再び、報道ステーションの初任教師自殺の番組を見て
テレビ朝日の報道ステーションで、学級崩壊の中で、自殺していった初任の先生で取り上げていた。
私が、このブログで一度書いた木村百合子先生のことである。
百合子先生がつけていた日記を実際に借りてきて、古館さんが紹介していた。
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日記の最後のページには、次のように書かれていた。
おこってばかりいるうちに
私の顔がかわいそう
おこってばかりいるうちに
私の人格かわいそう
神様 私を愛してください
神様 私を助けてください
神様 私に助け手を与えてください
神様 私を愛してください
この日記には、鉛筆で強く消去するかのように殴り書きの線がつけられていた。
このあと、百合子先生は、2004年9月29日 朝5時30分頃 近くの駐車場に車を乗り付け、車の中で自殺していった。
4年生の担任。
教師になって、4ヶ月のことであった。
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教師の教育研究会で、この百合子先生の思いを無駄にしないようにと話し合いがなされている。
若い女性の先生が話していた。
「木村さんが感じていたことは多かれ少なかれ、みんな似たようなことを言われたり思ったりしていると思う」と。
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報道ステーションの解説者は、言っている。
「先生というのは、とても厳しい状態におかれている。
普通の企業では、半年か1年ぐらい見習いの期間があって、そこで一人前になっていく訓練をしていくのだが、学校の先生は、すぐに一人前になることを求められる。
学校に、初任の先生を育てる現場の仕組みや余裕があったらいいのにと思われる」
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両親は、いま公務災害に認定されるための裁判を起こされている。
同僚の教師も、その裁判に出て、発言している。
「私たちも一生懸命フォローしていた」と。
お母さんは、訴える。
「今の状態は、学校側はただ隠しているだけ。
隠しているだけでは改善ができない。改善できたら、子供たちも先生たちも
ずっと勉強しやすい状態になるのだと思う」
★
学校は、何か隠している。
周りの教師たちは、百合子先生にあんなに意地悪を言わないで、どうしてもっとフォローをしなかったのか。
番組は、そのような構成で作られている。
学校が、周りの教師たちが、結局百合子先生を殺していっているのではないか、そのように受け取れる内容である。
★
今でもマスコミは、このような姿勢でずっと報道をしつづけている。
いじめ報道も、まさにこの通りである。
私は、決して学校や教師たちに肩入れしているわけではない。
だが、このような姿勢である限り、永遠に問題は解決しない。
学校は何か隠していると両親もマスコミも考えている。
だが、裁判で出てくる内容は、「私たちもフォローをしていた」という言葉だけであろう。
その言葉にはウソはない。確かにフォローはしていたはずだ。
周りでどんなにフォローしても、問題は一向に解決しない。
ほとんど現実は、そうなる。
ここがマスコミなどは、分かっていない。
問題の本質は、ほとんどの学校が初任者を育てるシステムを持っていないということである。
初任者のクラス(初任者のクラスに限らないが)が、学級崩壊になったとき、隣のクラスも、管理職も、ほとんどどうにもできないのが現状である。
一生懸命関わろうとするが、どうにもできない。
それが現状なのだ。
最初少し荒れてきたときには、いくらも手はある。
ところが、周りは「授業だ、授業だ」ととんちんかんな指導をする。
ますます荒れる。
完全に荒れてしまったときは、その先生への手立てはもはやほとんどない。
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崩壊したときの手立ては、さしずめ2つ。
1つは、担任を替えるということ。
学級崩壊の90%以上は、担任を替えないとどうにもできない。
崩壊は、担任と子供たちとの関係づくりの失敗という要素が大きいので、その担任では問題を克服できない。
だが、学校は、替えるための教師を持っていない。
どうしようもない現状である。
2つ目は、担任を持っていない教師が、T・Tに入る。(ころころTTが替わるのは良くない。一人の人にすべきだ。その人が、多くの授業を持つなどの措置がいい)
これも、限界がある。そのような時間に余裕のある教師が、学校にはなかなかいないのである。
だから、ずるずると大変なままで担任を持たせる。
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現実には、初任者は、1年目からクラス担任をするということには賛成できない。
まず、副担任をするというところから出発させるべきである。
1年間、副担任をさせながら、さまざまな勉強をさせていく必要がある。
中学校では、そのような措置を取っているところがある。
このブログで何度も繰り返しているが、学級づくりの方法をまったく持たないままで、担任をしてもほとんど勤まらない。
だから、初任者のクラスは、現在七、八割が荒れていく。
だが、そんなことを言っても、現実的にはどうにもならない。
現場は、教師の人数的な余裕などほとんどない。
初任をクラス担任にする以外に手はないのである。
初任の悲劇は繰り返される。
★
今年担当している2人の初任者を受け持ちながら、私なりの学級づくりの方法に自信を深めている。
その方法をぜひ新しく採用になる来年度の初任者に伝授したいと、明日の教室の糸井先生や池田先生に申し出ていた。
その日が決まった。
3月5日(土)。京都の橘大学で行う。
午前と午後である。
大学で唯一学級担任論の講座を持っている池田修先生の大学で、このような講座を持てることを誇りに思う。
学生は、会費はない。もちろん、私も講師代はない。
明日の教室を支えてもらった学生の方へのささやかな援助である。
だが、このブログを見ている学生の方で参加したい方は、申し出ていただきたい。
いずれ糸井先生や池田先生のブログで宣伝されるはずである。
クラス作りに失敗したり、苦労したりしている先生方も、もちろん参加できる。
もう一度やり直せばいい。
新しい本(学級づくりなどについて)も、この日までには出版されていると思う。
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