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2011年4月

城南信用金庫の「脱原発宣言」

   最近、ずっと心に残ったことに「城南信用金庫」の理事長の言葉があった。
 これは何だと思われるかもしれない。
 城南信用金庫は、私の町内にもあって、私も退職を機会に口座を開設した一人。 
 いわゆる顧客様なのだ。
 何度かこの支店を訪れたことがあるが、顧客様にとても温かいもてなしをする。
 訪れると、さっと新茶のもてなしを受けたことがある。
 関東を中心にしている信用金庫である。
 ここがちょっとおもしろい試みをした。
 ★
 4/28「論壇時評」(朝日新聞)で作家の高橋源一郎もまた、この城南信用金庫のことを扱っていて印象に残った。
 おもしろいのでちょっと引用しておこう。

 この1ヵ月、わたしが目が醒める思い読んだのは、「論壇」以外のことばだ。それは、たとえば、城南信用金庫の「脱原発宣言」であり、ユーチューブ上で公開された、理事長のメッセージだった。
( http://www.youtube.com/watch?v=CeUoVA1Cn-A )
 そこで目指されているのは、すっかり政治問題と化してしまった「原発」を、「ふつうの」人びとの手に取りもどすことだ。「安心できる地域社会」を作るために、「理想があり哲学がある企業」として、「できることなら、地道にやっていく」という、彼らことばに、難しいところは一つもないし、目新しいことが語られているわけでもない。わたしは、「国策に歪められたものだった」という理事長の一言に、このメッセージの真骨頂があると感じた。「原発」のような「政治」的問題は、遠くで、誰かが決定するもの。わたしたち自身が責任を持って関与するしかない、という発言を一企業が、その「身の丈」を超えずに、してみせること。そこに、わたしは「新しい公共性」への道を見たいと思った。
 壊滅した町並みだけではなく、人びとを繋ぐ「ことば」もまた「復興」されなければならないのである。
 ★
 私も、この理事長のメッセージを何度も聞いた。 
  目新しいことは何も語っていない。
 驚くべき言葉も何もない。
 普通に、新規報告をするような調子でとつとつと語っている。
 しかし、何だろう…。
 ちょっと感激したのである。
 地方の一信用金庫が行う業務とはまったく違った「ことば」がそこにあった。
 越境した「ことば」とでも言った方がいい。
 ★
 4/29の朝日新聞では、一面に「『脱原発』への金利優遇」として次の記事が載っている。
 
 原子力発電所事故を受けて「脱原発」を訴えている信用金庫2位の城南信用金庫(東京都品川区)は28日、脱原発のための預金や融資を5月2日から始めると発表した。太陽光発電などを導入すれば定期預金の利息を年1.0%に引き上げ、導入のためのローンも1年間を無利子にする。
 …………………
 城南信金の吉原毅理事長は原発事故後、「脱原発」を掲げ、自社の電力消費を3年以内に3割減らす節電策を打ち出した。「危険」が高い原発に依存しなくて済むような地域社会作りに貢献したい」としている。

 

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「発想の転換」をどう図るか

  「先生向け会員制Webマガジン」を企画しておられるMさんから第1回目の取材を受ける。
 若い先生に向けた「学級経営術」の指南というコーナーである。
 Y市の東横インの会議室で2時間ぐらい取材を受ける。
 1,なぜ6月の教室は荒れるのか。 
  2、まずクラス診断から~荒れ度診断
 3、「荒れ」への対応
  4、低学年での対応
   高学年での対応
  このような中身で、質問に答えながら話を進める。
 ★
 「荒れ」は、次の特徴的な4つのことで現象化する。(もちろん、他にもある)
 
  A 担任の指示に従わない。
 B 担任に反発する。
 C クラスのルールに従わない。
 D 授業中、勝手におしゃべりしたり、立ち歩いたりする。 

 この「荒れ」は、A、Bが担任との「関係づくり」の破綻、C、Dは「仕組みづくり」の破綻である。

  ★
 だが、初任の先生たちは「荒れ」が始まっているのかどうか分からない。
 そこで、私は、前回のブログで「荒れの初めをつかむ10の視点」をあげておいた。
 この視点で見ていくと、「荒れ」の初めが分かる。
 ★
 なぜ6月頃に「荒れ」が現象化するのか。
 このような質問から入った。
 「荒れ」が「関係づくり」の破綻、「仕組みづくり」の破綻なのである。
 これらは、私の「学級づくり」の3原則が「関係づくり」「仕組みづくり」「集団づくり」としていることから何の破綻か分かる。
 要するに、きちんとして学級づくりをしてこなかったのである。
 ★
 「荒れ」への対応も、前回のブログで書いた。
 2つの「止めること」、3つの「新しく始めること」になる。
 新しく始めることの1つが、「発想の転換」だった。
 「荒れ」が顕在化し、対応が始まると、必ず「原因追求」に走る。
 「問題を起こしているのは誰だ」という追求である。
 「誰だ、誰だ」→「悪い、悪い、直せ、直せ」の合唱になる。
 この間に、担任と子供たちとの関係が一気に崩れていく。
 こういう原因追求を止めなくてはならない。
 そして、視線を「問題がない子供」「問題がない行為」「問題がない場面」に振り向けていかなくてはならない。
 きちんとやっている子供はいるのである。
 きちんとやっている行為もあるのである。
 きちんとやっている場面もあるのである。
 そこに視線を移していく。
 ★
 昨年度担当した2年生担任の初任の先生は、これを成し遂げた。
 1年生の時のクラスの1つが、崩壊状態になっていて、その半分がクラスにいた。
 だから、4月、5月は、うまく学級が機能しないで、担任の先生は子供へ叱りつけることを繰り返していた。
 その場はなんとかなるのだが、また同じ行為をしてしまう。
 「叱り」だけでは、子供たちは育っていかない。
 私は、初任の先生に「発想の転換」をすすめた。
 個人目標達成法という方法である。(「新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則」明治図書 に紹介している)
 これで7月には、クラスを落ち着いた学級にすることに成功している。
 担任の先生は、「問題のある子供、行為、場面」から「きちんとやっている子供、行為、場面」に視線を移して、「叱り」から「誉める」へ方向転換している。
 それがみごとに落ち着いた学級へと転換させていくキーポイントになっている。
 こういうことだ。
 こんな発想の転換を即座に取れるかどうか、そこに担任の心意気が表れる。
 
 
 

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I 先生からのメール

  初任のI先生からまたメールがきた。
 もう少しくわしい子供たちの内容を伝えられている。
 ただ、I先生は4年間の講師経験を持たれている。ただ、最初から学級づくりをするのは初めての経験だということ。
 初任の先生には、参考になるのでここに引用しておきたい。
 また、自分の教室の写真を宅配ファイルで送ってもらった。
 これを見せられないのが残念だが、よく考えられた教室である。
 いやいや、こんな初任者もいるのである。
 ★
先生のチェックを自分なりに振り返りました。

