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2011年8月

なぜこんなに授業の最初と最後に拘るのか?

 初任者の先生から訴えられた。
 「野中先生は、授業の最初は何度も日直に言わせないですぐ始めなさいと言われますが、初任者指導の先生は『全体がきちんとしないで始めるのはだめだ』と言われるのです。どうしたものでしょうか?」
 授業の最初と最後はきちんとしたいという願いで、何度も何度も日直に「静かにしてください」と言わせているクラスがある。
 その結果、いつも授業の始まりが2,3分かかる。遅いときには、5分ばかり。
 クラスが荒れ出すと、ますます時間がかかる。
 どうしてこんなにも、ここに拘るのであろうか。
 ★
 私が担任時代は、私が「始めます」と言い、「終わります」と終わっていた。
 小学校の場合、始めにみんなで「おはようございます」と挨拶し、最後には「さようなら」と別れるではないか。
 その挨拶で十分。
 ただ、専科の先生の場合は、はじめてなので授業の最初と最後の挨拶はきちんとしなさいと子供たちには伝えていた。
 こういう形式的なことに拘っていくというのはどうしたものだろうか。
 ★ 
 私は、45分の授業で、このような2,3分のロスをすることが何よりも無駄なように思えてならなかった。
 この2,3分のロスは、1年間の積み重ねで一体どのくらいの時間になるのだろうか。
 たとえば、私の算数の授業は、4段階で組み立てていた。
 
 計算タイム(5分)ー復習タイム(5分)ー本時タイム(30分)ー本時復習タイム(5分)

 この積み重ねであった。
 1分さえも無駄にできなかった。
 こんな授業をしているのに、どうして授業の最初と最後に拘らなければいけないのか。
 ★
 しかし、この最初と最後の挨拶は、日本的習慣。
 最初と最後のけじめをつけたいという願いがここにはある。
 否定はしない。
 そうしたいならば、そうすればいい。
 だけど、日直に7回も8回も「静かにしてください」と言わせる意味は何であろうか。
 このような無駄な時間。
 実は、教室のスピードやテンポやリズムの「時間」を失わせていく。
 そこに気づいていない。
 多くの子供たちを実に「不快にしていく」時間になる。
 この「不快」の積み重ねが、教室の「荒れ」を招いていくことを知らなくてはならない。
 
 

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変わらず元気で、いつもの野口節

 橫藤雅人先生が代表であるネット研のオフ会を横浜で行う。
 橫藤先生がこちらの研修会に参加される途中でのオフ会。
 横浜西口の居酒屋の個室をとる。
 参加者は、5人。
 橫藤先生の教え子で、東京で高校の英語の先生をやられているOさん、横浜の野口塾を主宰している井上先生、そして私と橫藤先生。
 この4人で会を始めていると、そこへ野口芳宏先生。
 講演会を終えられて、急いで駆けつけて来られたのである。
 私たちの会のために、わざわざ横浜まで。
  袖無しの軽装。
 久しぶりにお会いすることになる。
 変わらず元気で、いつもの野口節。
 「今年の夏も30回ぐらいの講演をこなしましたよ」
 75歳になられたのである。
 「明日は久しぶりに大学に行き、試験の結果を出さないといけない。みんな待っているんだ」と。
 大学の教授で、千葉の教育委員をやり、そして全国を回っての講演。
 何というエネルギーであろうか。
 ★
 橫藤先生からこの日のための文書が出される。
 「学力保障カリキュラムについて」。
 そして、重要な話が出される。(ここではそれは書けない)
 「おお~~~、それはすごいね。」と野口先生。
 私もちょっと緊張。
  模擬授業のことも話題になる。
 今でこそこの模擬授業は、日本全国で当たり前に行われるようになっているが、発祥は野口先生の「うとてとこ」。
 どうして模擬授業をするようになったのかの経緯を野口先生から伺う。
 ★
 教え子のOさんのために、橫藤先生と私の共著「必ずクラスがまとまる教師の成功術!」(学陽書房)に一言のサイン。
 3人が一言ずつ。

 結果幸福論              野口芳宏
 人生二度なし             野中信行
 自分大好き人間になろう         橫藤雅人
 
 
 
 
 

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やはり、日本の教育はおかしい!(2)

 「やはり、日本の教育はおかしい」を先日のブログに書いた。
 多くの反響をいただいた。
 私の姪が、この反響の多さをイタリアの両親に伝えてくれたらしい。
 とても喜んでくれて、ぜひイタリアへ来て、学校訪問をしてほしいというメッセージもらったらしい。
 今日のブログには、「みやた@ドバイ」という方が次のようなコメントを残してくれていた。アメリカンスクールで教えられているらしい。

 こんにちは。
全く同感です。といいますか、上に書かれてある、イタリアのような学校(アメリカンスクールですが)で教えているので、今、ハッと考えてみれば、そうなんです。先生は「教えること」しかしません。生徒指導(教頭の仕事)も進路指導(カウンセラーの仕事)もしません。学級会計などもありません。校務分掌もありません。自分のクラスの成績が悪ければ、親を呼ぶ。(自分の教科指導が悪ければ、親が文句をいいにやってきますが。)部活動はやりたい人だけ、別の手当をもらってやる。課外活動は授業の一環としてやるものだけ(例えば修学旅行)。
しかし、教えることに関しては、日本の先生以上に教材研究や指導法研究をします。それだけ時間の余裕があるからだと思います。生徒一人一人のことをもっと見る、そして、先生本来の仕事ができる環境が整っているのは、日本と全く違います。
自分の知っている範囲でコメントさせていただきました。

投稿: みやた@ドバイ | 2011年8月27日 (土) 20時31分

 

 「やっぱりなあ」という思いが、ため息とともに出た。
 日本の教師たちは、この事実にどう反応するのであろうか。
 「教えること」だけに専念できるなんて、素晴らしいことではないか。
 日本的事情があることは分かっている。
 しかし、教師の仕事は、このようでなくてはならないことは多くの方が分かってくれるのではないだろうか。
 「教えること」をいい加減にせざるをえない状況で、他のことばかりに奔走している教師なんてどう考えたっておかしい。
 まず、多くの教師たち、多くの教育関係者が、このように思うところから出発しなくてはならない。
 点から始める。そして、点を線にしていく。

 

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今日は誕生日だったのである!

