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2011年7月

夏休み明け1週間は、「銀の時間」なのである

  教職ネットマガジンの村岡さんより取材を受けた。
  https://kyo-shoku.net/
 カメラを回しながらの取材。
 今日は、「銀の時間」に何をやるのかというテーマ。
 「銀の時間」というのは、夏休み明け1週間のこと。
 「金の時間」(4月の1ヶ月)をうまくこなせなくて、うまく回っていないクラス。
 最後のチャンスがやってくる。
 それが、銀の時間。
 この1週間に、猛烈にしかも徹底して課題を追求しなくてならない。
 その話をした。
 ★
 ところが、この時間はどこの学校でも会議や研究会が詰まる。
 放課後にまとまった時間が取れない。
 だから、夏休みの作品や宿題などに対して、先生のコメントをどのようにつけていくかが後回しになっていく。
 私も若い頃、これに苦労した。
 2,3週間引っ張ってやっと作品などを返却していくことなどざらにあった。
 ★
 あるとき、子供の日記にはんこだけを押して返したことがあった。
 ほんとうなら一々コメントしたかったが、時間がなくてざっと読んで返却してしまった。
 次の日、保護者から連絡帳が来た。
「子供が先生へ向けて一生懸命書いた日記です。せめてささやかなコメントでもつけてほしかった」と書かれてあった。
 頭をが~~~~んと殴られたような衝撃を受けた。
 分かっていたのである。
 分かっていて、時間ない理由をつけてそのまま返却していた。
 保護者は、私のことを信頼していたのである。
 その信頼を裏切るようなことをしてしまったのである。
 したたかに打ちのめされて、もう二度とこんなことができないと方法を考えたことがある。
 ★
 その方法も話した。
 夏休み明け2日目の方法である。
 4時間の授業を全部夏休みの作品、宿題などに当てる。
 一部の日記や一部の自由研究を除いてすべてこの時間に夏休みの処理をしてしまう。
 夏休みの作品は、2時間をかけて作品発表会をし、その間に全部作品に私のコメントを書いてしまうのである。
 体育館などに作品が並ぶときには、全部の作品に私のコメントがついているわけである。
 宿題は、それまでは全部私が丸つけをしていたが、それを全部子供たちにやらせる。
 その内容をくわしく話した。
 ★
 夏休み明けの職員室で、せっせと丸付けをしている先生がいる。
 この大切な時間は、丸付けなどの作業をなくしていかなくてはならない。
 夏休み明け1週間は、銀の時間である。
 やらなくてはならない課題はきちんとあるのである。

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Sさんからのメッセージ

  私の知り合いの編集者Sさんからメールをいただいた。
 病気でこれから療養生活に入られるということで、私にメッセージをいただいた。
 ありがたいことである。
 Sさんは、京都の明日の教室にも、東京の明日の教室にも出かけてこられた。
 いつも現場の空気を大切にされるSさんの姿勢に励まされたものだ。
 Sさんのメッセージは、次のようなものだ。
 ★
 …………………
 療養なので何も考えずにと言われていますが,やはり出版のことと学校教育のことは絶えず考えてしまいます。
「明日の教室」で一緒に学んだ若い先生方は1学期過ごして大丈夫かなあ,私と同じくらいの年齢の先生方(私は今年で44です)はバーンアウトしていないかなあ,等々。

そこで思うのは「味噌汁・ご飯授業」の提唱は,やはり重要だと思うのです。
これまで,我々メディアの責任はおおいにあったと思います。とにかく目新しい実践,家庭を犠牲にしてまでも夜遅くなるまで教材研究を続けることが美談,等々を伝え続けてきたこと。
スーパー教師はなんなくやり遂げてきたのでしょうけれども(だからスーパーなんでしょう),それは怪物。怪物は何人もおりません。
そうではなく,毎日の自分の生活を大事にし,にこやかな顔で子どもに接し,怒らなくてはいけない時は怒る,そして1時間ごとの授業をいかに子どもたちにしみ込ませ,定時になったら帰宅し,我が大切な妻・子どもと接して,趣味の時間もあり,そして就寝。
仕事ですから突発的な出来事もありますが,特別でもない何でもない一日を日々繰り返しながら,子どもの成長に携わっていけることの喜び。
「味噌汁・ご飯授業」の提唱は,これまで常識だと考えられてきた学校文化(=教師なんだから負担がかかって当たり前)を切り開く,突破口になると存じます。

* * *
 うちの子どもはまだ2歳なのですが,将来,教師ご自身が元気な毎日を送ってくださる方に担任していただけたら,と切に願っています。
そしてそのベースは「味噌汁・ご飯授業」なんだと考えております。
これからの研究の進展,とても期待しております。
 さすがに今月末の京都本校に行く元気はありませんが,野中先生のお話を待ち望んでいる若い先生方が多いと予想しています。
盛会であることを祈念しております。

