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担任をするには、1つの「覚悟」がいる!

 もう一度だけ、百合子先生のことについて書いておきたい気持ちになった。
 百合子先生の死を無駄にしたくないからである。
 
 ★
 先日初任者指導の教員が集まる会合があった。
 グループ討議の中で、ある一人の先生が言われた。初任者が辞めていく話題であった。
 「辞めていっていいのよ。自分が向かないと思ったらさっさと辞めていいのよ」
と自信を持って言われた。
 自分を追い込んで、自殺するより辞めた方がいいという言い方だったのかもしれない。
 私は、ちょっと同意できなかった。
 「自分が教師に向かない」と、そんな何ヶ月かで決められないと思っているからである。
 今、キャリア教育などと言って、適正教育が行われている。
 自分の適正にあった職業は何であるかを見つけようというわけである。
 だから、学生たちは、自分に合った仕事があるはずだという思いになる。
 私は、ここからおかしいと思っている。
 自分はいつもこちら側にあって、自分にはきちんとした個性があり、決まっている自分が確固としてあるという考え方には同意できない。
 自分なんて変わるし、変わっていく。
 仕事は、それに向いているかどうかではない。向いているように仕向けていくものだ。
 そのように変えていくものだ、と思っている。
 「教師になろう」と思って採用されているのである。
 そこで、しばらくの間頑張ってみる。一度や二度の失敗や挫折で諦めない。
 教師に向いているというように自分を組織すればいい。
 そのように基本的には考えているからである。
 
 ★
 もう少し言っておきたい。
 初任者は、教師への憧れや夢をもって教師になってくる。
 「子供が好きで教師になりました」
 「子供の純粋さに惹かれて教師になりました」
 「小学校の頃の○○先生のようになりたくて、教師を志望しました」
 「テレビの金八先生のようになりたくて、教師になりました」
 ……
 さまざまな夢がある。
 これはこれで結構なことである。
 だが、たいしたことはない。
 こう言うと、身も蓋もない言い方であるが、こういう憧れも夢も、学級をもって数ヶ月経つと、すぐに消える。そういつのまにか。
 あれほど夢に見た天使も、純粋な子供たちもいない。
 ただ、うるさく、走り回っている子供たちばかりで、その現実に圧倒される。
 あれほど好きだったと思っていた子供が嫌いになる。
 これが現実である。
 ほとんどの初任者に訪れる現実である。
 夢や憧れが現実化するなんてほとんどありえない。
 教師としての喜びや楽しさやおもしろさが、その夢や憧れとはかけ離れているからである。
 ★
 さて、木村百合子先生のことに戻りたい。
 百合子先生は、学生時代からストリートチルドレンに関わっていたりして、子供を思う気持ちが強かったのであろう。
 満を持して教師になったと思われる。
 それこそ夢や憧れをいっぱいに持って、教師になった。
 だが、現実の壁に圧倒されている。
 あれほど好きだった子供たちに反逆される。学級崩壊状態だったからである。
 教室のなかを歩き回り、大声で喚き、興奮して騒ぎまくる。
 その辛さは、推し量っても余りあるものであろう。
 クラスでのいじめを注意したら、
 「殺してないんだからいいんじゃない」と答える。
 算数の答案の答えの欄に「おまえは、バカだ」と書いてある。
 ……
 子供は、相手によってどんなにでも態度を変えていくものであるという現実(それが子供のもつエネルギーである)である。
 ★
 しかし、これで百合子先生が自殺に追い込まれていったとは思われない。
 私は、次のことに注目した。(これは以前のブログにも書いたことだ)
 彼女の日記である。

 5・31  授業が下手だから…教室内の重い空気になんともいえない息苦しさを
     感じる。子供を愛すること、できているのかな。
 
 7・17 知人へのメール
          悪いのは子供じゃない、おまえだ。おまえの授業が悪いから荒れる…
          と言われ、生きる気力がなくなりそうに感じました。
          苦しくて。苦しくて。苦しくて。
 