   午後、SA小学校へ出かける。
 初任者の2人と29日の夏休み明け1週間をどのように過ごすか打ち合わせをして、早速作業に入る。
 今日のテーマは、「銀の時間」をどのように過ごすかである。
 担任のリーダーシップのもとに、教室の「時間」をきちんと統率しようということになる。
 そこで掲示物をまったく新たに作り直す。
 掲示物を眺めると、ほとんどがただ貼ってあるだけ。
 これでは教室の「時間」を担任のリーダーシップで進めることはできない。
 普通は子供たちに関係がない学校用プリントは、目立たないところに貼り直す。
 そして、前面に「日直システム」「全員当番システム」の黒板を貼り付ける。
 それから「給食当番システム」「清掃当番システム」を貼り付けることになる。
 午後1時頃から始めて、気がつくと5時すぎ。
 あわてて私は帰り支度を始める。
 今日私は誕生日なのである。  
 ★
 8月26日は私の誕生日。64歳になった。
 フェイスブックでは、誕生日のお祝いのメールがいっぱい。
 ありがとうございました。
 夜、あるイタリアレストランで女房と2人でお祝い。
 ものすごいどしゃぶりの雨の中を出かける。
 すてきなレストラン。
 シェフから誕生日のお祝いをしてもらう。
 満足、満足。
 
 
 

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夏休み明け1週間が決定的な岐路

   学級経営についての話で、SS小学校へ行く。
 校長先生も、教務主任の先生も、昔の同僚である。
 昔話で、当時のことを思い出す。
 午前中の2時間びっしりと話をする。
 若手の先生たちが多く、一生懸命聞いてもらえる。
 この先生たちがこの学校を支えている。
 ★
 終わったらすぐに次のSA小学校へ行く。
 車で迎えに来てもらえる。
 昼食後、この学校の若手メンターチーム10人ぐらいの先生たちに、夏休み明けの「銀の時間」の過ごし方について話をする。
 クラスが不安定になっている初任の先生の話題を中心にする。
 
 

 私が作っている「学級経営力」チェックリストをつけてもらう。
 (できている〇  まあまあ△  できていない✕)
 
 ①子供たちは、担任の指示にすばやく反応しているか。(  )
 ②子供たちは、担任の指示にきちんと従っているか。(  )
 ③子供たちは、担任に反発したりしていないか。(   )
 ④子供たちは、勝手におしゃべりや立ち歩きをしていないか。(  )

 

 これは教室の「空気」の統率がどうなっているかどうかをチェックするものである。
 やんちゃたちにこの空気を支配されていれば、教室は「荒れていく」ことになる。
 不安定になっている初任の先生たちのクラスは、ほとんど✕になる。
 この「空気」を押さえていくことがむずかしいのである。
 一方的に先生の側にこの「空気」を持ってこようとしてもだめだ。
 びしびしと縦糸を張りすぎることになる。
 ベテランクラスの学級崩壊の原因の1つはこれである。

 反対に、初任の先生はこの「空気」をどうするかをまったく考えていない。
 この「空気」の統率が一番の課題であること。
 ひしひしと感じる。
 ★
 初任の先生のクラスの掲示物を参観させてもらう。
 この掲示物には、教室の「時間」を統率しようという試みがなされていなければならない。
 朝の会、終わりの会、給食システム、清掃システム、日直システム、全員当番システムなどが「見える」化として表示されていなければならない。
 参観して、「これではまったくだめだ」と思う。
 これでは教室の「時間」の統率などできない。
 「明日、私が来ますので一緒に作りましょう」ということになる。
 初任者にとって、夏休み明け1週間が決定的な岐路になる。 

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このまま秋になってくれないかなあ!

   18,19日は東京に行く。
 ある企画の開発会議に参加する。
 久しぶりに北海道の堀さん、岐阜の長瀬さん、埼玉の山本さんに会う。
 また、メールでは何度も交わし合っていた合田さんに初めて会う。
 会えて良かった。
 この企画は、来年の春には皆さんの前に登場するであろう。
 ★
 19日に横浜の自宅に帰ったら、私の部屋が水浸し。
 女房が大騒ぎをしている。
 横浜は、午後3時頃に大雨が降っている。
 その雨が、湧き出たのか、屋根を伝って下りてきたのか、…原因が不明。
 建ててくれた大工さんに急ぎ連絡をする。
 ★
 21
日の日曜日は、早起きして、これから行く講座の資料作りに専念する。
 雨も降っている。快適だ。
 このまま秋になってくれないかとひたすら願う。
 夜は涼しいを通り過ぎて寒くなる。
 ★
 夜、上越の赤坂先生からメールがある。
 9/3(土)の新潟講座についてである。
 私の講座が1時間。
「日常を磨き上げ特別なレベルにする」というテーマになっている。
 学級づくりを学び合う会新潟の主催。
 「学級づくり」についてずっと主張してきたのは、赤坂先生と土作先生と私ぐらいだったのではないだろうか。
 ここへきて、完全にメジャーなってきた感じがする。
 ★
 22日の月曜日は、午前中からクラスが大変になっている初任の先生向けの資料作りに専念する。
 考えてみれば、途中でクラスが荒れてきたり、おかしくなったりした場合、それをどのように軌道修正していくのかという方法論は、ほとんど出されていない。
 1つの資料を作る。題して「クラス回復作戦」。
 親しい人たちに添付で送って検討してもらう。 
 
 

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業務連絡です! 学級づくりを学び合う会

  学級づくりを学び合う 特別編
 9/3 NOCプラザへ!   
 新潟初  野中信行           大好評 堀 裕嗣
                                                 北海道VS新潟・授業対決

 2学期がスタートしました。新学期を迎えて、様々な思いを胸に教壇に立たれていることと思います。2学期は、学級が変わるときです。1学期が種まきとすると、2学期は勢いよく伸びるときです。そのエネルギーをどのように方向付けたらいいでしょうか。また、思ったようにエンジンがかからない場合もあろうかと思います。そんなときはどうしたらいいのでしょうか。「定常的な学びの場」として、継続的な学びを続けてきたこの会ですが、半年継続記念の意味を込めてスペシャルゲストをお招きして開催します。2学期を実り多い時間にするための情報満載です。
今回は、あの「3・7・30の法則」「味噌汁・ご飯の授業」の野中信行先生、そして毎回の来県で超重量級旋風を巻き起こす、教育改革リーダー堀裕嗣先生の超豪華講師陣。それに加え、堀先生が引き連れる北の強烈教師トリオとそれを迎え撃つ実力派新潟教師トリオの授業対決もあります。これは見逃せません。
1 日 時  9月3日(土)10:00~17:00

2 場 所  協同組合 新潟卸センター(NOCプラザ)〒950-8756 新潟市東区卸新町2-853-3
       http://www.noc-plaza.com/

3 参加費  3500円

4 プログラム
9:30~      受付け
10:00~10:15 ご挨拶・趣旨説明
10:15~11:15 講座1「教育のこれまでを踏まえこれからを見据える」 堀 裕嗣
11:30~12:30 講座2「日常を磨き上げ特別なレベルにする」 野中信行

