«  もうすぐ冬がやってくる | トップページ | いじめ自殺事件、その後 »

またしてもいじめー「自殺」である

   群馬県桐生市の私立小学校の上村明子さんの自殺問題は、学校側がいじめを認めたことで、大きな展開になった。マスコミは、華々しく報道している。
 私は苦々しい思いでいっぱいである。          
 おいおい、連鎖反応が心配じゃないか。
 ★
 学級崩壊が起きている学級の90%以上が、深刻ないじめを伴っている。
 ほとんどそうなる。
 いじめの加害者たちは、格好のターゲットを見つけて、おもしろ半分に、いじめの対象者をいたぶる。周りは、無視したり、避けたりしながら、おもむろに同調する。
 崩壊学級は、ほとんどがそうなる。
 桐生のこの学校で起こっていたことも、まさにそうなのだ。
 私がとても心配するのは、このいじめが、決して物珍しいいじめではなく、崩壊学級で起こっている、普通のいじめであるからである。
 担任がなすすべもなく、手を拱いている「いじめ」なのである。
 残念ながら、ごまんと転がっている「いじめ」である。
 マスコミは、連鎖反応が起こってくることを予想しながらも、ただニュース性だけに飛びついている。
 そこでは、まったく「学習」をしていない。正義の刃だけを振りかざして。
 ★
 「明子さんの自殺は予測できず、直接的な原因は特定できなかった」として、いじめと自殺との因果関係を認めなかった。
 報道された経緯を見れば、いじめが自殺へ結びついていることぐらい誰でも分かる。
 しかし、教育委員会も学校も、因果関係を認めない。
 認めたら、裁判では完全に敗訴する。
 多分、もう訴えられる段階を想定しているので、このようなことになるのであろう。
 悲しい組織の論理なのだ。
 ★
 市教委は、学校が提出した報告書に基づき、学校でいじめがあったことを臨時教育委員会で報告している。
 その報告によると、1学期の後半ごろから「学級崩壊状態」になり、担任の女性教諭ら教職員が指導しても改善できなかったということ。
 だから、絶対にやってはいけない「好きな者同士で給食を食べる」などの措置を指導できなくなっている。無法地帯化していたのであろう。
 もはや、現担任では明子さんを救っていく手立てはなかった。
 ここで学校は、担任を替えるなどの大きな転換をしなくてはならなかった。
 ★
 父親は、さまざまな内容をマスコミに開陳している。
 親が出来ることは、ただ1つあった。
 明子さんの求めに応じて、すぐさま転校の措置をとるべきであった。
 明子さんもまた「どんなに遠くても歩いて行くから、転校したい」と訴えていたからである。
 ここで親は、完全に失敗している。
 せめて、学校には行かせないという措置はとるべきであった。
 そういうことを、ここで言うのは、過酷なことだが、あえてそう言いたい。それが学校へ対する信頼なのかどうか、家庭事情なのかどうか、それは分からない。
 しかし、私ははっきりとそう思う。
 37年間、学校の教師であった経験から率直に言おう。
 私も、これと同じような経験を何度かしている。
 だから、学校や現担任を責め立てるようなマスコミの主張に同意しない。
 しかし、この学校では、もはやこのようないじめを克服していける「いじめ克服のシステム」もなかったし、機能もしていなかった。ただ、担任に任されていた。
 このような無力な学校の荒れ野に、ただ一人我が娘を放置していることなんかできることではない。
 ★
 高学年の担任は、いま過酷な状況に置かれている。
 第一の課題は、女の子たちのグループ化である。
 小さなグループに分かれて、さまざまに小競り合いをしている。
 そのグループに入れない2,3人の女の子たちがいる。
 この子供たちが、いじめのターゲットになりやすい。
 この子供たちに対して、しっかりとフォローをし、対処できる手を打たなければいけない。
 打てなかったのが、今回のいじめ事件である。
 学校は、いま来年度から実施される教育課程づくりと学校行事などに追われて、忙しさを極めている。
 その忙しさの間に、一つの命が失われた。 
 
 
 

|

«  もうすぐ冬がやってくる | トップページ | いじめ自殺事件、その後 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: またしてもいじめー「自殺」である:

«  もうすぐ冬がやってくる | トップページ | いじめ自殺事件、その後 »