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もうこんな授業研究はやめよう

   前回のブログで「行事消化的重点研究の終わり」を書いた。
 それについて、鳥取の長谷先生よりコメントがついた。
 ★
 全く同感です。研究授業の時だけできるような打ち上げ花火のような授業は無意味です。教師の見栄だけで行われているようなものです。毎日の授業の質を上げる、使える、少ない手間でできる授業を学び(だから追試でもいいのです)公開し、みんなが取り入れる。そして、日常の授業のレベルを少しずつ上げていく。もう一つは、日常の授業での子どもの鍛えをどうするかです。ノート指導、発言指導など基本的なことを徹底していく。その方法も学ぶべきだと思います。宿題の出し方、評価の仕方なども。
  ★
 とてもうれしかった。
 長谷先生のような有数の実践家にこのように評価してもらい、ちょっと勇気が出る。
「行事消化的重点研究の終わり」と書いたが、今まで学校などで行ってきた「授業研究」のあり方は一度篩(ふるい)にかけねばならないと思っている。
 長谷先生は、「打ち上げ花火のような」「教師の見栄だけで行われている」授業の無意味さを書かれている。
「もうこんな授業研究をやめよう」ということだ。
 長谷先生は続けて、「毎日の授業の質を上げる、使える、少ない手間でできる授業を学び、公開し、みんなが取り入れる。そして、日常のレベルを少しずつ上げていく」と書かれている。
 まったく同感である。
 このような授業研究にベクトルを変えていくことだ。
  ★
 今までの授業研究のあり方というのは、「憧れの授業」を追求するという方向で取り組まれてきたはずである。
 そこに「名人教師」という名前が生み出されてきた。
 授業では、多くの子供たちが積極的に発言し、討論し、活発に活動していく。
 そこには、すぐれた教材とすぐれた発問が準備された。
 そんな授業づくりに憧れてきたのである。
 ★
 しかし、「普通の教師」たちはそんな名人教師になることはできない。目指す必要もない。
 一部の、寝食を忘れて授業づくりに打ち込んでいく先生たちにしか拓かれない道であった。
 私たちの今までの授業研究も、このような「憧れの授業」を追求するという方向に引きづられてきた。
 研究授業では、結局研究テーマなどはどうでも良かったのである。
 とにかく教師たちは、「クラスの多くの子供たちが積極的に発言し(できれば討論し)活発に活動していく授業」を見に来ている先生たちに見せたいという思いであった。
 でも、それが可能なのは、一部の実践家だけであった。
 ★
 私は、「もうこんな授業研究はやめよう」と主張している。
 「憧れの授業」を目指さない。(もちろん、それを否定してはいない)
 毎日行っている授業の質を上げていく。それで十分。
 教材研究の時間がないのである。
 その中でできる「日常授業の改革」をしよう。
 先生たちの授業研究は、その日常授業をすこしでも向上させる手立てを互いに学ぶ研修で十分。
 そんなことを主張しているのである。
 
 

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コメント

 有数な実践家ではありません。すみません、野中先生。子どもたちをどう育てるかは、やはり研究授業以外での取り組みです。勿論、附属のように育てて観てもらうことを前提にする場合は別です。毎日の授業は40点でもよいのです。授業研の時だけ80点を目指し、普段は5点、10点の授業では子どもは育ちません。となると、公開授業の考え方を変えるべきです。日常の授業を公開する。しかも、ある程度育て鍛えた上で。そんな研修が現実的だと思いますし、子どもを育てることになると思います。

投稿: 長谷 | 2011年4月10日 (日) 18時12分

以前こんな事を聞いたことがあります。「140km/hのボールを投げる高校生もいるし、プロの打者を三振に取る場合もある。しかしそれだけではプロとは言えない。プロはそれを続けられることだ」
野中先生がおっしゃっていることは、それに似ていると思いました。剛速球を投げられなくても、大活躍ができなくても、小さな成果をコツコツ上げられること。それがプロの先生なのだと。
同時に、全員が「エースで四番」を目指す必要などなく、むしろそれは害悪。野中先生のご意見は、
 多くの研究授業が、できもしない
 「全員エースで四番」を目指している
 チームで働けるプロを目指そう
ということなのだと理解しました。

投稿: 村岡明 | 2011年4月11日 (月) 10時40分

この記事に共感しました。
イベント的な研究授業に膨大な時間を割くのではなく、日々の限られた時間の中でいかに教材研究を行っていくか、日常の授業の質を上げるためには、何が必要なのかを最優先で考えなければならないと感じています。

投稿: ytomaru | 2011年4月18日 (月) 22時41分

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