13:15~13:40 模擬授業1
13:40~14:05 模擬授業2
14:05~14:15 講評

14:30~14:55 模擬授業3
14:55~15:20 模擬授業4
15:20~15:30 講評

15:45~16:10 模擬授業5
16:10~16:35 模擬授業6
16:35~16:45 講評
4 その他
・ 終了後は、講師や授業者を囲んで懇親会を予定しています。よそでは聞けない話のオンパレードの時間になります。ふるってご参加ください。

5 申し込み・お問い合わせ  メールでお願いします。(定員50名)
               「お名前」「ご所属」「懇親会の参加希望の有無」
               akasaka@juen.ac.jp(赤坂真二) 

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教室の「空気」と「時間」を統率すること

   1学期の間に学級が荒れている。
 夏休みになったが、このことに悩んでいる先生たちは多いに違いない。
 私のところへも何人もの先生たちが、その悩みを持ってこられている。
 この「学級の荒れ」をもう一度整理しておきたい。
 ★
 「学級が落ち着く」ということはどうすることであろうか。
 「落ち着いた学級」ができるというのは、何をどうしたらいいのだろうか。
 ここが大変な課題になっている。
 今までは「『授業』をちゃんとやればいい」と言われてきた。
 そのように初任者指導もなされている。
 学校のほとんどの時間は授業によって成り立っているのであるから、誰でもがそのように考える。
 でも、私は「違う。落ち着いた学級を作り上げるための課題は授業ではない」と主張してきた。
 ★
 それでは、それはどんな課題なのだということになる。
 シンプルに、ずばり言うと次のような言い方になる。

 
 教師が、教室の「空気」と「時間」を統率すること。

 1ヶ月の間に、担任教師が教室の「空気」を統率できるか。
 それがまず問われる。
 「荒れてくる」というのは、この「空気」を担任ではなく、やんちゃたちに押さえられてくることなのである。
 1ヶ月の間に、担任教師が教室の「時間」を統率できるか。
 それが次に問われる。
 「荒れてくる」というのは、この「時間」がぎくしゃくしたり、空白ができたりの積み重ねの結果である。
 ★
 担任が教室の「空気」を押さえることはとても大切な課題になる。
 「空気」を押さえるとは、教室の中を教師―生徒の関係にしていくことになる。
 この「空気」を押さえるためには、担任に2つの条件が必要になる。
 
 

 ①担任がリーダー性を発揮しているか。
 ②担任が子供たちとの「関係づくり」をうまく行っているか。

 

 

 この2つのの条件を身につけるために、私は、「縦糸を張る」「横糸を張る」という主張をしている。
 1学期の間に、この条件がうまくいっているかどうかを判定するには次の4つの項目をチェックしてみればいい。
 
 

 ア、子供たちは、担任の指示にすばやく反応しているか。
 イ、子供たちは、担任の指示にきちんと従っているか。
 ウ、子供たちは、担任に反発したりしていないか。
 エ、子供たちは、勝手におしゃべりや立ち歩きをしていないか。

 

 ★
 担任が教室の「時間」を押さえるためには、次の2つの条件が必要になる。

 

 ①集団がすばやくスムーズに動いていける段取りができているか。
 ②子供たちが自分たちで動いていける学級システムになっているか。

 

 この2つの条件を身につけるために、私は、「仕組みづくり」が必要だという主張をしている。
 この教室の「時間」は、とりあえず教室の一日を「学級システム」として機能させていけばいいことになる。
 つまり、まず次の時間をスムーズに子供たちで動いていけるようにすることである。
 ア、朝自習
 イ、朝の会
 ウ、授業の最初と最後
 エ、給食
 オ、清掃
 カ、終わりの会 

 

 1学期の間に、これがうまくいっているかどうかをチェックするには、次の6つの項目をチェックしてみればいい。

 

 A 子供たちは、朝会できちんと並んで校長先生の話を静かに聞いているか。
 B 朝自習は自分たちで静かに行っているか。
 C 朝の会が1時間目の授業に食い込まないでスムーズに進んでいるか。
 D 給食の時間は決められた時間でスムーズに進んでいるか。
 E 清掃の時間は決められた時間でスムーズに終えているか。
 F 終わりの会は、短い時間でスムーズに終えているか。

 

 ★
 教室の「空気」と「時間」が統率できたら、次の課題が待っている。
 
 教室集団に方向性を与えることである。

 

 私は、「集団づくり」が必要だと主張してきている。
 「群れ」の状態を「集団」へかさ上げしていくためにどうしても必要な課題になる。 
   
 

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やはり、日本の教育はおかしい!

   12日から郷里の佐賀へ帰ってきた。
 いつもは35℃以上の暑さに悩まされるが、今回は30℃ちょっとの暑さ。
 朝夕は涼しいのである。
 こんなことは初めてのこと。
 14日からは雨になる。
 雨のお盆も初めて。
 ★
 16日に横浜へ帰ってくる。
 暑い、暑い。
 いつもは郷里から帰ってくると、関東の涼しさにほっとするのだが、今回は反対になる。
 この暑さも今週いっぱいだというのだが、どうなることやら。
 ★
 女房の実家は、佐賀の南方にある嬉野市。
 嬉野温泉から車で20分ぐらいのところ。
 そこに2泊させてもらった。
 山から吹いてくる風は、何とも心地よく、一日中この風に包まれてうとうと。
 避暑地にきている感じになる。
 ★
 義弟は、今佐賀で校長をしている。
 いい話を聞いた。
 この夏、イタリアへ行った。
 娘の結婚相手の両親に会いに行くためである。
 その両親との話(もちろん娘の通訳を介して)の中で、日本の教師の忙しさが話題になったという。
 「なぜ日本の教師はそんなに忙しいのですか?」と疑問をぶつけられた。
 子供たちの勉強を教えるということがそんなに忙しいはずはないという疑問。
 答えに窮したという。
 イタリアの先生たちのほとんどの仕事が子供たちに勉強を教えること。
 子供が勉強について行けない場合、親を呼んで「このままだと落第になるおそれがある」と伝える。
 家庭では必死になって、なんとかしたいと願う。
 子供たちも落第にならないように必死に勉強をする。
 しかし、勉強について行けない子供は落第になり、もう一度同じ学年を履修する。
 反対に、
 「勉強ができない子供をどうして上の学年にあげなくてはいけないのか?子供がかわいそうではないのか?」と疑問をぶつけられたという。
 学級で問題を起こす子供の話題にも、イタリアの両親は、
 「その子供は家庭で何とかしないといけない。子供が学校できちんと勉強しないのは親の責任。親が何とかしないといけない」と答えたという。
 ★
 この話を聞いて、多くの方がうなずくに違いない。
 日本以外の諸外国は、ほとんどこのように親も教師も考えている。
 そして、そのように学校は機能している。
 まとめてみると、
 第1に、子供の勉強を教えることは学校の教師の責任で行う。教師の仕事は、ほとんど子供たちへの勉強に集中すればいい。
 第2に、子供たちが勉強しようという気持ちや態度は、親の責任。
 第3に、勉強をしない、できないのは親の責任。家庭で必死になって、フォローをする。しかし、できない場合落第をして、もう一度同学年を履修する。
 第1のようにするというのは、教師も親もほとんどの人が賛成するに違いない。
 だが、これがもっとも実現性がない事項になる。
 第2は、教師の多くがそのように思っている。
 だが、親たちはそのように思わないであろう。
 第3は、日本では絶対に実現できない事項である。
 でも、このことが実現できれば、学習遅進児の大半がいなくなるであろう。
 イタリアの教育に向かう姿勢は、まともである。
 絶対に日本の方がおかしい。
 私たちは、これから長い時間をかけてまともな教育を実現できる道筋を模索しなくてはならない。
 

