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時に海を見よ

  昨日の2人の校長の式辞は、多くの方々の共感を得た。
 そこに、京都の池田修先生から「卒業式を中止した立教新座高校の校長メッセージ」もいいですよとメールをもらった。
 早速、読んだ。
 言葉では言い得ないほどの感動であった。
 ホームページに載せてあるので、一部引用させてほしい。
 http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8549/
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 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
  ★
 この校長は、同時に卒業式を中止した中学生にも、メッセージを発している。
 
 http://niiza.rikkyo.ac.jp/news/2011/03/8589/

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コメント

今朝の教師礼拝では、我が校の某M先生が、こちらのブログで知ったと前置きしてから、この式辞を紹介されました。この「時に海を見よ」については、私も別のソースhttp://youpouch.com/2011/03/19/132313/
を通して知っていたのですが、全文掲載ではなかったので、やっとこの式辞の深みを味わうことができました。そうか、大学に行くとは「海を見る自由」だったんですね・・・大学行く前に知っておけば良かった!このメッセージを読んだ卒業生が羨ましいです。しかも、これは大災害の起きる前に準備されたメッセージ、という所が不思議な感動を呼び起こさせます・・・

投稿: kuriks | 2011年3月23日 (水) 14時24分

kuriksさん コメントありがとうございます。
 ブログに掲載されている詩を載せさせてもらいました。とても印象的でした。
 こちらは計画停電などで大地震が起こる前とまったく違った光景になっています。
 これから日本人が試される時です。
 

投稿: 野中信行 | 2011年3月24日 (木) 09時44分

2011.7.5朝私(66才)は会社に退社する事を願い出ました.上司は.少し体を休め落着いたら又仕事を手伝ってほしい.と言われました.
人間関係で悩んだ末の退社願いでしたが.上司は全てご存知のようでした.
30分位の話合いが終わり.移動中の車でNHKのラジオでこの話の朗読を聞かせて頂きました.その後関門海峡を望む布刈公園から8ノットの潮流に向かって苦労しながらも通過していく船を3時間も見ていました.ストレスをかかえ折れてしまいそうな私を温かく見守ってくれている上司.偶然にもこの番組を聞く機会があった事に感謝し.これからまた元気を取り戻し頑張りたいと思います.
本当にありがとうございました.

投稿: 池本 光廣 | 2011年7月 5日 (火) 22時05分

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