 ①朝会できちんと並んで校長先生などの話を静かに聞いているか。
 →始業式ではあぐらをかいていた子もいて、何でもかんでもしゃべってしまう子だ
  が、姿勢も少しずつよくなり(これは繰り返し指導が必要)、話は静かに聞いてい
  る。他の子は静かに聞いている。
  ②朝自習は自分たちで静かに行っているか。
 →落ち着きのない子もいますが、集団が静かにやっているので、そういう子も静か
  に頑張っています。集団が育てば、目立たなくなるというのが実感です。
 ③朝の会が1時間目の授業に食い込まないでスムーズに進んでいるか。
  →鐘が鳴ったら1時間目が始まる。児童集会などが押して、あまり時間がない時
  は、ショートプログラムにしています。普段は私自身が時間をきっちり守るので、  子どもたちもテキパキ動けている。朝の会は10分だけど、7分ぐらいで終わる。
 ④授業の最初は、すぐに始まっているか。
 → 次の時間の準備をしてから休み時間にしているし、子どもたちは2分前には全
   員そろっている。専科の時も、遅刻しないように守れている。普段は、子ども
   たちをせき立てて急がせることはしない。あれこれ言いたくなっても、グッと
   待っていると自分達で動ける。
 ⑤授業時間、休み時間をきちんと守っているか。
  →専科の時は延びることがあるが、自分の時はきちんと守っている。授業は45分
  勝負だと思って、しっかりと授業準備もしている。
 ⑥給食の時間は決められた時間でスムーズに進んでいるか。
  →タイマー当番が効きました。5年生ということもあり、スムーズです。
 ⑦移動する時の列の並びはすばやくできるか。
  →素早く並んで、移動は黙動できている。少しでもしゃべったら、教室まで戻ると
  言っている。
  ⑧靴箱の靴は整頓されてきちんといれられているか。
 →これも始めのうちに妥協せずにやっていたので。うちの学校は靴入れボックス
  だから、あまりくつが乱雑にならないというのもあるかもしれません。
  ⑨清掃の時間は、決められた時間でスムーズに終えているか。
 →縦割清掃ですが、みんな真面目にやっています。
  ⑩終わりの会は、短い時間でスムーズに終えているか
 →5分かからないです。先生が前に立ったら3秒で話を聞くを徹底しています。

 講師時代、人の学級を途中から持ったことはありますが、自分で一から学級をつく
るのは初めてです。講師4年間の間に、3・4年生の担任、理科専科、算数少人数、
書写、音楽専科などを担当する中で、いろいろな学級を見てきました。
先生の本をもとに、たくさんの先生の教室環境などを見て、
その中の、いいところ、悪いとおもうところを、自分の学級に生かしています。
自分なりに総動員で臨んでいます。

【先生の本で参考になった、主なこと】
自分の視点は、会社で働いていたこともあり、「子どもが社会に出てから困らないよ
うに礼儀作法を教えたい。」 という自分のぶれない軸があります。
また、授業を成立(自分がねらう)させるには、学級経営だというのが、
いろいろな学級を教えた自分の結論でした。だから、授業にもこだわりますが、
学級づくりが第一だと思いました。
黄金の3日間、私の場合は、先生のように怖い話のネタがないので、得意のギターで
歌を歌いました。自分のキャラは全開にして過ごしています。そこが同じ実践をして
も、違いが出てくるところだと思うからです。ただ、しっかりと線は引いています。
また、敬語はしっかりと使わせています。理由も説明し、納得してくれました。縦の
関係はぶれずに持ちつつも、休み時間はよく遊び、よく話し、横の関係の方を大切に
しています。
目標達成については、「成長年表」という名前でやっています。まだスタートしたば
かりです。あの、野中先生のスケジュールは、自分でもエクセルで作って、個人的に
作っている週案とは別に毎日やっています。あれは最高です(笑)
教師は黙っていると、次から次へと仕事がきて、いろいろと忘れてしまいます。
そして、後手後手になる。でも、あれのおかげで、見通しを持った過ごし方ができて
います。
「ちょこっっと学級会」という名で、向かい合ってよく学級のことについて話しあい
ます。もう5回はやりました。私はここではあまり前に出ずに、自分達で自分達のこ
とを決めさせています。これも普通の学級会より手軽でいいなぁと思っています。
配達の背番号制も、平等で良いです。配達係を作ると、働く人と働かない人がいまし
たから。背番号だと、1日の中で全員にまわるようにできるし、あっという間に配達
が終わり、配達物がたまることがありません。
あの、先生の北村白秋の音読も、いつも国語の最初の数分で取り組んでいます。子ど
もたちは喜んでやっていて、凛とした音読ができています。
教科当番についてですが、2週間やってみて、これはこれでいいのですが、
これは学習係の会社を作って自分達で工夫させてもいいかな、とは思っています。
あまり総合や英語当番は役目がないので・・・
他にもいろいろとありますが、とにかく先生に感謝しています。


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100点ということにびっくり!

 「荒れの始めをつかむ視点10」を書いた。
   青森の初任のI先生から早速メールをもらった。
   うれしかった。
  こんなに見事な出発をされている。
  驚くのは、点数が100点だということだ。
   普通は、50点ぐらいで上出来のはずである。

   100点というのは、ベテランの実践家たちの点数なのだ。
  メールは次のように書かれていた。
  ★

  今日の日記を読ませていただきました。
私は野中先生の本を6冊、何度も何度も読んで、
その他の本もたくさん読んで4月に備えました。
そして、改めて、縦糸・横糸論など、野中先生の実践が
素晴らしいと痛感しています。

先生の日記の点数、今の所ですが、100点です。
少し厳しめにつけても100点です。
これからも気を抜かず、3・7・30の30に取り組んでいきます。

5学年の担任ですが、前の年は大変な学年だったと聞き、
周りも、「ぁあ、あの学年にいっちゃったのね」という雰囲気がプンプンでした。
しかし、ふたを開けてみたら、指示を明確にして趣旨を説明すれば、
本当に見事に動けるし、明るくメリハリがあります。
今、私がいなくても、1週間は子どもたちだけで動ける状態だと思います。

この2週間は土日も働き詰めで3㎏やせましたが、とっても充実しています。
一人一役については、「子どもの自主性から出たものか。低学年ならそれでいいけ
ど・・・」という意見もあり、自分なりに考えていました。
しかし、私は初任研で学校を空けることが多いですし、新しい学校で初めての学年と
いうことで、一学期の始めは私が方向を示し良かったと思っています。
子どもたちも、スムーズに動いています。そして、少しずつ、子どもたち自身で
決めていくことが増えてきて、自分の手を少しは離してもいいと思える状態です。
野中先生の教えは、素晴らしいです。
拠点校指導教官も、「最近の子は、一人一役の方がいいかもね。」「よく1週間、2
週間で、これだけの学級をつくったね。」と言ってくれています。
給食指導も、一人一人で並ぶのではなく(過去のクラスは、これでうるさく悩みの種
でした)、給食当番が配膳する形をとっていますが、これもとてもスムーズです。

高学年ですし、これからいろいろとあると思いますが、子どものために
頑張っていきます。何か、これからの過ごし方についてアドバイスをいただけると
嬉しいです。

本当にありがとうございました。頑張ります。
 ★
 何度かメールをもらった。
 メールを読む限り最初の学級づくりをとてもスムーズに進めたのであろう。
 初任の5年生とはこれだけでも大変なことである。
 しかも大変な学年なのである。
 それをこのように見事に御している姿はすごいことである。
 「これからもがんばれよ!」

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ブログの始まり

   私の親しい友人で、研究の同志でもある秦安彦先生がブログを始められた。
 
 http://dousureba2.blog.so-net.ne.jp/2011-04-24

 最初の挨拶を次のように書かれていた。
 ★
 はじめまして [挨拶]
 小学校の教師になって20年以上が過ぎた。
教職に就いてから一貫して自分なりに追い続けて来たのが、
「どうすれば新しい教育実践を生み出すことができるか」ということだった。

 例えば、向山式跳び箱指導法というのがある。向山洋一氏の初期の実践研究成果である。
 その方法を使えば、跳べなかった子がみるみる跳ぶ箱を跳べるようになるという。

 早速、私もその方法を試した。
 素晴らしい効果があることがわかった。
 ほとんど全ての子が短時間で跳び箱を跳べるように、確かになった。
が、次の瞬間に新しい問いが生まれた。
・欠点はないのか。
・もっと優れた方法はないのか。
・どういうプロセスで向山式は生まれたのか。
・本当にこの方法は全国に普及していくのか。
・・・
 そして、最後の問いは、
 どうすれば向山式跳び箱指導法のような「新しい教育実践を生み出すことができるか」ということであった。
 本サイトは、そのテーマに対する、一教師のささやかな挑戦を広く発信するものである。

 野中信行氏と出会ってから、もう一つ明確なテーマが加わった。
それは、「新しい教育実践」が教師としての基礎・基本につながるものでなければならないということだ。いかに優れた技術でも、習得までに多くの時間を要するものでは、忙しい現場にマッチしない。
 さらに効率よく、初任者でも容易に理解でき習得できるものが望ましいということだ。
 野中氏は「3・7・30」の法則や、「味噌汁・ご飯」授業を提唱されている。いずれも、教師としての基礎・基本に立ち返る素晴らしい実践的提案だと、私は思う。