 
 

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池田先生の奮闘が輝いている

   学陽書房からのうれしい連絡。
 「必ずクラスがまとまる教師の成功術!」~学級を安定させる縦糸・横糸の関係づくり~が3版になったという。
  3月に発売されてから、6ヶ月。順調に売れているということ。
 ありがとうございます。
 ★
 郡山から帰って次の日は、郷里へと帰る。
 お盆におふくろに会い、兄弟たち一同が集う。
 きっと九州も、ものすごい暑さに違いない。
 暑さに弱い私はぞっとする。
 ★
 京都Y先生から学級通信のまとめが送られてきた。
 ぱあぱらとめくり、「ああ、いいなあ」と思う。
 教師が教室での子供たちとの関係をこのようにこつこつと書き綴っていく。
 ここからは「教師であること」の匂いが伝わる。
 飛行機の中で読もうと、急ぎ鞄に入れる。
 ★
 郡山への新幹線の中で、「先生子供たちをよろしく! 担任の仕事を楽しもう」(池田修著 学事出版)を読む。
 池田先生は、大学で「学級担任論」という講座を設けている。
 それを元にした本だという。
 私が待望してきた本である。
 テーマは明確である。
 
 
 私は、今、大学で教えています。新入生たちにこんな話をします。
 「君たちは、教育学科に入った。教師になるという夢は消えた、夢はいま目標になったのだ。今まで諸君は、守られる側にいた。叱られる側にいた。褒められる側にいた。しかし、四年後、教職に就いたとき、君たちは、守る側になる。叱る側になる。褒める側になるのである。そのために必死に勉強しなさい」
 四年後には、パラダイムが大きく変わるのです。

 
  おもしろかった。
 大学の現場からこのような本が出てきたことが、最も価値がある。
 大変な事態に陥っている初任者指導の現在がある。
 教育委員会は、現在ものすごい危機感を持っている。(持っていない委員会もあるが…) 大学の動きが鈍い。
 現在の事態に大学が大きく動き始めなくてはならないはずだ。
 このような中で、池田先生の奮闘が輝いている。

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子供はなおもひとつの希望

   11日は、郡山での講座。
 新幹線で郡山へ向かう。
 昨年の6/7にも講座を設けていて、今年も5/9に行く予定であった。
 ところが、今回の大震災で4,5月の研修会が中止となり、改めて8月に再設定されたものであった。
 100名もの参加者だという。
 夏の官制研修会でこんなに希望の応募があるというのは、一体何なのだろうか。
 ★
 福島県教委は、大震災と原発の影響で凍結していた今年度の教員人事異動を8/1付けで発令した。
 3289人の大異動。
 郡山も多くの先生たちが異動されていた。
 福島県内で公立小中学校に通う約1万4千人の児童生徒が、すでに県内外に転校している。
 全児童生徒の1割近くにあたる。
 これからもその数は増えていくに違いない。
 おそらく先生方にとっては、福島はこれからどうなるのだろうかという思いがあるのであろう。
 他の学校へ異動し、夏休み明けから新しいクラスの担任をする先生たちもいる。
 転校が多く、クラスも落ち着かない。
 きっと多くの不安を抱えながら私の講座へ足を運ばれたのであろう。
 ★
 2時間20分の学級づくり講座。
 今、どこに力点をおいて指導していかなくてはいけないかを熱く語る。
 最後に、次のような話をした。
 
~今回の大震災の1ヶ月後だっただろうか、石巻の佐々木潤先生とメールを交換しました。
 佐々木先生も、11日学校で被災し、子供たちを守って学校へ立てこもりました。
 親や兄弟、親戚をなくした子供たちを前に何ができるか、戸惑いや無力感の日々が続いたのだというのです。
 私は、佐々木先生へメールで書きました。
 

 今まで、日本の多くの子供たちは、全てに満たされてしまっていて、生きていく目標を見失っていた。自分の欲求を満たすだけの、そのような存在の子供たちだった。
 でも、あの3月11日以来、少なくとも東北の子供たちには目標ができた。
 この東北を復興させなくてはならない。
 亡くなった人たちの分まで生きなくてはならない。
 きっとそのような目標を持って生きていく子供たちが、この東北から育っていくに違いない。この子供たちが日本の明日を背負っていくはずだ。
 それが悲惨な状況の中での唯一の希望だ。
 先生たちには、その子供たちに、生きる道筋をつけてもらいたい。
 

  このメールを出しながら、メッセージが言葉になって浮かび上がった。
 谷川俊太郎さんの「子供は…」という詩の一節である。
  私は、その一節をもじりながら次のような詩句を郡山の先生たちに伝えた。

    子供は希望
    子供はなおもひとつの希望    このような悲惨な時代にあっても
    子供はなおもひとつの喜び    あらゆる苦しさのただなかにさえ
    子供はなおも一つの幸せ     いかなる苦労がおそってこようとも
    子供はなおも私たちの理由    育て上げる理由見守る理由
    子供はなおもひとつの希望    どんなに絶望のなかでさえ


 「先生たち がんばってください」と精一杯のかけ声。 ~~~~

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マンダラ法で分析する学級づくり3原則

   私と研究を一緒に進めている畏友の秦先生がブログに以下のようにまとめておられる。
 なるほど、なるほど。
 秦先生の発想法「マンダラ」法でいくと、次のようにまとめられる。
 
  http://dousureba2.blog.so-net.ne.jp/

 あえて、全文を載せさせてもらう。
 
 ★

 学級づくり3原則をマンダラで開く
野中信行先生のブログに『「どんぶり勘定」的学級づくりを改めて、
「マネジメント」感覚のある学級経営を推し進めていくことの大切さ』が記されていた。
私も全く同感なのだが、今日は、マンダラートの活用例として
敢えてこの部分を取り上げさせて頂く。
野中先生が「新卒時代を生き抜く学級づくり3原則」(明治図書)に示されている
「学級づくり3原則」をマンダラで展開してみた。
次のようになった。
Photo
じっくり眺めてみると、「?」の部分に何か生まれてきそうな気がした。
縦軸を「価値・目標」軸と捉えると、「思想」「哲学」「意識」「無意識」
という言葉が浮かんできた。
マンダラにするとこうなる。
Photo_2

