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2010年10月

繰り上がり、繰り下がりの計算の克服はこうしよう

   2年生のクラス。
 算数をとても苦手としていた。
 私が、授業をすることがあった時、繰り上がり36問、繰り下がり36問のテストをしてみた。
 これが繰り上がり、繰り下がりすべての問題である。
 それぞれのテストは、制限時間が5分。
 驚くことに、5分でできない子供が続出。
 見ていると、その子供たちは、ほとんどさかんに指を出して計算している。
 ここに原因があった。
 1年生での課題をクリアしてきていないのである。
 ★
 2年生の初任の先生と話し合う。
 どうしていこうかという話し合いである。
 このまま見過ごしていくと、これからかけ算九九が出てきても、これも大変になる恐れがある。
 私が提案したのは、英語単語帳方式である。以前、このブログで紹介した。
 その単語帳は、100円ショップにある。それを買ってきて、どんどんそのカードの表に「11-2」と書き、裏に「9」と答えを書いた。2年生の子供に作らせることも考えたが、かえって時間がかかる。自分たちで作ってしまえと思い、どんどん作る。
 5分以内でできていない子供たちに、この単語帳を持たせて、覚えさせていく。
 計算の理屈は、もう1年生の時習ってきている。
 何度も言わせて覚えさせよう。
 覚えていたら、そのカードに○をつける。
 3個ついたら、引き抜いていく。
 だんだん少なくなり、完全に無くなったら合格。
 どの時間にやるのか。
 最初は、午後に学校全体で設けてある「計算タイム」の時間にしよう。
 それから、給食を配膳しているときの10分間を利用しよう。
 給食当番になっていない子供は、先生代わりになっている子供のところへ行って、合格の○をつけてもらうのである。
 ★
 これは私がかつてやった実践である。
 高学年で、かけ算九九ができていない子供に行った実践である。
 九九ができないと言っても、全部できないわけではない。
 言えない九九を全部単語帳に書き出して、給食の配膳の時間を利用して、覚えさせたわけである。
 これでほとんど言えない子供を一掃した。
 毎日、できない子供の給食当番以外の日は、私が見てあげた。
 教科書をすらすら読めない子供にも、この方式を使った。
 小学校では、この配膳の時間(10分ほど)を利用する以外にない。
 この時間しか空き時間がないのであるから。
 ★
 2年生のクラス。
 合格したら、「○○さん、くりさがり合格」と教室の壁にはりだすように助言した。
 教室の雰囲気を盛り上げるためにである。
 これは大事なことである。
 今、この教室は、これに夢中になっているという雰囲気を作り上げるためである。
 子供たちは、この雰囲気にのまれる。
 周りの子供たちが、どの子供も単語帳を手に取っていれば、自分もやろうという気になる。
 私が子供の頃は、季節ごとにメンコが流行り、コマが流行り、魚とりが流行り、……となった。これは、一斉に周りの子供がやりだすからである。
 ★
 2年生の先生は、一生懸命に取り組んでくれた。
 教室の壁には、どんどん合格の紙が張りだされていった。
 すぐに、数人を残して全部の子供が合格してしまったのである。
 数人は厳しい。ほとんどできないからである。時間がかかる。
 ★
 あれから1ヶ月ぐらいの時間が経ったのであろうか。
 先日、また私が授業をする時間ができた。
 その時、もう一度繰り上がり、繰り下がり36問テストを行う。
 もう5分を超えていく子供はいない。
 みごとにさっと終えている。
 びっくりしたのは、一人の子供。
 まったくできなかった子供である。
 ところが、ところが、4分ちょっとで繰り上がりの計算がみんなできてしまう。
 周りの子供も驚く。「えっ~~~~できるの!」という感じである。
 2年生の先生も、驚く。いつのまにかできるようになっていたのである。
 多分、家庭での支援が大きかったのであろう。
 とても不可能だと考えられていたのであるから。
 ★
 それでも二人の子供は、まだ完全にできていない。
 「もう一回、単語帳でがんばろうか」と促すと、がんばるという声。
 かけ算九九の勉強が、すでに始まっている。
  
 
 
 