 私が尊敬するデザインナー今泉浩晃氏は「整理」とは「行為的には捨てる」ことだと述べておられる(創造性を高める「メモ学入門」)。
 インターネット時代の今こそ、基礎・基本を選び抜き情報を再編集して身軽にしておくことが必要なのだと思う。特に初任者には、情報に押しつぶされないように、原則論や仕事術を伝えて行かなければならないのだと思う。私の発信する情報などは微々たるものに過ぎないが、いつかどこかで誰かのお役に立てることがあればそれ以上の幸せはないと思います。

よろしくお願いします。
 ★
 私が出会ってきた逸材の一人が、こうしてアウトプットを始める。
 私が強く勧めてきた経緯もある。
 私が初めての本を出したのは、55歳の時である。
 もうあと退職まで5年と迫っていたときである。
 あれからまだ8年ぐらいの歳月しか経っていない。
 何か30年ぐらいを終えた気になっている。
 アウトプットを完全に意識して一歩踏み出して気づいたことは、自分の役割意識だろうか。
 ★
 私は「インプットの歳月」と「アウトプットの歳月」があると思ってきた。
 インプットの時は、脇目をふらず自分に蓄えを加えていく時間。
 アウトプットの時は、その蓄えを使って「自分が抱えている意識する現実」を変えていく時間。
 もちろん、生涯その2つは同時進行で進めなければいけないが、自分のギアのかけかたはそうなるのだと思い続けてきた。
 ★
 秦先生のブログにはこれからおおいに注目してもらいたい。
  

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「荒れ」の始めをつかむ視点10

 あと1週間で、「3・7・30の法則」で提起した時間が一応終わる。
 この1ヶ月でどれだけ徹底して学級づくりをしてきたかが問われる。
 さて、うまく進んでいるかどうかをチェックしてみよう。
 この10項目で「できている10点」「まあまあ5点」「できていない0点」をつけてほしい。
 

 ①朝会できちんと並んで校長先生などの話を静かに聞いているか。
  ②朝自習は自分たちで静かに行っているか。
  ③朝の会が1時間目の授業に食い込まないでスムーズに進んでいるか。
  ④授業の最初は、すぐに始まっているか。
  ⑤授業時間、休み時間をきちんと守っているか。
  ⑥給食の時間は決められた時間でスムーズに進んでいるか。
  ⑦移動する時の列の並びはすばやくできるか。
  ⑧靴箱の靴は整頓されてきちんといれられているか。
  ⑨清掃の時間は、決められた時間でスムーズに終えているか。
  ⑩終わりの会は、短い時間でスムーズに終えているか。
 ★
 どうだろうか。
  トータルで70点以上を取ることができたら、順調に学級づくりが進んでいると言える。まず、申し分がない。
 50点、60点ぐらい。
 学級づくりが徹底していないと思われる。
 まだまだがんばって繰り返し徹底していかなくてはならない。
 50点以下の場合は、これから学級は「荒れ」の兆候を見せ始めるかもしれない。
 特に初任の学級でほとんど点数が取れないというクラスは要注意である。
 ★
 本当に「荒れ」が起こってくると次のようになる。

 A 担任の指示に従わない。
 B  担任に反発する。
 C クラスで決まっているはずのルールに従わない子供がいる。
 D 授業中、それぞれの子供が勝手におしゃべりをしたり、手いたずらを
   したり、よそ見をしょっちゅうして、その注意に追われる。

  ★
 まだまだこのような「荒れ」は起こっていないはずである。
  このような荒れを起こさないように、今からでもがんばれる。
 どうしていくかについては、すぐにでも「新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則」(明治図書)を読んでほしい。(すみません、宣伝です)

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ある高学年のクラスのできごと②

 前回の続きである。
 問題がこじれてきた段階でどうするか。
 それは、5月の中旬あたりから6月へかけて訪れてくる。
 普通に取ろうとする手立ては、「問題原因駆除手立て」である。
 問題の原因を取り除こうと、それに時間をかけるのである。
 だが、それをしてはならない。
 担任は、「問題はなぜ起きたのか」と問題の原因を取り除こうとする行為をやめなければならない。
 「どこに問題があるのか」という発想をやめなくてはならない。
 「どこに問題があるのか」と探し出すと、「問題を起こしているのは誰か?」というところから順番に「悪いところ、悪いところ」へ問題追求が起こる。
 原因を追求する発想は、関係している子供たちに怒りを与える。
 怒りを含んだ「問題をなくせ」の追求は、絶対に事態を改善の方向へは導かない。
 事態が改善しないので、それを望んでいる周りの子供たちは、だんだん担任に対して冷ややかになり、反発を感じていく。
 そして、ますます事態を悪化させていく。
 ★
 それでは、原因追求ではなくて、一体何をすればいいのであろうか。
 こじれた関係になっていくと、問題を起こす子供たちにばかり注意がいく。
 子供たちに対する担任自身の働きかけには思いが至らない。
 子供たちへの<関係づくり>が壊れていっていることに思いが至らないのである。
 
 このようなことはないだろうか。
 
 ①授業の始まりで、日直が何度も「静かにして下さい」と注意をしている。
    担任もおしゃべりをしていたり、よそ見をしていたりする子供を注意する。
    何度も「始めます」という挨拶をやり直しをさせる。
    始まりが5分もかかることがしょっちゅう。
   担任は、始めと終わりはきちんとさせたいという願いがしつこい注意になる。
 ②朝の会も終わりの会も、きちんとさせたいために何度もやり直しをさせる。
    そのために朝の会は延々と続き、いつも1時間目の授業に食い込む。
    終わりの会も、ちゃんとしないために延々と延びる。30分もかかることが
    ある。
 
  担任はどこに困っているのだろうか。
 まとめてみると、次のようなことになる。
 A 担任の指示に従わない。
 B 担任に反発する。
 C クラスで決まっているはずのルールに従わない子供がいる。
 D 授業中、それぞれの子供が勝手におしゃべりをしたり、手いたずらをしたり、
   よそ見をしゅっちゅうしてその注意に追われる。
 
 A、Bは、担任との関係づくりでの失敗である。C、Dは、クラスのルールづくりの失敗である。
  ★
 とりあえずどうしていくのか。
 方向は2つある。
 1つは、すぐにでも止めること2つ。
 もう1つは、新たに取り組むこと3つ。
 ★
 すぐにでも止めることがある。
 1つは、先に述べたこと。問題原因を追求することを止めることである。
 これは火事で燃えさかっているときに、「火元は何だ、何だ!」と原因を追求することに似ている。
 冷静に考えてみれば虚しく、おかしなことである。
 2つ目は、スピードのない行為を止めることである。
 たとえば次のようなことである。
 ①朝の会、終わりの会で5分が原則(せいぜい7,8分まで)
    それで終わらないのは、プログラムがおかしい。
  ②時間を守る。一日を学校で決められた時間できちんと進んで行く。
  特に、休み時間を奪うような授業は絶対止める。
 ③授業の最初は、どんなにうるさくてもすぐ始める。
  日直には、2度以上「静かにして下さい」など言わせないで、「始めなさい」と指示をする。
  ★
 新たに取り組むことが3つある。
 1つは、発想の転換である。
 原因追求を止めて、「問題がない子供たち」「問題がない行為」「問題がない場面」に注目していくことである。
 私が昨年担当した2年生担当の先生は、これをやってみごとにクラスを大転換させた。
(この実践については、「新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則」(明治図書)に個人目標達成法として実践を載せている)
 2つ目は、仕切り直しをすることである。
 クラスの子供たち全員にアンケートを取る。
 そして、一人一人にそのアンケートのもとに面接をする。
 子供たちの意見を求める。
 特に、先生に願いたいこと、クラスでやめてほしいことなどをきちんと聞く。
 それを踏まえて、全体の中で、これから担任として止めること、そしてクラスのみんなにも守ってほしいことを提起して話し合う。
 3つ目は、楽しいイベントの計画である。
 クラスで守ってほしいことをクラス目標にして(これは前著の「目標達成法」を参考にしてほしい)目標を3つ達成できたら「お楽しみ会を開こう」などと計画したらいい。 子供たちと計画してどんどん楽しみな計画を作りだしていくことである。
 もはや行事と授業だけで学級経営をしていくことは無理である。
 学期の最後に「お楽しみ会を開く」などのイベント活動では、もはや学級を活性化することなどできない。
 日頃から学級の活動の中にイベント活動を位置づけていくことは大切なことなのだ。
 ★
 クラスが荒れていっている先生への取り組みの方向を示した。