ここまで来ると私には「学級づくりの3原則」が
「子供たちが主体的に動く学級づくりの3原則」のように思えて来た。
横軸は、時間ー空間軸であり、
・「3・7・30の法則」は学級づくりを時間軸の流れに沿ってみたもの。
・「縦糸・横糸」は組織・環境・空間軸の流れに沿ってみたもの。
と、私には見えた。
言い換えるなら、学級づくりには時間的マネジメント・組織マネジメント
が絶対に必要だということにもなろう。
さらに、学級づくり3原則の目的・目標は何かということになるのだが、
それは「群れ」を「集団」へと導くことであろう。
ここで、一つのことに気づいた。
ここまで示したことは、「5Wマンダラ」に次のようにフィットするということだ。

Photo_3


私のここまでの捉え方に誤りがなければ、
野中先生の「学級づくり3原則」は、子どもたちの意識を育て、あるいは無意識の
うちに、主体性を培うことになると思う。
特に、重要だと思うことは、これらの「3原則」が互いに繋がっている
ということである。独立しているのではなく、相互補完的に関連している
ということだ。マンダラ上では、中心と周辺のセルはイコールの関係
であるという。

この先もある。
「学級づくり3原則」を「授業づくり3原則」と読み換えることである。
さて、その時、周辺にはどのような言葉が入って来るのであろうか。
マンダラに書き、じっくりと眺めることで次が見えて来る。

 私たちの研究会(「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会 非公開)は、私が提起した「学級づくり3原則」をもとに、検討・修正・付け加えの作業に入っていくことになるであろう。
 すべてさまざまな人の実践を経ていく。
 「どんぶり勘定」的学級経営から「マネジメント」感覚のある学級経営に移行していくことになる。
 この方向で行くとするなら、「授業づくり3原則」はどうなるのであろうか。
 とても興味深いことになる。
 発想の基盤は、普通の教師が普通にできる「授業づくり」であり、「学級づくり」であるということ。
 その中に「教師の日常性」や「子供の日常性」をどのように繰り込んでいくかが問われる。
 私は、そのように理解しているのである。

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私はずっとあなたたちの先生です!

 朝のNHK連ドラ「おひさま」を見ている。
 陽子先生が、教師を辞める。
 その場面を今日はやっていた。
 6年の担任で、卒業式を終えて、教師を辞めていく場面である。
 じ~~~~んとくる場面。
 「私はずっとあなたたちの先生です」
 陽子先生は、教室にいて、子供たちとのさまざまな場面を思い出し、そしてそこを後にする。
 今日の「おひさま」はその場面。
 ★
 「24の瞳」の大石先生と重なっている。
 いつも子供たちのために奮闘する。
 いつも子供たちを想い、泣いている。
 子供たちも、陽子先生のところへ駆け寄り、ぐるりと輪になって泣いている。
 良き時代の、良き先生像と良き子供像が描かれている。
 私もあんな子供たち相手に教師ができるならば、もう一度老骨に鞭を打っても教師をやってもいいなと思わせてくれる。
 ★
 私たち日本人は、このような先生にずっと憧れてきた。
 「24の瞳」の大石先生が、ずっと日本人の憧れの先生だったことと同一である。
 泣きべそで、リーダーシップがなく、子供たちのためにおろおろしていて、今の学校へ来るなら、間違いなく5月頃には学級崩壊になるのは目に見えている。
 そんな先生なのに、今でもどこかで「憧れの先生」のイメージがある。
 初任の先生たちも、どこかでそんな先生像を引きずっている。
 このように言うと、身も蓋もない言い方になるが、ほんとうのことを言っているのである。
 ★
 陽子先生の言葉で一番注目したのは、「私はずっとあなたたちの先生です」という言い方だ。
 卒業しても、ずっと先生と生徒でいるという関係。
 おそらく、大石先生は、ずっとそういう思いで憧れられてきたのであろう。
 しかし、私はそのこととは反対の立場で遇してきた。
 担任の時には、精一杯教師と生徒の関係を保っていくが、担任が終わったらもう関係は終わり。
 私との関係をいつまでもひきづらないで、自分の力で生きていくのだよという思いであった。
 現実的にも、ずっと先生でいられることはできない。
 ★
 卒業生が不登校になった。
 卒業生が不幸にあえいでいる。
 さまざまな情報が私の元にも確かに伝わってくる。
 私にはもう何もできない。あえて、してはならないという気持ちもあった。
 (その原則を踏み外したことは何度かあったが…)
 先生と生徒の関係が終われば、私と○○さんの関係でしかない。
 そのように思ってきた。
 いつも卒業生を送るとき、泣き崩れる先生たちのそばでニコニコと笑っている私がいることに子供たちは違和感を感じてきた。
「先生は、泣かないの?私たちとの別れが悲しくないの?」
「そりゃあ悲しいよ。寂しいよ。でも、そんな気持ちよりみんなが卒業して、新しい道へ踏み出していくお祝いなのに泣いてどうするの?」
と言う。
 子供たちは泣いてほしいのだ。
 おろおろと泣き崩れてほしいのだ。
 でも、私の表情に拍子抜けしてしまう。
 「私は今日であなたたちの先生は終わりです。今度は別の人たちがあなたたちの先生になります。その先生とうまくやりなさい。自分が学んでいく先生はいつも変わります。
そして、自分で生きていく力を発揮するのですよ」
 私なら、このような言葉かけになるのであろう。
 
 
 
  