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次を生きることだけが人生である

   10月24日(日)にフルマラソンを走りますと何度もこのブログで宣言してきた。
 私も、期待して待っていた。準備は、おおむね万全で、なんとか走りきる状態であった。
 だが、悲劇は突然起こった。
 前日軽く走っておこうと思って、30分ばかりのジョギングに出た。
 終わろうとした瞬間に、左足脹ら脛に激痛。うっ~~~という瞬間。
 このような状態は、何度も味わったことがある。
 肉離れである。
 様子を見るが、だめだ。
 一瞬で、4ヶ月間の練習が、みんなダメになる。
 ★
 10年間、フルマラソンを走り続けてきた経験から言えば、肉離れはよくあることである。
 ちょっと無理をすれば、故障を起こす。
 残念なことであった。
 でも、思い直した。
 これは警告である。
 今回は、走るなという警告なのだ。
 そういう体からの警告には素直に従っておこう。
 とそういうわけで、今回は応援に回った。
 ★
 先日、ふいと見たテレビで、体操の池谷幸雄が出ていた。
 故障に泣かされた現役時代の話であった。
 彼は、失敗や故障に落ち込んだりは決してしないと断言していた。
 体操選手は、体操という試合の特性から1つの種目の失敗を引きずれば、みんなダメになるから、引きずらないように訓練されるということを話していた。
 いい話であった。
 訓練すれば、落ち込まないようになるのである。
 ★
 今回も、4ヶ月もかけて準備してきて、一瞬でダメになることに普通は落ち込むことになるのだが、私もまた、まったくそのようにはならない。
 ちょっと訓練をしてきたのかなと思う。
 夏に私が行った講演の最後に、「悩むな、反省なんかするな、次が大切だ」とふきまくった。
 今は、「悩め、反省をせよ」と突きつけられる時代に、あえて反対のことを言っている。
 悩むことも、反省することも、そんなことは必要ないのである。
 訓練次第で、そんなことをしないようになる。
  ただただ、次のことだけを考える。
 次を生きることだけが人生なのである。

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庭野先生から「私の教師修行」が送られてきた!

   新潟の十日町市立東小学校長の庭野三省先生より「私の教師修業」という校長室便りが送られてきた。
 保護者への校長通信を一冊にまとめられたものである。10巻を数える。
 「百冊の本」というのもまとめられていて、送ってもらえる。読まれた本の感想を綴られたものだ。私の宝物である。
 書かれる分量は、ものすごいものである。
 私も、書くことはそんなに億劫なことではないが、庭野先生はスケールが違う。
 今、「私の教師修業」を読み始めた。
 とにかく、おもしろい。校長通信が、こんなに読ませることなんか想像ができないであろう。
 保護者も幸せである。
 こんな率直で、思いのままに書いてある校長通信を読めるのであるから。
 ★
 庭野先生の特徴は、いつも自分から言葉を離そうとしていないことだ。
 校長をすると、建前と本音が違ってくる。違ってくるのが当たり前である。
 そして、本音を押し込め、建前で語ろうとする。そのうちに、建前と本音が分からなくなり、自分を見失う。
 ところが、庭野先生は、建前を押し込め、いつも自分の言葉で語ろうとする。
 そのように思える。
 大変なことである。
 なぜ、こんなことができるのであろうか。
 ★
 この庭野先生から講師の依頼を受けている。
 北海道の堀裕嗣先生と2人での講演。
 十日町支部の妻有研修総会での講演である。
 研修会のテーマが、「学校現場を生き抜く教師の仕事術」である。
 私は、「後輩への熱いメッセージ 私の仕事術」というテーマで話すことになる。
 11月23日(火)勤労感謝の日になる。
 もうこの日は、新潟は、寒くなっているのであろう。
       
   
 
 

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もうそんな時代は、再び来ることはない

  私のブログを読んで、愛知の玉置先生が、次のような仕事日記を書かれている。

 ★
 野中信行先生のブログ「風にふかれて」最新記事に次の記述があった。

 教育委員会の初任研の研修会でも、教師塾でも、どこでも「授業力」に力を入れている。私が主張している「学級づくり」などの研修はほとんどない。

 さっそく我が県の初任研はどうなっていたのだろうかと担当者に確認する。言われるように県教委主催、教育事務所主催の初任研には「学級づくり」を中心とした研修はなかった。あとは市町村教委主催、校内研修となるが、こちらもおそらくないだろうと推測。この機会にと思い、担当者と初任者研修のことについて意見交流。来年度への参考にと、野中先生の最新記事を渡す。

