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今年は、「学級づくり」について声高く主張したい

    今年の1年の私の課題の1つが、「学級づくり」の大切さを声を大にして訴えることである。
  今までもこのブログでさかんに主張してきたことでもある。
 2月末に明治図書より「新卒教師時代を生き抜く学級づくり3原則」(仮名)を出す予定である。
 私の今までの主張が、この本になった。
 ★
 従来より主張してきたことは、「授業づくり」と「学級づくり」は違うということである。
 「授業づくり」は、子供たちの思考力を培い、学習への前向きな姿勢を育て、そして学力の向上を目指していくことに第一義な目標がある。
 「学級づくり」は、学級のルールの定着を通して教室のリズムをつくり、円滑な学校生活を機能させていくことに第一義な目標がある。
 もちろん、この2つは、相互に影響を与え合うことはできる。
 しかし、教室にリズムができるまでは「学級づくり」を優先して実践されるべきである。(もちろん、この2つは同時進行であるが)
 このような主張をこれまでしてきたのは、私が知る限りでは北海道の堀先生と私である。
 とくに、小学校の教師は、「授業づくり」を優先して学級をつくるという発想がほとんどであった。
 「学級づくり」などは、ほとんど「授業づくり」の補完的なものと考えられていた。今も考えられている。
 その証拠に、教育委員会の初任者の研修会などは、ほとんどが授業についての研修会である。
 初任の最初から「授業だ」「授業だ」とほとんどが声かけしている。
 ★
 なぜ、これほどまでに「学級づくり」にこだわるのか。
 初任者のクラスの荒れは、「授業づくり」の問題ではなく、「学級づくり」の問題であると思っているからである。
 「授業づくり」が、クラスの荒れにつながるならば、およそ初任者は救われない。
 初任者は、すぐに授業が上手にできるはずはないからである。
 授業がうまくできるようになるためには、最低限「基本の授業技術」と「子供たちへの授業規律」とそして「基本の教材研究」(きちんとした教材研究のもとに授業を作っていく方法)が備わらなくてはならない。
 そんなものがすぐにできるはずはない。
 しかし、私が主張している「学級づくり」はその手立てさえ知っておけばうまくできるようになる。
 実際に、今担当している初任者はそのようにしてうまくクラスをつくっている。
 ★
 いや、この問題は、初任者だけではない。
 学級が荒れる先生のクラスへの指導は、「教材研究をしっかりやりなさい」ということになる。
 本人もそう思い、さかんに教材研究をして授業にのぞもうとする。へとへとになる。
 しかし、それでうまくいった試しはないはずである。
 子供たちが荒れているのは、「授業がおもしろくない」「授業が楽しくない」からなのだと思っているのである。
 これが今までの常識だったのである。
 この常識に、私は「ちがう」と主張している。
 クラスが荒れるのは、ほとんどが担任と子供たちの関係づくりの失敗なのである。
 ここをどうにかしないと授業だけを変えようとしてもどうにもならない。
 だから、学級崩壊になったら、9割方担任交代という手立てをする以外に方法がなくなる。
 つまり、「関係づくり」を変えてしまうのである。
 これをすると、「あれほど荒れていたのによく変わったね」ということになる。
  ★
 さて、京都立命館小学校の糸井先生が、学級経営の問題について書かれている。

 http://susumu.exblog.jp/11867882/
 
「…………
 いや、更に思ったことがある。
 私達小学校教師は、『学級経営と授業をごちゃごちゃにしてきたのではないか』と。
そもそも、学級経営とクラスづくりは同義語なのか、違うものなのか?
いろんなことを再び、考えるようになった。

中学校教師であった池田先生が語る「学級経営論」は、たぶん、完全に「授業とは切り離されたもの」であるはずである。
もし、私が、学級経営を語るなら、以前は、『授業を含んだもの』になっただろうと思う。
ただし、今は違う。
………………    」
 ★
 糸井先生は、今年度立命館小学校へ転任されている。
 高学年の担任をして、しかも教科担任制という仕組みの中で、「学級を作る」とは何かという課題に直面されている。
 私は、「学級経営」と「学級づくり」は明確に区別してきた。
 それは、「授業づくり」もまた「学級経営」に含まれていると考えてきたからである。 小学校では、学級経営案の中には、「授業づくり」をきちんと入れてきているので、ごちゃごちゃになることを想定して区別した方がいいという考え方であった。
 しかし、中学校ではどうだろう?
 「学級経営」=学級づくり という発想になるのであろうか。 

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コメント

中学校ではそうですね。ただし、弊害もあり、別の悩みがあります。ごくごく簡単に言えば、中学校では、教科の違う教師の授業に対しては暗黙裏に「不可侵条約」が結ばれていて、それがかえって弊害になっている現実もあります。何をするにしても、やり過ぎがいけない、ということなのでしょうかねえ。

投稿: 堀裕嗣 | 2011年1月10日 (月) 23時19分

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