行事消化的重点研究の終わり
「授業」についてさまざまな試みがなされている。
これからの教育の未来を作っていく意味で必要な試みである。
ぜひさまざまな試みに挑戦していかなくてはならない。
私は、「味噌汁・ご飯」授業という提案をしてきた。
新しい試みだと考えられている方もいるが、そんなことはまったくない。
ネーミングからしてそんなことはない。
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初任者の授業を見てきた。
授業をしていくだけでも大変なのである。
毎日の授業を作り上げいくだけで四苦八苦なのである。
ほとんどが、簡単な発問があり、それに答えていく3,4人の子供たちがいて、それで先に進んでいくというような授業になる。
おそらく、そんな授業のイメージがあり、とりあえずそのような形でしか進められないのである。
私は「その日ぐらし授業」と名付けている。
でも、初任者にとって、その以上の授業を作り上げることはむずかしい。
それは普通の日常の授業なのだ。
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ところが、研究授業となるとそうではない。
さまざまに教材研究をされているので、「おおっ、いいね」という授業になる。
私が先年度担当した初任者の先生の授業(図工)は、2人とも初任者としてはすばらしい授業と言えるものであった。
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研究授業の「授業」と、毎日の日常の「授業」とあまりにも違いすぎる。
でも、それは当然のことであった。
私は、「ごちそう授業」と「日常授業」と言っている。
私たち教師は、研究授業の「授業」だけは、とにかく見栄えのいい授業にしたいと願い、そのように努力してきたはずである。
「見栄えがいい」とは、適切な発問と数多くの子どもの発言とでも言ったらいいのだろうか。
とにかく数多くの子供たちが活発に活動し、積極的に発言すれば、それは「すばらしい授業」だと評価されてきたのである。
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もちろん、そんな子供たちがすぐに育ってくるはずはない。
だから、授業がうまい教師というのは、4月当初から計画的に継続的に子供たちが活発に活動し、積極的に発言するような授業を作り上げていく。
だが普通の教師たちは、研究授業だけをそのような授業にしたいと思うから、なかなかそのような授業を作り上げることができない。
その差は大きいのである。
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各学校で進めている今までの「重点研究の授業研究」がもうすでに耐久年数を過ぎている。
研究テーマを設定し、仮説を立て、一人が1回の研究を授業をし、そして最後に研究紀要をまとめていく、このような研究が終わりを迎えていると私は思う。
私が教師になった40年前からこの方式で進めていて、ほとんど変わりがない。
壮大な研究テーマである。
大変な学習指導案を作る。
ただ、授業はたいしたことがない。
研究成果も、ほとんど見る影もない。書いてあるだけ。
ただ、決められた年中行事を消化するだけの重点研究に成り果てている。
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普通の学校では、研究などどだい無理である。
研修で充分なのだ。
自分たちの授業力をどのように向上させていけばいいか、この1点において研修を進めていけばいい。
とくに、「日常授業」をどのように改革していくかが大きなテーマになるべきである。
私たちが普通に日常的に進めている「授業」をどのように改革していくかである。
こんなことがどうして今まで学校のテーマにならなかったのか。
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私たちが進めている「味噌汁・ご飯」授業は、まさにこの授業なのである。
教材研究に多くの時間がかけられない。
でも、子供たちにきちんとした基礎基本の学力を保障していきたい。
そのために、どんな手立てを打っていくか。
そんなことが今私たちに求められているはずである。
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