 粗い方向だが、意図していることはわかってもらえると思う。

 
 

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国語授業でシナリオ作り~「味噌汁・ご飯」授業~

   国語(小3年生)の単元を「味噌汁・ご飯」授業で作っている。
 光村の教科書だ。
 指導書を読んでいて、「これはどうにもならんな!」という思いになる。
 担任をしているときには、もう10年以上国語の指導書を読んだことがなかったが、最近改めて読んでいる。
 読んでいて、これでは初任の先生にはほとんど分からないのではないかと思ってしまう。
 分からないというのは、これでは授業がイメージできないということだ。
 とにかくぐじゃぐじゃ書いてある。
 これを読み進んでいくだけでも結構時間がかかる。
 初任者は、これを読んで、どのように授業を作り上げているのだろうか。
 戸惑っているのであろう。
 ほとんどいい加減に、見切り発車で授業をしているのであろう。
 ★
 「味噌汁・ご飯」授業とは、私がつけたネーミングである。
 研究授業や特別授業をするということではなく、毎日の日常授業をどのようにこなしていくかという発想からこのようなネーミングをつけた。
 だから、子供たちが思わず引き込まれてくる、ごちそう授業をイメージしていない。
 70点ぐらいの授業で十分。
 ただし、基礎・基本はきちんと身に付けさせる授業でなければいけない。
 ★
 3年の国語授業で、「きつつきの商売」「海をかっとばせ」を作った。
 私が原案を作り、研究会の同僚である小島先生がそれにコメントをつけていく。
 まあまあの授業計画ができあがる。
 ベースにしているのは、物語の基本型である。
 どの物語も授業展開していく場合には、この基本型をもとにして作り上げる。
 ★
 初任の先生が一番苦手にしているのは、この国語の授業なのである。
 この指導書で授業づくりをしようとしても無理なのだ。
 そこで、私たちが「味噌汁・ご飯」授業で、授業づくりをしてみようという発想になった。
 「3年生の物語授業シナリオ」(光村)である。
 もちろん、さまざまな教科書会社の教科書も扱いたいが、とりあえずはこれである。
 このシナリオが、各学年で作成できれば初任者はずいぶん助かるにちがいない。
 ★
 もちろんハウツー版だけで終わらせようとしていない。
 目標は、自分で授業づくりができることである。
 その方法を提起しようとしている。
 すぐれた授業づくりをしようとしているのではない。
 日常に耐えられる授業づくりなのだ。
 そんな方法があっていい。
 なぜ今までこのようなことが提起されなかったのであろうか。
 教師たちには、限られた時間しかないのである。
 その限られた時間の中で、何ができるのか。
 それに挑戦してみようと思っている。
 
 

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ある高学年のクラスのできごと

  ある小学校の高学年のできごとである。
 始業式の当初から学級の中に、にぎやかな子供が数名いた。
 前の学年では1クラスが学級崩壊になっていて、その数名はそのクラスから来ている子供たちであった。
 いざ、授業が始まると、その子供たちを中心に私語が飛び交った。
 最初から担任の話を聞かず、指示に従わない問題が続いた。
 担任は声を嗄らして、静かにするように、指示に従うように厳しく接した。
 けれども、事態は一向に改善しなかった。
 休み時間などにはよくケンカが始まり、しょっちゅう小競り合いが多発した。
 怪我をした場合には、双方に電話して連絡をした。
 けれども問題はひろがるばかりで収まるきざしはない。
 指導を受けた子供は、「何でオレばっかりなのか」との不満を言う。
 問題が状況証拠だけだと、「オレがやったって決めつけるのはおかしい」と反発が返ってくる。
 担任が子供を呼ぶと、「オレ何もやっていませんよ」と言う。
 だんだん普通の子供たちも「しらねえ」「関係ねえ」と言い出す。
 担任もつい「何だ!その態度は」と感情的になる。
 ★
 いじめも頻発した。
 保護者に声をかけると、関係はさらに悪化した。
 「うちの子だけじゃないですよ。あの子は呼んだんですか!」
 「うちの子はやらされているだけなんですよ。体が大きいから」との言葉が平然と返ってくる。
 ★
 大型連休明けには、すっかりクラスは無秩序状態になった。
 担任が問題を取り締まる姿勢を強めると、子供たちの気持ちは離れていく。
 担任を信頼しなくなる。
 ★
 問題がこじれた段階では、問題そのものの原因を探したところで、どうにもならない。
 上記の高学年のクラスでは、問題を次々に起こす数名の子供たちが、荒れを引き起こす最初の引き金になっていた。
 でも、担任は漫然と見ていたわけではない。
 当初から担任は「問題をなくそう」とする常識的な関わりをしていたのである。
 けれども、5月の時点では、当初よりもはるかに事態が拡大し、悪化している。
 問題を起こす子供の範囲は広がっている。
 問題を起こさない子供たちは冷ややかに担任を見ている。
 もはや、最初の数名の子供たちの問題だけではないのである。
 ★
 これは何が問題であろうか。
 私に言わせれば最初の1ヶ月の学級づくりを失敗したケースになる。
 問題の数名の子供たちの動向ばかりに気に取られ、その対応に終始している。
 その子供たちに担任は厳しく対応している。
 その子供たちに「オマエたちが悪い」とずっと対応しつづけているのである。
 その子供たちと通じ合いをしない間に、関係をどんどん悪くしてしまっている。
 その子供たちは、担任から批判され、否定されて、どんどん気持ちが離れる。
 その子供たちは、ことごとく問題を拡大する。
 教室も不穏な空気が満ちていく。
 そのうちに、まだ表面的な動きをしていなかった中間派の子供たちも、その子供たちに合わせて不穏な動きをしてくる。
 だんだんその動きは拡大する。
 結局、担任は、私が言う「8割を味方にする手立て」を取っていない。
 ★
 この担任の取り組みは、このようなクラスを受け持った時に普通に取る「普通の手立て」なのだ。
 ほとんど普通の教師は、このような手立てを取る。
 「問題原因駆除手立て」とでも名付けておこう。
 問題の原因を駆除していこうとする取り組みからは、問題は解決しないのである。
 いや、むしろ問題を拡大させ、悪くしていく。
 ★
 最初の数名の子供たちには、最初からがんがん対応しない。
 彼等と<通じ合い>がなされない限り、教室に彼等を位置づけていくことはできないのである。
 そんなことより、担任は味方をしてくれる2割の子供たちと、中間派の6割の子供たちを味方にするための施策を着々と進めなくてはならない。
 それが1ヶ月の仕事だ。
 私は、<関係づくり><仕組みづくり><集団づくり>と言っている。
 今先生たちは、学級作りの途中にあるはずである。
 ★
 もちろん、数名の子供たちのやんちゃは目立つ。
 でも、一々目くじらを立てて反応しない。
 無視できないときだけきちんと対応すればいい。
 そのような子供たちを学級崩壊や荒れの問題を引き起こす元凶のような発想をとらないことである。
 問題は、担任がリーダーシップを発揮して、教室を「安心・安全で居心地がいい場所」に早くしていくことが一番大切なことだから。
 ★
 それでは、5月や6月段階で荒れてくる場合は、どのような対応が必要なことであろうか。
 この段階ではまだまだ修復の可能性は残されている。
 それは次回のブログに書きたい。
 
 
 
 
 
 

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「味噌汁ご飯」授業を作っている!