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仕事術チェックリスト

   2年目ぐらいの若い先生から相談を受けたことがある。
「4クラスの学年なんですが、私のクラスはきちんとしているのですが、他のクラスがいい加減で学年で決まった時間に集まろうとなっても、守るのは私のクラスだけで他のクラスはいい加減です。もう少しきちんとした学年にしなくてはならないと思っているのですが、どうしたらいいんでしょうか?」
 他のクラスがあまりにもいい加減なので苛立っているのである。
 私は答えた。
「あなたは何もしないほうがいい。自分のクラスの子供たちを褒めて、自分のクラスのためにこれからもがんばればいい。」
 学年のためにがんばろう、学校のためにがんばろうという善意の気持ちは、確かに貴重である。
 しかし、学年主任の仕事を2年目の先生が代わりに行うことはない。
 もししようとするなら、なまいきだ、勘違いしているなどと非難されるに違いない。
 若い先生たちは、そのようなリスクを今背負う必要はない。
 ★
 若い先生たちが、いま何をしなければいけないか。
 はっきりしている。
 教師としての力量をつけることである。
 このことを最優先しなければいけない。
 ここがあいまいになる。
 教師生活が3,4年も経過すると、学校の仕事がどっと回ってくる。
 パソコンなどが使えると学校の仕事にかかりっきりになる。
 ほとんど学校の仕事優先になり、学級の仕事が後回しになる。
 これを毎日毎日こなしていると、自分は教師としての力量がついているように錯覚する。
 錯覚なのだ。
 教師としての力量をつけるとは、学級経営の力量であり、授業力の力量である。
 学校の仕事をてきぱきこなす力量ではない。(これもやらなければいけないが…)
 ここを勘違いするべきではない。
 ★
 教師としての「往路」と「帰路」があると、私は言ってきた。
 往路とは、自分の教師としての力量をつける時間である。
 帰路とは、その力量で自分の現場の改革をする時間である。
 往路の時は、学校の仕事などは二の次にして(すばやく終えて)自分の力量をつけることを最優先にしなくてはならない。
 帰路は、身につけた力量で、自分の周りの課題を克服していかなくてはならない。
 ほとんどの先生は、管理職になり、その仕事にあたっていく。
 若い先生には、自分の学級経営や授業を見せて、方向を示してあげなくてはならない。
 若い先生たちの悩みには対応する力量を持っていなくてならない。
 学校の仕事もまたできるだけ対応して、現場の課題を解決していく方向を持たなくてはならない。
 私がその力量を持っていたとは言えないが、そのような方向を考えていた。
 往路と帰路の境目は何歳ぐらいか?
 私は、40歳から45歳ぐらいまでが往路だろうと思ってきた。
 ★
 若い先生で勘違いをする人がいる。
 自分の時間を確保したいために、さっさと5時頃で帰って行く。
 余裕があればこれでいい。
 私は、40代からこうしていた。
 校長たちの中には、遅くまで残っていれば「熱心だ!」と推奨するのがいる。
 この校長たちも勘違い。
 単に仕事が遅いだけなのである。
 それを推奨してどうするのだ!
 仕事が遅いためにもたもたしている。
 教師の仕事はやろうとしたら限りがないが、自分の守備範囲をきちんと終わろうとしたら、そんなに遅くまでかかるはずはない。
 しかし、早く帰るためには条件がいる。
 自分の仕事がきちんとできるようになっているかどうかだ。
 仕事をいい加減にしておいて、早く帰るなんてとんでもないことだ。
 自分の仕事で自己実現ができるようにしていくためには、一人前に仕事できるしていく事が必要である。
 3年ぐらいはかかるであろう。
 このくらいの時間はめちゃくちゃに仕事を覚えなくてはならない。
 それでも学校に9時や10時までいつもいるなんて、ちょっと遅すぎる。
 私は、仕事でそんなに遅くまでいたことなんて一度もない。
 6,7時頃までには仕事を終えていく習慣はつけなくてはならない。
 ★
 試みに、私は「仕事術チェックリスト」を作ったことがある。

 1 その日にどんな仕事をするか事前にきちんと立てられているか。
 2 出席簿(公簿)、出勤簿は毎日きちんとつけているか。
 3 テストの採点は、その日に済ますようにしているか。
 4 提出物は、遅れないで提出できているか。
 5 週案は、空き時間にさっさと書いてしまえるようになっているか。
 6 通信票は、余裕をもって仕上げているか。
 7 教室の教師机、職員室の自分の机は、きちんと整頓されているか。
 8 必要な資料がさっと出せるようにきちんとファイリングされているか。
 9 毎日の仕事は、勤務時間内で終わるようにしているか。
 10  土日は、校務を離れて自分の時間として使えるようになっているか。

 ○できている △まあまあ ×できていない
 ○10点   △5点   ×0点
 もちろん、3年以上の中堅、ベテランの先生たち向けのものである。
 講座で使ったことがある。
 70点以上ならばきちんとした仕事術が確立されているということになる。
 ちょっと試してみてください。(笑)
 
  

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佐伯泰英にはまっている!

   知り合いの先生がフェイスブックに書かれていたことである。

 
 先生が以前、お好きだとおっしゃっていた「佐伯泰英」の小説には​まっています。去年の年末に読み始めたのですが、まず「鎌倉河岸捕物帳控」を全巻。「居眠り磐音」を全巻。「密命」はちょっと暗いので7巻でやめて、「古着屋総兵衛影始末」を新潮文庫で9巻まで読みました。ここにきて、新刊が出るまで待たなければならないため、ようやくペースが落ちました。
読み終わった本を本棚に置ききれなくなり、(でも処分したくないので)両親にあげたところ、今度は彼らがはまっています。他にすることもないので、一日一冊以上のペースで読んでいるとのこと。​特に居眠り磐音がお気に入りのようです。(わたしも)
すばらしい作家のご紹介をありがとうございました!


 「佐伯泰英」の時代小説である。
  私は完全にはまっていて、シリーズが出るとすぐに買いに行き、2,3日で読んでしまう。
 先日も、「居眠り磐音」37巻<一矢の秋>が出たので、早速手に入れて読んだ。
 これを読んでいるときは、癒やしの時間である。
 私の親しい知り合いの鳥取の長谷先生もはまっていて、夢中で読んでしまうということを聞いた。
 知り合いの先生のお父さん、お母さんもはまってしまわれたらしい。
 時代小説が好きな人は、間違いなくはまってしまう。
 私も読んでみようかなと思っている方、いろんなことが後回しになるので読まない方がいいかもしれません。(笑)
 
 

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「どんぶり勘定」的学級経営の克服を!

