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河野裕子が亡くなって4ヶ月が過ぎる!

   歌人河野裕子さんが、亡くなってもう4ヶ月ばかりになろうとしている。
 短歌には疎い私でも、河野のことは知っていた。
 同世代ということで、ある種の親近感があった。
 夫の歌人永田和宏さんも、私と同い年なのだ。
 
「抗がん剤の投与をあきらめ、退院して京都市内の自宅に帰ったのが7月。
 モルヒネでもうろうとするなか、目をつぶったまま、ふいにつぶやき出す。
 五、七、五、七、七。指折って。何首も、何首も」

 朝日新聞の惜別が、そう伝えていた。

「8月11日、朝から苦しい、苦しい、ともがいた。和宏さんが手を握ると少し眠った。目覚め、かすれ声でつむいだ。」
 
 手をのべて あなたとあなたに 触れたきに 息が足りない この世の息が 

  最後の一首になった。
 
 ★
 同世代が、こうして亡くなることがもう間近である。
 同じ歌人佐藤通雅は、自分の雑誌「路上」で、河野との別れをこう書いている。
 あまりにも印象深かったので記しておきたい。

 8月12日、河野裕子死去。河野をはじめて知るのは「幻想派」0号(1967年11月)。号を重ねるごとに河野は光っていった。1969年、「桜花の記憶」で角川短歌賞。やがて永田和宏と結婚。以来、永田家との遠くて近い交流が続き、今日まで来た。
 少人数のシンポジューム「コロキウム」をやった晩は、岩倉の家に泊まり、まだ小さい淳君や紅ちゃんとコマまわしに興じた。死去して2ヶ月、10月17日は「河野裕子を偲ぶ会」。会場の正面に掲げられている遺影。その下にあふれるコスモス。(もうこの世にいない、うそではなかった。)翌日、南禅寺の庭園へ。緑に囲まれる水の静けさ。(この京に、永遠にいない)午後の新幹線に乗る。静岡を過ぎる。富士はすでに夕雲のなか。東京で乗り換え、夜の闇を走る。ぶざまにも、日常へ帰っていく自分。天の河野は、おのが生涯を振り返り、「たった一度きりのあの夏」と再び歌っているに違いない。(10月19日)

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