「大池小学校が終わった」
3月31日で、「大池小学校」が終わった。
私の最後の勤務校である。
統合で、この名前が終わってしまった。
この学校に7年間所属した。思い出深い学校である。
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私が赴任した時、この学校は荒れまくっていた。
前年度2つのクラスが学級崩壊になっていたことを聞かされた。
残っている先生たちが数人。
着任式で並んでいる赴任してきた先生たちの数、ずらり多数。
「3年学校」と言って、3年間(その期間はその学校に所属しなければいけない)で多くの先生たちは他校へ異動していく。
始業式でも、着任式でも、子供たちは、ほとんど校長先生の話を聞かず、おしゃべりを繰り返していた。
呆然となる時間であった。
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7年間は改革の日々であった。
5年間、共に改革に着手されたK校長先生の存在は大きかった。
大池小は、全職員が一丸になった希有の学校でもあった。
セクト的な動きをする先生もいなかったし、足を引っ張る先生もいなかった。
教職員が一丸になっていた。
そうしなければ、この荒れた状況を改革できなかった。
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まず、高学年改革に着手した。
5,6年を落ち着かせる。
それが改革の始まりであった。
それまでこの学校は、「子供の思いを大切にする」「子供の寄り添った活動」などと言って、子供の意見や思いや考えを大切にする取り組みがなされていた。
いわゆる「支援、支援」の学校づくりである。
私は違うと思った。
この学校の子供たちに必要なのは、きちんとした「ルール作り」であると思った。
学校や学級にルールがきちんと決められ、それを子供たちが自分たちで守っていこうとする活動が必要であった。
そのためには、強力な「縦糸張り」が必要であった。
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最初私は5年生の担任であった。
今でも強烈に思い出されるのは、隣の学校との親善球技大会である。
本校は2クラスで70人程度。隣の学校は、1クラスで20人程度の学校。
それが、サッカーも、ミニバスケも、完璧に全敗。
私は子供たちに言った。
「どうしたんだよ?」
子供たちは言った。
「先生、われら何やってもだめ、だめ」と。
この負け犬意識は強烈であった。
これをどうにかしないと、何とも始まらないと思った。
私は意を決して特別の「陸上クラブ」を作り上げた。
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大会の前には朝練で練習させた。
夏休みも私の空き時間は練習を繰り返して、大会へ望んだ。
そのうちに、神奈川県の大会で5年生男子100mで14秒2で優勝する子供が出てきた。
6年生の女子で神奈川県代表で全国大会に出場する子供も現れた。
横浜の6年生体育大会で、女子リレーチームが全体で2位になる快挙も出てきた。
冬のクロスカントリー大会(区内の大会)では、100名以上の子供たち(370名ぐらいの子供たちの中から)が参加し、ぞくぞくとメダルを持ち帰ってきた。
校長先生が、朝会でいつもメダルや賞状を渡してくれた。
「おい、我らの学校もやるじゃん。すごい!」
「自慢づくり」をやったのである。
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「授業づくり」にも着手した。
子供たちがもっとも嫌っていた算数を重点研究でとりあげようと提案した。
「この子供たちには、勉強というより道徳とか総合とかが必要じゃないですか」という反対の声もあったが、最も嫌いだと思っている算数にぶつかっていこうという提案である。
取り組みは、今までのような算数の研究をやっても埒があかない。
全クラスで、授業の最初に5分間の計算タイムを入れる。
この取り組みから「4段階分割授業」という発想が生まれた。
計算タイム(5分)ー復習タイム(5分)ー本時(30分)ー本時の復習タイム(5分)である。
算数の研究は3年間行った。
引き続いて国語の研究も3年間行った。
この学校は、3年ぐらいで普通の落ち着いた学校へと変身していった。
30分の中休み時間の確保、全校百人一首大会、全校の卒業式参加、……改革は子供たちを動かしていった。
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忙しい学校だと思われるかもしれない。
事実は全く違った。
異動してきた先生たちは、「ずいぶん余裕がありますね」と言われた。
行事や会議は、必要最低限に絞った。
たとえば、9月は行事も会議は何もなかった。学年研だけ。
8月の終わりに全部済ませておいた。
子供と過ごす時間、あゆみを書く時間に当てた。
校長の考えは、教職員の立場に立って、どのように時間を確保するかにあった。
たとえば、横浜のほとんどの学校では3月30日か31日に異動していく先生に対するお別れの会を開く。
大池小は、止めにした。校長の考えだ。
離任式でも、歓送迎会でもまた会うので、そんなに何度も会うことはない。
この時間に全体が集まることにしなければ、先生たちは、つかの間の旅行にいけるのである。リフレッシュに最適なのだ。
教職員の立場に立つとは、こういうことだ。
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「大池小学校」が終わった。
1つの学校の小さな改革であった。
しかし、この小さな改革はきっとこれを担った先生たちにとって1つの「希望」を与えたはずである。
この「希望」とは、まず変えようという思いをもち、一人から歩き始める勇気である。
無理をすることもない。
できることをやればいい。
だが、思いだけはしっかり掲げなくてはならない。
二度とない人生なのだ。
自分の思いだけはしっかりと掲げ、そして前へ前へと歩んでいけばいい。
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