   「味噌汁・ご飯」授業を作っている。
 国語の物語文で作ろうということで始めている。
 初任の先生にも作れる「国語の授業」という視点で挑戦している。
 まず、国語の指導書を買った。3年生の指導書だ。
 普通では買えないので、A小学校の校長先生に頼んで買ってもらった。
 1冊(上下)13125円。
 まず、この値段にびっくり。
 こんなにしたのだ。
 ★
 初任の先生は、物語文を読んですぐに「授業づくり」ができるわけではない。
 どうしても指導書に頼らなければいけない。
 光村図書の3年生。
 「海をかっとばせ」という物語文で挑戦する。
 新しく入ってきた教材である。
 まず、2回読んだ。
 さて、これで何を教えるのだろうか。
 単元目標を指導書で確認した。
 
 ◎場面の移り変わりに注意しながら、登場人物の生活や気持ちの変化、情景などに
    ついて、叙述をもとに想像して読むことができる。
 ◎文章を読んで感じたことを発表し合い、一人一人の感じ方について違いのあるこ
    とに気づくことができる。
 
 このように書いてある。
 「えっ」と思った。
 37年間、担任をしながらこういうことを丁寧にしていなかった自分を恥じた。
 それにしても、この単元目標で初任者はどんなことを教えていけばいいのか分かるのであろうか。
 それが問題である。
 ほとんどが教育用語で書いてあり、初めての人には皆目どのようなことか分からないのではないか。
 ★
 最初からつまづく。
 なんでこういうことを始めたかというと、私が提案している「味噌汁・ご飯」授業を形にしたいという気持ちからである。
 現場を終えて無職になったとたんにこういうことを始めている。
 さて、どういうことになるか。
 
 

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横浜市のA小学校へ行った!

   横浜市のA小学校へ行った。
 この学校へ親しい校長先生が赴任し、その校長先生よりぜひとも先生たちへ学級づくりについての話をしてほしいという要望からである。
 4月11日というのは、始業式から5日目のこと。
 先生たちはめちゃくちゃに忙しい日である。
 そこへ私が行って、放課後の時間を邪魔するだけの価値のある話ができるのかどうか。
 少し緊張して学校を訪れる。
 A小学校は、横浜の中心で研究校としてずっと名が知れた学校であった。
 今では、もうそういう看板を下ろしているという話であった。
 ★
 この学校は、クラス担任という方式を止めていて、学年を2人か3人で担任するチーム方式である。
 学年の中では、A組、B組と分かれているらしいが、クラス目標というようなものはない。
 あくまでも学年目標として考えるらしい。
 小学校としては新しい方式である。
 チームとして学年全体を受け持っていこうとする方式。
 これはおもしろい。
 1人で1クラスを受け持つという、今までの方式が多くの問題を抱え込むようになったことは確かなことである。
 小学校も学年をチームとして考えていくことは、これから必要なことかもしれない。
 ただ、よほど考えていかなくては先生たちを戸惑わせていく。
 クラスを受け持つという意識が、希薄化していくようになるならば意味がないからだ。
 ★
 話は10分オーバーして90分の話になった。
 最後は、ちょっと強い余震がくるというおまけもついた。
 その後、懇親会。
 新しく赴任されてきた先生で、前の学校で私の本を読んでとても参考になったという先生や、校長先生の前の学校で私にぜひ会いたいとわざわざかけつけてくれた初任の先生(甲子園に出た球児とか)などと一緒にわいわい話になった。
 うまい料理と焼酎で、久しぶりに痛飲。
 おかげで翌日は二日酔いであった。
 
 

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もうこんな授業研究はやめよう

   前回のブログで「行事消化的重点研究の終わり」を書いた。
 それについて、鳥取の長谷先生よりコメントがついた。
 ★
 全く同感です。研究授業の時だけできるような打ち上げ花火のような授業は無意味です。教師の見栄だけで行われているようなものです。毎日の授業の質を上げる、使える、少ない手間でできる授業を学び(だから追試でもいいのです)公開し、みんなが取り入れる。そして、日常の授業のレベルを少しずつ上げていく。もう一つは、日常の授業での子どもの鍛えをどうするかです。ノート指導、発言指導など基本的なことを徹底していく。その方法も学ぶべきだと思います。宿題の出し方、評価の仕方なども。
  ★
 とてもうれしかった。
 長谷先生のような有数の実践家にこのように評価してもらい、ちょっと勇気が出る。
「行事消化的重点研究の終わり」と書いたが、今まで学校などで行ってきた「授業研究」のあり方は一度篩(ふるい)にかけねばならないと思っている。
 長谷先生は、「打ち上げ花火のような」「教師の見栄だけで行われている」授業の無意味さを書かれている。
「もうこんな授業研究をやめよう」ということだ。
 長谷先生は続けて、「毎日の授業の質を上げる、使える、少ない手間でできる授業を学び、公開し、みんなが取り入れる。そして、日常のレベルを少しずつ上げていく」と書かれている。
 まったく同感である。
 このような授業研究にベクトルを変えていくことだ。
  ★
 今までの授業研究のあり方というのは、「憧れの授業」を追求するという方向で取り組まれてきたはずである。
 そこに「名人教師」という名前が生み出されてきた。
 授業では、多くの子供たちが積極的に発言し、討論し、活発に活動していく。
 そこには、すぐれた教材とすぐれた発問が準備された。
 そんな授業づくりに憧れてきたのである。
 ★
 しかし、「普通の教師」たちはそんな名人教師になることはできない。目指す必要もない。
 一部の、寝食を忘れて授業づくりに打ち込んでいく先生たちにしか拓かれない道であった。
 私たちの今までの授業研究も、このような「憧れの授業」を追求するという方向に引きづられてきた。
 研究授業では、結局研究テーマなどはどうでも良かったのである。
 とにかく教師たちは、「クラスの多くの子供たちが積極的に発言し(できれば討論し)活発に活動していく授業」を見に来ている先生たちに見せたいという思いであった。
 でも、それが可能なのは、一部の実践家だけであった。
 ★
 私は、「もうこんな授業研究はやめよう」と主張している。
 「憧れの授業」を目指さない。(もちろん、それを否定してはいない)
 毎日行っている授業の質を上げていく。それで十分。
 教材研究の時間がないのである。
 その中でできる「日常授業の改革」をしよう。
 先生たちの授業研究は、その日常授業をすこしでも向上させる手立てを互いに学ぶ研修で十分。
 そんなことを主張しているのである。
 
 

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私たちの街にも春が巡り来ている

   私の親しい友人が気仙沼にいる。
 教員である。
 3・11は、学校で被災した。
 気仙沼は、4月21日が始業式の予定である。
 友人からメールがきた。
 ★
 …………
 ただ,私の勤務している○○小学校の体育館が遺体安置所になっており,また180体近くのご遺体が安置されており,果たして21日までにスタートができるのか?といった状態です。
> このような中で,今年度は5年生3クラスの学年主任を仰せつかりました。
> 子どもたちは3月11日以来約1ヶ月のブランクがあります。また,全く被害の
> ない児童と家族を失った児童など様々です。このような状況の中で,心のケアを
> 含め,学級づくりをどのようにしていくか,現在悩んでおります。
> 野中先生。是非,アドバイスをお願い致します。
> ★
 このような中で始業式を迎え、学年、学級を運営していこうという先生たちの苦労を思うとき、言葉を失う。
 私は次にように書く以外になかった。
 「さまざまに考えました。
  しかし、担任ができることは限られているのだと思いました。
  親にも家族にもなることはできないのですね。
  だから、教師ができることを精一杯やる以外にないのではないでしょうか。
  いつも通りの普通のクラスで、いつもの通りの勉強をし、いつも通りに叱って、
  いつも通り笑ってあげる。
  そのことが一番子供たちには必要なことではないでしょうか。
  せめて、教室を日常に戻してあげることが何よりも必要なことだと思います。」
 ★
 私たちの街にも春が巡り来ている。
 いつものように桜が満開だ。
 小説家池澤夏樹は、「終わりと始まり」という朝日のコラムの中で書く。(池澤も仙台に住む高齢の叔母夫婦が今回の震災にあった)

