「包み込み法」ということ
東京書籍の5年の4月音読単元「だいじょうぶ だいじょうぶ」は、とても印象に残る物語である。
2回ぐらい読んで指導計画を作るつもりが何度も読んでしまった。
この物語は、おじいちゃんとぼくが登場する。
二人はいつも散歩しながら、おじいちゃんの案内によって、まほうにかかったみたいにどんどん視野がひろがっていく。
でも、新しい発見や楽しい出会いが増えれば増えるだけ、困ったことやこわいことも増えてくる。
けれど、そのたびにおじいちゃんが「だいじょうぶ だいじょうぶ」と助けてくれたのである。
おまじないのように。
そして、ぼくはずいぶん大きくなり、歳をとったおじいちゃんに、子供の頃のお礼に
おじいちゃんの手を握り、「だいじょうぶ だいじょうぶ」と声をかけていく。
そんな物語である。
ほのぼのとした、素晴らしい作品。
★
この物語を作ったいとうひろしさんは、最後の作者の言葉の中で、この作品ができたモチーフを語っている。
初めて生まれてくる子供。親になる自信がない時に、ほしかったのは、「だいじょうぶ、なんとかなるさという自信でした。根拠のない自信でした」と書いている。
おじいちゃん、おばあちゃんから育てられたといういとうは、二人といっしょにいると、とても安心できたと言う。
「例えば、泣いて帰ってきた時です。今の親なら、どうして泣いているのかを問いただすでしょう。誰かにいじめられたのかとか、どこかけがでもしたのかという具合です。だけど、おじいちゃんやおばあちゃんは違いました。泣いている孫をみつけると、おお、かわいそう、かわいそうと、だきよせてくれました。涙をそのまま、受け止めてくれました。
そこには理屈はありませんでした。泣いているぼく、苦しんでいる私への共感しかありませんでした。でも、それだけで充分です。ぼくらは、自分を守ってくれる人がここにいると確信できました。この人といっしょならだいじょうぶだと思えました。まったく根拠がありませんでした。
ぼくたちは、おじいちゃんやおばあちゃんのようにはできません。でも、子どもたちが、いつでも最後には、うん、だいじょうぶって思えるような、親になれたらうれしいねと思いました。」
★
教師は、とてもおじいちゃん、おばあちゃんのようにはできない。
でも、意識的ならこの共感はとりえるはずである。
私たちは「横糸を張る」と言っている。
子供たちとの心の通じ合いをする。
そのためには、このおじいさん、おばあさんの共感である。
ある音楽の時間に、同学年の男の子が暴れていると呼ばれて行ったことがある。
私とは馴染みの男の子だった。
ケンカになって暴れていたのであった。
私はその時ただただ「○○君、大丈夫だ、大丈夫だよ」と手を握っていただけだったが、そのうちにすっ~~~と気持ちが落ち着いてきた。
余計な事を言わないで、ただただそうしていただけだった。
そのことを思い出した。
「包み込み法」と言っている。
余計な事を言わないで、ただただ共感をし、味方になってあげることである。
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