伝えたいこと、ありますか?
高橋源一郎が、論壇批評に書いていたことがずっと胸に残っている。
ちょっと長いが引用したい。(朝日新聞朝刊8/25)
★ ★ ★
まいりました。「なにが?」って、スタジオジブリの小冊子「熱風」の表紙に(中身じゃなくてすいません)。
ジブリのある東小金井の路上で、作業用のエプロンを着た宮崎駿御大が「NO!原発」のプラカードを首からぶら下げ、ひとりでデモをしている。その後ろを、傘を持った女性と右手に「Stop」のプラカード・左手で犬を引いた男性が、付き従うように歩いている。デモというより、散歩みたい。というか、どう見ても、黄門様と助さん格さん(もしくは、大トトロと中トトロ・小トトロ)だ。自転車に乗り、たまたますれ違った男性が、「えっえっ?変なオジサンがと思ったらミヤザキハヤオじゃん!」という表情を浮かべている。すごく面白い。けれど、ただ面白いだけじゃない。
この面白さは、この写真が醸し出す「柔らかさ」から来ている、とぼくは思った。「柔らかさ」があるとは、いろんな意味にとれるということだ。ぼくたちは、このたった一枚の写真から、「反原発」への強い意志も、そういう姿勢は孤独に見えるよという意味も、どんなメッセージも日常から離れてはいけないよという示唆も、でも社会的メッセージを出すって客観的に見ると滑稽だよねという溜め息も、同時に感じることができる。
なぜ、そんなことをしたのか。それは、どうしてもあることを伝えようと考えたからだ。そして、なにかを伝えようとするなら、ただ、いいたいことをいうだけでは、ダメなんだ。それを伝えたい相手に、そのことを徹底して考えてもらえる空間をも届けなければならない。それが「柔らかさ」の秘密なのである。
★ ★ ★
おもしろい。
ミヤザキハヤオが意図していることも、高橋源一郎が言いたいことも、よく分かる。
その後に、高橋は、後継首相レースへの出馬宣言したノダさん、マブチさん、カイエダさんとかが政策について書いたり語ったりしているが、ぜんぜんおもしろくないことを付け加えている。
彼らは、ほんとうに国民に伝えたいことがないのかもしれない。
伝えたいことがあるのならば、もっと工夫するはずだ、と。
★
私は、高橋の問いを自分にも向けてみた。
「オマエは、ブログを書いたり、本を出したり、講演をしたりしているけれど、ほんとに伝えたいことがあるのか、あるのならばどんな工夫をしているのか?」と。
厳しい問いかけだ。
伝えたいことはある。
それは明確だ。
しかし、ミヤザキハヤオが意図した「柔らかさ」の工夫はない。
いいたいことをただ言うだけで終わっているように思う。
なるほど、なるほど。
「伝えたい」ことがあるとき、そこには「柔らかさ」の工夫がなければいけない。
そうしなければ伝わらない。
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