  今からのことを言えば、我々は貧しくなる。それは明らかだ。貧しさの均等配布が政治の責務。
 叔母は、今は戦後と同じ雰囲気だと言う(戦時中と同じ、ではない。我々は殺すことなくただ殺され、破壊することなくただ破壊された)。十年がかりの復興の日々が始まる。
「またやって来たからといって/春を恨んだりはしない/例年にように自分の責務を/果たしているからといって/春を責めたりはしない」とシンボリスカは言う。
「わかっている わたしがいくら悲しくても/そのせいで緑が萌えるのが止まったりはしないと(沼野充義訳)」
 そういう春だ。

>

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行事消化的重点研究の終わり

   「授業」についてさまざまな試みがなされている。
 これからの教育の未来を作っていく意味で必要な試みである。
 ぜひさまざまな試みに挑戦していかなくてはならない。
 私は、「味噌汁・ご飯」授業という提案をしてきた。
 新しい試みだと考えられている方もいるが、そんなことはまったくない。
 ネーミングからしてそんなことはない。
 ★
 初任者の授業を見てきた。
 授業をしていくだけでも大変なのである。
 毎日の授業を作り上げいくだけで四苦八苦なのである。
 ほとんどが、簡単な発問があり、それに答えていく3,4人の子供たちがいて、それで先に進んでいくというような授業になる。
 おそらく、そんな授業のイメージがあり、とりあえずそのような形でしか進められないのである。
 私は「その日ぐらし授業」と名付けている。
 でも、初任者にとって、その以上の授業を作り上げることはむずかしい。
 それは普通の日常の授業なのだ。
 ★
 ところが、研究授業となるとそうではない。
 さまざまに教材研究をされているので、「おおっ、いいね」という授業になる。
 私が先年度担当した初任者の先生の授業(図工)は、2人とも初任者としてはすばらしい授業と言えるものであった。
 ★
 研究授業の「授業」と、毎日の日常の「授業」とあまりにも違いすぎる。
 でも、それは当然のことであった。
 私は、「ごちそう授業」と「日常授業」と言っている。
 私たち教師は、研究授業の「授業」だけは、とにかく見栄えのいい授業にしたいと願い、そのように努力してきたはずである。
 「見栄えがいい」とは、適切な発問と数多くの子どもの発言とでも言ったらいいのだろうか。
 とにかく数多くの子供たちが活発に活動し、積極的に発言すれば、それは「すばらしい授業」だと評価されてきたのである。
 ★
 もちろん、そんな子供たちがすぐに育ってくるはずはない。
 だから、授業がうまい教師というのは、4月当初から計画的に継続的に子供たちが活発に活動し、積極的に発言するような授業を作り上げていく。
 だが普通の教師たちは、研究授業だけをそのような授業にしたいと思うから、なかなかそのような授業を作り上げることができない。
  その差は大きいのである。
 ★
 各学校で進めている今までの「重点研究の授業研究」がもうすでに耐久年数を過ぎている。
 研究テーマを設定し、仮説を立て、一人が1回の研究を授業をし、そして最後に研究紀要をまとめていく、このような研究が終わりを迎えていると私は思う。
 私が教師になった40年前からこの方式で進めていて、ほとんど変わりがない。
 壮大な研究テーマである。
 大変な学習指導案を作る。
 ただ、授業はたいしたことがない。
 研究成果も、ほとんど見る影もない。書いてあるだけ。
 ただ、決められた年中行事を消化するだけの重点研究に成り果てている。
 ★
 普通の学校では、研究などどだい無理である。
 研修で充分なのだ。
 自分たちの授業力をどのように向上させていけばいいか、この1点において研修を進めていけばいい。
 とくに、「日常授業」をどのように改革していくかが大きなテーマになるべきである。
 私たちが普通に日常的に進めている「授業」をどのように改革していくかである。
 こんなことがどうして今まで学校のテーマにならなかったのか。
 ★
 私たちが進めている「味噌汁・ご飯」授業は、まさにこの授業なのである。
 教材研究に多くの時間がかけられない。
 でも、子供たちにきちんとした基礎基本の学力を保障していきたい。
 そのために、どんな手立てを打っていくか。
 そんなことが今私たちに求められているはずである。
 
  
 
 

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学級づくりの必要条件「覚悟、ビジョン、方法」

   4日は、東京O区で初任者指導研修会130名、5日は、兵庫M市教育委員会で学級経営講座。
 忙しい日々である。
 両方ともに、学期はじめを意識しての講座である。
 始業式から1ヶ月が決定的な勝負の時間であることが充分に意識されている。
 ★
 O区の初任研でちょっとびっくりしたことがあった。
 「初任者のクラスは7,8割が荒れると言われているが、知っていましたか?」という問いかけに3,4人の初任の先生が手を挙げた。
 他の多数の先生は、「知らなかった」なのである。
 私は、半数ぐらいの人が様々な情報から知っているものだと思っていたのである。
 「おい、おい、これじゃあ現実の子供たちにぶつかっていけるのか!」と思った。
 「やる気さえあれば乗り切っていける」「情熱でぶつかれば何とかなる」と思っているのではないかと思った。
 ★
 私は、いつも主張していることだが、医者と教師は、命の切迫感が近い遠いの違いはあるが、ほとんど同じ仕事内容を持っていると思っている。
 医者は、大学時代に医学と臨床医学を学ぶ。当然のことだ。
 教師は、大学時代に教育学を学ぶ。ところが、臨床教育学(こんな言葉があるかどうか分からないが)はほとんど学ばない。
 たとえば外科の医者は、大学時代に盲腸の手術ができるように学んでいく。
 そうしなければ、医者になれない。
 だから、手術中に隣にいる先生に「盲腸の手術ってどうするのですか?」と聞く初任の医者なんかいない。
 情熱ややる気があれば手術ぐらいなんとかなると思っている初任の医者もいない。
 ところが、初任の教師は、隣の主任の先生に「給食当番はどうして決めていくのですか?」「掃除はどのように決めた方がいいですか?」と聞きに行く。
 あるいは、隣の先生のやられていることをマネしながらやっていく。
 情熱ややる気があれば、何とかなると思っている初任もいる。
 臨床の教育学を学んでいないから、こういうことになる。
 ★
 2009年度、1年以内に教壇を去った初任の教師は、317人だった。
 過去最多の人数だったという。
 私たち団塊の世代が大量に教師になる時代は、おそらくほとんど辞める教師はいなかったはずである。
 学級崩壊になったという話もなかったし、辞めたという話も、まったく聞いたことがなかった。
 横浜市などは、何千人と採用された時代だったのだ。
 あれから40年。  
 ★
 私は、「野中信行が答える若手教師のよくある悩み24」(黎明書房)に次のように書いた。
「最近、担任を持つための学級づくりでの必要条件は何かと言われたら、『覚悟、ビジョン、方法』という3つを挙げることにしています。
 『覚悟』とは、担任が学級づくりにどの程度の決意を持って臨んでいるかを指し示す指標です。『腹をくくって』学級づくりに臨んでいるかどうかです。
 『ビジョン』とは、『こんなクラスにしたい』という目標です。とてつもない目標ではなく、目の前の子どもたちを意識したものです。
 『方法』とは、そのビジョンを現実化していくための方法です。現実化するには、2つの条件が必要です。
 1つ目は、子どもたちを、その気にさせること。2つ目は、ビジョンを具体化していくための手立てをきちんと持っていること。」
 ★
 時代が大きく変わっていこうとしている。
 今まで習慣化して続けてきたものがダメになっている。
 たとえば、今まで続けてきた「重点研究」「授業研究」「学習指導案」「学級経営案」などほとんど現実の教室で意味がないものに成り果てようとしていると、私は思っている。
 