 ちなみに小牧市では毎年3月末に、着任前の初任者対象(強制参加ではない)の講演会が開催されている。その講師は野中先生。初任者がしっかりとした第一歩を踏み出せるように、そして1年間無事にやり遂げられるように、野中先生の著書も渡すという大サービス付きの講演会開催が恒例となっている。

  ★
「私が主張している『学級づくり』などの研修はほとんどない」などと、よく調べもしないで、断定的に書いているものである。
 玉置先生は、早速調べてもらっている。ありがたいものである。
 おそらく、日本全国同じような傾向であろう。
 また、調べもしないで、このように言っている。
 なぜ、このように言えるかと言えば、この分野は、ほとんど重要視されてきていないからである。
 「教師は授業で勝負」という言葉が、教師たちにも、教育委員会関係にも、大学にも、染み渡っている。
 当の初任者たちにも、染み渡っている。
  しかし、「学級づくり」「学級経営」(私は、学級経営の中に、学級づくりを含めている)が問題であると気付き始めているのは、教育委員会であると思う。
 私への講演依頼は、ほとんどがそれである。
 ★
 何度も言うが、学級づくりは、学級経営の土台づくりになる。
 その土台の上に、授業が乗っかる。
 土台がしっかりしなければ、やはり授業もうまくいかない。
 70年代までは、そんな土台なんかほとんど考えることはなかった。
 ある面での土台は、もうできあがっていたのであるから。
 授業を考えれば、なんとかなった時代であった。
 もうそんな時代は、再び来ることはない。
 

 


 
 

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「授業力」「授業力」と連呼されている

    「若手教師の悩みに答える」という研究紀要が出されている。(財団法人 教育調査研究所、1000円)
 資料として使えるということで、知人に貸してもらったものだ。
 そうそうたるメンバーの方が書かれている。中には、私も知っている大学の先生たちもおられる。
 読んでみた。
 ほとんどの先生方が、若手教師の悩みに、「授業力」をつけることだと応えられている。

「『教師は授業で勝負する』と言われてきたように、研修内容のうち最も重視したいのは授業力の習得である。授業を計画し実施できる能力を育てることを中核に位置づけ、授業力向上を目指す校内研修でありたい」


 確かに、その力をつけることは当然のことだが、若手教師たちの最初のつまづきは、そういうところではない。
 このブログで何回も繰り返し書いてきた通りである。
 ほとんどの先生たちが、「授業力」「授業力」と連呼している。
 そんなことは、もう何十年前からずっと言われ続けてきたことなのである。
 そう言われ続けて、一向に学級の荒れは収まらない。
 教育委員会の初任研の研修会でも、教師塾でも、どこでも「授業力」に力を入れている。私が主張している「学級づくり」などの研修はほとんどない。
 ある教師塾は、1年間に模擬授業を5回行っている。はっきり授業に力を入れている。
 でも、学級の荒れは一向に収まらない。
 もう気付かなければいけないのである。
 今、もっとも重要なのは、そこではないということを。
 ★
 私は、初任者指導の立場で、後ろから子供たちと同じような子供目線で、授業を見ていると、まったく違う世界が見えてくる。
 子供は、あまり先生の授業に期待していない。(笑)
 ちょっと誤解を受ける言い方である。
 私たち教師は、子供たちに「おもしろく」「楽しい」授業をしようと身構えている。
 私も、現役時代はそうだった。
 しかし、この発想は、こちら側(教師の側)の論理である。
「こちらが楽しく、おもしろい教材と授業を提供すれば、子供たちも授業に食いつき、 授業への興味関心も増していくに違いない」
「子供たちは、勉強をしたがっているのであり、それに対して教師の側がそれに応える だけの教材や授業を提供していない」
 これは、まんざら間違っているわけではない。
 ただ、子供たちは、勉強したがっているというのはウソだ。
 でも、この考え方は、狭い子供の見方である。
 子供たちは、もっともっと大きい生活の幅で暮らしている。
 ★
 子供に何のために学校に来ているのか、と聞くと必ず「勉強するためにきている」と言う。
 これは決まり文句である。
 そう言うように、学校も社会も、要求しているからそのように言う。
 でも、実際は違う。
 友達と遊びに来ているし、給食を食べにきている子供もいる。ついでに、暇だから勉強もしている。(もちろん、全部の子供ではない。)
 彼等の世界は、勉強だけで成り立っていない。もっともっと広いのだ。
 ★
 脱線した。
 子供は、あまり先生の授業に期待していない。
 そんなにおもしろく、楽しくなくてもいい。(そうあれば、もっといいけど……。)
 そんな授業が、いつもあるとは思ってもいない。
 だから、授業では、体を動かしたり、作業をさせたり、……そんなものにしてほしい。
 先生が、いつもぺらぺら話し、ぼくたちがいつもじっと聞いておかなくてはならない授業だけはやめてほしい。退屈だよ。ほとんど聞いていないけどね。
 こんな世界だ。そのような世界だと私には読み取れる。
 私が現場にいるときには、こんな世界をとても想像できなかった。
 ★
 そうすると、ちょっと私たちも変わってくるのではないか。
 しゃかりきになって、そうそうがんばらなくてもいいじゃないか、となる。(笑)
 授業では、たまにはおもしろい、楽しい授業をしよう。
 ふだんは、活動あり、作業ありの授業であればいい。
 もう自己満足のぺらぺら授業はやめよう。
 そんなことでいいのではないか、と思えてくる。

