「関係づくり」とは、「距離」の取り方の問題になる
S小学校へ行った。
親しい知り合いのO先生から来てほしいという依頼を受けての訪問である。
若いメンターチームの先生方へ学級づくりについての話をしてほしいということであった。
5,6時間目に1年生、それから6年生の授業も見てほしいということ。
1時間だけ授業を見て、とやかく言っても仕方がないと思い、「私が授業をやります」と授業を引き受ける。
このS小学校は、私が5年間勤務した学校でもある。
10年以上前のことだ。
離任式以来の学校訪問になる。
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授業は、初任者指導の示範授業のつもりである。
1年生の先生のところは、国語の音読の授業。
5時間目の前に授業をやるところを決める。
いい加減である。
だが、私は「味噌汁・ご飯」授業を提唱しているのである。
即座に教材研究をして、すぐ授業に移していくことができなくてはならない。
6年生は、道徳の授業。
飛び込みの授業なのだ。
いかに子供たちを引き入れて、笑わせるかが勝負。
★
そのクラスの担任の先生に授業を見せるという心づもりが、多くの先生方が見に来られた。恐縮する。
その後、1時間ぐらい学級づくりについての話をする。
6月頃から荒れが目立ってくるクラスに対して、どのような手立てが必要なのかの話である。
荒れが始まっている学級に対して、どのような手立てで回復をさせていくかは大きな課題である。
今までの教育界は、このような手立てさえも明確に示してこなかったのである。
ほとんどが「授業だ!」「教材研究だ!」と指導していく。
確かに一日の大半が授業で成り立っているから、授業が楽しく、おもしろくなれば子供たちも落ち着いてくるであろうと思われることは予想がつく。
だけど、このような指導ではほとんど効果はない。
ますます学級は荒れていく。
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6月頃の荒れは、担任がかなりの覚悟を持って立て直していけばまだまだ間に合う。
ところが、11月頃の荒れは、ほとんど手の打ちようがなくなる。 担任の交代が一番の得策になる。
決め手は、担任と子供たちとの「関係づくり」である。
担任交代で、この「関係づくり」を変えていくことである。
★
「関係づくり」とは、「距離」の取り方の問題になる。
初任の先生たちのクラスの七、八割が荒れていくのは、この「距離」の取り方がうまくできないからである。
初任の先生たちは、すぐに子供たちとの距離を近づけようとする。今までそれしか親しくなる方法は知らないからである。
しかし、これでは失敗する。
「教師であるということ」は、距離を近づけるだけでなく(横糸を張ると言っている)、距離を離して子供たちを見つめる(縦糸を張ると言っている)という2つのことができなくてはならない。
どちらかに片寄ってしまったら、子供たちとの関係は破綻する。 「教師であるということ」は、やわなことではない。
教師は、2つの距離の取り方を身に付けておかなくては成立しない職業なのである。
★
夜、懇親会が行われた。
校長先生も、副校長先生も出席された。
楽しい懇親会だった。
懇親会に集まってこられた先生方と話をしていると、はっきりすることがある。
2年目の先生方と1年目の先生方の違い。
2年目の先生方には、もう教師としての風格(?)が備わっている。
1年目の先生方は、どこか頼りなげな感じを受ける。
2年目の先生方は、1年目に子供たちとのやりとりの中で、「距離の取り方」を経験的に覚えていったのである。
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