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それでも私はここにこだわった!

 「初任者の学級づくり」について先日のブログに書いた。
 藤本先生、赤坂先生、池田先生、青山先生などの大学の先生たちに支援の声をいただいた。心強い限りである。
 今日は、私の親しい知り合いである石巻の佐々木潤先生からメールで意見をいただいた。
 違った角度から、こうして意見をいただけることは、ありがたいことだ。
 佐々木先生の意見には、私もちょっと意見を言っておきたいという気持ちになった。
 佐々木先生は、次のように言われている。
 ★

 さて、先生のブログの記事の中で「初任者の学級づくり」についての内容がありました。
私も同感でした。
大学では教えてくれないことです。
しかし、もっとも必要なことです。

先生は、1か月のシナリオづくりをするとおっしゃっていましたね。
とても貴重な資料になることでしょう。

それについて、私見を述べさせてください。

私はこれまで様々な教育実践をしてきました。
その中の一部は技術として紙面で発表してきました。
しかし、読んだ人がそれをそのまま実践できるだろうか、と考えると
一部はできるだろうけれど、一部はできないだろうと思っております。
その理由は、「技術と人はワンセット」だと思うからです。
たぶん、私の実践は「私」というキャラクター、「私」という人間が行うから可能であって
他の人が行うと微妙にずれが出てくるだろう、と。
これは、他の先生でも同様です。
野中先生が行うからできること、有田先生が行うからできること、野口芳宏先生だからできること…。
ですから、初任者の学級づくりの資料は、いろいろなタイプの先生のものをそろえた方がいいと思った次第です。
例えば赤坂真二さんの、例えば土作さんの、例えば石川晋さんの、例えば佐藤正寿さんの…。
というように、いろいろな方が自分の学級づくりのエッセンスを初任者向けに提供する。
日本の中でも超一流の教師がそのノウハウを伝授する、
初任者の方はいろいろなやり方の中から、自分に合ったやり方を見つけていく。
そういう事が出来たなら理想的だなあ、と思いました。

 ★
 多分、多くの方が納得される意見だろうと思う。
 私も納得する意見である。
 佐々木先生は、次のように言われている。
 

 

 「私はこれまで様々な教育実践をしてきました。
  その中の一部は技術として紙面で発表してきました。
しかし、読んだ人がそれをそのまま実践できるだろうか、と考えると
一部はできるだろうけれど、一部はできないだろうと思っております。
その理由は、「技術と人はワンセット」だと思うからです。
たぶん、私の実践は「私」というキャラクター、「私」という人間が行うから可能であって他の人が行うと微妙にずれが出てくるだろう、と。」

 言われることはよく理解できる。
 たとえば、「100マス計算」がある。賛否が分かれた。
 ある本には、この100マス計算批判がまとめられているものもあった。
 うまくいかない実践を載せられていた。
 この計算をちょっと実践してみたら、こんなにおかしなことになったという批判。
 私は当たり前だと思った。
 批判をするために実践したものがうまくいくはずはない。
 この100マス計算というのは、あくまでも方法だ。
 この方法は、使い方によっては効果を発揮するし、ただの実験として使用するなら、うまくいくはずはない。
 方法というのは、そういうものだ。
 その人がどういう視点からその方法を使っているかどうかが大きな境目になる。
 技術というものを考えるとき、このことは踏まえておかなくてならない大切なことだ。
 ★
 それでも私は、ここにこだわった。
 たとえば、赤坂先生の初任者指導の方法がある。土作先生の方法がある。石川晋先生の方法がある。佐藤正寿先生の方法もある。……
 初任者は、それを見て自分に合う実践を学んでいけばいい。 
  それはそれでいい。
 そんなことができる初任者は、学級が荒れることなんかない。
 私が知っている青森の初任者のIさんは、この部類に入る先生だ。
 しかし、ほとんどの初任者はこれができない。
 だから、私はここにこだわった。
 名だたる実践家は、自分なりの学級づくりの方法論があり、名人芸的な技術を含めてとても初任者にはまねができない方法になるのではないか。
 そうではなくて、あくまでも初任者の誰でもが「これならやれそう」という技術を提起していくことが必要だと思われた。
 私は、あえてそれを「原教育実践」「原教育技術」とでも言っておきたい。
 この「原教育実践」「原教育技術」を実践していけば、何とかなっていく、そんな領域があるのではないかと思い続けてきたことになる。
 この「原〇〇」の位置づけは、次のようになる。
 
 

 

 ・名人芸的な技術をそぎ落とす。
 ・その気になれば誰でも、いつでも使うことができる。

 

 しかし、繰り返しになるがいい加減な気持ちで、上っ面だけでまねしようとしてもそれはうまくできない。
 きちんとしたスタンスを持った取り組みが必要だ。
 そこにこだわって、私は、「学級づくり3原則」として「関係づくり」「仕組みづくり」「集団づくり」を提唱したことになる。
 昨年度担当した初任者は、私の3つの方法を用いて実践し、すばらしい学級づくりをしてくれた。
 とても意を強くして、「新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則」という本を明治図書から出させてもらった。
  「学級づくり3原則」という方法は、私の色を削りに削って、最低限残される「学級づくり」の方法だというつもりで出させてもらったのである。

 繰り返しこだわっておく。
「学級づくり3原則」は、野中流学級づくりを示したとは思っていない。
 この3原則は、学級を作っていくためにどうしても必要な原則だと思っている。
 ただ、内容的にはまだまだ整理できていない。
 それは率直に認めなくてはならない。
 もっともっとシンプルにまとめられれば、初任者の先生たちが、学級を荒らさないで何とか1年間を生き抜いていける、そんな3原則になると意を強くしている。  
 ★
  この延長上に、「1ヶ月のシナリオ」を構想する。
 このシナリオは、初任者がその気になって実践すれば、学級は何とか機能するようになる学級づくりである。
 「その気になる」というのは、なぜその実践をするのかという意味が分かること。
 勝負は1ヶ月になる。

 

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