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「味噌汁・ご飯」授業のその後 

  16日(土)に「味噌汁・ご飯」授業・学級づくり研究会(準備会)が開かれた。
 今、私たちが抱え込んでいる課題は、大きく3つある。
 1つは、物語の基本型、説明文の基本型、詩の基本型、音読の基本型、漢字指導の基本型をそれぞれどのように作るかという課題である。
 2つ目は、1時間の授業の型をつくること。
 3つ目は、1時間の授業のなかに、全員参加と活動をどのように入れていくかの課題。
 ★
 基本型についてである。
 今、たとえば回転寿司、ファミリーレストラン、ちゃんぽん(リンガーハットなど)などのチェーン店業界は、バイトで成り立っていると聞いている。
 バイトの人が、充分食べ物を作ってお客様に出していくことができるのである。
 それはきちんとしたマニュアルが備わっていて、それに従って作っていけば注文のメニューができあがる。
 専門店のような味のメニューを作り出すことはできないが、普通に食べようとすれば、そこそこの味である。
 きちんとしたマニュアルが決め手である。
 私たちが準備しようとしているのは、そのきちんとしたマニュアルである。
 それを「基本型」と言っている。
 人間教育である私たちの仕事に、このようなマニュアルは適しないと批判されるかもしれない。
 だが、私たちが基本型として考えようとするのは、授業づくりの領域でのことである。
 なぜ、それを考えようとするのか。
 日常に耐えられる授業を作るためである。
 「日常に耐えられる」というのは、短い時間にできるという条件が必要である。
 多くの時間をかけないで、どんどん作っていくことができる、そういう条件である。
 しかも、その基本型を何度も実践していくうちに、自分の力量として身につき、自分から教材研究と授業づくりができるようにしていくものである。
 それが大きな目標である。
 ★
 1時間の授業の型というのは、日常の授業に耐えられるために、どのようなユニットがその授業のなかになければいけないか、という課題になる。
 私たちは、漢字指導と音読指導は必ず入っていなければいけないと今のところ考えている。
 そこで、その2つとも基本型を考えていきたい。
 ★
 3つ目の課題である。
 1時間の中に、全員参加と活動を入れていくこと。
 今多くの先生たちの授業は、ほとんどが3,4人の子供たちの挙手発言の繰り返しで成立している。
 この現状を克服していくために、授業の主要部分で「全員参加」をさせる。
 できるだけ「活動」のある授業にしていきたい。
 その2つをどのように入れていけばいいかを課題として考えたい。
  ★
 この3つの課題を中心にして、実際に1つの単元で授業づくりをして、検討していこうという準備会であった。
 実に刺激的な話し合いであった。おもしろかった。
 大きな課題は、やはり「基本型」をどのように作り上げるかにかかっている。
 

