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日常のこまごまとしたことの大切さ

  朝日新聞の読書欄に次のようなことが載った。
「今年の甲子園で春夏連覇を果たした興南高校我貴屋優監督の言葉に、次のような印象深いものがあった。 
 『散歩でたばこの吸い殻を見て見ないふりをする人は、おれは関係ねえ、とカバーリングに回らない。誰が捨てたのでもいいから拾わないと、試合にならない』。カバーリングーつまり味方がこぼしたボールを他の選手がフォローできないチームは、試合に勝てない。監督は日常生活の中でも小さな習慣や姿勢が、大事な場面でプレーに出る、ということを繰り返し説いたそうだ。
 日常の行動がプレーに表れるということでは、2000年に慶大のラグビー部を大学日本一に復活させた上田昭夫総監督の言葉を思い出す。部員を指導するにあたり、まず部員寮の新聞を読み終えたら、必ずきれいに畳んでテーブルに置こう、と呼びかけることから始めたという。「小学生じゃあるまいし」とあぜんとする部員に向かって総監督はこう言ったという。「新聞は必ず次に他の人が読む。きちんと置くことは次の人への良いパスだ。自分が読んだあと放り出したままの者は、必ず試合でもパスが雑になる」
(「我貴屋監督らに学ぶ生活態度」校正業 大村茂)
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 私も、若い頃指摘されたことと同じような苦い体験をしたことがある。
 仕事術をテーマにして、教師の仕事をしていたので、若い頃から仕事を早く終わらせることはお手のものであった。
 だが、仕事は早いが間違いが多い。多くのミスがあった。
 なぜ、そうなるのか。
 早くするための後遺症なのかと思っていた。 
 しかし、そうではなかった。
 日常のさまざまな場面で、終わりのところを実にいい加減に終えてしまうのである。
 たとえば、トイレにスリッパは、出てくるときに次の人のことを考えないでそのままの向きで出てきてしまう。
 お風呂に入って、出るときに次の人のためにきちんと後片付けをしてくるという意識がまったくない。入りっぱなし。
 ……
 恥ずかしいことに、こういうことが数多くあった。
 今でもえらそうなことは言えない。
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 だが当時、日常のこまごまとしたことが、具体的な仕事の大切な場面にきちんと出てくるものなんだということが分かっていなかった。仕事は仕事、日常は日常というように区分けしていた。そこにつながりがあるなんて、とても思えなかったのである。
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 初任の先生に、最初に教師の仕事を教えていくとき、日常のこまごまとしたことを伝える。
 職員室の自分の机は、私的な机ではない。公的なものだ。
 いつもこざっぱりと片付けておくこと。
 同時に、教室も私的な場所ではない。いつもこざっぱりと片付けをすること。
 公的なこと、私的なことの区別をきちんとすること。
 印刷室の使い方。
 使用したら、スイッチを切り、必ず紙を元に戻し、元あった状態に戻していくこと。
 社会人としての最低のマナーであるが、これがなかなかできない。
 若い頃、私もできていなかった。
 だが、今なら言えそうだ。こんなこまごまとしたことがとても大切だということを。 
 

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