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2010年11月

業務連絡です

   岐阜の長瀬拓也先生からぜひとも宣伝してほしいと連絡を受けた。
 講師は、古川光弘先生。これは素晴らしい講師である。
 ぜひ、参加されることをお薦めします。
  ★
 第10回新米教師研修会

 来年、絶対成功する!学級経営の秘策と戦略
       主催:教育サークル「未来の扉」

新米教師研修会も10回を迎えることができました。参加し、応援してくださったみなさん、本当にありがとうございます。

第10回を記念して、学級経営のプロ、古川光弘先生に来て頂き、学級経営の秘策や戦略についてお話していただきます。
古川光弘先生は、『こどもの心をどうつかむか』を日々の実践テーマとされ、『6年生の学級経営・絶対成功する年間戦略』

(明治図書)などの著書も多く出されています。
来年から先生になる人も、先生をめざす人も、「絶対」おすすめの研修会です。
ぜひ、お越しください。古都、京都でおまちしています。

◆主 催  教育サークル「未来の扉」
◆日 時  2010年 12月26日(日)
13:30~17:00(受付 10:00~)
場 所  こどもみらい館 (京都市地下鉄丸太町下車5分)
◆参加費  1000円   

必ず下のサイトより申込みをしてください。
http://kokucheese.com/event/index/3586/


 
 

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明治図書のメールマガジンの教育エッセイ

   明治図書のメールマガジンの教育エッセイに、私のエッセイが載せられた。

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 第8回
 初任者のクラスが荒れる原因が見えてきた!

                    横浜市初任者指導教員 野中 信行

 初任者指導の仕事を始めて、3年目になった。

 1週間に一度、初任者の教室で一日過ごし、さまざまな助言をする仕事である。

 退職するまで37年間、担任として「授業をする」立場で過ごしてきた。今回「授業を見る」立場へ転換して、今まで見えなかったことがさまざまに見えてきた。実に、新鮮な経験である。

 何が見えてきたのか。

 初任者のクラスは、七、八割が荒れる。その原因が見えてきたのである。

 それは、決して授業の良否ではないということであった。今まで常識みたいに言われ続けていたことが、実はそうではなかったことに気付いたのである。では、それは何なのであろう。私は、次のように言っている。

 クラスを荒らさない方法は、実は「学級づくり」とその「学級づくりの仕方」にある。

 子供たちは、担任がきちんと教室に秩序立ったシステムを確立してくれることを願っている。だから、教室の一日が、その秩序立ったシステムでスムーズに動いていくことが大切になる。

 ところが、初任者のクラスは、しばしば立ち止まり、空白の時間を作り、実にギクシャクしてしまう。その積み重ねが、クラスを不安定化し、荒れを招いてしまう。

 私は、「授業は一生懸命がんばればいい。でも、テンポ良く。だが、学級づくりは手を抜けない。スピード、テンポ、リズムを大切にスムーズに進んでいく学級経営を心がける必要がある」と助言する。

 今担当している初任者は、実に落ち着いたクラスを作り上げた。ベテランのクラスと比べても、まったく遜色がないクラスになった。

 
 

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機嫌良く仕事がしたい

   内田樹さんの本の中に、次のように書いてある。
 これは、新潟の庭野先生の「私の教師修業」のなかに書いてあったことで、急ぎ私も読みたいと思い、アマゾンから取り寄せた本である。
「こんな日本でよかったね」(文春文庫)
 ★
 現場の教師のみなさんには、できるかぎり機嫌良くお仕事をしていただきたいと私は願っている。
 人間は機嫌良く仕事をしているひとのそばにいると、自分も機嫌良く何かをしたくなるからである。
 だから、学校の先生がすることは畢竟すればひとつだけでよい。
 それは「心身がアクティヴであることは、気持ちがいい」ということを自分自身を素材にして子どもたちに伝えることである。
                      (人生はミスマッチ)p151

 ★
 機嫌良く過ごすなどということは、現場の感覚からしたらおよそ場違いなことである。 私のブログのBOKUさんのコメントを読むと、とてもとても機嫌良く過ごしていける職場ではありえない。
 できるならば、はやく逃げ出したい職場である。
  
 
「 朝読書の取組みが始まった頃はまだ良かったのですが,そのうち,朝の基礎タイムといって,計算やら漢字,最近は活用力の問題をしなければならなくなっています。朝だけでなく,午後の開始前にドリルをする帯を作るようにとの教育委員会からの指導さえあります。しかし,時数にはカウントされません。」

「 指導の意図を保護者に知らせるために,学級通信が大きな役割りを果たします。が,今の学校では,学年6クラス中,勝手に学級通信を出すことはできません。宿題も,全クラス統一です。どうも,教師の指導力の差が,保護者に見えてはいけないからだそうです。」

 さまざまな規制が働き、教室での教師の活動を制限しようとしている。
 朝読書も、モジュールも、形だけがまねられてまったく違った形に変身しようとしている。
 とてもとても機嫌良く過ごせない。
 そういうことは分かったうえで、内田樹さんは、続けてこう書いている。
 ★
 日本の教育がひどいことになっているのは、教師たちが構造的に不機嫌にさせられているからである。
 膨大なペーパーワークに文科省や教育委員会からの締め付けに保護者からのクレームに勉強どころか基礎的な生活習慣さえ身についていない生徒に囲まれて、それでも「機嫌良く」仕事をしろというのが無理な注文であることは私にもわかっている。
 でも、そういうときだからこそ「機嫌良く笑ってみせる」ことが死活的に重要だと私は思う。

