日常のこまごまとしたことの大切さ
朝日新聞の読書欄に次のようなことが載った。
「今年の甲子園で春夏連覇を果たした興南高校我貴屋優監督の言葉に、次のような印象深いものがあった。
『散歩でたばこの吸い殻を見て見ないふりをする人は、おれは関係ねえ、とカバーリングに回らない。誰が捨てたのでもいいから拾わないと、試合にならない』。カバーリングーつまり味方がこぼしたボールを他の選手がフォローできないチームは、試合に勝てない。監督は日常生活の中でも小さな習慣や姿勢が、大事な場面でプレーに出る、ということを繰り返し説いたそうだ。
日常の行動がプレーに表れるということでは、2000年に慶大のラグビー部を大学日本一に復活させた上田昭夫総監督の言葉を思い出す。部員を指導するにあたり、まず部員寮の新聞を読み終えたら、必ずきれいに畳んでテーブルに置こう、と呼びかけることから始めたという。「小学生じゃあるまいし」とあぜんとする部員に向かって総監督はこう言ったという。「新聞は必ず次に他の人が読む。きちんと置くことは次の人への良いパスだ。自分が読んだあと放り出したままの者は、必ず試合でもパスが雑になる」
(「我貴屋監督らに学ぶ生活態度」校正業 大村茂)
★
私も、若い頃指摘されたことと同じような苦い体験をしたことがある。
仕事術をテーマにして、教師の仕事をしていたので、若い頃から仕事を早く終わらせることはお手のものであった。
だが、仕事は早いが間違いが多い。多くのミスがあった。
なぜ、そうなるのか。
早くするための後遺症なのかと思っていた。
しかし、そうではなかった。
日常のさまざまな場面で、終わりのところを実にいい加減に終えてしまうのである。
たとえば、トイレにスリッパは、出てくるときに次の人のことを考えないでそのままの向きで出てきてしまう。
お風呂に入って、出るときに次の人のためにきちんと後片付けをしてくるという意識がまったくない。入りっぱなし。
……
恥ずかしいことに、こういうことが数多くあった。
今でもえらそうなことは言えない。
★
だが当時、日常のこまごまとしたことが、具体的な仕事の大切な場面にきちんと出てくるものなんだということが分かっていなかった。仕事は仕事、日常は日常というように区分けしていた。そこにつながりがあるなんて、とても思えなかったのである。
★
初任の先生に、最初に教師の仕事を教えていくとき、日常のこまごまとしたことを伝える。
職員室の自分の机は、私的な机ではない。公的なものだ。
いつもこざっぱりと片付けておくこと。
同時に、教室も私的な場所ではない。いつもこざっぱりと片付けをすること。
公的なこと、私的なことの区別をきちんとすること。
印刷室の使い方。
使用したら、スイッチを切り、必ず紙を元に戻し、元あった状態に戻していくこと。
社会人としての最低のマナーであるが、これがなかなかできない。
若い頃、私もできていなかった。
だが、今なら言えそうだ。こんなこまごまとしたことがとても大切だということを。
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コメント
30年近く前の教え子です。
野中先生がおっしゃっている今回の内容と、
直前の{自分の「役割」に気付くということ}は、
改めてBariが近頃痛感していることで、
ためになります。
野中先生のご返信は放念されて結構でありますので、
「野中イズム」を吸収した初任者担任様と教え子達が、
また多く巣立っていくことを祈念しております。
投稿: Bari | 2010年9月28日 (火) 12時32分
本日、1年生の国語の授業でこ文章を読み聞かせてみました。
1年生には野球部がたくさんいます。
少しは心に響いてくれることを祈りつつ。
投稿: J.SASE | 2010年9月28日 (火) 15時34分
saseさん、bariさん、コメントありがとうございます。
bariさんには、びっくり。30年前の教え子たちにも、このブログが読まれていることにとても緊張しました。
私は、こうしてまだ生きていますよ。(笑)
30年前のめちゃくちゃだった若い頃のことを思い出しました。
元気で過ごしておられるようで、なによりです。
投稿: 野中信行 | 2010年9月28日 (火) 20時55分
お久しぶりです。horikawaの娘です。
私も来年から教壇に立ちます。採用前研修が10月から始まり,教壇に立つ自分の姿を想像すると,期待と不安で胸がいっぱいです。
3月の明日の教室は是非参加させていただこうと思います!!
投稿: horikawa | 2010年9月29日 (水) 10時04分
野中先生,初コメントです。
先生のブログ,楽しみにしております。
本記事(「声」欄でしょうか?)は
いつ掲載されたのでしょうか?
10日間ほど調べましたが,見つけられません。
お忙しいと思いますが,できましたら
お教えいただけませんか?
よろしくお願いします。
投稿: ジャイアンツ愛 | 2010年9月29日 (水) 11時07分
堀川さん、お久しぶりです。お元気ですか。
来年度から教員になるのですね。ぜひぜひ、3月はお会いしましょう。楽しみにしています。
ジャイアンツ愛さん、朝日新聞を調べましたよ。9月24日(金)の朝刊の読書欄です。いつもブログを見ていただき、ありがとうございます。
投稿: 野中信行 | 2010年9月29日 (水) 19時20分
まさに、その通りだと思います。
「神は細部に宿る」ですね。
私は、子供に「心の中は体に表れる」と言ってきました。気持ちが引き締まっていれば、自然と姿勢も良くなる。
野中先生の今回の記事は、いわば「心の中はささいな行動に表れる」ということでしょうか。戒めとして心に刻んでおきます。ありがとうございました。
投稿: JJ | 2010年9月29日 (水) 23時20分
こまごまと指摘し出すとキリはないけど、こまごましたことの始末にこそ、お人柄が出てきますね。他人のふりみて我がふり直せです。
投稿: まるやまひろとし | 2010年10月 3日 (日) 09時28分
まるやまさん、コメントありがとうございました。
「こまごまとしたことの始末にこそ、お人柄が出てきますね」
と指摘されているところで、どきっとしますね。
その通りです。まさに名言ですね。肝に銘じます。
投稿: 野中信行 | 2010年10月 4日 (月) 21時14分