「叱る」ということ
新潟の十日町市立東小学校の「学級づくり講座」で、最後に「叱り方の実演」を行った。
最近の講座では、よくやる実演だ。
★
「すぷりんぐぶろぐ」には、次のように書かれてあった。
野中先生の「学級づくり講座」。
そこでの圧巻は、叱り方の実演であった。
体育館での授業、集合していることが約束の学級において、子どもたちが自由勝手に遊んでいる状況…そこで教師はどう声をかけるか。
それは様々な方法があろう。
そこにどの学級にも通用するような最適解などはない。
ただ、教師の思い、願いはしっかりと伝えねばならない。
それがエネルギーを伴う場合にのみ、子どもたちの糧になっていくと考えている。
だから、いつ使うかは別問題として、大きく強い声は教師が身につけたい必須科目である。
いや、どこでどんなふうに身につけるかも結構重要な問題だなあ…あれれ?どうする?
だからこその学級づくり研修なのかもしれないし、それ以前の問題になっていくのかもしれない。
★
「叱る」ことは教師にとってどうしても必要なことだ。
これができない教師は、教師を続けることができない。
でも、この「叱ること」には麻薬のような毒がある。
それは知っておかなくてはならない。
この「叱ること」を無防備に使い続けると、麻薬のように蝕まれていく。
しょっちゅう叱るようになる。
いけないと時々反省するが、また使い続ける。
ひどい教師になると、ものすごい大声で叫び続けることになる。
それはいいことだと勘違いしている。
とんでもないことである。
私は強調する。
「叱り」は必要だが、「叱る」ことだけで子供は育たない。
「叱り」は、夕立のようにさっと済ます。
「叱る」時には、自分から「終わり」と宣言する。
★
前回のブログで紹介した中村健一先生の本「安心感のある学級づくり」(黎明書房)には、章を設けて書かれている。
「厳しく叱る」で教室を安心感のある場所に
「叱る」ことをこのようにはっきり示された本は、初めてではないだろうか。
子供が最も好む先生は、「厳しくておもしろい先生」だという。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「自己流」で身に付けた力量で対応できなくなっている!(2019.03.16)
- 『教師1年目の教科書』が重版になる!(2019.03.13)
- 再び横浜野口塾のお知らせです(2019.03.10)
- つれづれなるままに~飛行機ができてきた~(2019.03.09)
- 『教師1年目の教科書』(学陽書房)が発売される(2019.03.05)
コメント