 ★
 37年間の教師生活を辞めて、再び初任者指導として学校を眺めていると、よくぞ先生たちは、どうでもいいことに振り回されていると思ってしまう。
 自分が渦中にいるときには、とても気付かなかったことである。
 そのどうでもいいことを止めましょうと提案すれば、必ず先生の誰かが、「いや、それは必要です」と反対する。自分の持ち分のところのものは残しておきたいのだ。
 結局、例年通りということで継続していくことになる。
 自分たちで自分たちの首を絞め回している。
 その構図に気付かない。
 行政の政策や、委員会の締め付け、保護者のクレーム、変わっていく子供たち。
 どれも教師の機嫌を損ねていくものであるが、自分たちもまたその構図を作り上げていることにもはやく気付いていかなくてはならない。
 ★
 今、最大の教育の課題は、教師たちの問題である。
 子供たちの問題よりも、まず教師の問題である。
 このままでは、教師たちが疲弊し、つぶれてしまう。にっちもさっちもいかなくなる。
 少しでも先生たちの忙しさをなくし、もう少し教室で子供たちと過ごす時間を保障していくという当たり前の時間を確保する。
 この当たり前のことが、実はほんとうにむずかしい。
 今学校を訪問すると、職員室は、ネットカフェのようだという。
 日が暮れた後も、ポッ、ポッと明かりがともったパソコン画面に、先生たちが黙々と向かっている姿がある。
 2006年度の文科省の調査では、1ヶ月当たりの残業は42時間と、40年前の5倍に増えている。
 公立小中高で毎年1万2000人以上が中途退職し、1年以内に教壇を去った新人先生は、昨年度317人。過去最多だった。
 ★
 だが、「忙しさ」はなくならない。
 これだけ変貌している子供や親を相手にしているのだ。
 そこと関わる時間が少なくなるはずはないからである。
 どうしていくか。
 もう他者に期待を寄せることは絶っていく。
 ここで冒頭の内田さんの提言が出てくる。
 自ら「機嫌が良い」何かを作り上げていくことだ。
 最初は、演技でもいい。
 心理学は言うではないか。
 
 おかしいから笑うのではない。笑うからおかしくなる。
 ★

 私は、親しい友人たちと「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会を作った。
 これは、普通の教師が、無理なく「落ち着いた教室」を作り上げ、そこで日常授業を充実させていく試みをしていこうということである。
 ただ、大切なのは、「自分が試みる」ことなのだ。
 最初は、基本型があるが、最後は自分の型を創造していく。
 自分で試みることができれば、その結果に「わくわく」するではないか。
 どんなに忙しくても、自分の力で能動的に動いていければ、それがきっとその人の活力になるはずである。
 もっともっと現場では、「自分で試みる」ことを増やしていかなくてはならない。
 先生たちを元気にしたい。そのように願う研究会である。  
 

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新潟の十日町に行く

 23日、24日と新潟の十日町に行った。
 十日町町立東小学校の校長庭野三省先生からの依頼による「妻有研修総会」での講演であった。
 北海道の堀裕嗣先生と私で、それぞれ1時間の講演を行った。
 堀先生が、「今の中学校現場での私の仕事術」というテーマ、私が、「後輩への熱いメッセージ 私の仕事術」というテーマである。
 ★
 23日の昼頃に十日町に着くと、十日町駅に、庭野先生と堀先生。堀先生とは、5月以来。庭野先生とは、初めてお会いする。電話や手紙でのやりとりは、何度もあるのだが、会うのは初めてなのだ。
 今回、庭野先生とお会いするというのが、大きな私の目的であった。
 私は、庭野先生の大ファンである。
 庭野先生を東北の「巨人」と思っている。
 西の「巨人」は、太郎生小学校だった中林校長がいる。
 校長便りをほぼ日刊として出されている。
 その書きぶりに圧倒される。
 なんともその凄まじさは、並ではない。
 ★
 十日町はどんよりした雲から、雨がこぼれていた。
 「いつもこんな天気ですか?」
と聞くと、「そうなんですよ。もうすぐ雪が降ってきます」と。

 雪の十日町。有名である。
 私は、一度学生時代に九州の佐賀から、こちらに来たことがある。
 自治会をやっていたので、日教組の教研集会に派遣されてやってきたのである。
 そして、最後の日に、スキーを教えてもらった。
 「それは十日町ではなく、六日町でしょう」
ということ。雪が、窓を越えて降り積もっていた。
 44年前のことになる。
 ★
 私の提案は、学級づくりについてのこと。
 その提案の中で、「読み聞かせ」の話をした。
 私がずっと子供たちに話をすることを得意にしてきた経緯についてである。
 小学校の3年生のとき、担任の先生の病休で、隣のクラスの小林先生に話をしてもらったこと。その話のおもしろさに魅了されたこと。
 教師になって、小林先生みたいに話をする先生になろうと、読み聞かせを始めたこと。
 3年の担任の先生のことはほとんど思い出すことはないが、1時間だけの小林先生の話がずっと私の心に残ったことの意味は大きい。
 1年間よりも1時間のほうが、子供の心に刻みつける。
 教師は、もっと子供の心に種をまく試みを意識すべきである。
 そんな話であった。
 ★
 退職の数年前に受け持った5年生。
 連続物で、朝自習の15分をつかって読み聞かせをしていた。
 ある日、教室に行くと、黒板の前で多くの子供たちが押し合っている。
 朝自習の時間である。
 「何をしているのだ。朝自習の時間だろう?」
 「先生、本読みの席取りをしています!」ということ。
 そこで、「ああ、読み聞かせをしていたのだ!」と。
 黒板の前に集めて、子供たちに読み聞かせをしていたのだ。
 その読み聞かせをできるだけ前の席で聞こうと、席取りをしていたのである。
 それだけ5年生の子供たちを夢中にさせていた。
 「あらしのよるに」(きむらゆういち 講談社)6巻。
 6巻目を読んでいるとき、女の子たちが、みんな泣き出した。
 私もまた悲しくて悲しくて、読み続けられず、呆然となった。
 ★
 研究授業などを見ながら、若い先生たちのしゃべりが平板になっていることが気になっていた。
  読み聞かせは、その平板さを克服していくのに最適なものである。
 子供の表情を見ながら、その読みに変化を付けていく。
 その積み重ねが、教師のしゃべりを鍛える。
 ★
 研修会のあとの懇親会で、この「あらしのよるに」の本が話題になった。
 Y先生の総合での取り組みに聞き入った。
 何と素敵な話をされるのだろうと、そのY先生と意気投合したのである。
 懇親会での各先生との話は、実におもしろかった。
 どの先生も、自分は、このように講演の話を聞いたと話された。
 自分の視点で語られるのである。
 そこには驚いた。こんなことは初めてであった。
 十日町の先生たちのレベルの高さは、十日町の教育のレベルの高さを表しているのであろう。
 日本酒をさんざん飲まされて、私も、堀さんも、べろべろになっていた。
  ★
 「こちらは、5:4:1ですね」と言われた。
 私が話した「2:6:2の法則」についてである。
 学級には、2割の味方をしてくれる子供、6割の中間派、2割のやんちゃがいる。
 それに対して、十日町の学級は、「5:4:1」であると言われたのだ。
 落ち着いた子供たちである。
 この状態をいかに守っていくかが、これから問われていくのであろう。
 なんとも羨ましいこと。 
 

