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「授業力」「授業力」と連呼されている

    「若手教師の悩みに答える」という研究紀要が出されている。(財団法人 教育調査研究所、1000円)
 資料として使えるということで、知人に貸してもらったものだ。
 そうそうたるメンバーの方が書かれている。中には、私も知っている大学の先生たちもおられる。
 読んでみた。
 ほとんどの先生方が、若手教師の悩みに、「授業力」をつけることだと応えられている。

「『教師は授業で勝負する』と言われてきたように、研修内容のうち最も重視したいのは授業力の習得である。授業を計画し実施できる能力を育てることを中核に位置づけ、授業力向上を目指す校内研修でありたい」


 確かに、その力をつけることは当然のことだが、若手教師たちの最初のつまづきは、そういうところではない。
 このブログで何回も繰り返し書いてきた通りである。
 ほとんどの先生たちが、「授業力」「授業力」と連呼している。
 そんなことは、もう何十年前からずっと言われ続けてきたことなのである。
 そう言われ続けて、一向に学級の荒れは収まらない。
 教育委員会の初任研の研修会でも、教師塾でも、どこでも「授業力」に力を入れている。私が主張している「学級づくり」などの研修はほとんどない。
 ある教師塾は、1年間に模擬授業を5回行っている。はっきり授業に力を入れている。
 でも、学級の荒れは一向に収まらない。
 もう気付かなければいけないのである。
 今、もっとも重要なのは、そこではないということを。
 ★
 私は、初任者指導の立場で、後ろから子供たちと同じような子供目線で、授業を見ていると、まったく違う世界が見えてくる。
 子供は、あまり先生の授業に期待していない。(笑)
 ちょっと誤解を受ける言い方である。
 私たち教師は、子供たちに「おもしろく」「楽しい」授業をしようと身構えている。
 私も、現役時代はそうだった。
 しかし、この発想は、こちら側(教師の側)の論理である。
「こちらが楽しく、おもしろい教材と授業を提供すれば、子供たちも授業に食いつき、 授業への興味関心も増していくに違いない」
「子供たちは、勉強をしたがっているのであり、それに対して教師の側がそれに応える だけの教材や授業を提供していない」
 これは、まんざら間違っているわけではない。
 ただ、子供たちは、勉強したがっているというのはウソだ。
 でも、この考え方は、狭い子供の見方である。
 子供たちは、もっともっと大きい生活の幅で暮らしている。
 ★
 子供に何のために学校に来ているのか、と聞くと必ず「勉強するためにきている」と言う。
 これは決まり文句である。
 そう言うように、学校も社会も、要求しているからそのように言う。
 でも、実際は違う。
 友達と遊びに来ているし、給食を食べにきている子供もいる。ついでに、暇だから勉強もしている。(もちろん、全部の子供ではない。)
 彼等の世界は、勉強だけで成り立っていない。もっともっと広いのだ。
 ★
 脱線した。
 子供は、あまり先生の授業に期待していない。
 そんなにおもしろく、楽しくなくてもいい。(そうあれば、もっといいけど……。)
 そんな授業が、いつもあるとは思ってもいない。
 だから、授業では、体を動かしたり、作業をさせたり、……そんなものにしてほしい。
 先生が、いつもぺらぺら話し、ぼくたちがいつもじっと聞いておかなくてはならない授業だけはやめてほしい。退屈だよ。ほとんど聞いていないけどね。
 こんな世界だ。そのような世界だと私には読み取れる。
 私が現場にいるときには、こんな世界をとても想像できなかった。
 ★
 そうすると、ちょっと私たちも変わってくるのではないか。
 しゃかりきになって、そうそうがんばらなくてもいいじゃないか、となる。(笑)
 授業では、たまにはおもしろい、楽しい授業をしよう。
 ふだんは、活動あり、作業ありの授業であればいい。
 もう自己満足のぺらぺら授業はやめよう。
 そんなことでいいのではないか、と思えてくる。

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