 Sさん、どうぞはやく病気を治して、また明日の教室へ出かけてきてくださいよ。
 待っております。
 メッセージを深く受け止めました。  

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夏休みの講座である

 今週から方々へ出かけなければいけない。
 その準備に追われる。
 28日、29日は、大阪のN教育委員会の研修会。
 1年目、2年目の先生たちが合同で集まる。130人ほど。
 1日目は、授業講座。
 第1講座「授業の悩み」講座、第2講座「授業力をつける」講座、第3講座「授業」を作る講座。それぞれ1時間ずつ、3時間の講座になる。
 ファシリテーション形式で講座を進めていこうと思っている。
 最後の授業づくりは、その場で教材を提起して、その場で教材研究をし(4人チームで20分)、そして授業。
 5分の模擬授業になる。
 これは1,2年目の先生たちはちょっとびっくりするであろう。
 何の予告もなく、行うからである。
 たった5分であるが、5分は長いのである。
  2日目は、学級経営講座。
  第1講座「学級経営悩み」講座、第2講座「学級を作るということ~銀の時間に備える」講座になる。2時間30分の講座になる。
 ★
 30日(土)は、京都の明日の教室。
 テーマは、「1学期のまとめと立て直し」になる。
 
 1、1年間の学級づくりの戦略を考える
 2,銀の時間に何をするのか?
 3,学級の「荒れ」をどのように克服するのか?
 4,自分の授業を見直してみよう

 糸井先生が企画されたことは、「どんなに最初に話を聞いていても、そんなにうまく学級づくりはいかないはずだ。そこをどのように修正するか?」ということ。
 そのテーマになる。
 6月頃から学級がうまくいかない。そんな初任の先生たち、2,3年目の先生たち。
 どこかに問題がある。
 ぜひともその課題を見つけてほしい。
 そのつもりで今回の提起をしたい。
 ★
 8月4日(木)は、平塚の教育センターで「教師の仕事術・学級経営力を高める」とテーマで3時間の講座である。
 すでに60名の申し込みがある。
 ★
 8月11日(木)は、福島県郡山教育委員会での講座である。
 テーマは、「年間を通した学級づくり」である。
 申し込みは、すでに100名を超えていると連絡がある。
 2回目の講座になる。
 郡山の先生たちに精一杯の話をしてこようと思っている。
 ★
 8月18,19日は、ある企画の開発会議。
 まだ、何も考えていない。
 ★
 8月25日(木)10:00~12:00は、横浜市のS小学校での学級経営講座。
 ★
 そして、9月2日は新潟十日町市立東小学校へ行く。
 ★
 今年の夏も、ほとんどまともな夏休みを取らないままに終わっていく。
 体に気をつけて、過ごさなくてはならない。
 
  

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学級力・授業力アップ研修会のご案内

 新潟県十日町市立東小学校の校長庭野三省先生より分厚い「私の教師修業」(第11巻 平成22年度)とともに、「“学級力・授業力”アップ研修会」の案内が送られてきた。
 新潟県全体に配布されている案内状である。
 9月2日(金)。
 赤坂真二先生、堀裕嗣先生、と私の3人が講師として参加する。

 1 日時  平成23年9月2日(金)13時15分(受付)~16時45分
 2 会場  新潟県 十日町市立東小学校
 3 後援  十日町市教育委員会(申請中)
 4 講師
              赤坂真二先生(上越教育大学教職大学院 准教授)
              野中信行先生(元横浜市小学校 教員…編著書多数)
              堀裕嗣先生 (北海道札幌市中学校 教員…編著書多数)
             
  5 内容・日程
    (1)赤坂真二先生の提案授業   13:30~14:15
          道徳の授業          6年1組
         
    (2)堀裕嗣先生の提案授業    14:20~15:05
          国語の授業          6年2組
         
    (3)野中信行先生の講座     15:15~16:00
     学級崩壊を防ぐためには、何をどのようにしたらよいのか?

    (4)情報交換会                  16:05~16:45
       3人が語る会

 6 会費  2000円
  
 7 問い合わせ
          十日町市立東小学校 山田直美
          (東小学校へ問い合わせてもらいたい)

  8 締め切り  8月22日(月)

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その場所へ戻ろうよ

   ブログへのうれしいコメントである。
 t-oshimaさんの指摘は、実に的を射ている。
 「忙しい忙しいと言いながら、先輩たちは何故年に一、二回の研究授業に多大な時間を費やしているのだろうと私もずっと思ってきました。そして、その研究授業の成果が日常の授業にほとんどかえっていない事も疑問に思ってきました」
 この通りに思っている先生たちは数多くいるのではないだろうか。
 そう思いながら、いつのまにか今までの慣習に埋もれている自分がいるという形で、意味がない研究授業を繰り返している。

 いつも拝読させていただいています。
 先生の提案されている「味噌汁ご飯の授業」に賛同しています。
 忙しい忙しいと言いながら、先輩たちは何故年に一・二回の研究授業に多大な時間を費やしているのだろうと私もずっと思ってきました。そして、その研究授業の成果が日常の授業にほとんどかえっていない事も疑問に思ってきました。
 私も10年目を過ぎ、ようやく提案できる立場になりました。この度、市の情報部で「日常の授業がよくなるICTの効果的な活用」をテーマにみなさんに授業していただくことにしました。
 先生の「味噌汁ご飯の授業」が広まっていくことを切に願っています。

