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池田修先生の「学級事務職」の提案について

   京都橘大学の池田修先生が、「学級事務職を導入すべきである」と主張されている。
 それについては、ブログで次のように書かれてあるので、少し長くなるが、それを全部貼り付けておきたい。
 ★
<引用はじめ> 
 学級事務職を導入すべきであると再び主張したい

 学級事務職を導入すべきであるという考えを表明している。この考えは、誤解を生む可能性があることを理解している。それは学級担任の下働きで働く人を作る、差別的な構造を生み出すという考え方である。ありがたいことに、これをコメント欄で指摘して下さった方もいる。

確かに担任の仕事は、現状でも教員養成大学で教えられていないことからも分かるように、正統的周辺参加、つまりは見て学べ、盗み取れというような部分が多い。だから、誰か師匠を見つけて学ぶというような階層的な構造ができやすい。

これは、落語の弟子入りほどではないが、師匠の身の回りのあれこれを世話することを通して身につけて行くことのイメージである。

だから、授業の準備などのあれこれは、授業よりも低い立場にあり、それをやる仕事の人は、授業をする人よりも低い位置にいるという考え方である。

実際、大学生のボランティアやインターンシップ、教育実習等の場合はそういうこともあるであろう。事務と授業の出来る教員が、あれこれ教えて、全くの素人に事務が出来るように指導するのであるから。

だから、授業の方が上位で学級事務が下位であるという考え方が出るのも分からなくもない。また、一般的に日本の社会では一見、事務方が下位に置かれているように見えることが多い。しかし、これは本当であろうか。

学級事務の複雑さ、困難さ、面倒臭さというものを理解していない教員はいないはずだ。ここを丁寧にやらないと、子どもたちの教育活動に支障を来す。授業どころではなくなってしまうから、多くの教員はここを優先してこの仕事を遂行し、生活指導をし、残った時間で授業の準備をする。

教員の本務は授業である。これはそうであるはずだ。
しかし、この本務に辿り着くまでにやらなければならないことが多すぎる。これが本務を圧迫しすぎている。授業をする人でなければ出来ない仕事ではなく、他の人でもできる仕事。もっと言えば授業をする人よりも上手くできる人がいる仕事が、授業を圧迫しているのだ。

勿論、この学級事務を軽々とこなして、授業も、生活指導もきちんとやってしまう力量を持っている教員がいることも私は知っている。だがそれはその教員がかなり優秀なのであって、全体をそのレベルに求めるのは、現実的ではない。

更に言えば、実は授業は苦手だが、学級の事務をやるのは好きという教員、または教員免許取得者、取得予定者というのは実は多いと考えている。

私は、授業で使うプリントが38枚必要だったら40枚印刷して行くタイプである。
(ま、だいたいこんな感じかな。足りないよりは良いだろうし)
と。
ところが、これをぴたっと38枚印刷して揃えることに心地よさを覚える人もいるのである。リソグラフでは印刷テストで一枚余分にプリントアウトされるので、37枚印刷してその一枚を加えて38枚にして
(よしよし)
と喜ぶ人がいるのである。私には信じられないが、いるのである。

ところがこう言う先生の授業がうまくいくかと言うと、そうである場合もあれば、そうでない場合もあるのだ。授業は人間相手なので、その場での臨機応変や今までの指導の経過などが重要になってくることがある。もっと言えば、予定通りに進まないことがたくさんあるのだ。

突然のことに対して、臨機応変で対応するのが難しい先生はいる。それが子どもにからかわれているということも理解できずに、ムキになって対応している先生もいる。しかし、その先生は職員室での出席簿管理で間違いを見たことがない。授業のプリントが足りなくなったのを見たことがないのだ。

もちろん、逆の先生もいる。私だ。
会計が1円合わなくたって
(んなもん、1円ぐらい良いじゃん)
というタイプだ。こう言う奴は学級事務をするのは非常にまずいタイプである。書式、様式なんて別に良いんじゃないの。だいたい合っていればいいじゃん、というタイプだ。だから私が進路指導主任をしていた時も、数字や書式に関しては非常にみなさまに多大な迷惑を掛けている。

ただ、自分で言うのもの何だが、授業の方はまあいい方であろう。つまり、授業や生活指導、新しいものの企画立案、運営などには必要だが、私が職員室であれこれすると、職員室が混乱するタイプだ。

だが、職員室には必要不可欠だが、授業はちょっとねえ、という先生がいるのも事実なのだ。

さらに、もう授業はいいなあという先生もいる。
子どもとの深い関わりにはもう体力的にも、精神的にも厳しい。子ども相手ではなく、親相手、教員相手といういことで管理職もあるが、それはしたくないなあ。
でも、子どものために役に立ちたい。学校のために役に立ちたいという先生がいるのも事実だ。

学校のこと、子どものこと、授業のこと、指導のこと。これらが一通り分かっていて学級事務職をする人がいてくれたら、それはそれはとても助かる。そういう人が行う学級事務は二枚腰、三枚腰での対応がされていることが多い。