   平塚の教育研究所での研修会へ行った。
 「教師の仕事術・学級経営力を高める」というテーマで3時間の講演。
 いつものように学級経営、学級づくりの大切さを力説する。
 この頃、やっとこのことが市民権を得てきたように思う。
 ★
 学校の一日は、ほとんど授業によって成り立っている。
 だから、この授業を充実させれば子供たちは落ち着いた学校生活を送ることができる。当然、学級が荒れてくれば一生懸命教材研究をして、子供たちに楽しい授業、おもしろい授業をしていけば子供たちは落ち着いてくる。
 今までこのように考えられてきた。
 誰もが納得することである。
 でも、私は違うと言い続けてきた。
 子供たちが教室の中で落ち着いた生活を送れるのは「授業」ではなく、「教室」の組織の有り様であると。
 まず、多くの子供たちが望んでいくのは、教室が「安心・安全な居心地の良さ」であるかどうかである。
 これを保障してくれるのは、教師のリーダーシップ、教師と子供たちとの良好な関係、教室のきちんとした仕組みになる。
 まず、これを確立することが教室を「落ち着いた状態」にしていく基盤である。
 これを1ヶ月で確立する。
 これが生命線だ。
 ★
 多くの教師たちが、このように考えたことがない。
 今まではこのように考える必要がなかったからだと言う。
 子供たちに恵まれたきたからに過ぎない。
 しかし、多くの教師たちは、今までのその方法(私は「どんぶり勘定」的学級経営と言っている)が通用しなくなっているはずである。
「おかしいな、今までは回っていたのに、なんかうまく学級が回っていかなくなった」とつぶやいている。
 中堅、ベテランの先生たちがつぶやいている。
 学級崩壊にまで進んでいくことはないが、2,3月には教室がよたよたする。
 2学期頃には、「早くこのクラスが終わらないかな。」と指折り数える。
 ★
 発想の転換が必要なのである。
 子供たちの有り様が深刻になっている。
 これが根底にある。
 だけど、まだまだ何とかなる。
 「どんぶり勘定」的学級づくりを改めて、「マネジメント」感覚のある学級経営を推し進めていくことである。
 まず「授業」ではない。
 土台としての学級づくりをはっきり確立して、その上に「授業」を乗せていく。
 このような筋道を確立することである。
 ★
 ある熱心な初任者指導の先生が担当している初任者のクラスが、2つとも学級崩壊の憂き目にあっている。
 
 始業式の最初からがんがんと「授業」への指導をされている。
 その先生は、「授業」こそが最も大事なことだと思い込まれている。
 しかし、初任者はその期待に応えられない。
 当たり前である。
 そんなにすぐ「授業」がうまくなるはずはない。
 初任者は、初任者指導の先生が来られる日はお腹が痛くなる。
 大変なストレスを抱えている。
 そして、学級がおかしくなる。
 もちろん、初任者指導の先生だけの問題だとは思わない。
 しかし、初任者を育てるという方法論を持っていないことだけは確かなのだ。
 ★
 私は、初任者指導の仕事を3年間してきた。
 そこで感じたことは、教育委員会も、初任者指導の先生たちも、ほとんど初任者を育てるという方法論を持っていないことである。
 ただ、初任者を何とか育てていこうという気持ちがある学校だけが、なんとか初任者への手立てをさしのべている。
 上越の西川純先生は、今の初任者指導の実態を丁半のばくちにたとえられていた。
 その初任者を包み込んで育てる学校へ赴任するか、それができない学校へ赴任するか、丁半のばくちである。
 私もその通りの実態であると納得する。
 そこで、何ができるのかどうか、私は深く考える。
 
 

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「もし教師がドラッガーのマネジメントを読んだら」

   京都の明日の教室で、学級づくりの3原則の「仕組みづくり」について話をしているときに、「もしドラ」のことを話題にした。
 「もしドラ」とは、「もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーのマネジメントを読んだら」という本である。
 ものすごいヒットをとばした。
 明日の教室に来ている人たちも、5,6人の人たちが読んでおられた。
 私は以前ドラッガーの本は2冊ほど読んでいるが、イマイチぴんとこなかった。
 多分、この本から興味を持たれてドラッガーを読まれてもぴんとこないと思われる。
 しかし、私は「マネジメント」という言葉にはすごく興味を持つ。
 教師の「学級経営」「学級づくり」に今一番欠けているのが、この「マネジメント」感覚ではないかと思っているからである。
 今まで(今もそうであるが)教師の学級経営は、ほとんどが「どんぶり勘定」経営であった。
 それが通用しなくなっている。
 ところが「情熱」や「やる気」があれば、子供たちの教育は成り立つと思っている教師たちがいる。若手に多い。時代錯誤だ。
 それは1970年代までの話である。
 ★
 「マネジメント」感覚を教師が持たなくてはならない時代になっていることは確実である。
 だから、「もし教師がドラッガーのマネジメントを読んだら」という本が書かれていい。
(二番煎じになるが…)
 しかし、ドラッガーはむずかしい。
 これからドラッガーを読んでみたいと思われるなら、最適な入門書がある。
 「ドラッガーが『マネジメント』で一番伝えたかったこと。」(小宮一慶著 ダイヤモンド社)。
 
 「ドラッガーのマネジメントにおけるキーワードは、二つしかないからです。
  それは、『マーケティング』と『イノベーション』です。
  『たった、それだけ?』と驚く人がいるかもしれません。」

 と指摘されている。
 夏休みのお薦めである。
  

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機嫌良く 悩むな、反省するな、次を考えろ

 私の親しい知り合いである新潟の庭野三省先生に「私の教師修業」をいただいた。
 第11巻。分厚いまとめである。
  校長通信と自分の実践がさまざまにまとめられている。
 私は庭野先生を北陸の「巨人」として尊敬している。
 毎日書かれる量が半端ではない。ものすごいのである。
 同じように尊敬している校長に、三重の中林校長がいる。
 二人ともめちゃくちゃに書きまくっている。
 それは何かである。 
 
 この冊子の編集前記に次のように書かれていた。

 ~ さらに本年度から特に職員向けのキーワードが出てきた。それが
 「機嫌良く   悩むな、反省するな、次を考えろ」
 になる。~

 

 「機嫌良く」は、あの内田樹さんの言葉から引用されている。

 

 ~ 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである~    (『こんな日本でよかったね』内田樹 文春文庫)

 

 
 「悩むな、反省するな、次を考えろ」は、今まで私が若い世代に提唱してきたことである。
 現在日本の思想家としての第一人者内田樹さんと並んで取り上げてあることは、光栄なことである。
 ★
 しかし、これはまたなかなかの言葉だと、私も思っている。
 考えてみれば、現在の学校の事態にはまったくそぐわない言葉でもある。(笑)
 内田さんの言葉はよく分かる。
 どんなに事態が深刻でも、とても機嫌良くなどしていられるかと思う事態でも、ふんふんふん…と鼻歌でも歌いながら仕事ができる教師であるということは、周りの子供たちを明るくする。
 間違いなくそうである。
 だが、「機嫌良くなんかできません」と教師たちは言う。
 教師は「役者であること」を忘れている。
 どんなに深刻な状況でも、子供たちの前に立ったら機嫌良く笑っておこう。
 すぐにはできないが、修業をしなくてはならない。
 私は、修業という言葉は好きではないが、これだけは修業しなくてはならない。
 心理学では言う。
 「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ」と。
 ★
 さて、「悩むな、反省するな、次を考えろ」ということである。
 これもまた「教師が成長するには、自分で悩み、しっかり反省しなくてはならない」というのは常識であった。
 戦後(もう死語に近い)ずっとこの常識は教師たちに刻まれてきたはずである。
 寝屋川の2年目の先生と話したとき、
 「先生が『悩むな、反省するな』と言われるのですが、誰からそんなことを学ばれたのですか?」と質問された。
 「福沢諭吉です。あの人は悩むということについては無縁の人でした。」
 「何か本があるのですか?」
 「『座右の諭吉』(光文社新書)斎藤孝 がいい。」
と薦めた。
 ★
 『座右の諭吉』には、次のように書かれてある。