投稿: t-oshima | 2011年7月17日 (日) 22時49分

  ★
 t-oshimaさんは、一歩前に進んでおられる。
 すばらしいことだ。
 「日常の授業がよくなるICTの効果的な活用」
 このテーマは、札幌の山の手南小学校の研究テーマとほとんど同じである。
 ICTを使って日常授業に食い込んでいく実践は、堀田先生、玉置先生、中林先生、新保先生など数多くの先生たちが先進的に進めておられる。
 私は、教材研究、授業づくりの視点から日常授業に食い込んでいけないかと意気込んでいる。
  ★
 私が提案している「味噌汁・ご飯」授業の手応えはすごいものがある。
 多くの先生たちが気づきだしているのである。
 このまま進んでいけばブラックホールの底なし沼に落ち込んでいくような感覚になるはずである。
 戻ろうよ。
 教室で子供たちと直接関わりあう日常の普通の時間が、教師にとって最も価値ある時間である。
 その場所へ戻ろうよ。
 その場所で、地に足をつけた実践を取り戻そうよ。
 そのように私は呼びかけたい。

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「教師の日常性」を繰り込む実践

   第4回の「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会(非公開)を行う。
 先日、情報教育の第一人者堀田龍也先生とフェイスブックで知り合いになり、メールで交わし合った内容で、一番共通することが「日常授業を何とかしなくては何も始まらない」ということだったように思う。
 私は集まってきた先生たちに、今なぜ日常授業にこだわらなければいけないのかを簡単に話をした。
 ★
 今までの教育界は、「教師の日常性」を大変粗末にしてきた(あるいは無視してきた)のだと思う。
  教師の仕事で一番大切なことは、授業や学級活動で子供たちと関わりながら、子供たちに「学力」や「生活力」などを身につけさせていくこと。
 このことは大半の先生や教育関係者は納得する。
 しかし、この「大切な時間」を確保することが、最も粗末にされてきたのである。
 学校は、教師たちに授業をするためのまともな「教材研究の時間」さえもほとんど確保していない。
 余計な行事と、会議と、雑務に追いまくられている。
 横浜市では、パソコンのUSBを学校外へ持って行くことを禁じている。
 東京でもこのような措置をとっているらしい。
 なくしていく教師が多くいて、これに困っての措置である。
 学校の放課後にそのための仕事ができるのかというと、ほとんど会議と研究会で埋まっている。
 だから、遅くまで先生たちは残って仕事をしている。
 子供を保育所とかあずけて仕事をしているママさん先生たちはどうしたらいいのか。
 悲嘆にくれている。
 だから、土曜日とか日曜日に学校へこなければいけなくなる。
 普通の生活人としての生活ができなくなっているのである。
 ★
 「教師の日常性」とは何か?
 たとえば、小学校の先生なら6時間の授業をしたり、子供と関わった生活をしたりする分刻みの忙しさである。
 教師の日常性から、この分刻みの生活を逃れることはできない。
 この忙しさをもうすこし何とかしたいと思っても、何ともできない。
 これが教師の日常だからだ。
 できることは、この「忙しさ」の中に楽しみを見つけていくこと。
 これしかできない。
 これができなければ、教師としての自己実現は不可能に近い。
 ★
 私は、今までの教育界に違和感も持っていることの1つに、この「教師の日常性」を授業論や学級経営論や教師論などに繰り込んでくることがなかったことである。
 名人教師やスーパー教師たち、あるいは名うての実践家たちは、この「教師の日常性」を授業論などに繰り込んでくることをやってこなかった。
 寝食をつぶして学級経営や授業を作り上げていくことで、今までの多くの有名な実践を作り上げてきたはずである。
 普通の教師が、普通の生活をしながら(いわゆる「教師の日常性」を繰り込む)作り上げていく実践ではなかった。
 そこに違和感がある。
 ★
 私が提唱している「味噌汁・ご飯」授業とは、「教師の日常性」を繰り込む実践のことである。
 普通の教師が、日常的な生活を送りながら、きちんとした学力を子供たちに保障していく試みである。
 「特別」な実践ではない。
 「あこがれのごちそう授業」ではない。
 普通の教師が、子供たちと過ごす「日常の時間」を豊かにしていこうという試みである。
  
 

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「おひさま」の舞台である安曇野へ行きました!

 信州の安曇野へ行った。
 知人との二人旅である。
 この安曇野は、NHKの連続朝ドラの「おひさま」の舞台になっているところ。
 ぜひとも行ってみたいところであった。
 ★
 かつて職員旅行で黒部峡谷へ旅したことがある。
 その黒部から信州へバスで下り立ったとき、そこで見た信州の街並みの美しさに憧れたことがある。
 桃源郷とでも言えるほどの美しさであった。
 ★
 松本まで特急で2時間30分ほど。
 その松本から30分ほどで安曇野に着く。
 松本盆地に広がる安曇野の美しさは、やはり思っていたとおりであった。
 穂高の駅から少し離れたところにある大王わさび農場を訪ねる。
「おひさま」の舞台にもなっているわさび農場。
 その広さに驚く。
 15町歩のわさび畑。
 作業をしている方へ聞く。
「作業は夏の間だけですか?」「とんでもない。1年中です。毎日わさびの収穫がありますから」…
 ★
 ここへ来るのは二度目だという人と知り合う。
 ホテルが一緒なのだ。
 安曇野にあるリゾートホテル。
「このホテルが何よりもいいのは、このテラスです。眺めが良くて、この風はすばらしいでしょう。」
と紹介されたテラスで朝食をとる。
 半袖シャツでは肌寒いほどにさわやかな風である。 
  ここへはもう一度訪れようと、そんなことを思わせてくれる。
 ★
 テラスから雪が残る北アルプスが見える。
 大滝山、鍋冠山、そして常念岳だろうか。
 遠くにかすかに槍ヶ岳。
 ずっと向こうは奥穂高なのだろうか。
 静かな安曇野は、つかの間の夏休みを満喫させてくれる。
 