私が30代の前半のころ、一回退職された先生が嘱託として再雇用され、同じ学年に所属されていたが、実に痒いところに手の届く事務をして下さった。だから、私は安心して突っ走ることができた。
私も
(ははあ、こういうときはこういうことをすると良いのだな)
と勉強しながら、とてもありがたく、とても幸せな実践を重ねていたと思う。また、当たり前だがこれは子どもたちの安定した成長に繋がることであり、大事なことなのである。

学校は、いろいろな立場から、それぞれの長所を生かす形で子どもたちに関わることが出来るはずである。にも関わらず、現状では、エイヤッと子どもに直接関わる仕事以外の仕事を、いきなり大量に学級担任に任せたまま、毎日が動いている。

そして、精神的に追いつめられて職を休んだり、辞したり、死に至らされてしまう先生までもいる。

違う。これではダメだ。
先生の数を増やせば良いという問題でもない。

専門の仕事として授業。
専門の仕事として学級事務。

ここをきちんと分ける。日本の教育は、事務、事務職を蔑ろにしすぎている。そしてそれは、教員の授業の専門性も蔑ろにしていることになる。

それぞれの専門的力量を発揮して、学校教育で子どもを大人に育てる仕事を作り出すべきである。学級事務職を導入すべきであると再び主張したい。

  <引用終わり>
 ★
 私は、一昨年の夏に、アメリカカリフォルニアのサン・ノゼを訪れた。
 サンフランシスコから車で1時間ぐらいのところにある街である。
 シリコンバレーとして有名な街でもある。
 この街にある日本人学校(補習校)での研修に招かれたのである。
 補習校というのは、日本では塾をイメージした方がいいのかもしれない。
 日本からこの街に訪れている企業の方々の子弟が、昼間は現地校へ通い、現地校を終えて、この日本人校へ通ってくるのである。
 幼児から中3までの生徒たちであった。
 先生たちは、日本のカリキュラムと並行して教える形で授業を進められていた。
 私は、そこで先生たちに2日間講座を設けたわけである。
 補習校といっても、それぞれの教室での設備は整っていて、教材も整っていた。
 特に注目したのは、先生たちは、10数名であったが、先生たちをバックアップするスタッフが同じくらいの数だけ整えられていた。
 ここで池田修先生が提唱されている「学級事務職」が、この補習校では、もはや実現されていたのである。
 先生たちは、教えることに専念すればいいというシステムが確立されていた。
 とても羨ましいことでもあった。
 ★
 池田修先生が主張されていることが、この学校では当然のごとく実現されていた。
 学級事務職の導入は、日本では突飛な提案だと思われるだろう。
 それは何だろうか。
  教えることと事務が、教師の仕事として当然であるとする伝統や習慣があるのであろう。
 それは、もはや打破していかなくてはならない。
 そうしなければ、日本の教師は、教師の仕事を、このまま続けていくことはできない。
 これから長い時間をかけて、日本の教師の仕事を「教えること」に限定していく風土を作り上げていく必要があると考えている。
 スーパーマンみたいに何から何まで全て抱え込んでいる、日本の教師の仕事を一つずつ引き離していく試みである。
 アメリカやヨーロッパ、北欧諸国がすでに実現している、教師の仕事を「教えること」だけに限定していく試みを日本でも実現していく見通しを描いていく必要がある。この仕事を誰かが始めていかなくてはならないはずである。
 ★ 
 池田修先生は、先日の私へのメールで次のように書かれている。

 今日の先生のブログと関連して、私もあれこれ話しています。

http://togetter.com/li/75770
http://togetter.com/li/81822

これはツイッターというもので私が呟いたものに関して
みなさんからあれこれコメントを頂いたものを、
他の方がまとめて下さったものです。

私は、ここにあるように学級担任の仕事がこれだけ忙しくなっているのは
そもそも学級担任が二つの仕事をしているからだと主張しています。
担任は、程度の差こそあれ子どものことで忙しくなるのは
しょうがないというか、当たり前と思っていると思います。

しかし、事務で疲弊する自体になっていると思っています。
もちろん、雑務はさっさとやってしまってということもありますが、
そういう主張をする人は、自分が若かった頃の事務量と今の若者の事務量の違いや
社会の批判的(非難的)な目のなかったときと、今ととの違いが分かっていない
のではないかと思うのです。

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コメント

アメリカではこのようなスタイルで授業が行われているようですね。先生の意見に大賛成です!

東京都では、教員のストレス検査を来年度から実施するそうです。(教育委員会のHPに書いてありました)場当たり的にそんなことをするよりも、現場の環境を整えることの方が先決だと私は思っています。

今の教員が抱えている仕事は、「授業に関すること」「事務処理」「ある面においてカウンセラー」「ある面においてソーシャルワーカー」など、多岐にわたりすぎています。もっと分業化した方がいいです。海外では、どれも専門性を持った人がやっているような事も担任1人に任されています。

こういう現状は何とかしていきたい…と思います。


投稿: kiki | 2010年12月30日 (木) 16時17分

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