なぜこんなに授業の最初と最後に拘るのか?
初任者の先生から訴えられた。
「野中先生は、授業の最初は何度も日直に言わせないですぐ始めなさいと言われますが、初任者指導の先生は『全体がきちんとしないで始めるのはだめだ』と言われるのです。どうしたものでしょうか?」
授業の最初と最後はきちんとしたいという願いで、何度も何度も日直に「静かにしてください」と言わせているクラスがある。
その結果、いつも授業の始まりが2,3分かかる。遅いときには、5分ばかり。
クラスが荒れ出すと、ますます時間がかかる。
どうしてこんなにも、ここに拘るのであろうか。
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私が担任時代は、私が「始めます」と言い、「終わります」と終わっていた。
小学校の場合、始めにみんなで「おはようございます」と挨拶し、最後には「さようなら」と別れるではないか。
その挨拶で十分。
ただ、専科の先生の場合は、はじめてなので授業の最初と最後の挨拶はきちんとしなさいと子供たちには伝えていた。
こういう形式的なことに拘っていくというのはどうしたものだろうか。
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私は、45分の授業で、このような2,3分のロスをすることが何よりも無駄なように思えてならなかった。
この2,3分のロスは、1年間の積み重ねで一体どのくらいの時間になるのだろうか。
たとえば、私の算数の授業は、4段階で組み立てていた。
計算タイム(5分)ー復習タイム(5分)ー本時タイム(30分)ー本時復習タイム(5分)
この積み重ねであった。
1分さえも無駄にできなかった。
こんな授業をしているのに、どうして授業の最初と最後に拘らなければいけないのか。
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しかし、この最初と最後の挨拶は、日本的習慣。
最初と最後のけじめをつけたいという願いがここにはある。
否定はしない。
そうしたいならば、そうすればいい。
だけど、日直に7回も8回も「静かにしてください」と言わせる意味は何であろうか。
このような無駄な時間。
実は、教室のスピードやテンポやリズムの「時間」を失わせていく。
そこに気づいていない。
多くの子供たちを実に「不快にしていく」時間になる。
この「不快」の積み重ねが、教室の「荒れ」を招いていくことを知らなくてはならない。
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