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あれから3ヶ月が過ぎた!

 あれから3ヶ月が過ぎた。
 テレビでは毎日この話題でもちきりだが、被災の状況は一向に改善に向かわない。
 いらいらする被災者の姿が映し出される。
 ★
 そんな中で、カタルーニャ国際賞を受けた村上春樹のスピーチが入ってきた。
 もちろん、3/11の大震災のことについて語っている。
 村上春樹が、今回のことについて何を語るのか。
 やはり、一番聞きたい一人だったに違いない。 

http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html?toprank=onehour

 ★
 村上は語る。
「我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発言に代わる有効エネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が『原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ』とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
 それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的なメッセージが必要だった。…………」 

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 テレビには、亡くなってまだ見つかっていない息子を毎日探しに千羽鶴を持って駆けつけてくる母親の姿を映し出していた。
 「ここへ来るのは今日限りにしたい」
 区切りである。
 宮古市の津波で、両親と妹を失った4歳の昆(こん)愛海(まなみ)ちゃんは、避難先の親戚の家の炬燵で、長い時間かかって一人で帰らないママへ手紙を書いた。
 そして、疲れてしまったのか、鉛筆を握ったまま寝てしまっていた。3月31日付けの読売新聞である。

 「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」

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