 

 
 

 ところが福沢の心には、雲一つない。一言でいうと、福沢は精神がカラリと晴れている。まさにカタカナで「カラリ」と書くのがふさわしい、精神の独立と自由の気風に満ちた男だ。「くよくよするな」的な単純なポジティブ・シンキングではない。福沢の場合、考え方の根本からして違うのだ。成功している会社の経営者には多い、身も蓋もないほど湿度の低い本物の大人なのである。
 
 

 私は、身も蓋もないほど湿度が低い精神を教師も持たなくてはならないと思っている。
 私の1冊目の「困難な現場を生き抜く教師の仕事術」(学事出版)のあとがきに次のようにも書いている。

 

 
 

 私は、幕末の頃、幕臣(幕府外国奉行翻訳御用)として勤めていた福沢諭吉が好きである。
「私は時勢を見る必要がある。城中の外国方に翻訳などの用はないけれども、見物半分に毎日のように城中に出ていました」
 と言うのだから、福沢は徹底している。
 旧幕府軍と薩長軍が激突し、江戸の町が戦火に包まれようと江戸中が大騒ぎをしている中での行動である。その中で、福沢は芝の新銭座に新しい住まいと塾舎を普請している。今の慶應義塾である。
 このように、福沢は、時代の流れを常に一歩引いたところから眺め、決して時代の流れに沈没することはなかった。そのたくましさ、したたかさ、軽やかさをぜひ私も身につけたいと思っている。

 

 ★
 「『悩まないようにしよう』と思っていても、どうしても悩んでしまうのですが、野中先生はどうしておられるのですか?」と寝屋川の2年目の先生に聞かれた。
 人は、悩むべきその事だけでなく、自分の過去のことに悩む。
 調子が悪くなると、過去の失敗や思い出したくない事例を思いだし、いかに自分がだめな人間であるかを何度も反芻する。
 結局それが自分をズブズブに傷つけてしまう。
「過去や現在の悩みは、どんなに苦しんで悩んでも解決しないよ。解決するのは、時間だけ。その証拠に、1年前や2年前の今頃何に悩んでいた?と聞かれたら、ほとんど忘れているでしょう!」
「そうですね!」
「時間が解決したのです」
「悩んだり、反省したりすることは、時間に任せていけばいい」
「でも、思い出してしまうのです。つらい事実や過去の失敗を。どうしていけばいいでしょう?」
「そこですね。そこが大事ですね。そんなときは、思い出したことについて『さようなら』とか『ごめんなさい』とか『ありがとう』などと言って、すぐに忘れてしまう訓練をするのですよ。いつも自分をゼロにしておく訓練です」
「できるでしょうか?」
「できます。事実私がそのようにして訓練したのですから」
 ★
 自分の過去は変えられない。
 変えられない過去にいつまでもこだわるなんてばかばかしい。
 良い過去も失敗の過去も、すべて忘れてしまいたい。
 私はそのように思っている。
 なでしこジャパンの優勝は、テレビのこちら側の日本人は歓喜の涙で大騒ぎであった。
 ところが、テレビでインタビューされている彼女たちは、泣かない。
 彼女たちのその姿に、テレビのこちら側の日本人は拍子抜けしたに違いない。
 なでしこジャパンの選手たちは泣かないのである。
 澤選手とともに優勝の立役者であった宮間選手は、2日後に「もうW杯は終わったことですから」と発言している。
 彼女たちは、ドイツにもアメリカにも、実力的にはかなわない相手であることが分かっている。
 まだまだ発展途上である。
 目標は先にある。
 なでしこジャパンは、「前だけしか向いていない」のである。
 前だけを見る。
 「次を考える」ことだけが人生なのである。 
 

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関西での三日間。

 28日、29日は大阪寝屋川に行った。
 夏の大阪で、こんなに涼しい夏は初めてであった。
 1年目と2年目の先生方の研修会である。130名。
 28日は、授業づくり講座で3時間。
 29日は、学級経営講座で2時間30分。
 教育委員会の講座で、こんなに反応がある研究会も久しぶりである。
 とくに2年目の先生たちの活気がすごい。
 何ともうれしいことであった。
 ★
 寝屋川の教育委員会は、3月1日に初任者のガイダンスを行っている。
 そこに私を呼んでいる。
 1ヶ月前にこういう会を開くというのは、多分日本で初めてのことであろうが、そこに委員会の意気込みがある。
 なんとしても若手を育てていきたいという意気込みである。
 ★
 28日の授業づくり講座の最後は、模擬授業。
 ただの模擬授業ではない。ぶっつけ本番の授業なのである。
 私がそこで教材を提起し、そこで20分間教材研究をし(4人のチームで)、3人の先生が5分間の授業をするのである。
 「どきん」という光村国語3年の詩教材を提起した。
 「教材研究のあとに3人の授業者はくじをひいてもらいます!」と言った。
 教材研究の観点は、2つ。
 
 ①音読を楽しむこと。
 ②できるだけ全員が参加できる授業であること。
 
 ★
 3人の授業はすごかった。
 実はこれほどの授業を期待していなかった。
 ところが、ところが、3人ともすごい。
 感激してしまった。
 最後に私も5分間の授業をしたのである。
 ほぼ同じ内容。私がする必要もなかったのである。
 「寝屋川恐るべし」という感想だった。
 29日の夜には、2年目の研修会の幹事の先生たちと一緒に懇親会を行う。
 とにかくみなさん元気である。活力がある。
 これが関西のパワーであろう。
 その後、親しい知り合いのU先生が最後に合流され、教育長の行きつけの店に行こうということなった。そこに屋久島の焼酎三岳があった。
 したたかに飲む。
 翌日は二日酔いであった。
 ★
 30日は、京都山科へ急ぐ。
 京都も涼しい。
 何ともさわやかな夏。
 何度も夏の京都を訪れたことがあるが、こんな京都の夏は初めて。
 しかし、違うのは東京や横浜が薄暗いのに、こちらは明るい。
 節電効果がまったく違うという気がする。
 講座は、3時間30分びっしり。
 カヤ企画のDVDに取られているので、名前が出るところを慎重に話す。
 北海道、長野、四国、富山、横浜などから駆けつけてこられている。
 ありがたいことである。
 終わったら、タクシーに分乗して池田先生の地元に向かう。
 琵琶湖での花火を見る。
 本格的には8月8日に琵琶湖の花火大会になる。
 この日は、5分程度。
 このような花火を見るのはいつ以来だろうかと思い出してしまった。
 
 
 

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