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この温度差は、どうしたことだろうか?

  毎日新聞に、学級崩壊についての次のニュースが出ている。
 ちょっとびっくりする記事である。
 
 ★
<学級崩壊>22県「実態調査せず」…全国教委アンケート
毎日新聞11月22日(月)2時32分[.] 児童が勝手な行動をして授業が成立しない学級崩壊について、22県が実態調査を一度もしていないことが、47都道府県教育委員会(教育庁)への取材で分かった。また、27都府県が学級崩壊への対応マニュアルを備えていなかった。文部科学省は学級崩壊への対応を各都道府県に委ねているが、自治体レベルでも対策が遅れている。

 ◇27都府県で対応マニュアルなく

 群馬県桐生市で小6女児が自殺し、両親が「いじめが原因」と訴えている問題では、クラスが学級崩壊に陥っていた。取材アンケートには福井を除く46都道府県が回答した。

 文科省は学級崩壊への対応は「崩壊しているかの判断は難しく、要因も複雑」として「一律のマニュアルを提示するよりも各教委で柔軟に対応すべきだ」としている。だが、22県が崩壊学級数の把握などの実態調査を一度もしていなかった。北海道、栃木、群馬、大分は99年度、東京は01年度、愛媛は03年度、新潟は07年度を最後に調査は途絶えた。沖縄は「過去に実施したが時期は記録がない」とした。奈良は08、09年度、岡山は09年度に調べたが、10年度は予定がなく、継続調査をしているのは13府県にとどまる。京都は調査の有無は答えず「指導上の問題報告などで状況把握している」とした。

 また、27都府県に対応マニュアルがなく、東京都は「学校を管理しているのは区市町村教委」、福島は「要因は多岐で複合していることが多く作成は難しい」としている。マニュアルがあるとした16道府県のうち、福岡は00年、埼玉は01年に学級崩壊そのものに特化したマニュアルを作り、各学校に配っている。自殺があった群馬では00年度にマニュアルを作成し市町村教委に配ったが、その後、マニュアルの改定や周知をしたことはなかった。【喜屋武真之介、塩田彩、角田直哉】

 ◇学級崩壊◇

 文部科学省は「子供たちが教室内で勝手な行動をして教師の指導に従わず、授業が成立しないなどの状況が一定期間続き、通常の方法で問題解決ができない状況」と定義している。国立教育研究所(当時)の研究者らでつくる「学級経営研究会」の最終報告(00年)では全国150の崩壊学級を分析し▽教師の学級経営が柔軟性を欠いている(104学級)▽授業の内容と方法に不満を持つ子供がいる(96学級)▽いじめなどの問題行動への対応が遅れた(51学級)−−などを要因に挙げた。


 学校の学級崩壊の実態がどのようになっているかについて、各教育委員会が正確な実態調査をしていない。
 その情報を持っていないということになる。
 あきれたことである。
 今、学校現場で何が一番の課題であるかというと、「学級が荒れないで過ごしていけるかどうか」である。
 もちろん、地方の学校では、そんなことは課題でも何でもなく、もっと高度な課題に取り組んでいるはずである。
 しかし、学級が荒れ、学級崩壊まで進んでいくことがあれば、学校はその学級に対して最優先の手立てが要求される。
 誰をサポートに行かせるか、学年のサポートをどうするか、…さまざまな課題が出てくる。
 崩壊の事態になれば、学校全体で、どうするかが問われてくる。
 今、首都圏を中心にして学校が抱えている第一の課題が、これである。
 そのはずなのに、教育委員会と各学校の課題との温度差は、どうしたことだろう。
  
 

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担任をするには、1つの「覚悟」がいる!