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書いて、走って、書いて、走って、…なんともはや…

   ブログの更新が滞っている。
 私がいま何をやっているかというと、本の原稿を書いている。
 そして、10月24日(日)のフルマラソンの挑戦に向けて、走っている。
 一日中、書いているか、走っているか、をやっている。
 63歳になっているのであるから、もういい加減にしたらどうだという声もあるが、
いやいやまだまだやっていけるなと自信を深めているところである。(笑)
 何の本の原稿を書いているかというと、初任者指導についての本になる。
 くわしくは言えないのだが、めちゃくちゃに入れ込んで書いている。
 ★
 2007年3月に明治図書から「新卒教師時代を生き抜く心得術」を出した。
 3年が過ぎた。
 おかげさまで、9版を重ね、みなさんに読まれた。多分、7000部を超えているのであろう。
 2チャンネルでも、「これ使えるぜ」と話題になったという。
 ありがたいものである。
 ところが、これ1冊では、どうしても物足りない。
 何かが足りない、とずっと思ってきた。
 何が足りないかというと、初任の先生が、この本を読めば何とか1年目を乗り切れるという条件である。
 もう1冊ほしい。2冊を読んでもらえば、何とかなるぜという本にしたい。
 そんなものを書けるのか。
 ★
 私は、初任者が教師として赴任してくる時に、ほとんど学級づくりについて学んでこないことにずっと批判を重ねてきた。
 大学では、ほとんど扱わない。
 唯一、橘大学の池田修先生が、学級担任論を講座で扱っている。
 知る限り池田先生だけである。
 初任者は、どこからも、誰からも、学ばない。唯一、書物から学ぶ以外にない現況である。
 その学級づくりが、今学級担任をするときには、大きな比重を占めていることは何度も繰り返しこのブログで訴えてきたところである。
 いまは、初任の七八割はクラスを荒らしてしまうのである。
 私たち団塊野世代が初任の時代は、考えられないことであった。
 私たちの時代も、大量採用の時代であった。
 しかし、私たちの周りで初任の先生のクラスが荒れているなんてほとんど噂にも聞くことはなかった。そんな時代であった。
 ★
 どこでも教えない。どこでも扱わない。どこにも、もはや期待できない。
 それじゃあ、微力ながら、私が挑戦してみようと、思った次第である。
 自分でも大ぼらを吹いているような感じになっているが、まあそれでもいいではないか。
 ただ、強みは、初任者指導3年目であるということである。
 初任者の授業や、学級経営をずっと見てきた。
 どこでつまづくのかが、いくらか見えてくるようになったのである。
 そこのところを書きたいと思っている。
 新しい提案の本とかではない。
 どれだけ初任者の日常に降りていけるか。
 大きな課題である。
 そこの場所から書いていければいいなと思っている。 
  ★
 そんなわけでブログが滞っている。
 本の原稿の締め切りは11月末だ。
 そうしないと、来春には間に合わない。
 一日があっという間に過ぎていく。
 勤務日以外は、書いて、走って、書いて、走って、…という日々を送っている。
 なんともはや……。

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 全国音楽コンクールで銀賞に輝く!

    10月9日(土)午後2時 緊張した気持ちで、テレビの前に座った。
 NHK教育テレビで、第77回NHK全国学校音楽コンクール・小学校の部が始まるのである。
 2年前、初任者指導でお世話になった中沢小学校の合唱部が、その全国大会に参加している。
 関東ブロックで金賞に入り、全国11校に選ばれての晴れの舞台である。
 「うれしくて、うれしくて、自分のことのように喜びました」
 と、指導者のM先生にメールの手紙を出しておいた。
 でも、出場するのは、最後の11校目。
 ずいぶん待たされた。
 ★
 指導しているM先生は、音楽専科の先生である。
 私が初任者指導でお世話になったとき、ずいぶん音楽室に通わせてもらった。
 実際の合唱指導も見せてもらった。
 その飛び抜けた指導力は、素晴らしいものであった。
 M先生は、合唱指導だけではなくて、実際のクラスでの音楽指導も、力をいれていてすごいクラスを作られていた。
 6年生のクラス1クラスだけ、横浜市のどこかのコンクールに出ても、充分通用するようなレベルであった。
 クラスの先生たちも、その音楽指導に呼応して、学校全体が合唱指導に力を入れている状況であった。
 子供たちも、合唱を誇りに思っている様子がよく分かった。
 ここまでくるというのは、並大抵のものではない。
 だから、学校全体がとても落ち着いていた。
 やはり、子供たちが自分たちの学校を誇りに思い、自慢ができるというのはすごい力になるのだと思った。
 ★
 待たされて、待たされて、やっと11校目の番になった。
 素晴らしいできばえだったと思う。
 きっと三位の銅賞までに入るのではないかと確信した。
 結果は、銀賞であった。
 私は、ガッツポーズで喜んだのである。
 ほんとにうれしいできごと。
 

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やはり効果があったのは、出力型学習であった!