 
 

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教育の関係を結ぶために

   私が毎日訪れる「すぷりんぐぶろぐ」に横藤先生と私の本の書評が載っている。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/
 ありがとうございます。
 このように評していただき、とてもうれしくてうきうきした。
  この本も第2版になったが、紙不足で大変である。
 アマゾンにはもはやない。
  もう少しで出荷されるはずである。
 ★
 教育の関係を結ぶために
2011年04月04日 | 読書 『必ずクラスがまとまる教師の成功術!』(野中信行・横藤雅人 学陽書房)

 野中、横藤両先生の強力タッグによるこの本は、小学校における学級経営の一つのバイブルと呼んでもいいほど、よくまとめられている。
 「織物モデル」という提唱は、まさに今多くの学校で抱えている問題にフィットすると思う。多くの新任教員が入る都市部の学校だけでなく、本県のような過疎で小規模校が大半というところでも、その精神と具体的な方法は本当に学ぶべき箇所が多い。

 第一章は、野中先生の「3・7・30の法則」が、コンパクトな形でしかも要点を外さず位置づけられているし、横藤先生が書かれた項目もピリリとポイントを押さえている。

 私には第二章が読み応えがあった。
 「子どもを惹きつける話」「フラットな言葉かけ」といったあたりに、両先生が積み重ねられてきた実践の経験値の高さを感じるのは私だけではないだろう。

 さらに感じ入ったのは、終章にある「『荒れた学級』を立て直す!」である。
 ここには、教師の「指導性」とは何か、ということを考えさせられフレーズがいくつもある。

 荒れた学級には、派手な環境は合わない。

 小さな戦いに、素早く、静かに勝つことだ。

 負荷の大きな授業はしない方がいい。

 自分が立て直しを要するような学級を持ったのはごくわずかではあるが、そうしたときに、このような書があり、このようなことを目にしていたら、もっとマシな展開ができただろう、と遠い過去のことを思い出している。

 今、子どもを取り巻く環境、学校や教師に対する周囲の意識等、それらが大きく変化するなかで、「『教育』の関係を結ぶ」ことの困難さは増大している。
 この書は、教室の具体的な事実から導き出された処方箋である。

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時間意識を持つことの大切さ

  うまくいっている組織体は、さまざまな戦略を駆使している。
 その中に、時間意識を共有するということがある。
 だめな組織は、きまって時間意識がいい加減である。
 だめな学校も、いろいろあるが、きまって時間意識がない。
 朝、朝自習が始まっているのにいつまでも職員室でぐずぐずしている。
 1時間目の授業がきまって10分か15分遅れて始まる。
 授業が時間通りに終わらない。始まらない。
 会議が時間通りに始まった試しがない。
 ★
 学校の時間をきちんと管理していくのは、教務主任の役目である。
 教務主任の日常の仕事は、時間管理である。
 このことを意識していない教務主任も多い。
 私も教務主任を5年間やったが、とにかく時間にだけはうるさく対応した。
 会議を3時から始めることにしていたら、3時から始めた。
 1時30分完全下校と決まっていれば、その時間に完全に下校させるような措置を取った。
 守れない先生がいたら、直接その先生に注意した。
 学校が時間通り動いていれば、学校が荒れていくことを防いでいくことができる。
 ★
 教室でもそうだ。
 教師が時間をきちんと守れなければ、荒れる状況を自ら作っていると思っていい。
 初任の先生に言った。
 「授業が休み時間に食い込んで、子供たちの休み時間を奪うことがあってはいけない。時間はきちんと守らなければいけない。子供たちにも授業時間をきちんと守るように指導しなければいけない」と。
 しばらくして初任の先生は質問した。
「先生から授業時間を守るように言われたのですが、授業の夢中になってうっかり休み時間に食い込んでしまうことがよくあるのです。どうしたらいいでしょうか?」
「先生、そんなことは簡単だよ。当番に任せればいい。タイム当番がいるでしょう。
 その子に、『先生、時間です』と言わせればいい」
早速、初任の先生は始めた。
タイム当番は、「先生、時間です」と必ず言うようになった。
 そのうちに5分前に「先生、そろそろ終わりです」と言うようになった。
 みごとなものである。
 授業をまとめる時間を指示しているのだ。  
 ★
 おそらく時間管理がうまくなっていくことが人生をうまく過ごしていくコツであろう。 これだけはどんな人にも平等に1日24時間が与えられているのであるから。 
 
 
 

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自分の壺に「水」がほしい!

   ピンクの本(「新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則」)が明治図書オンラインで1位を走っている。青い本もつられて6位になっている。
 ありがたいことである。
 学級づくりの本がこれほど支持されている。
 これは何かなのである。
 学級の最初は、「授業づくり」なのではないかと多くの先生は言われる。
 いやそうじゃない。
 学級の最初の課題は、「学級づくり」にあるのだと言い続けている。
 そのことが支持され始めていると、私は思っている。
 ★
 なぜ、「学級づくり」が最初の課題になるのか。
 そのことについて2つ考えている。
 1つは、土台作りとしての「学級づくり」がある。
 「学級づくり」という土台がしっかりしなくては、授業も、学級の活動も、行事活動も、うまく成立していかないという状況は、日頃先生たちが実感していることであろう。
 2つ目は、安心、安全な居心地がいい教室づくりをするためである。
 これは多くの子供たち自身が望んでいることである。
 担任教師がこのような教室を作ってくれることを切望しているのである。
 そのためには、どうしても「学級づくり」が最初の課題になる。
 「学級づくり」には、もともと2つの機能があると思っている。
 1つは、学級にルールを作り、教室を秩序あるものにしていくこと。
 もう1つは、「群れ」を「集団」化していくこと。
  ★
 中堅の教師たちも、ベテランの教師たちも、「教室が前よりもうまく回っていかなくなった」と感じ始めている。
 学級崩壊や、荒れるという感じではないが、何かしっくりこない。
 子供たちとうまくかみ合わない。
 このように思っている多くの教師たちがいる。
 このような教師たちの裾野は広がるばかりである。
 「授業だ、授業だ」と主張してきた教師たちの教室がこのような状況に見舞われているのである。
 ★
 多くの教師たちが自分の壺に「水」を入れたいと望んでいる。
 いや、まだそれは無意識的な願いでもある。
 自分の壺は干からびている。
 しかし、今までの教育界は、壺の形はどのようなものがいいのか、壺の色はどんな色がいいのか、いやいやもう壺は古くさいから他の入れ物にしなければいけない、……とさまざまな論議がなされてきた。
 多くの教師たちは、そんな論議に近づかない。
 求めていることではないから。
 今は自分の壺に「水」を入れたいのである。
 それがほしいのである。
 

 
 

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「国誉め」から入る!

   ブログのコメントに、別の学校へ異動されるiwaiさんが書かれていることがある。
「国誉め」である。
 これは神事である。神を祭る行事のことである。
 この神事に「国誉め」というのがある。
 古代、ある国に任命された役人が最初にやった仕事である。
 たとえば、どこかの国に任命されて、その国に最初に行って何を行うかというと、そこの国がどんなに素晴らしいかを褒め称えることである。
 その行為が神事になる。
 ★
 異動の季節である。
 不安な気持ちで異動している。
 その学校でうまく自分が処していけるのかどうかが大きな問題である。
 こんな時、きまって異動してきた先生同士で学校の愚痴を言う。
 「へんな学校だよね。何をしているんだろう?」と。
 今までの学校で、今までの習慣に染みついている先生が、新しい学校の習慣に違和感を覚えるのは自然なことである。
 その違和感は、得てして愚痴や批判の対象につながる。
 しかし、ここで考えねばならない。
 その違和感は、その学校の「問題」ではなく、自分の今までの習慣の「問題」かもしれないのである。
 ★
 新しい場所へ行くとき、その新しい場所への「国誉め」から入る。
 新しい場所の良さをさまざまに見つける。
 できればその良さを言葉にした方がいい。
 それが「国誉め」である。
 陰で愚痴や批判をすることは慎まねばならない。
 ほんとうにその学校を改革しなければいけないところは、確実にマークしておけばいいのである。
 
 
 

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4月になった!