 もう一度だけ、百合子先生のことについて書いておきたい気持ちになった。
 百合子先生の死を無駄にしたくないからである。
 
 ★
 先日初任者指導の教員が集まる会合があった。
 グループ討議の中で、ある一人の先生が言われた。初任者が辞めていく話題であった。
 「辞めていっていいのよ。自分が向かないと思ったらさっさと辞めていいのよ」
と自信を持って言われた。
 自分を追い込んで、自殺するより辞めた方がいいという言い方だったのかもしれない。
 私は、ちょっと同意できなかった。
 「自分が教師に向かない」と、そんな何ヶ月かで決められないと思っているからである。
 今、キャリア教育などと言って、適正教育が行われている。
 自分の適正にあった職業は何であるかを見つけようというわけである。
 だから、学生たちは、自分に合った仕事があるはずだという思いになる。
 私は、ここからおかしいと思っている。
 自分はいつもこちら側にあって、自分にはきちんとした個性があり、決まっている自分が確固としてあるという考え方には同意できない。
 自分なんて変わるし、変わっていく。
 仕事は、それに向いているかどうかではない。向いているように仕向けていくものだ。
 そのように変えていくものだ、と思っている。
 「教師になろう」と思って採用されているのである。
 そこで、しばらくの間頑張ってみる。一度や二度の失敗や挫折で諦めない。
 教師に向いているというように自分を組織すればいい。
 そのように基本的には考えているからである。
 
 ★
 もう少し言っておきたい。
 初任者は、教師への憧れや夢をもって教師になってくる。
 「子供が好きで教師になりました」
 「子供の純粋さに惹かれて教師になりました」
 「小学校の頃の○○先生のようになりたくて、教師を志望しました」
 「テレビの金八先生のようになりたくて、教師になりました」
 ……
 さまざまな夢がある。
 これはこれで結構なことである。
 だが、たいしたことはない。
 こう言うと、身も蓋もない言い方であるが、こういう憧れも夢も、学級をもって数ヶ月経つと、すぐに消える。そういつのまにか。
 あれほど夢に見た天使も、純粋な子供たちもいない。
 ただ、うるさく、走り回っている子供たちばかりで、その現実に圧倒される。
 あれほど好きだったと思っていた子供が嫌いになる。
 これが現実である。
 ほとんどの初任者に訪れる現実である。
 夢や憧れが現実化するなんてほとんどありえない。
 教師としての喜びや楽しさやおもしろさが、その夢や憧れとはかけ離れているからである。
 ★
 さて、木村百合子先生のことに戻りたい。
 百合子先生は、学生時代からストリートチルドレンに関わっていたりして、子供を思う気持ちが強かったのであろう。
 満を持して教師になったと思われる。
 それこそ夢や憧れをいっぱいに持って、教師になった。
 だが、現実の壁に圧倒されている。
 あれほど好きだった子供たちに反逆される。学級崩壊状態だったからである。
 教室のなかを歩き回り、大声で喚き、興奮して騒ぎまくる。
 その辛さは、推し量っても余りあるものであろう。
 クラスでのいじめを注意したら、
 「殺してないんだからいいんじゃない」と答える。
 算数の答案の答えの欄に「おまえは、バカだ」と書いてある。
 ……
 子供は、相手によってどんなにでも態度を変えていくものであるという現実(それが子供のもつエネルギーである)である。
 ★
 しかし、これで百合子先生が自殺に追い込まれていったとは思われない。
 私は、次のことに注目した。(これは以前のブログにも書いたことだ)
 彼女の日記である。

 5・31  授業が下手だから…教室内の重い空気になんともいえない息苦しさを
     感じる。子供を愛すること、できているのかな。
 
 7・17 知人へのメール
          悪いのは子供じゃない、おまえだ。おまえの授業が悪いから荒れる…
          と言われ、生きる気力がなくなりそうに感じました。
          苦しくて。苦しくて。苦しくて。
 
 学級崩壊になっていったのは、「お前の授業が悪いから」という指摘。そして、その
ように本人も認めている。
 「教師は授業で勝負」という言葉を、本人も、周りも、思い込んでいる。
 その呪縛にとらわれている。
 でも、それはどうすることもできない。どんなに教材研究しても、うまい授業にならない。当たり前である。
 子供たちが授業を受ける気持ちがない限り、どんなに工夫された授業も、どんなに教材研究された授業も、無駄である。
 ★
 周りの教師が、
「授業は、そんなにすぐにはうまくならないから、むきにならないで精一杯がんばればいいよ」と助言するべきであった。
 ここは決定的である。
 私は、自分の担当している初任者に前期の間は、ほとんど授業については指摘してこなかった。
「授業はがんばってやればいいよ。ただ、1つだけ注意することは、テンポを速くすること。空白の時間を作らないこと」と助言しただけであった。
 初任者が授業が下手なことは当たり前である。
 授業がうまい初任者なんて見たことがない。
 授業は、教材研究だけでうまくなるはずはない。
 授業がうまくなるのは、教師の側には授業技術と教材研究がいる。そして、子供たちの側には、授業規律が必要だ。これが合わさって、うまい授業が成立していく。
 だから、初任者には所詮授業云々を期待する方が無理なのである。
 百合子先生の周りの教師たちを責める気持ちはないが、そこに問題があったのだと分かってほしいとは思う。
 今全国で初任者指導をしている教師たちは、最初から初任者に授業指導をさかんにしている。
「教材研究をしなさい」と。
 私は、絶対にそのような指導から入ってはならないと思っている。
 ★
 じゃあどうするのだとい
うことになる。
 私のブログを読んでいる方には、私が何を言いたいのかがもうお分かりである。
 学級を荒らしていくのは何か。
 それは、「学級づくり」「学級づくりの仕方」にある。
  その2つをきちんと学級の始めに整えていくことにある。
 ★
 学級には、「2:6:2の法則」がある。
 学級には、2割が真面目で、担任に味方してくれる子供、6割の中間派、そして2割のやんちゃたちがいる。
 最後のやんちゃたちの2,3人に学級はいいようにかき乱される。
 現象的には、学級崩壊になっているクラスのほとんどはそうなっている。
 しかし、学級崩壊は、2,3人では成り立たない。
 必ず、6割の中間派の支持が必要である。その6割を巻き込んで崩壊する。
 だから、先手として、その6割をこちらの味方にしてはやく8割の味方にしていけば
崩壊は防げる。
 ただ、2,3人のやんちゃは、適当に騒いでいくだろう。
 だが、人間には大衆から孤立したくないという気持ちがあるから、そんなに大きく外れることはやらない。
 他のやんちゃたちも、8割の味方の集団へひきつけられてくる。
 ますます2,3人は孤立する。
 そして、その2,3人にも、愛の手を差し出せばいい。
 そのようにすればいい。
 問題は、その8割を味方につける手立てである。
 ★
 多くの子供たちは、学級が「安心・安全で居心地がいい学級」になることを望んでいる。
これを願っている。
 これは、マズローの5段階欲望説を引き出すまでもなく、当たり前の願いである。
 マズローは、下位の「生理的欲求」のつぎに「安全欲求」を置いている。
 子供たちも、まず望むのはこの「安全欲求」である。
 3つの条件が必要だ。
 