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平塚のM小学校を訪れる!

 平塚の親しい知り合いのS先生のM小学校へ行った。
 他校からも見えていて、30名以上の先生たちである。
 平塚の教育センターからS指導主事も来ていただいている。
 平塚の教育センターでは、8月4日に「学級経営」について話をすることになっている。
 すでに50名以上の応募があって、講座でこのように多くの先生たちが集まるのは珍しいことだと言われていた。
 やはり、「学級づくり」で悩んでいる先生方は多いのだ。
 最近は、その手応えがすごい。
 ★
  さて「学級づくり」の話である。
 1時間20分。
 2つのテーマについて話をした。
 
 

 1 「銀の時間」にかける
 2  学級の「荒れ」にどう対応するか?

 4月の1ヶ月は、「金の時間」になる。
 ほぼ80パーセントの学級づくりがこの時間で終わる。
 再びこの時間を取り戻すのはむずかしい。
 しかし、もう一度チャンスがくる。「銀の時間」だ。
 夏休み明け1週間である。
 この時間に、もう一度学級の仕組みづくりに挑戦できる。
 学級の「荒れ」について、学級の原因追求を止めるべきことを強調する。
 ほとんどの先生たちが普通にやっていることである。
 原因追求とは、次のようなことだ。
 
 

 ①学級の荒れる原因を作っている子供たちをしょっちゅう叱る。
 ②もめごとが多発する。問題の子供をしょっちゅう呼び出し、叱る。
 ③授業を中断して、廊下や特別室で問題の子供を呼び出し、叱る。
   
他の子供たちはしばしば自習になる。
 
 

 このようなことを繰り返し、担任と子供たちの関係は壊れていく。
 学級の荒れは、ますます増幅していく。
 ★
 原因追求を止めて、発想の転換をするべきだ。(問題のある子供への対応をまったくやらないということはできないのだが…)
 担任の見るべき視点を変える。
 「問題のある子供」「問題がある行為」「問題がある場面」ではなく、「きちんとしている子供」「きちんとしている行為」「きちんとしている場面」に注目する。
 それを認め、褒め称える。
 そのように発想を転換していくこと。
 ★
 だが、この発想の転換は簡単なことではない。
 担任の「覚悟」がいる。
 ★
 M小学校は、明るい学校だった。先生たちが元気だ。
 これは何よりもいい。若い先生たちも、ベテランの先生たちも元気なのだ。
 先生たちが、明るく、元気でいる。
 これだけでも学校は変わる。
 子供たちに計り知れない影響を与える。
 ★
 10月14日にまたこのM小学校へ行く。
 3,4,5時間目に授業をして、授業についての話をさせていただく。
 楽しみなことである。
  
 

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業務連絡です!

 パソコンがおかしくなって急いで新しいパソコンを買った。
 ところが、今までのデーターを移せなくなった。
 専門の方に来てもらって操作してもらったが、今までのパソコンはしばらくすると、ぷっと止まってしまう。
 これではデーターの変換は無理だという。
 パソコンを買ったところへ持っていかなくてはならなくなった。
 ただ、メールは使える。
 今までのメールのデーターがまったくないだけである。
 秦先生、私のところへ研究会のML(出席)を送ってもらえませんか。
 お願いします。
 
 

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京都「明日の教室」(7/30)の申し込みである

   
 京都の明日の教室 7/30 が申し込みを開始された。
  池田修先生のブログである。
  ★
 野中信行先生の申し込みを開始しました。
お待ちしております。
今回の明日の教室は、横浜から野中信行先生をお招きいたします。野中先生はもう説明するまでもなく、野中先生です(^^)。明日の教室では最多登壇の先生です。

今回は、学級づくりの立て直しについてお話しいただきます。
二学期の始まりは、一学期の指導を踏まえて学級を立て直す最適な時期です。その際、どこを見てどのように指導して行けばいいのか、示唆を頂けると思います。

お待ちしております。
 
http://kokucheese.com/event/index/14067/
  ★
 糸井登先生のブログでは次のように紹介していただいた。
 まずは、「京都の本校」である。
7月30日(土)に横浜から、野中信行先生をお招きして行います。
テーマは、「1学期のまとめと立て直し」です。
息も絶え絶えに一学期を終えた若手の皆さん、この夏が勝負ですよ。
きちんと一学期の振り返りを行い、二学期に向けての対策を練るべきです。
夏休みは充電の時期なのです。間違っても、放電してはいけません。
何とかなるさ、などという言葉は嘘です・・・学びがあなたを救うと思います。