   初任者のクラスに入る。
 分数テストの返却をされていた。
 回って子供たちのテストの点数を見ていると、70点以下の子供が二人だけであった。
 なかなか良い調子である。
 4,5月はこうはいかなかった。
 何人もの子供たちが、なかなかいい点数をあげられなかった。
 ★
 明らかに授業が変わっている。
 何が変わったのであろうか。
 まず第一に、テンポが良くなっている。
 第二に、授業が、入力型授業から出力型授業へ変わっている。
 さしずめ、この2つが子供たちの成績を上げていることにつながっているのであろう。
 ★
 算数の場合の入力型授業とは、何であろうか。
 この名前は、私が勝手につけた名称であるので、説明が必要である。
 これは、問題の解き方をさまざまに考えていくことである。
 だから、どうしても教師の説明が多くなる。
 一方の出力型授業は、入力をさっと済ませて、その解き方に従って、実際の練習問題を多くこなしていくことになる。
 この場合、ノート指導が重要になっていく。
 ★
 二人だけ70点以下の子供がいる。一人は、完全なケアレスミスである。
 残るは、あとの一人である。
 この子供をどうしていくかを考えた。
 算数を嫌っている。しかし、ノートはとても丁寧である。
 まず、どこにつまづきがあるのかをきちんと探らなければいけない。
 初任者は、なかなかここまで手が回らない。
 やることがあまりにも多すぎるからである。
 ★
 私は、この子供の現状を考えて、一つの手を考えた。
 授業の最初の5分間に、昨日の算数の復習をしたらどうだという提案である。
 算数は、系統的な積み上げが大切な学習である。
 昨日わからなかったら、その延長にある今日の問題も、なかなか分からない。
 だから、とりあえず昨日の練習問題を出して、復習させるのだ。
 最初は、なかなか出来なくても、これを積み重ねていくことで手応えが出てくる可能性がある。
 実は、私が実践済みの方法だからである。
 今日の勉強は、昨日の学習の復習から入る。
 しかも、徹底して出力型学習でいく。
 ★
 どうするか。
 昨日勉強した問題を手書きで書いてテストにすればいい。(手書きでいい)
 黒板に問題を書いて、ノートに書かせるという手もあるが、そのノートには、昨日に解いた答えが書いてある。ちょっとまずい。
 手書きが、一番時間節約になる。
 だが、時間がないときは、白紙の用紙を準備していて、それを配付して、板書の答えだけを書かせればいい。
 テスト時間は、2,3分。まるつけは、隣同士で交換して、教師が答えを言う。
 昨日の問題がどのくらい理解しているかの評価もできる。
 ★
 どうだろうか。
 
 復習(5分)―本時(35分)―本時の練習(ドリル)(5分)

 これを繰り返して、きちんと学習をつなげていく。
 
 ★
 明日、初任者に提案してみようと思う。
 
 

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経験は意図的に積まなければいけない

   岡山の大前暁政先生から「忙しい毎日を劇的に変える仕事術」(学事出版)「教師のノート術」(黎明書房)の2冊の本をいただきながら、ずっと考えていた。
 大前先生とは、以前北海道の帯広でお会いしている。
 授業づくりネットワーク北海道大会でのことである。
 背が高くて、イケメンで、惚れ惚れするような若さであった。(笑)
 互いに講師として参加していたのである。
 まだ、34歳のばりばりの若手である。
 しかし、出されている本は、若手の域を超えている。
 岐阜に長瀬拓也という30歳になったばかりの若手もすごいが、大前さんは、もっと上の峰にいる。
 多分、30代の若手は、彼の足元にも寄れないであろう。
 私が知っている現場教師で言えば、北海道の堀裕嗣先生のレベルに近づいている。
 堀先生は、43、4歳であろうか。
 しかし、堀先生には、教育分野だけでない広さと深さがあるので、ここは未知数だ。
 何が大前先生に、これほどのレベルの本を作り上げさせているのだろうか。
 ★
 「教師のノート術」の中で、次のようなところがある。

