ああ、学級会!
秦先生のブログに、学級会のことについて書いてある。
http://dousureba2.blog.so-net.ne.jp/
この学級会について聞くと、私の気持ちが穏やかでない。
現役時代にある授業研究会に参加したことがある。
特活の研究会である。
全部のクラスが、学級会をやっていた。
しかし、全部のクラスがひどい。
ほとんどがどうでもいい議題をネタにして授業をしている。
子供たちの表情は、もうやめてほしいと言っている。
しかし、全体会の話し合いでは、その授業を誉めていこうとするのである。
私はカチンときて、反対意見を言った。
あんな学級会を誉めて、どうするのだろう。
みなさんからおおいに顰蹙を買ったはずである。
研究会は、せっかく授業研究会をやってくれたのだから、「ご苦労さん」と声かければ済むというようなものだったのである。
そこに噛みついたものだから、まあ顰蹙を買うはずである。
私の気持ちが穏やかではないというのは、学級会が消えていこうとしているからである。
現場では、ほとんど学級会が行われなくなっている。
学級会をやっている先生は、一部の特活の先生だけになっている。
しかも年に数回。
私は学級会は必要なことだと思っている。
クラスを集団化していくには、どうしても必要な手立てだと思っているからである。
ところが、現実にはなかなかこの学級会を持てないようになっている。
そこが大きな問題である。
秦先生のブログには、次のように書かれている。
★
学級会という言葉は、現場でまだ生きている。
しかし、学習指導要領にあるのは「学級活動」だけである。しかも登場回数は7回しかない。
一方、学習指導要領解説「特別活動編」には「学級会」という言葉は登場するのである。
19回登場する。
このへんの未整理が、現場に混乱をもたらしているのかもしれない。
●学級で係を毎年つくるが、ほとんど活動しない。あるのは、係名が書かれた画用紙だけ。
●話し合い活動はするが、ほとんどが喧嘩の後処理。司会を立てた話し合いではない。
●代表委員会からおりてくる議題を話し合うので精一杯(高学年)。
●リーダーが不在で話し合いが成立しにくい。運営もとても子どもに任せられない。
●学級会は一応開くが、子どもたちは意見も聞かずにすぐに多数決をとろうとする。
・・・このような現状が、現場にないと言い切れるだろうか。
野中信行先生は、「新卒教師時代を生き抜く・学級づくり3原則」で「ちょこちょこ
学級会」を提唱されている。具体的な方法論にも言及させれている。若い、先生は是非
参照して頂けたらと思う。
私は、敢えてこの「学級会ができない」という問題について「教育課程」という視点から迫ってみたい。まあ、学級会ができないのか、学級会を開きにくい状況なのかという
言葉の問題もあるが、いずれにしても野中氏の言葉を借りるなら「学級会がひらかれなくなっている」ということである。
「教育課程」という視点からみたとき、学級活動に与えられた標準時数は年間35時間
である。
この35時間ですべきことが学習指導要領に網羅されているので、それを転記する。
学習指導要領には法的拘束力がある。従って、これらをきちんと指導計画に位置づけ、
確実に実行しなければならないのである。
しかし、実際にはさらに厳しいしばりがある。児童会活動だ。
下に示されたことをした上で、児童会に関する話し合いに関することも盛り込まなければならないのである。
次回、具体的な解決策を模索してみたい。
★
私は、秦先生が言われるように「ちょこちょこ学級会」を提唱している。
繰り返しになるが、クラスを集団化するにはもってこいの手立てである。
初任のクラスで、この学級会を行って、どれほど効果的か自分の目で確かめている。
しかし、よほど意識しなくては学級会が開けなくなっているのも確かに事実なのである。
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