  ★
 テーマは、「1学期のまとめと立て直し」。
 13:30~17:00の予定である。

 ●「銀の時間(夏休み明け1週間)に何をするのか?」
 ●「発想の転換!『荒れ』を克服する!」
 ●「自分の授業を見直してみよう」

 などを予定している。
 1学期にうまくいかなかった先生方、ぜひとも参加していただきたい。

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{大事なこと}教員養成について

  西川先生から再びメールをもらった。
 「補足のメモ」が書かれていた。
 読ませてもらった。
 このブログで先日紹介した西川先生の「教職大学院」と今回の「教員養成について」の2つを読めば、現在の教員養成と免許制度の問題点と今後の方向が明確になる。
 私も今回の西川先生の2つからずいぶんと学ばせてもらった。
 ありがとうございました。
  早速、今回の「教員養成について」を掲載したい。

  ★
  [大事なこと]教員養成について 05:57   
 数日前の私のメモ(http://bit.ly/qvbBbD)に野中先生より丁重な紹介があった(http://bit.ly/o7IkSo)。光栄なことです。同時に、野中先生の補足のコメントをいただいた(http://bit.ly/q6Zxu6)。大事な指摘だ。私なりにメモりたいと思いました。

 まず野中先生の懸念は正しいと思います。特に現状の経済状況では。私なりの対処療法としては、かつての育英会のように教員として採用された場合は奨学金の返還は免除される、というようになれば本気で教員になりたい人の志望者数の減少を留められると思います。

 さて、本題です。教師が専門職であるならば、長期の学習は必要です。当然、医者と同じように6年制の養成も考えられるでしょう。そして、現状はその方向に進むことは確かです。それが5年後になるか、10年後になるか、20年後になるかは今後の政治情勢によって変わりますが、長期的には4年以上の養成になることは確かだと思います。

 では、現状で教職大学院のような教育課程が必須かと言われれば、そんなことはありません。4年の大学卒業で教師になり、素晴らしい実践をされている方は山ほどいます。ただ、現状の若い人の場合、それは丁半博打のようなものです。何故か?それは学校現場の教育力が圧倒的に低下したからです。そして、それに対応した様々な教師の自己防衛反応が起こりました(http://bit.ly/nonzJW)。

 現状で若い教師が学校現場に行ったとき、その初任校が教育力を持っているか、無いかで、その教師が教師を続けられるか否か、また、教師としての健全なスタンスを維持できるか否かが決定されます。それでは可哀想すぎる。野中先生をはじめとする様々な教師や教師集団が若い教師に手をさしのべています。上越教育大学の教職大学院が協働を基本コンセプトとしているのも、大学なりの手だてなのです(http://bit.ly/qzERIc)。

 もちろん官製の研修も制度化されています。しかし、そのような若い教師を救うために大事なことは「知識・技能」だけではないのです。なによりも「繋がり」だと思います。どんなに山ほど「知識・技能」を伝えても、若い教師の直面する悩みは様々です。その悩みを解決するのは当人しかありません。しかし、一人で立ち向かうのは若い教師には辛すぎます。相談に乗る人が必要です。何よりも愚痴を聞いてくれる人が必要です。私が新任の学校には、私の愚痴を延々と聞いてくれる先輩が、全職員が十数人の職場で片手はいました。毎日、職員室の横のお茶飲み場で馬鹿話をしましたし、毎週、誰かが酒を驕ってくれました。でも、現状の若い教師がそれをどれだけ享受しているでしょうか?

 実はつぶれているのは若い教師だけではありません。現状で指導力不足で分限を受けている人は四十代後半です。その人達は、それまでは指導できたのです。しかし、脂ののりきるべき年代で分限を受けています(http://bit.ly/q4wkMm)。理由は、同じく学校現場の年齢バランスの崩壊です。

 上越教育大学に25年も勤めていると、様々な県の現職派遣者に出会います。上越教育大学に派遣される教師は三十代後半の教師が多いです。しかし、最近十数年の傾向として、初任からずっと最若年のままで三十代後半になった教師が多くなったように思います。結果として、いつまでも若手意識が抜けず、中堅に脱皮できないのです。このような教師の場合、健全に若い教師とつきあう機会を保障しなければ成りません。上越教育大学の教職大学院は、それを保障しようと思っているのです。そして、多くの教師や教師集団が、自分と違う職場の若い教師に手をさしのべているのは、若い教師と繋がる必要性を感じているからだと思います。

 しかし、上越教育大学の教職大学院も、また、様々な研修団体も、全て「その人の職場」の補完・準備にすぎません。教師の職能は、自分の教え子たちとの関係の中で磨かれるものです。それから離れたものは、それがいかに優れたものであっても、畳の上の水練です。学んだものを、自分の教え子への実践に自らの頭で適用し、反省し、修正しなければ血肉にはなりません。そして、それは毎日積み上げていかねばならない。そのような毎日の積み上げには、日常の繋がりが必要です。それを最も確実に実現するにはどうしたらいいか?