 ①担任の確固としたリーダーシップ
 ②担任との安心できる関係づくり
 ③安心・安全に過ごしていけるための教室の仕組みづくり
 
  これを実現するのである。
 これを実現したときに、8割を味方にしていくことができる。
 この①②③を含みこんで、学級づくり三原則を作った。

 A 子供たちとの関係づくり(教室における縦糸・横糸張り)
 B 学級の仕組みづくり(3・7・30の法則)
 C 「集団」づくり(群れを集団へ)

  「学級づくりの仕方」にも三原則を作った。

 A スピード・テンポ・リズム
 B 空白の時間を作らない
 C 北風方式から太陽方式にする

 これらのことをくわしく新しく出版する本に書いたところである。
 ★
 担任を持つには、1つの「覚悟」がいる。
 曖昧な気持ちでは、絶対にはじかれていく。
 しかし、きちんと原則をもって対応していけば、必ず落ち着いたクラスを作り上げることができるのである。
 
 
  

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再び、報道ステーションの初任教師自殺の番組を見て

   テレビ朝日の報道ステーションで、学級崩壊の中で、自殺していった初任の先生で取り上げていた。
 私が、このブログで一度書いた木村百合子先生のことである。
 百合子先生がつけていた日記を実際に借りてきて、古館さんが紹介していた。
  ★
 日記の最後のページには、次のように書かれていた。

    おこってばかりいるうちに
    私の顔がかわいそう
    おこってばかりいるうちに
    私の人格かわいそう
    神様 私を愛してください
    神様 私を助けてください
    神様 私に助け手を与えてください
    神様 私を愛してください
 
 この日記には、鉛筆で強く消去するかのように殴り書きの線がつけられていた。
  このあと、百合子先生は、2004年9月29日 朝5時30分頃 近くの駐車場に車を乗り付け、車の中で自殺していった。
 4年生の担任。
 教師になって、4ヶ月のことであった。
  ★
 教師の教育研究会で、この百合子先生の思いを無駄にしないようにと話し合いがなされている。
 若い女性の先生が話していた。
「木村さんが感じていたことは多かれ少なかれ、みんな似たようなことを言われたり思ったりしていると思う」と。
 ★ 
 報道ステーションの解説者は、言っている。
「先生というのは、とても厳しい状態におかれている。
 普通の企業では、半年か1年ぐらい見習いの期間があって、そこで一人前になっていく訓練をしていくのだが、学校の先生は、すぐに一人前になることを求められる。
 学校に、初任の先生を育てる現場の仕組みや余裕があったらいいのにと思われる」
 ★
 両親は、いま公務災害に認定されるための裁判を起こされている。
 同僚の教師も、その裁判に出て、発言している。
 「私たちも一生懸命フォローしていた」と。
 お母さんは、訴える。
 「今の状態は、学校側はただ隠しているだけ。
  隠しているだけでは改善ができない。改善できたら、子供たちも先生たちも
  ずっと勉強しやすい状態になるのだと思う」
 ★
  学校は、何か隠している。
 周りの教師たちは、百合子先生にあんなに意地悪を言わないで、どうしてもっとフォローをしなかったのか。
 番組は、そのような構成で作られている。
  学校が、周りの教師たちが、結局百合子先生を殺していっているのではないか、そのように受け取れる内容である。
 ★
 今でもマスコミは、このような姿勢でずっと報道をしつづけている。
 いじめ報道も、まさにこの通りである。
 私は、決して学校や教師たちに肩入れしているわけではない。
 だが、このような姿勢である限り、永遠に問題は解決しない。
 学校は何か隠していると両親もマスコミも考えている。
 だが、裁判で出てくる内容は、「私たちもフォローをしていた」という言葉だけであろう。
 その言葉にはウソはない。確かにフォローはしていたはずだ。
 周りでどんなにフォローしても、問題は一向に解決しない。
 ほとんど現実は、そうなる。
 ここがマスコミなどは、分かっていない。
 問題の本質は、ほとんどの学校が初任者を育てるシステムを持っていないということである。
 初任者のクラス(初任者のクラスに限らないが)が、学級崩壊になったとき、隣のクラスも、管理職も、ほとんどどうにもできないのが現状である。
 一生懸命関わろうとするが、どうにもできない。
 それが現状なのだ。
 最初少し荒れてきたときには、いくらも手はある。
 ところが、周りは「授業だ、授業だ」ととんちんかんな指導をする。
 ますます荒れる。
  完全に荒れてしまったときは、その先生への手立てはもはやほとんどない。
 ★
 崩壊したときの手立ては、さしずめ2つ。
 1つは、担任を替えるということ。
 学級崩壊の90%以上は、担任を替えないとどうにもできない。
 崩壊は、担任と子供たちとの関係づくりの失敗という要素が大きいので、その担任では問題を克服できない。
 だが、学校は、替えるための教師を持っていない。
 どうしようもない現状である。
 2つ目は、担任を持っていない教師が、T・Tに入る。(ころころTTが替わるのは良くない。一人の人にすべきだ。その人が、多くの授業を持つなどの措置がいい)
 これも、限界がある。そのような時間に余裕のある教師が、学校にはなかなかいないのである。
  だから、ずるずると大変なままで担任を持たせる。
  ★
 現実には、初任者は、1年目からクラス担任をするということには賛成できない。
 まず、副担任をするというところから出発させるべきである。
 1年間、副担任をさせながら、さまざまな勉強をさせていく必要がある。
 中学校では、そのような措置を取っているところがある。
 このブログで何度も繰り返しているが、学級づくりの方法をまったく持たないままで、担任をしてもほとんど勤まらない。
 だから、初任者のクラスは、現在七、八割が荒れていく。
 だが、そんなことを言っても、現実的にはどうにもならない。
 現場は、教師の人数的な余裕などほとんどない。
 初任をクラス担任にする以外に手はないのである。
 初任の悲劇は繰り返される。
 ★
 今年担当している2人の初任者を受け持ちながら、私なりの学級づくりの方法に自信を深めている。
 その方法をぜひ新しく採用になる来年度の初任者に伝授したいと、明日の教室の糸井先生や池田先生に申し出ていた。
 その日が決まった。
 3月5日(土)。京都の橘大学で行う。
 午前と午後である。
 大学で唯一学級担任論の講座を持っている池田修先生の大学で、このような講座を持てることを誇りに思う。
 学生は、会費はない。もちろん、私も講師代はない。
 明日の教室を支えてもらった学生の方へのささやかな援助である。
 だが、このブログを見ている学生の方で参加したい方は、申し出ていただきたい。
 いずれ糸井先生や池田先生のブログで宣伝されるはずである。
 クラス作りに失敗したり、苦労したりしている先生方も、もちろん参加できる。
 もう一度やり直せばいい。
  新しい本(学級づくりなどについて)も、この日までには出版されていると思う。

