のあと、「あっ、すいません」などと言って床を掃き始める…。
 みなさんの学級にこんな生徒はいないでしょうか。おそらく、たくさんいるのではないでしょうか。指導が<落ちる>のに<通らない>、こうした生徒たちが、いま学校で多数派を占めているのではないかとさえ思われるほどです。
 いわゆる<脱・社会生徒>の登場です。
 △ △ △ 引用終わり

 私は、このような「生徒」たちの始まりを「生徒しない」現象として提起したことがある。(「学級経営力を高める3・7・30の法則」学事出版)
 80年代の半ばから進んだこの現象を、私は、子供たちの行動が「善悪」の価値観から「快・不快」の価値観へシフトしたのだと位置づけたのである。
 <脱・社会生徒>は、掃除をきちんとしなければいけないという「善悪」の価値観よりも、「今、おしゃべりをしたい」という「快・不快」の価値観を優先していく。
 それが無意識になされる。悪気はないのだ。体がそのように動いていくだけだ。
 今、このような多数派の子供たちを前にしている。
 ★
 この多数派の子供たち(生徒たち)を前にして、どのような指導が可能なのか。
 それが教師たちに突きつけられている。
 「生徒指導10の原理・100の原則」は、そういう時代を切り開いていく提案がなされている。
 私たちは、新たにここから出発していかなくてはならない。   

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