 まず、教師が教材ではなく子どもに着目すべきだと思います。私が高校教師であったときのことです。職員室の隣の部屋にお茶飲み場があり、そこでお茶を飲むのが大好きでした。それは、馬鹿話の中にためになる先輩の話を聞くことが出来たからです。私が失敗したとき、落ち込んだとき、先輩教師から「俺も○○ということあったんだよな~。その時は、○○で・・・」とその先生の失敗談、そして解決の方法などを、クラスの様子がありありと分かるようなエピソードを聞かせてもらいました。先輩教師の教科は様々です。K先生の場合は英語、SUW先生の場合は数学、SUZ先生の場合は社会、SA先生は国語、F先生は体育でした。しかし、そのことに違和感を感じることはありませんでした。それは、先輩教師が語ってくれたのは教科学習の場面ではありますが、教科の内容ではなく、教科を学ぶ子どもの姿(そして教師の姿)だったからだとおもいます。

 これは中高の教師の場合は決定的です。なぜなら、教科内容で繋がろうとしたならば、学校に繋がれる教師が少なすぎるからです。その人が相性が悪ければ繋がることが出来ません。そもそも教科によっては、自分一人という場合も多い。だから中高で教師同士が繋がるとしたら生徒指導や特別活動が一般的です。しかし、教師の勝負の場、そして、もっとも悩むのは教科指導なのです。であれば、教科指導における子どもの姿を語るようにしなければ成りません。

 我田引水の誹りは甘んじて受けても、『学び合い』だと思っています。『学び合い』では教科指導を教科内容ではなく、子どもの姿を通してどのように改善するかを理論化したものです。さらに、それを最大限に実現できるのが異学年・異教科による合同『学び合い』です。

 今の教師は忙しすぎます。雑談する時間はありません。ところが、異学年・異教科による合同『学び合い』の場合、様々な教師がふんだんに雑談する時間を保障することが出来ます。そして、その雑談では、目の前でどんどん現れる子どもの姿という話題が生まれるので、雑談の種は尽きません。だから、職員室に戻ってからもそれが続きます。(その姿が見たければ、いつでもおいで下さい。お見せします。)

 多くの教師や教師集団が感じている、現状の教員養成・教員研修の問題意識はほぼ同じように思います。そして、様々なアプローチをしています。それらは全て正しいものだと思います。最善の一つの方法はありません。最善の方法は、様々な方法を柔軟に適用し続けることしかありません。その中で、その場、その人の最適解が見つかるのです。私は大学教師の一人として、協働をコンセプトとする上越教育大学の教職大学院と『学び合い』を多くの教師・教師の卵に提案しています。
  ★
 この中に書かれている中で、最も共感するところは、つぎのところだ。
「しかし、上越教育大学の教職大学院も、また、様々な研修団体も、全て「その人の職場」の補完・準備にすぎません。教師の職能は、自分の教え子たちとの関係の中で磨かれるものです。それから離れたものは、それがいかに優れたものであっても、畳の上の水練です。学んだものを、自分の教え子への実践に自らの頭で適用し、反省し、修正しなければ血肉にはなりません。そして、それは毎日積み上げていかねばならない。そのような毎日の積み上げには、日常の繋がりが必要です。それを最も確実に実現するにはどうしたらいいか?
 まず、教師が教材ではなく子どもに着目すべきだと思います。…………」
  私も、先日初任のK先生のクラスを訪れて、次のように書いた。

 教師ができることは、そんな子供たち一人一人に「あなたはこんないいところがあるよ」「ここがとても伸びてきたね」「ここをもう少しがんばればすごく良くなるよ」…と認め、励ましていくことである。
 言葉だけではなく、褒めていく「事実」を作り上げることである。 その事実をもとに認めていくことである。
 これは、教師だけができることなのだ。
 教師論もいい。授業論もいい。学級経営論もいい。
 だけど、目の前の子供たちに、褒めていく「事実」を作り上げ、その事実をきちんと伝え、励ましていく。
 そんなことがもっとも教師として価値あることである。

 同じ地平のことを言っているのだと私は思う。
 
 