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学級の問題で相談を受けました

    知り合いから学級のことについて相談を受けた。
 2年生のクラス。いつもざわざわしていて、落ち着かない。学級が崩壊しているというわけではないが、とにかくおしゃべりがひどく、いつも注意に追われているという。
 こんなクラスは、どこにでもある。
 学級崩壊とまでは言われないが、ほぼ同じである。
 11月になって、こんな状態になっているクラスに何か的確なアドバイスがあるのか。
 ほぼ絶望的である。今までのつけが全部クラスの問題に降りかかっている。
 どこの学校にも、転がっている。
 唯一次のようなことしか手立てはない。
 知り合いには、次のようにメールをする。
  ★
 学級の問題ですね。どうでしょうか?そんなに極端に荒れていないのですね。
 でも、落ち着きがなく、おしゃべりが多いということでしょうか。
 そんな状態を克服していく一番の手立ては、スピード・テンポ・リズムです。
 多分、クラスは、何かにつけてだらだらしていると思います。スピードがな
 くなっているはずです。
 だから、一番必要なのは、どんなことにもスピードをつけること。授業は、
 テンポをあげること。この2つです。
 朝の会、終わりの会も5分ぐらいで終わること。体操着や給食の白衣も、とに
 かく早く着替えさせること。
 どんどんスムーズに進ませることです。挨拶の時にちゃんとしていなくても、
 そんな子は無視してどんどん進めることです。
 何度も何度もやり直しが一番いけません。すぐ始める。
 授業の時間も、きちんと守っていますか?時間をきちんと守れるようにしてい
 かないとだらだらは解消しませんよ。
 とにかく教師が時間に敏感になることです。スピードをつけること。授業では、
 テンポを速くして、空白の時間がないようにすることです。まず、そこに気を
 付けて下さい。
  ★
 かなりの覚悟が必要だ。
 軌道に乗ってくると、クラスは落ち着いてくるはずである。
 なぜなのか?
 何度もこのブログで書いてきたことを繰り返す。
 子供たちは、15秒で展開されるコマーシャルやゲームの速度に染め上げられている。 そのスピード感にずぶずぶと浸っている。
 これはもう無意識の領域である。
 だから、クラスで、だらだらと停滞し、空白の時間があり、……という展開の積み重ねで、子供たちの体が不快な反応をする。
 子供たちが不快になれば、クラスのその状態と同じような状態を子供たちが示していく。だらだら、まったり……。
 行き着く先は、崩壊である。
 クラスの時間感覚が子供たちの時間感覚とずれている。
 だから、その時間感覚を子供たちに合わせていく以外に手はないのである。
 しかし、担任は、その反対のことをやる。
 だらだらしていることに対して、言葉で繰り返し繰り返し注意する。叱る。
 その場では静かになるが、また同じである。
 子供たちは、言葉の意味は分かるが、体が反応しない。無意識の領域のことだから。
 