 4 ノートを書く上で最も大切な姿勢
 (1)後で見て役立つノートにしよう
  新卒1年目から、ノートを書き続けてきた。
  初期のノートを見直すと、「キーワード」だけを書いたページが多いことに気
 付く。
  キーワードは書いてあるのだが、後で見直しても、まったく何のことか思い
 出せない。
  また、講師が言っている言葉をそのまま書き写したページもある。
  「子供から学びましょう」
  「教師としての自分を出せばいいのです」
 などと書かれてある。
  読み返しても、やはり何のことだかわからない。
  おそらく、話の流れで、私が重要だと判断したのだろう。だが、今となっては
 話の全体像は思い出せないので、何に重要性を見出しのかわからないのである。
┌──────────────────────────────────┐   
│「誰がこう言っていた」という文章は、後になって生産性がない。       │   
│「大切なキーワードだけを羅列している」ノートは、後で見てもわからない│   
└──────────────────────────────────┘   
   後で読んでも意味がわかる記録にしよう。できれば、後で読んで、学びが得
 られるようなノートにしよう。
  そのためには、その時々の考えや気持ちを、自分の言葉で文章化して残すよ
 うにすればよい。
┌────────────────────┐                               
│ 自分の「考え」を文章にして記録する。  │                              
└────────────────────┘                               

 「ああ、これだな」と思う。
 こんなノート術は、誰もきっとやっていないのだ。

 ★
 野口芳宏先生の「利他の教育実践哲学」(小学館)には、次のような言葉がある。

 「経験というものは意図的に積まなくてはいけない。また、その経験に整理
  を加えなければならないものだ」

 国語教育の生涯の師、高橋金次先生の口から漏れた言葉だとして、野口先生は記されている。
 おそらく、大前先生は、初任からさまざまなことを意図的に積み、その経験をきちんと整理されている。その違いであると私は判断する。

 ★
 大前先生には、次のようなメールを書き送ったと思う。

 「これだけ書ければ出版社から次々の出版の依頼がきます。私から言っておき
 たいことは安易に乗らないことです。ぼろぼろにさせられます。(笑)ぜひ、
 気を付けてほしいことです」

  現場教師にとって、本を出したりすることなど余計なことである。
 そんなことをするより、クラスの子供の方にそれだけのエネルギーを使って
 ほしいという保護者の願いがある。(口には出されないが……。)
 きわめてまっとうな願いである。
 目の前の子供に全力を尽くすことが、現場教師のモットーである。
 私は、24時間目の仕事、25時間目の仕事という言い方をする。
 現場教師は、24時間目の仕事をすればいい。それで充分。
 しかし、25時間目の時間(ほんとうはそんな時間などない)を設けたいとするなら、
 そこに必然性が必要である。その必然性が、本を出すことなどであろう。
 このように私は考えてきた。
 私も、まったく現場教師としては外れた、ヤクザな生き方をした。
 私に、どんな必然性があったのだろうか。

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 学校長による「初任者教員の不足している資質能力」

   愛知の玉置先生より連絡をいただく。
 文科省関係の最新の情報をいろいろいただくので、助かる。
 仕事日記は、必読のものだ。
 

「教員の資質能力方策の見直し及び教員免許更新制の効果検証の係る調査(速報値)(pdf)」を見る。

 校長が初任者教員について不足しているとした資質能力のトップ3は、
 1 集団指導の力  69.6%
 2 学級づくりの力 64.6%
 3 児童生徒指導力 63.7%
であった。これは6497人の校長の意見だ。わずかな数値の違いとはいえ、授業づくりや教材解釈力の不足より、数値が大きいことにも注目しておきたい。野中信行先生の心配は、校長も感じつつあるということだ。だからどう動くのか、自分もこれからが問われていると自覚。ちょっとあることを思いつく。まだ言えるほどのことじゃないけれど。
 三楽の仕事日記http://www.k-net.or.jp/~kndm0037/ 

 私も早速速報値を見る。
 「学習指導・授業づくりの力」59.4%
 「教材解釈の力」      58.5%

 確かに、授業についてより、学級づくりなどが数値が上がっている。
 昔ならばとても考えられないことである。
 最近の教育委員会からの講演依頼は、ほとんどが学級経営関係のことであるから、これも頷けることである。

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