機嫌良く仕事がしたい
内田樹さんの本の中に、次のように書いてある。
これは、新潟の庭野先生の「私の教師修業」のなかに書いてあったことで、急ぎ私も読みたいと思い、アマゾンから取り寄せた本である。
「こんな日本でよかったね」(文春文庫)
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現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。
人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
(人生はミスマッチ)p151
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機嫌良く過ごすなどということは、現場の感覚からしたらおよそ場違いなことである。 私のブログのBOKUさんのコメントを読むと、とてもとても機嫌良く過ごしていける職場ではありえない。
できるならば、はやく逃げ出したい職場である。
「 朝読書の取組みが始まった頃はまだ良かったのですが,そのうち,朝の基礎タイムといって,計算やら漢字,最近は活用力の問題をしなければならなくなっています。朝だけでなく,午後の開始前にドリルをする帯を作るようにとの教育委員会からの指導さえあります。しかし,時数にはカウントされません。」
「 指導の意図を保護者に知らせるために,学級通信が大きな役割りを果たします。が,今の学校では,学年6クラス中,勝手に学級通信を出すことはできません。宿題も,全クラス統一です。どうも,教師の指導力の差が,保護者に見えてはいけないからだそうです。」
さまざまな規制が働き、教室での教師の活動を制限しようとしている。
朝読書も、モジュールも、形だけがまねられてまったく違った形に変身しようとしている。
とてもとても機嫌良く過ごせない。
そういうことは分かったうえで、内田樹さんは、続けてこう書いている。
★
日本の教育がひどいことになっているのは、教師たちが構造的に不機嫌にさせられているからである。
膨大なペーパーワークに文科省や教育委員会からの締め付けに保護者からのクレームに勉強どころか基礎的な生活習慣さえ身についていない生徒に囲まれて、それでも「機嫌良く」仕事をしろというのが無理な注文であることは私にもわかっている。
でも、そういうときだからこそ「機嫌良く笑ってみせる」ことが死活的に重要だと私は思う。
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37年間の教師生活を辞めて、再び初任者指導として学校を眺めていると、よくぞ先生たちは、どうでもいいことに振り回されていると思ってしまう。
自分が渦中にいるときには、とても気付かなかったことである。
そのどうでもいいことを止めましょうと提案すれば、必ず先生の誰かが、「いや、それは必要です」と反対する。自分の持ち分のところのものは残しておきたいのだ。
結局、例年通りということで継続していくことになる。
自分たちで自分たちの首を絞め回している。
その構図に気付かない。
行政の政策や、委員会の締め付け、保護者のクレーム、変わっていく子供たち。
どれも教師の機嫌を損ねていくものであるが、自分たちもまたその構図を作り上げていることにもはやく気付いていかなくてはならない。
★
今、最大の教育の課題は、教師たちの問題である。
子供たちの問題よりも、まず教師の問題である。
このままでは、教師たちが疲弊し、つぶれてしまう。にっちもさっちもいかなくなる。
少しでも先生たちの忙しさをなくし、もう少し教室で子供たちと過ごす時間を保障していくという当たり前の時間を確保する。
この当たり前のことが、実はほんとうにむずかしい。
今学校を訪問すると、職員室は、ネットカフェのようだという。
日が暮れた後も、ポッ、ポッと明かりがともったパソコン画面に、先生たちが黙々と向かっている姿がある。
2006年度の文科省の調査では、1ヶ月当たりの残業は42時間と、40年前の5倍に増えている。
公立小中高で毎年1万2000人以上が中途退職し、1年以内に教壇を去った新人先生は、昨年度317人。過去最多だった。
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だが、「忙しさ」はなくならない。
これだけ変貌している子供や親を相手にしているのだ。
そこと関わる時間が少なくなるはずはないからである。
どうしていくか。
もう他者に期待を寄せることは絶っていく。
ここで冒頭の内田さんの提言が出てくる。
自ら「機嫌が良い」何かを作り上げていくことだ。
最初は、演技でもいい。
心理学は言うではないか。
おかしいから笑うのではない。笑うからおかしくなる。
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私は、親しい友人たちと「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会を作った。
これは、普通の教師が、無理なく「落ち着いた教室」を作り上げ、そこで日常授業を充実させていく試みをしていこうということである。
ただ、大切なのは、「自分が試みる」ことなのだ。
最初は、基本型があるが、最後は自分の型を創造していく。
自分で試みることができれば、その結果に「わくわく」するではないか。
どんなに忙しくても、自分の力で能動的に動いていければ、それがきっとその人の活力になるはずである。
もっともっと現場では、「自分で試みる」ことを増やしていかなくてはならない。
先生たちを元気にしたい。そのように願う研究会である。
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