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普通の教師であること

  東京の「明日の教室」。
 最終的には、82名の参加。
 学生31名、1年目の先生15人、2年目の先生9人、3年目の先生5人、4年以上先生その他の方22人という内訳である。
 ぎっしりと埋まった教室。私が動き回れるスペースはなかった。
 5時間の講座。
 私もがっくりと疲れたが、聞いている人たちも大変だったに違いない。
 ほんとにご苦労様でした。
 ★
 講座は、13の課題をそれぞれ設問形式にして展開した。
 たとえば、課題2 教師としての一番大切な条件とは何か?がある。
 4月から初任者となる学生の方々は、目先のことに追われているので、一番忘れがちになることだ。
 私は、「教師としての器量」として、まず第一にスタンス(仕事への姿勢・態度)<素直・責任感・向上心>をあげた。
 その上に、生活・資質(その人のキャラクター)が乗っかり、そしてその上にスキル(手立て・技術など)が乗ってくる。
 私が講座で展開したのは、最後のスキルの部分になる。
 そのスキルだけをいくら貯め込んでもどうなることでもない。
 ここを誤解する人が出てくる。
 この3つが備わって教師としての器量ができあがっていく。
 そのように私は思っている。
 大切なのは、土台となるスタンスなのである。
 ★
 私の講座に参加された方の中には、「野中は何か学級づくり・授業づくりのすごいノウハウを持っていて、それを教えてくれる」と思っていた方がいたのかもしれない。
 このように誤解する人が必ずいる。
 だが、どんな世界にもこんなノウハウはない。
 こんな時、いつも私はお菓子職人杉野英美を思い出す。
 「野中信行のブログ教師塾」(学事出版)に「当たり前を積み重ねると特別になる」として次のように書いている。
 ★
 その男の菓子は、本場フランスで「ほかのどこにもない菓子」と呼ばれる。
 パティシェ・杉野英美。15年前、日本人として初めて、世界の菓子職人の頂点に立った。それまで誰も見たこともない、まるで漆器のようなチョコレートのつや。何層にも折り重なった多彩な味わいのハーモーニー。舌の上でとろけて消えていくような食感。彼の菓子はすべてが新しかった。
 ……
 杉野は、若い頃、フランスのベルティエの菓子の虜になり、そこへの弟子入りを志願するが、断られ続け、あきらめずに3年とちょっと粘った末、ついに受け入れられた。
 杉野は、菓子作りの奥義を学べると思い、勇んで店に飛び込んだが当てが外れた。ベルティエは、特別な食材を使っていなかった。レシピも、料理学校のものとまったく同じだった。なのに、なぜ、あのような菓子が生まれるのか?
 しばらくたって気づいた。
 飾り付けのペリーは普通のもの。しかし、少しでも痛んでいればすべて取り除いていた。菓子をつけ込むお酒も、一滴たりとも残さずしみ込ませていた。ある日、若い職人が、菓子のほんの少しだけ焼きすぎた。ベルティエは声をあげた。「これは、お客に出せない」。その職人は、店から追い出された。完璧を求めるベルティエの厳しさを知る。
 どの作業も、おいしい菓子を作るためには、当たり前のこと。しかし、そのすべてを完璧に行っている店は、ここが初めてだった。
 「当たり前を積み重ねると特別になる」
 ★
 おそらく、教師の仕事も同じである。
 ただ、「特別になる」必要はない。
 平凡で、当たり前のことを日常的に積み重ねていくことが「落ち着いた学級」を作り上げる。
 その当たり前のことを日常的に積み重ねていこうとする姿勢が、スタンスになる。
 何か目立つ、特別なことを思いつき程度に行っても、子供たちに身に付いていくはずはないのである。 
 ★
 私は、教師生活37年間で特別な教師になろうと思ったことは一度もなかった。
 普通の平凡な教師であり続けたいと思い続けてきた。
 特別に素晴らしい授業づくりも夢見ることもなかった。
 素晴らしい学級づくりも夢見ることもなかった。
 普通の、そこそこの学級でいい。
 普通の、そこそこの授業でいい。
 そんなことを思っていた。
 そんな教師が、どうして本なんかを何冊も出しているのだと思われるであろう。
 私の本の内容を知っている人は、私が書いたものが特別な教師になるためのものではないことを分かっていただけると思う。
 今、「普通の教師」で居続けることができなくなっているのである。
 ある「武器」を身に付けないと「普通の教師」を続けられなくなっている。
 その武器とは、学級づくりの方法であり、授業づくりの方法であり、仕事術であり…
ということになっていく。
 だから、私は「普通の教師」が普通に身につけていく、さまざまな武器を本という形で問いかけているということになる。
 もっとすぐれた、特別な教師になりたいならば、私の本なんか読んではならない。(笑)
 当てが外れる。

 ★

 3月5日の京都「明日の教室」が、120名の参加を打ち出した。

 100名の枠を増やしている。

 私は粛々と講座を行う。
 
 
 

 
 
 

 
 

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コメント

野中先生本当にお疲れ様でした。

野中先生の言葉に明日の救いを求めて多くの学生や先生方が集まりました。

少し元気になってもらえたようで何よりです。

また来年度もよろしくお願いします。

投稿: J.SASE | 2011年2月27日 (日) 16時29分

野中先生の言葉が心に響いて、涙がとまりませんでした。今日も資料や書籍を読み返してかみしめています。
今年度の高一クラスでも出来る限りのことをやってみようと思います。
ありがとうございました。

投稿: かんな | 2011年2月27日 (日) 20時53分

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