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養成課程6年制は、基本的には賛成だが…………。

   「西川純先生の教職大学院」のことを引用させてもらったら、ものすごい反響があった。
 西川先生は、日本の免許制度と現状の教員採用試験の問題点を指摘されていた。
 最後に「しっかりした実地経験を長期に受けてから教師になるべきだと思うのです。それが若い人の幸せに繋がる」と指摘されていた。
 この考え方にも、私は基本的に賛成である。
 ただ、どうであろうか。この考え方をそのまま現状に当てはめていった場合、教員養成系大学の志願者は激減するということにならないのだろうか。
 それがとても心配なことである。
 ★
 民主党のマニュフェストは、教育の資質向上として「教員の養成課程は6年制(修士)とする」としていた。
 この動きが今どうなったのか。
 この動きは、PISAでトップグループにいるフィンランドを強く意識していることだと思われる。
 フィンランドで教員になるには、修士課程を修了しなければならない。
 だが、フィンランドと日本では、教員という職業に対する人気の度合いがちがうらしい。
 フィンランドでは、大学進学者の20数%が教員養成系大学を志望している。
 一方の日本では、7%前後である。
 志願倍率も、フィンランドは10倍程度、日本は2.5倍程度。
 これもかなり違う。
 だから、修士という部分だけをまねたら、教員志願者は激減するのではないか。
 そのように予想される。
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 2006年に薬学部が6年制になった時に、私立大学の薬学部の志願者は前年の約14万人から9万人に減った。
 その後も減り続けているらしい。
 だから、教員の場合も、国立で授業料は53万円余り。2年増えれば負担増になり、せっかく6年かけて免許をとってもかならずしも正規の職員になれないとなれば、志願者はぐっと減っていく恐れがある。
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 なぜフィンランドと日本は、このように人気の度合いが違うのか。
 それは、労働の違いにある。
 日本の教員の労働は、過酷なものになっている。
 2007年のOECDの調査によると、公立小学校の1クラスあたりでの子供の数は、28.1人。OECDの平均が21.4人。フィンランドは19.8人。
 韓国(31.0人)と日本だけが多い。
 そして、フィンランドの教員は、ほとんど子供たちの学習に精力をつぎ込めるが、日本の教員の雑務の多さは過酷である。
 また、フィンランドの教員の夏休みは、2ヶ月以上取れて、勉強や旅行をして教養を深めることができる。
 魅力的な職業なのである。
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 養成課程6年制は、基本的には賛成である。
 2年間みっちり実地研修をすれば、今のような現状は確実に克服していけると思われる。
 ただし、その前にやるべきことがある。
 1つは、1クラスの人数をせめてOECD並にしていくことが必要。そのために、教員の人数を増やすこと。
 2つ目は、教員を雑務から解放するため、事務スタッフを増員する必要がある。
 こういうことが出来ない限り、ただ6年制だけを採用しても大変なことになっていく恐れを持っているのである。


 どうであろうか。 
 
  

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大学の教員育成ー教員採用システムの問題は明らかだ!

   上越教育大学の西川純先生がフェイスブックで次のように書かれてあった。引用したい。
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 教職大学院
.2011年7月2日 16:52 西川 純さん作成.
 教職大学院で1年間まなんだ学生が、「教職大学院で学ばずに教員になるのは犯罪だ」とつぶやきました。私も教職大学院で学ばずに教員になった一人です。彼の言葉が分かります。

 教員になった方だったらおわかりだと思います。教員は、4月1日の辞令を受け取った瞬間から「先生」と呼ばれます。そして、その瞬間から10年の経験を持った先生と同様の仕事をすることを同僚から求められます。子どもや保護者からも、当然のようにそのように期待されます。

 一方、なって仕事をし始めると、直ぐに大学で学んだことは役に立たないし、大事なことは教えてもらっていないことに気づきます。特に教員養成系大学以外で免許を取った場合(私もです)、教科内容に関しては教えてもらえますが、どのように教えるかということが殆どかけています。また、クラス経営も教えてもらいません。教科のことがいっぱい知っていれば、教えられるという教育です。

 確かに、クラスに問題が無く、子どもたちが「学ぼう」とする構えがあるクラスだったら大丈夫でしょう。でも、そんなクラス、日本に1%もあるでしょうか?

 今の教員免許状は、9割が座学で、5時間程度の教習所内の運転だけで、路上無しで免許を与えるようなものです。現状の教育実習はガチガチに実習担当教諭の保護の基でやっている実習です。それは教習所内の運転のようです。だから、私もそうでしたが採用されて4月から5月の連休までは地獄になり、とにもかくにも1年間はジェットコースターのような日々で新規採用者は過ごします。

 よく事故を起こさなかった・・・と思います。いや、対物事故はいっぱいあったと思います。人身事故は接触程度はあったでしょう。でも、十分に死亡事故を起こす危険性はあったと思います。

 日本の免許制度は、戦前の師範教育の反省に基づき、開放制度を基本としています。そのため、どんな大学でも出来る座学中心の免許制度となっています。現在、それを見直す時期に来ていると思います。なぜなら、明らかにかつてに比べ現場学校の教育力が低下し、一方、保護者からの要求は高くなっているからです。

 現状の教員採用試験は、大学入試レベルの教科内容と、最低限の人物を見る面接で行われています。でも、これでは大学入試直後の高校3年生が一番通りやすい試験です。だから、高校3年までにちゃんとした勉強をした人ならば受かります。が、受かった後にやめていく人が現在、非常に増加しています。また、やめずとも、安直な路線に陥る人も増えています。

 しっかりした実地経験を長期に受けてから教師になるべきだと思うのです。それが若い人の幸せに繋がる。
  ★
 私が強く主張していることと、ほとんど変わらない。
 私は、とりあえず副担任として1年間経験して担任を持たせていくなどの措置をすべきだろうと思っている。
 だが、現場では本当はそうしたいが、教師の人数が足りないのである。
 西川先生は、的確に次のように言われている。