  4月になった。
 朝のNHK連ドラ「てっぱん」も明日2日で終わりだ。
 寂しくなる。
 大震災後、この「てっぱん」が始まって自分の「日常」が戻ってきたように感じた。
 知り合いは、毎日BSを含めて5回見ると言っていて、よほど暇なんだと笑っていたが、私もしっかり朝と昼間見ていた。(笑)
 おばあちゃんの初音さんが良かった。
 ★
 4月になった。
 私たちの「日常」が遠慮しながら戻ってきている。
 学校は、もう新学期が始まっているのであろう。
 先日のブログで、「年金生活者になります」と書いたら、「まだ引退はできません」とコメントに書かれた。(笑 太郎生小学校の中林校長であろう)
  確かにまだ引退はできない。
 学級づくり(学級経営)の方向が少し見えてきたところで、まだまだ課題は多い。
「味噌汁・ご飯」授業の方向づけも多く残されている。
 これからだ。
 ★
 4月になった。
 思い立って、近くの水道道の桜見物にでかけた。
 昨年は、この頃には満開であった。
 ところが、今年はほとんど咲いていなかった。
 まだ、一部咲きの状態である。
 どうしたことであろう。
 桜は、夏頃に翌春咲く花のもととなる花芽(かが)を形成し、いったん「休眠」に入る。
 休眠した花芽は冬の低温にさらされると再び眠りからさめ、成長をはじめる。
 これを「休眠打破」と呼び、1年のうちで最も寒い1月から2月ころに起こる。 
 1日の平均気温が3~9℃程度の日が2週間ほど続くと休眠から目覚めるといわれ、休眠打破の後、気温の上昇とともに成長し開花する。
 低温の期間がないと花芽は目覚めないので、鹿児島や宮崎など、今年はかえって開花が遅れ、地域によっては昨年に比べ一週間ほど遅い開花のところもあるようだ。
 厳しい冬の寒さがあってこそ、春の桜が美しく咲くらしい。
「休眠打破」とはよく言ったものである。
 人間にも、厳しい冬の寒さが必要だ。
 そうしなければ、りっぱな成長はのぞめない。
 ★
 4月になった。
 朝日の天声人語は書いている。
  
 「日々、気の持ちようと行いを少しずつ変えて、普通に近づいていく。あの愛おしい、平凡な日常に。被災した人も、免れた人も、目覚めるたびに別の一日が始まる。あすは少しだけ笑顔が増えると信じて、前を向こう。」
 
 

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「大池小学校が終わった」

  3月31日で、「大池小学校」が終わった。
 私の最後の勤務校である。
 統合で、この名前が終わってしまった。
 この学校に7年間所属した。思い出深い学校である。
 ★
 私が赴任した時、この学校は荒れまくっていた。
 前年度2つのクラスが学級崩壊になっていたことを聞かされた。
 残っている先生たちが数人。
 着任式で並んでいる赴任してきた先生たちの数、ずらり多数。
 「3年学校」と言って、3年間(その期間はその学校に所属しなければいけない)で多くの先生たちは他校へ異動していく。
 始業式でも、着任式でも、子供たちは、ほとんど校長先生の話を聞かず、おしゃべりを繰り返していた。
 呆然となる時間であった。
 ★
 7年間は改革の日々であった。
 5年間、共に改革に着手されたK校長先生の存在は大きかった。
 大池小は、全職員が一丸になった希有の学校でもあった。
 セクト的な動きをする先生もいなかったし、足を引っ張る先生もいなかった。
 教職員が一丸になっていた。
 そうしなければ、この荒れた状況を改革できなかった。
 ★
 まず、高学年改革に着手した。
 5,6年を落ち着かせる。
 それが改革の始まりであった。
 それまでこの学校は、「子供の思いを大切にする」「子供の寄り添った活動」などと言って、子供の意見や思いや考えを大切にする取り組みがなされていた。
 いわゆる「支援、支援」の学校づくりである。
 私は違うと思った。
 この学校の子供たちに必要なのは、きちんとした「ルール作り」であると思った。
 学校や学級にルールがきちんと決められ、それを子供たちが自分たちで守っていこうとする活動が必要であった。
 そのためには、強力な「縦糸張り」が必要であった。
 ★
 最初私は5年生の担任であった。
 今でも強烈に思い出されるのは、隣の学校との親善球技大会である。
 本校は2クラスで70人程度。隣の学校は、1クラスで20人程度の学校。
 それが、サッカーも、ミニバスケも、完璧に全敗。
 私は子供たちに言った。
 「どうしたんだよ?」
 子供たちは言った。
 「先生、われら何やってもだめ、だめ」と。
 この負け犬意識は強烈であった。
 これをどうにかしないと、何とも始まらないと思った。
 私は意を決して特別の「陸上クラブ」を作り上げた。
 ★
 大会の前には朝練で練習させた。
 夏休みも私の空き時間は練習を繰り返して、大会へ望んだ。
 そのうちに、神奈川県の大会で5年生男子100mで14秒2で優勝する子供が出てきた。
 6年生の女子で神奈川県代表で全国大会に出場する子供も現れた。
 横浜の6年生体育大会で、女子リレーチームが全体で2位になる快挙も出てきた。
 冬のクロスカントリー大会(区内の大会)では、100名以上の子供たち(370名ぐらいの子供たちの中から)が参加し、ぞくぞくとメダルを持ち帰ってきた。
 校長先生が、朝会でいつもメダルや賞状を渡してくれた。
 「おい、我らの学校もやるじゃん。すごい!」
 「自慢づくり」をやったのである。
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 「授業づくり」にも着手した。
 子供たちがもっとも嫌っていた算数を重点研究でとりあげようと提案した。
 「この子供たちには、勉強というより道徳とか総合とかが必要じゃないですか」という反対の声もあったが、最も嫌いだと思っている算数にぶつかっていこうという提案である。
 取り組みは、今までのような算数の研究をやっても埒があかない。
 全クラスで、授業の最初に5分間の計算タイムを入れる。
 この取り組みから「4段階分割授業」という発想が生まれた。
 計算タイム(5分)ー復習タイム(5分)ー本時(30分)ー本時の復習タイム(5分)である。
 算数の研究は3年間行った。
 引き続いて国語の研究も3年間行った。
 この学校は、3年ぐらいで普通の落ち着いた学校へと変身していった。
 30分の中休み時間の確保、全校百人一首大会、全校の卒業式参加、……改革は子供たちを動かしていった。
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 忙しい学校だと思われるかもしれない。
 事実は全く違った。
 異動してきた先生たちは、「ずいぶん余裕がありますね」と言われた。
 行事や会議は、必要最低限に絞った。
 たとえば、9月は行事も会議は何もなかった。学年研だけ。
 8月の終わりに全部済ませておいた。
 子供と過ごす時間、あゆみを書く時間に当てた。
 校長の考えは、教職員の立場に立って、どのように時間を確保するかにあった。
 たとえば、横浜のほとんどの学校では3月30日か31日に異動していく先生に対するお別れの会を開く。
 大池小は、止めにした。校長の考えだ。
 離任式でも、歓送迎会でもまた会うので、そんなに何度も会うことはない。
 この時間に全体が集まることにしなければ、先生たちは、つかの間の旅行にいけるのである。リフレッシュに最適なのだ。
 教職員の立場に立つとは、こういうことだ。
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 「大池小学校」が終わった。
 1つの学校の小さな改革であった。
 しかし、この小さな改革はきっとこれを担った先生たちにとって1つの「希望」を与えたはずである。
 この「希望」とは、まず変えようという思いをもち、一人から歩き始める勇気である。
 無理をすることもない。
 できることをやればいい。
 だが、思いだけはしっかり掲げなくてはならない。
 二度とない人生なのだ。
 自分の思いだけはしっかりと掲げ、そして前へ前へと歩んでいけばいい。  
 

 

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