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いじめ自殺事件、その後

   前回のブログで、桐生市の小学校でのいじめ自殺事件について書いた。
 もう一度、学校という立場、教師という立場から書いておかなくてはならないなと思った。
 37年間担任としてクラスを受け持ってきた。
 最後の10年以上は、高学年の担任であった。
 学校現場にいると、マスコミや学校関係者、市民の方々が考えていることと違う世界が見える。
 その世界は、ほとんど明らかにされていない。
 そのことをちょっと書いておきたいという気持ちになった。
 ★
 マスコミなどの人たちが、今回のいじめ自殺事件を考える時、学校や担任の甘さ、怠けなどを指摘されている。
「もっときちんといじめに対して指導しておけば、こんな事件は起こらなかったはずである」という指摘である。
 マスコミの報道を読み、外から見ていれば、そのように見えてしまう。
 現場での子供たちの実態が分かっていない人たちは、必ずそのように思ってしまう。
 ★
 学校現場でのいじめは、そんなに簡単なことではない。
 いじめをしている子供が分かり、きちんと厳しく指導する。そうすれば、いじめはなくなる。
 このような図式で考えられる限り、現実はまったく見えない。
 ★
 今回の担任の先生も、何とかしようと身構えられて、さまざまに手を打たれてきたはずである。
 でも、何とも子供たちが動かない。
 学級崩壊状態になっていたのである。
 担任の先生は、とても誠実な人で、真面目な先生であった。がんばられてもいた。
 マスコミでの無能教師というイメージのレッテルは、事実とは違う。
 なぜ、こんなことを言うかというと、私が得た信頼すべき情報で言っているからである。
 いじめに対して手を拱いて、サボったわけではない。
 担任の先生の教師としての力量をはるかに超えて、どうにもならない段階で子ども集団がいたからである。
 この学年の子供たちは、担任一人の努力ではどうにもできない段階になっていたはずである。
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 こういう現実は、マスコミ報道などでは見えない。
 無能で、ただ逃げまくるような存在として学校や担任は、見えているのであろう。
 私たち教師は、こういう事件があれば、ほとんど反論する事態はまったく許されていない。ただ、一方的に打たれ続けるだけである。
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 私もまた、いじめの事態に何度も立ち会ってきた。
 うまく解決できたこともあったが、何回かは解決できなかった。
 表面的ないじめはなくなったが、クラス集団が、その子を包み込めるようになったかというと、そうならなかった。
 90年代からは、そのようになることがよくあった。
 私の教師としての力量もなかったかもしれないが、子供たちの実態は、はるかにその力量を超えていた。
 今回の桐生の事件は、どこにでもある、それこそありふれたいじめ事件である。
 このようないじめを抱え込んでいる日本全国の教師(とくに高学年教師)は、ごまんといるにちがいない。(だから、今回の事件は心配なのだが)
 ★
 何が壁になるか。
 子供たちの価値観である。
 子供たちは、「いじめ」がいけないことだとは思っている。
 まだ、子供たちの価値観が、「善悪」であったときには、この価値観に訴えればほとんど解決することができた。
 だが、その「善悪」の価値観から「快・不快」の価値観に移っていったとき、(私は、80年代の半ば頃からそのように移行したと思っている)様相は一変していった。
 「いじめ」がいけないことだということで、子供たちは動かなくなったのである。
 そんなことより何よりも、「あいつむかつく」「あいつむずい」「あいつきもい」…という不快な感情が何よりも優先する。
 そこから「無視しようぜ」「仲間はずれにしよう」ということが出てくる。
 暴力的ないじめは、もうほとんどない。
 今でも思い出す言葉であるが、あるいじめをしていた女の子の言葉で、「私はいじめっこで~~~~す」と平気で口にしていた。
 「善悪」には、訴えることができるが、「快・不快」はむずかしい。
 どんなにいじめはだめだといっても、快・不快の感情を放逐することはできないのである。
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 だから、今までの「いじめ」対策を大きく転換しなくてはならない、と思い続けてきた。今までの対策では無理である。
 ましてや、マスコミなどが問題にしている「厳しくきちんと指導する」ぐらいでいじめがなくなることはまったくありえない。
 本格的にきちんと考えなければいけないはずである。
 とりあえず、次のようなことは必ず実現していかねばならない。
 
 ①学校としてのいじめ防止対策をシステム化する。

 ②小学校は、もう個人にクラスを任せていくという発想からチームとしてクラス

  を考えていく発想に転換していく。


 

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またしてもいじめー「自殺」である

   群馬県桐生市の私立小学校の上村明子さんの自殺問題は、学校側がいじめを認めたことで、大きな展開になった。マスコミは、華々しく報道している。
 私は苦々しい思いでいっぱいである。          
 おいおい、連鎖反応が心配じゃないか。
 ★
 学級崩壊が起きている学級の90%以上が、深刻ないじめを伴っている。
 ほとんどそうなる。
 いじめの加害者たちは、格好のターゲットを見つけて、おもしろ半分に、いじめの対象者をいたぶる。周りは、無視したり、避けたりしながら、おもむろに同調する。
 崩壊学級は、ほとんどがそうなる。
 桐生のこの学校で起こっていたことも、まさにそうなのだ。
 私がとても心配するのは、このいじめが、決して物珍しいいじめではなく、崩壊学級で起こっている、普通のいじめであるからである。
 担任がなすすべもなく、手を拱いている「いじめ」なのである。
 残念ながら、ごまんと転がっている「いじめ」である。
 マスコミは、連鎖反応が起こってくることを予想しながらも、ただニュース性だけに飛びついている。
 そこでは、まったく「学習」をしていない。正義の刃だけを振りかざして。
 ★
 「明子さんの自殺は予測できず、直接的な原因は特定できなかった」として、いじめと自殺との因果関係を認めなかった。
 報道された経緯を見れば、いじめが自殺へ結びついていることぐらい誰でも分かる。
 しかし、教育委員会も学校も、因果関係を認めない。
 認めたら、裁判では完全に敗訴する。
 多分、もう訴えられる段階を想定しているので、このようなことになるのであろう。
 悲しい組織の論理なのだ。
 ★
 市教委は、学校が提出した報告書に基づき、学校でいじめがあったことを臨時教育委員会で報告している。
 その報告によると、1学期の後半ごろから「学級崩壊状態」になり、担任の女性教諭ら教職員が指導しても改善できなかったということ。
 だから、絶対にやってはいけない「好きな者同士で給食を食べる」などの措置を指導できなくなっている。無法地帯化していたのであろう。
 もはや、現担任では明子さんを救っていく手立てはなかった。
 ここで学校は、担任を替えるなどの大きな転換をしなくてはならなかった。
 ★
 父親は、さまざまな内容をマスコミに開陳している。
 親が出来ることは、ただ1つあった。
 明子さんの求めに応じて、すぐさま転校の措置をとるべきであった。
 明子さんもまた「どんなに遠くても歩いて行くから、転校したい」と訴えていたからである。
 ここで親は、完全に失敗している。
 せめて、学校には行かせないという措置はとるべきであった。
 そういうことを、ここで言うのは、過酷なことだが、あえてそう言いたい。それが学校へ対する信頼なのかどうか、家庭事情なのかどうか、それは分からない。
 しかし、私ははっきりとそう思う。
 37年間、学校の教師であった経験から率直に言おう。
 私も、これと同じような経験を何度かしている。
 だから、学校や現担任を責め立てるようなマスコミの主張に同意しない。
 しかし、この学校では、もはやこのようないじめを克服していける「いじめ克服のシステム」もなかったし、機能もしていなかった。ただ、担任に任されていた。
 このような無力な学校の荒れ野に、ただ一人我が娘を放置していることなんかできることではない。
 ★
 高学年の担任は、いま過酷な状況に置かれている。
 第一の課題は、女の子たちのグループ化である。
 小さなグループに分かれて、さまざまに小競り合いをしている。
 そのグループに入れない2,3人の女の子たちがいる。
 この子供たちが、いじめのターゲットになりやすい。
 この子供たちに対して、しっかりとフォローをし、対処できる手を打たなければいけない。
 打てなかったのが、今回のいじめ事件である。
 学校は、いま来年度から実施される教育課程づくりと学校行事などに追われて、忙しさを極めている。
 その忙しさの間に、一つの命が失われた。 
 
