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富士山大噴火 その後のこと

 先日のブログで、木村政昭の「富士山大噴火」について取り上げた。
 今日(10/9)のテレビ朝日11:45からのスクランブルで「富士山噴火の可能性」について取り上げていた。
 しかし、木村の本については一言も取り上げられなかった。
 おかしなことだ。
 ここには木村を呼んでこなければいけないはずなのに、違う解説者が呼ばれていた。
 ★
 だが、現状はやはり深刻なことになる。
 3/11の大震災の後の3/15に富士山直下でM6.4の地震が起こった。
 これは大地震に連動して起こっている可能性がある。
 その後、箱根山で1週間の間に1050回の微動性の地震が起きていることも気になることになる。
 日本の活火山が大地震以後何らかの影響を受けているらしい。
 このような事実が紹介されている。
 ★
 もし富士山が大噴火を起こしたら、その灰は関東全域に10cmの灰を降らせる。
 304年前の宝永噴火では、その影響が2週間続いたらしい。
 たまたま手元に、歴史散策古今の庶民のくらし「都岡村の今と昔」がある。
 私が住んでいる町(横浜市)の歴史についてまとめてある本。
 そこに「宝永の噴火と農民」について書かれてある。
 
 △ △ △
 宝永4年(1707)11月23日午前十時頃、富士山の東南斜面から黒煙が立ち昇り、突然激しい大噴火が起きた。
 小田原では障子が激しく揺れ、周辺二十里には12月頃まで間断なく砂を交えた降灰があり江戸にまで達した。
 △ △ △
 
 この時の様子を祖母から聞いたと記述した私記がある。
 「いつもと同じように畑に出て一時の休息をとっていたところ、突然、静寂な村に地鳴りとドーンという音が響きわたった。地震だと感じ農具を放り出したまま、取るものもとらず、まっしぐらに家族の安否を気遣いわが家に戻った。
 暫くすると砂交じりの灰がさらさらと降ってきた。昼間なのに外は暗くなった。その内、一寸先も見えなくなり、これは何かの祟りと思い、神棚に灯明を掲げ、家族で般若心経を唱え無事を祈った。
 それから数日後、降灰も少なくなり満足に使えない我が家の井戸の清掃や屋根の黒砂交じりの灰を取り除いた。その後数人で川井村の高台に向かったが、富士山は噴煙で見えなかった。皆で富士に向いて合掌し無事を祈った…」と祖母から聞いた噴火の様子を記している。

 △ △ △
 この噴火で、横浜市域では20センチ以上の灰が降ったと報告されている。何日も続く降砂は、田畑はもちろんのこと、家屋敷・道路・水路にも被害が及んだ。…
 △ △ △
 304年前の状況だ。
 ただ、こういう大噴火に至らず、小規模の噴火で終わる場合も数多くあったらしい。
それを願うばかりだ。
 1000年に一度の大地震や津波に会い、また富士山の噴火に出会うとするなら、私たちは大変な時代に生まれたということになる。
 
  
 
 

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