 学級崩壊になっていったのは、「お前の授業が悪いから」という指摘。そして、その
ように本人も認めている。
 「教師は授業で勝負」という言葉を、本人も、周りも、思い込んでいる。
 その呪縛にとらわれている。
 でも、それはどうすることもできない。どんなに教材研究しても、うまい授業にならない。当たり前である。
 子供たちが授業を受ける気持ちがない限り、どんなに工夫された授業も、どんなに教材研究された授業も、無駄である。
 ★
 周りの教師が、
「授業は、そんなにすぐにはうまくならないから、むきにならないで精一杯がんばればいいよ」と助言するべきであった。
 ここは決定的である。
 私は、自分の担当している初任者に前期の間は、ほとんど授業については指摘してこなかった。
「授業はがんばってやればいいよ。ただ、1つだけ注意することは、テンポを速くすること。空白の時間を作らないこと」と助言しただけであった。
 初任者が授業が下手なことは当たり前である。
 授業がうまい初任者なんて見たことがない。
 授業は、教材研究だけでうまくなるはずはない。
 授業がうまくなるのは、教師の側には授業技術と教材研究がいる。そして、子供たちの側には、授業規律が必要だ。これが合わさって、うまい授業が成立していく。
 だから、初任者には所詮授業云々を期待する方が無理なのである。
 百合子先生の周りの教師たちを責める気持ちはないが、そこに問題があったのだと分かってほしいとは思う。
 今全国で初任者指導をしている教師たちは、最初から初任者に授業指導をさかんにしている。
「教材研究をしなさい」と。
 私は、絶対にそのような指導から入ってはならないと思っている。
 ★
 じゃあどうするのだとい
うことになる。
 私のブログを読んでいる方には、私が何を言いたいのかがもうお分かりである。
 学級を荒らしていくのは何か。
 それは、「学級づくり」「学級づくりの仕方」にある。
  その2つをきちんと学級の始めに整えていくことにある。
 ★
 学級には、「2:6:2の法則」がある。
 学級には、2割が真面目で、担任に味方してくれる子供、6割の中間派、そして2割のやんちゃたちがいる。
 最後のやんちゃたちの2,3人に学級はいいようにかき乱される。
 現象的には、学級崩壊になっているクラスのほとんどはそうなっている。
 しかし、学級崩壊は、2,3人では成り立たない。
 必ず、6割の中間派の支持が必要である。その6割を巻き込んで崩壊する。
 だから、先手として、その6割をこちらの味方にしてはやく8割の味方にしていけば
崩壊は防げる。
 ただ、2,3人のやんちゃは、適当に騒いでいくだろう。
 だが、人間には大衆から孤立したくないという気持ちがあるから、そんなに大きく外れることはやらない。
 他のやんちゃたちも、8割の味方の集団へひきつけられてくる。
 ますます2,3人は孤立する。
 そして、その2,3人にも、愛の手を差し出せばいい。
 そのようにすればいい。
 問題は、その8割を味方につける手立てである。
 ★
 多くの子供たちは、学級が「安心・安全で居心地がいい学級」になることを望んでいる。
これを願っている。
 これは、マズローの5段階欲望説を引き出すまでもなく、当たり前の願いである。
 マズローは、下位の「生理的欲求」のつぎに「安全欲求」を置いている。
 子供たちも、まず望むのはこの「安全欲求」である。
 3つの条件が必要だ。
 
 ①担任の確固としたリーダーシップ
 ②担任との安心できる関係づくり
 ③安心・安全に過ごしていけるための教室の仕組みづくり
 
  これを実現するのである。
 これを実現したときに、8割を味方にしていくことができる。
 この①②③を含みこんで、学級づくり三原則を作った。

 A 子供たちとの関係づくり(教室における縦糸・横糸張り)
 B 学級の仕組みづくり(3・7・30の法則)
 C 「集団」づくり(群れを集団へ)

  「学級づくりの仕方」にも三原則を作った。

 A スピード・テンポ・リズム
 B 空白の時間を作らない
 C 北風方式から太陽方式にする

 これらのことをくわしく新しく出版する本に書いたところである。
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 担任を持つには、1つの「覚悟」がいる。
 曖昧な気持ちでは、絶対にはじかれていく。
 しかし、きちんと原則をもって対応していけば、必ず落ち着いたクラスを作り上げることができるのである。
 
 
  

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