« 行事消化的重点研究の終わり | トップページ | もうこんな授業研究はやめよう »

私たちの街にも春が巡り来ている

   私の親しい友人が気仙沼にいる。
 教員である。
 3・11は、学校で被災した。
 気仙沼は、4月21日が始業式の予定である。
 友人からメールがきた。
 ★
 …………
 ただ,私の勤務している○○小学校の体育館が遺体安置所になっており,また180体近くのご遺体が安置されており,果たして21日までにスタートができるのか?といった状態です。
> このような中で,今年度は5年生3クラスの学年主任を仰せつかりました。
> 子どもたちは3月11日以来約1ヶ月のブランクがあります。また,全く被害の
> ない児童と家族を失った児童など様々です。このような状況の中で,心のケアを
> 含め,学級づくりをどのようにしていくか,現在悩んでおります。
> 野中先生。是非,アドバイスをお願い致します。
> ★
 このような中で始業式を迎え、学年、学級を運営していこうという先生たちの苦労を思うとき、言葉を失う。
 私は次にように書く以外になかった。
 「さまざまに考えました。
  しかし、担任ができることは限られているのだと思いました。
  親にも家族にもなることはできないのですね。
  だから、教師ができることを精一杯やる以外にないのではないでしょうか。
  いつも通りの普通のクラスで、いつもの通りの勉強をし、いつも通りに叱って、
  いつも通り笑ってあげる。
  そのことが一番子供たちには必要なことではないでしょうか。
  せめて、教室を日常に戻してあげることが何よりも必要なことだと思います。」
 ★
 私たちの街にも春が巡り来ている。
 いつものように桜が満開だ。
 小説家池澤夏樹は、「終わりと始まり」という朝日のコラムの中で書く。(池澤も仙台に住む高齢の叔母夫婦が今回の震災にあった)

  今からのことを言えば、我々は貧しくなる。それは明らかだ。貧しさの均等配布が政治の責務。
 叔母は、今は戦後と同じ雰囲気だと言う(戦時中と同じ、ではない。我々は殺すことなくただ殺され、破壊することなくただ破壊された)。十年がかりの復興の日々が始まる。
「またやって来たからといって/春を恨んだりはしない/例年にように自分の責務を/果たしているからといって/春を責めたりはしない」とシンボリスカは言う。
「わかっている わたしがいくら悲しくても/そのせいで緑が萌えるのが止まったりはしないと(沼野充義訳)」
 そういう春だ。

>

|
|

« 行事消化的重点研究の終わり | トップページ | もうこんな授業研究はやめよう »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/520860/51332357

この記事へのトラックバック一覧です: 私たちの街にも春が巡り来ている:

« 行事消化的重点研究の終わり | トップページ | もうこんな授業研究はやめよう »