気仙沼に行ってきました!
いま気仙沼から帰ってきたところ。
親しい知り合いのS先生に会いに行ったのである。
あれから7ヶ月経って、ようやく訪ねていける状況になった。そのように判断して、訪ねていった。
S先生の車で、気仙沼魚市場周辺(テレビ放映がさかんにされたところ)、気仙沼湾を車で巡った。
最初に連れて行ってもらったところは、気仙沼の海の近くにある小学校。
廃校になっている。津波が押し寄せたのだ。
運動場には、破壊された車がびっしりと並んでいる。
最初から強烈な印象。
写真は撮らないでほしいと注意をされる。
★
リアス式海岸そのままに入り組んだ海岸が連なる。
小高いところとぐっと低くなるところ。
それは<天国>と<地獄>を見るような変わり様を見せた。
そして最後に南三陸町の「志津川」に行く。
最後まで住民の人たちの安否が分からず、ほとんど全滅かと放映されたところ。
「志津川」は、町一つが完全にすっぽりと亡くなっていた。
ずっとずっとこちら側から向こうの海がそのままに見渡せる。
その一角をボランティアの人たちが作業をしていた。
気が遠くなるような作業。
そこから始めていた。
車から下りて、とぼとぼと歩いた。
赤くむき出しの3階建ての鉄骨の前には、さまざまな花束が数多く。
ここなのだ。
ここで、女性職員の方が押し寄せる津波を前に最後まで避難無線を叫び続けたのだ。
★
朝、もう一度気仙沼の海に行く。
大島へ行く船が発着していく。
動いているのはただそれだけ。
あとは津波で破壊された家々や建物がそのままに放置されている。
当時は瓦礫が散乱していたらしいが、今は全部片付けられている。
瓦礫の匂いだけ。
もうここにはかつてのにぎわいが戻ってくることはないのであろう。
S先生の奥様が言われていた。
「ふるさとの一つ一つの風景が全部亡くなってみて、ふるさとの大切さがしみじみと
身に沁みます」
と。
★
千年に一度起こるか起こらないかという大地震と津波を経験したのだ。
多くの方が亡くなり、今もまた多くの悲しみを抱えて呆然とされている方がいる。
なぜ私たちがそれを経験しなければいけなかったのか。
その問いかけがこれからずっと続いていく。
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