 
 

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 もうすぐ冬がやってくる

   「学級をつくるということ」(仮)という本の原稿を書いている。
 「2ヶ月で書いてほしいという」出版社側の要望で、空いている時間を全部注ぎ込んで入れ込んで書き進めてきた。
 昨日今日で、何とか見通しができたのである。
 ずいぶんハードな時間であった。
 締め切りが、11月末だからまだたっぷり時間はある。
 ★
 この1ヶ月ばかりの間に、季節は、秋から冬へ向かおうとしていた。
 うっかりその微妙な変わり方を見過ごすところであった。
 それにしても、昨日今日の季節のやさしさは、なんということだろうか。
 暑くもなく、寒くもなく、心地よい暖かさが、我が身を包んでくれる。
 1年に何度かあるかないかの日差し。
 近くの河の遊歩道を歩きながら、しみじみとこの季節の良さを感じる。
 私は、秋から冬へ変わっていく季節が一番好きだから、今いちばん好きな季節に巡り会っていることになる。
 ★
 遊歩道を歩きながら、いつものカメラマンたちと挨拶をする。
 私と同じように、もはや退職をした身なのだろうか。
 いつも同じ場所に陣取って、カメラを構えている。
 狙っているのは、カワセミである。
 木に止まっているカワセミではなく、水中にもぐって魚をゲットする一瞬を狙っているのである。
 私にも時々その一瞬の写真を見せてくれる。
 用心深いカワセミだが、もうカメラマンと顔見知りになったのか、逃げようとしない。
 いつも定刻には、顔を見せて魚を狙っている。
 カメラマンたちも、だんだん凝ってきて、いつも陣取るところの前に止まり木をつけたりしてカワセミが止まりやすくしている。
 そして、最近は、パンを投げ入れて、そこをめがけて集まった魚をカワセミが食いつくという餌付けをしている。
 こうなれば、もうお互い様である。
 いい大人が、一年中こんなことにうつつを抜かしていていいのかと(笑)、時々思うのだが、彼等は真剣である。
 最近、カメラマンたちは、ますます増えてきている。
 スターであるカワセミは、もう慣れたもので、毎度毎度彼等の相手をしてくれている。
 そこを朝な夕な散歩する私もまた、「あの人は、ほんとに暇そうだね」と噂されているかもしれない。
 もうすぐ、冬がやってくる。
 
 
 

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つかの間の休日でした

   29日、30日と伊豆の子浦へ行った。
 小さな漁村である。
 台風が31日になるということだったので、予約通りに行こうということになった。
 知人と二人である。
 下田まで2時間ちょっと。それからバスで40分ほど。
 忙しい日々だったので、ちょっとした休憩である。
 午後の2時頃について、民宿へ行ったのだが、誰もいない。
 知人は、「こんなこと初めてだな」と笑う。
 しばらく堤防のところへ行って、釣りの様子をうかがう。
 ★
 この子浦には、横浜市の臨海学園があり、子供たちを連れて何度も訪れていた。
 カッター訓練やカヤック訓練ができるので、評判の場所である。
 私たちも堤防のところで、しばし釣りをしようということになる。
 釣り竿を借りる。餌は、小さな海老。
 早速、メジナがかかってくる。いわしも釣れるという。
 1時間30分ばかり魚釣りに興じる。
 成果は、20匹ばかり。
 ★
 やっと民宿へ入れる。
 泊まり客は、私たちばかり。
 こんな小さな漁村に、10月の末には、もう泊まり客は訪れない。
 その夜、雨風は強まり、スピードをあげた台風が近づいて来ていた。
 ★
 二人で酒を飲み交わしていると、気付くのは、その静けさ。
 このような静けさの中にいるのは、久しぶりのことだ。
 しみじみと、いつもは物音の中に囲まれているのかを思う。
 ★
 翌朝、もう和歌山沖まで台風は進んできていた。
 急がないと、電車が止まる。
 早々と民宿を引き上げ、9時59分の下田発の特急に飛び乗る。
 つかの間の休日であった。
 

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