 「今の教員免許状は、9割が座学で、5時間程度の教習所内の運転だけで、路上無しで免許を与えるようなものです。現状の教育実習はガチガチに実習担当教諭の保護の基でやっている実習です。それは教習所内の運転のようです。だから、私もそうでしたが採用されて4月から5月の連休までは地獄になり、とにもかくにも1年間はジェットコースターのような日々で新規採用者は過ごします。」

 だから、初任者の7、8割はクラスを荒らしていくのである。
 その一部は、教師を辞めていく。
 これは初任者の問題というより、大学での教員育成ー教員採用の
システムがまったく現実に合わなくなっている問題である。
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 私は、現在では、初任者を荒れ果てた荒野に素手で解き放つような感覚になっている。(たとえが悪いが実際にこのような感覚だ。)
 だから、せめて「棒っ切れ」でも持たせたいという気持ちに突き動かされている。
 危機感をもつ教育委員会は、私を呼んでもらえる。
 明日の教室は、東京と京都で、今年度初任者研修会を開いてもらえた。
 なんとか、なんとか、初任者が1年目を乗り切ってもらいたいという一念である。
 

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子供が伸びている「事実」づくり

   初任のK先生と夜さまざまなことを話し合った。
 座席表をノートに書き出して、気になった子供たちについて話し合った。
 私の印象は、子供たちが自分に自信を持っていないことであった。
 それはどこからくるのか、どのようにしていけばいいのか。
 
親たちは、もしかしたら我が子のことより働くことに一生懸命で、一人一人の細かいことに手が届いていないのではないか。
 そんな印象であった。
 ★
 教師ができることは、そんな子供たち一人一人に「あなたはこんないいところがあるよ」「ここがとても伸びてきたね」「ここをもう少しがんばればすごく良くなるよ」…と認め、励ましていくことである。
 言葉だけではなく、褒めていく「事実」を作り上げることである。 その事実をもとに認めていくことである。
 これは、教師だけができることなのだ。
 教師論もいい。授業論もいい。学級経営論もいい。
 だけど、目の前の子供たちに、褒めていく「事実」を作り上げ、その事実をきちんと伝え、励ましていく。
 そんなことがもっとも教師として価値あることである。
 ★
 このような現場教師の試みが、忘れ去られようとしている。
 すばらしい授業を作り上げたい。
 すばらしい学級経営をしたい。
 授業の力量をあげたい。
 そのために、躍起になって努力する。
 それは、目の前の子供たち一人一人を伸ばしていくためにである。
 目的を忘れるべきではない。
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 私は、4月、5月、6月という3ヶ月間に、子供たちが伸びている「事実」を作ろうと躍起になったことがある。
 7月の親子個人面談の時に、「○○○がとても伸びました。やればできます。これからこのようなことも挑戦してほしい」と子供や親に伝えるためにである。
 3ヶ月間で伸びていく「事実づくり」のために、発声練習・音読(発言する声の大きさ)、漢字(漢字の読み書き)、算数の計算(計算力をつける)に挑戦させた。
 大きな成果をあげたことがある。
 このように子供たちが「伸びること」の事実に着目して、実践を積み重ねていくことが、忙しさに紛れて忘れ去られようとしている。
 
 

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初任のK先生の学級を訪れる!

   1日(金)は知り合いの初任者のK先生の学級を訪問した。
 初任者といっても、40歳を過ぎて銀行員から教師へ転身された方である。
 もはや後戻りはできない。
 どうしても教師としての1年目を順調に出発してほしいという願いがある。
 3時間目は、K先生の社会科の授業。
 4時間目は、私の国語の授業。
 5時間目は、私の道徳の授業。
 21人の4年生のクラス。
 こじんまりとして、人なつっこい子供たちに迎えられる。
 3時間目も、自己紹介をしたら早速「怖い話をして……」をいうことになり、ついつい脱線して怖い話、汚い話…ということになり、
K先生の授業を奪ってしまう。
  ★
 A小学校は、就学援助8割から9割という学校であるので、さまざまな事情を抱えた子供たちがいる。
 校長先生からさまざまな学校の事情をうかがう。
 校長室には、いろんな子供たちが訪れる。
 「校長先生、くじ引きたい」と。
 「くじって何ですか」と聞くと、見せてもらった。
 ストローで作ったくじ。
 それを引くと、「今日はいいことがある」というようなことが書いてあるらしい。
 校長先生は、そのくじなどを使って、300名近くの子供たち全員の名前を覚えられている。
 校長先生の熱意のある取り組みを聞き、うれしくなる。
 ★
 私の授業。
 授業はへたくそである。
 ただ、初任者よりもいいだろう。
 いくらかの問題提起になるかもしれないと思って、最近は出前授業をよくやっている。
 K先生の話では、「うちのクラスの子供たちがあんなにできるなんて驚きました。1人の子供は7時間目まで受けたかったと言ってました」という話。
 クラスの子供たちの様子を後ろから見るという機会は、大事なことなのだ。
 ★
 授業が終わったら、校長先生の求めに応じて、先生方へ「学級の荒れにどう対応するか」という話を1時間程度行う。
 夜は、K先生と学級の子供たちのことについてさまざまな話をする。
 K先生は、まずは順調にスタートされている。
 うれしいことである。
 
 

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