変化球はなぜ投げるのか?
また、三重の津に行った。先週に続いてである。
前日に一泊して、朝の10時から2時間、5年次研修の講師である。
先週は雨が降っていたが、今回は晴れ渡っていた。
津を少し散歩してみたが、いいところである。
街並みが広くて、のびのびしている。
人びとがゆったり歩いている。
そこが東京や横浜とは大きな違いである。
おみやげ売場のおじさんに教えられて、夕食はウナギを食べた。
油濃くなくて、さっぱりしたウナギであった。
「ああ、九州のウナギと同じだ」と思った。
郷里の佐賀では、これと同じウナギを食したことがあったのである。
なつかしい味。
三重は、ウナギの消費量が日本一だと指導主事の先生から聞いた。
なるほど、なるほど。
★
5年次研修の今回の参加者は、180人。
ぎっしりとホールに詰まって座っておられる。
実は、狭いところにぎっしりと詰まっているのがやりやすいのである。
だだっ広いところにぱらぱら人が座っているところで講座を開くことほど困難なことはない。
5年の教職経験を終わり、6年目に入っている先生方。
私の話に食いついてくる先生。ほとんど興味を示さない先生。……さまざまに分かれる。
食いついてくる先生は、今までの5年間の中で苦労してきた先生であろう。
だが、6年目の先生たちの多くは、若さにものを言わせて突き進んでいるのであろう。
若さとは、ときに鬱陶しいものである。
根拠のない自信とあふれ出る情熱みたいなもので何でもできると勘違いをしてしまう。
私もそんな20代を過ごしてしまったことがある。
★
楽天の監督だった野村監督が、「野村ノート」で書いている。
「変化球は何のために投げるようになるのか?」とピッチャーに問う。
「相手に的を絞らせないために」と答える。
「それもあるだろうが、ピッチャーとして長生きするためだ」と答える。
そんなやりとりだったと思う。
直球だけで勝負していたピッチャーが、ある歳になって変化球を覚えていく。
それは長生きするためであると、野村は言う。
6年目の先生たちも、今は直球を投げて、それで十分通用するので自信満々。
だが、いつか必ずその若さが通用しない時がくる。
そのときにすぐに変化球を投げられるように準備しているのだろうか。
★
ある学校での体験である。
初任者指導として1年間いた。
元気な若者達が何人もいた。
休み時間になると、運動場に飛び出していって子供たちと遊んでいた。
それはそれで好ましいことであった。
ところが、その若い先生たちの教室や職員室の机はぐちゃぐちゃで困った状態。
研究会では、何も持ってこなくてメモさえもしない。
ほとんど人に学んでいこうという姿勢を見せないのである。
2年から5,6年を経過した先生たち。
学力が高い子供たち(塾へほとんど行っている)なので、学習ではそんなに苦労はしていないのであろうか。
おそらく情熱とかやる気とかあれば、何とかなると思っているであろうと考えられた。
いずれそんなものは失せていくのが分かっていない。
「アリとキリギリス」の話を思い出す。
★
三重は広い。
何時間もかけて朝早く山奥からかけつけた先生もいる。
島から船でかけつけた先生もいる。
そういう6年目の先生たちもいる。
私の話に一々メモを取られている。初めて聞く話であろうか。
こういう先生たちに、私は必死になって話す。
手を抜かない。
講演が終わった後に、休憩室に2人の先生が訪ねてこられた。
1人は、困っている子供を席替えでどこにしたらいいかという問いかけ。
もう1人は、宿題を出すときの原則みたいなものはあるのかという問いかけ。
これはこれで大切な課題である。
★
私は自分に課してきた原則みたいなものがある。
教師にとって最も価値があるのは、教室の地べたで悪戦苦闘する子供たちとのやりとり、関係づくりなどの学級づくりや授業づくりなど、これである。
これをはずしたり、いい加減だったり、他のことに置き換えたりすることは、もうまったく価値がない行為であると思ってきた。
だから、「普通の教師」が教室で悪戦苦闘して子供たちと渡り合う、その行為のなかに教師の喜びも悲しみも見付けられなければ、そんなものは何の価値もないと思い決めてきた。
たまたま私は本やブログなどでこうして発信する立場にいるが、その発信する視線はいつも普通の教師の日常の教室である。
そして、発信する言葉は、自分が教室の地べたで悪戦苦闘して身に付けてきた方法である。3・7・30の法則も、学級づくり3原則も、「味噌汁・ご飯」授業も、……「普通の教師の日常」に向けた言葉である。
その場所だけが、もっとも価値ある場所だと思い決めてきた。
山奥の学校で子供たちと渡り合い、がんばっている先生。
島の小さな学校で悪戦苦闘している先生。
……………
その先生たちの「日常」に届く言葉。その先生たちの「日常」が豊かになる言葉、方法。
そんなことのために発信してきたのである。
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